筆者は、「自分には、地球での過去世がない。地球での人生は、これが初めてか、あったとしても人生経験がとても少ない。どこか他の世界から紛れこんだ者なのだ」という話をすることが、よくある。
そうすると、「ドコの星の出身なんだよ?」とか、「過去世回帰のカウンセリングを受けて証明しろ」とか、食ってかかってくる人が、ときどきいる。
普通は、この「宇宙からの転生者」の話をすると、笑われるか、「妙に納得してしまう」と言われるかの、どっちかなんだが(笑)。怒りだす人もいるというのが、ネットの世界ならでは。
地球生命系においては、人は物質界で輪廻転生している。過去にどれだけ地球での生を経験してきたかは、人によって大きく異なる。この人生における時間は、一日24時間、一年365日で平等なんだけど、それ以前の人生経験を含めれば、その経験値には計り知れないほどの個人差がある。
地球で長く輪廻転生してきた土着の魂は、この、なんともキツい地球の物質世界にも、慣れてるから平気。そういう人にとって当たり前なことでも、この地球で転生した経験が浅い人にとっては、途方もなく難しかったりすることがよくある。
「地球に生まれてきたけれど、ここは、いくらなんでもキツすぎる。さっさと元の世界に帰りたい」というような、宇宙からの転生者が、ここで言う「ワンダラー」。
「私は、OO星のXXです。地球のアナタがたを救うため、メッセージを伝えに来ました」というような人は、「チャネラー」、もしくは「ウォークイン」と呼ばれ、別のタイプになる。ウォークインは、明確な目的のもと、地球人の身体に乗り移ってきた宇宙人の魂で、当然、自分がどこの誰だか知っている。上記のような、「宇宙人」と聞いて怒りだす人は、これをイメージしてるんだと思われる。
これに対して、「どこから来たかは知らないが、自分がどこか他の世界の者であることは分かる」というのが、ワンダラー。こちらは、宇宙の放浪者だ。ウォークインのような、明確な目的意識を持ったETソウルではない。早い話が、「地球にナジメない人」のこと。
「宇宙人」や「ワンダラー」と聞いてイメージするものは、人によって異なる。葦原瑞穂氏の「黎明」に出てくる、「地球の短期滞在者」という表現が、一番そのものズバリなんだけど、ちょっと長いんだよなあ(笑)。
地球の短期滞在者は、物質や肉体に関しては、不器用だし、得意ではない、
その代わり、直感や感性、観念的な面や、芸術的な面などが、大幅に発達している。その表れ方は、人によってさまざま。
筆者の場合は、それが、「精神世界を縦横無尽に探求する」ことに表れている。昔から、哲学・宗教や芸術ジャンルに関しては、一を聞いて十を知る。眼光、紙背に徹す・・・という調子なのだ。
それが実生活で役立ったのは、十代の後半の頃だろう。たとえば、高校の国語の試験では、「論語」や「老子」などが出てくる。こういうものを見て、思想の中身がすぐにピンと来るのが、なんたって特技。
歴史も同じで、精神集中すると、目の前に、地球人類の歴史の、さまざまな場面の情景が浮かんでくる。あとは、春夏秋冬の変化を思わせる、栄枯盛衰の流れをつかむことだけ。まさしく、易経ワールドだ。
それでも、高校一年のときは、あまりにも学校の成績が悪いので、親子面談でショックのあまり親が泣き出してしまったほどだった。でも、あるとき突如として成績が上がった。
あまりにも造作なく、しかも半端なく上がったため、元から秀才だった同級生が、ショックを受けて怒り出したほどだった。でも、こちらは直感だけで勝負してるんで、そういう正統派の秀才とは、もともとタイプが違ってた。特に、「このワケわかめな文章を読んで、これを書いた人が何を言いたかったのか、代わりに説明せよ」というようなのが滅法得意だった。やがて、「文系科目では全国でも屈指のレベル」と言われるまでになった。
筆者の場合、観念的な方面では、それくらい意識が発達していた。それだけの特技を、仕事や人生に役立てようと思えば、そういう道もあったと思うんだが、なぜか、経済学部に進んでビジネスマンを目指すことにした。「地球で価値ある人生経験を積むためには、社会の最前線で活躍しなければならないのだ」と、ナチュラルに思い込んでいたのだ。
そのせいで、どれだけ悪戦苦闘してきたかは、計り知れないものがある。失業・バイト・再就職を繰り返し、そのおかげで、今じゃ、こんなにいろんな業界を知ってる人間は滅多にいないんじゃないかと思うほどだ。それでも、そういう現実的な方面においては、いつまでたってもイマひとつ。地球で、最低でもあと十回は生まれ変わって経験を積まない限り、一度や二度の人生じゃ無理だろう(笑)。
その代わり、「独特の雰囲気の良さ」をホメられることが多かった。「何も考えてなさそうなところがいい」とよくホメられた。「いても、たいして役に立たないが、いなくなると、なんだか雰囲気が悪くなる」とも、よく言われてた。それが「波動の良さ」というものだろう(笑)。
動物は無邪気でかわいいけど、地球は厳しい弱肉強食ワールドだ。この環境に長く慣れ親しんできた土着の魂と違って、宇宙からの転生者は、純粋な優しさの世界の住人。そういう優しさが、オーラのように全身を包んでいる。そこが「独特の雰囲気」と言われることにつながる。
だから、人から好かれることによって、なんとか、やっていける。「地球の短期滞在者」が、この人生を乗り切るには、そこがポイントだろう。老子によれば、赤ちゃんは、虫に刺されることも、凶暴な鳥や獣に襲われることもない。だから、赤ちゃんをお手本にするのが、このエゴの世界を生き延びるコツなのだ・・・。
家の中にいてもエサがなくてカワイソウなので、見つけたら外に逃がします。
うまいこと共生できればいちばんいいんですけどね。
ちなみに室内でよく蜘蛛に遭遇するんですが、そちらはとても可愛いです。産毛のもっふもふ、たまらんです。
とりあえず動植物を見かけたら話しかけてみます。はたから見たら変人ですね(笑)
でも、彼らも、本来の環境である森林の中では、あらゆるゴミを食べ尽くす万能の掃除係。
それにしても、動植物や昆虫は、ホントにかわいいな!!
おかげで今は対人間だけじゃなく、虫や動植物にも愛を感じてます。彼らがどうにも語りかけてくれてるように思えてなりません。まあ何言ってるのかはわからんのですが(´д`)
最近は部屋に現れるゴキブリすら少し愛しく感じるんです、家族につぶされると可哀想なんでティッシュでそっと掴んで外に逃がしてますけど。
昔は平気でプチッとやってしまってたんですけど、人ってふとしたキッカケで覚醒するんですね(´∀`)ハハ
そりゃ、そういうことでしょう。
優しさの世界のオーラに包まれてるからです。
と言われる事が多いのは、もしかして無意識に愛で溢れてる?
と思うと少し生きるのが楽になりますね(笑)
>プロセスの大切さ、自閉症スペクトラムの特性で、耳から入る情報が多すぎると混乱する、視覚支援やスモールステップがいる、とうう点には、頭がいかなくなってしまいました。
確かに、自閉症スペクトラム症候群の子供に、一気に教えるのは無理だわな。
筆者も、学習塾で、小学校低学年の子供2人に勉強を教えたことがあります。1人は学習障害ぎみで、もう1人は多動性障害だった。
本当に大変でしたね。色鉛筆でシャツに落書きされ、メチャクチャになった(笑)
他者のために生きることを役目とする人々。
生まれる前にそれを受け入れて来た人々。
>そういう人たちが存在します。
その人たちの中には、天より賜り物を頂いている人々もいます。
困難な人生を生き抜くために。
青い猿サンこそは、使命を持った人のように思います。
困難な人生は、イヤなものですけどね(笑)
地球での経験もない。でも、息苦しくはない。
ここに来た目的は、地球の波動を上げる為。
>あなたがいるだけで元気になる。
不思議な人です。と言われますが、地球での生活は
とても普通の生活です。
そう、そこですね、重要なのは!!
最終的には、それに尽きます。
2013/06/08 14:41
今朝、娘パニック、夫激昂という恐るべき1日のスタートを迎えました。
なんとですね、夫がルイの宿題を加勢したんですよ。ルイはパパに構ってもらえて嬉しくて、パパは真剣そのもの。
夫は、昨夜の私との情報交換で、ルイの勉強面に興味が湧いたようなのです。
算数のテストが全部、100点だったことで、予想していたより「頭が良さそう」と、勝手に思い込んだふしもあります。
頭が「指導したい」になると、そればっかりになるのも夫の傾向
で、見事にルイは狂ったように泣き叫び、夫は激昂して泣き部屋へこもりました。
あー…私の介入する間もなかった
夫は、ルイの認知のズレを説明さえすれば、どんどんやれる、と何故か思い込み
恐ろしいほど、きっちりと「説明」してまして…
そこに図解や筆談がないわけです。夫は話してる時に書く、という同時処理ができないから、考えながら話すだけでキャパ満杯なのはわかります。
そして、夫は地頭が良すぎて、「勉強は授業を聞けば記憶する」能力の持ち主ですから…
その能力がない人の立場に立って話ができない。
仕方ないです。生まれながらの能力の持ち主なので。
ルイはというと、入力処理に時間がかかります。
だから、簡単な問題でも、まずつまづいている点を調べて、ルイに確認しながら、図解したり、話してる内容を鉛筆で紙に書きながら説明してやる必要があります。
「耳から聞いてすぐに理解し覚える」は、わかる内容ならできるけど、認知のズレで理解できない部分はそれができません。
昨夜のひらがなの「を」の話を夫にしましたが、彼の中では
「認知のズレを説明して解決すればいける」と頭にくいんでしまったのか
プロセスの大切さ、自閉症スペクトラムの特性で、耳から入る情報が多すぎると混乱する、視覚支援やスモールステップがいる、とうう点には、頭がいかなくなってしまいました。
ルイへの期待が大きすぎたのだ、と見ていて感じました。
教えはじめて直ぐに、これぐらい理解できる、してほしい、なぜできない、とジリジリしはじめた夫。
ルイが一つ、上手に計算したとたんに、「さっきできなかったやつも、考え方は同じで…」と畳み掛けるように説明を始めてしまいました。
ルイ、たまらずに「言わないで!頭がごちゃごちゃになる!」と叫びました。
耳過敏である夫は突然の衝撃と、自分がしていることを「拒否された」ので、瞬間で怒りを爆発させ、退場。
残るは泣き叫ぶルイ。
パパを怒らせた、失望させた、失敗した、と…
もう2人とも、特性のぶつかり合いなんです。
待てないパパ。
真剣なあまり、「大人のペース」しかも頭がいい人のペース。
自分も耳からの情報を処理するのが苦手な特性があるのに
得意分野の「勉強」で夢中になると、7才のルイに配慮できなくなる。
ルイはいったん理解して頭に記憶されると、処理が早いです。だから誤解される。
どんなに他人から簡単に思える問題でも、できないものには、理解にも記憶するのにも時間がかかる。
認知のズレを、他人の説明からひらめきを得て、納得できたら…次は記憶処理に時間がかかるのです。
納得した問題を、何回も確認して頭に刻み込む。それば会話速度の1分ぐらいじゃむりで、じっと2、3分は黙って見つめて記憶する必要があるのです。
畳み掛けるように、この期をのがすまいと関連課題の説明に真剣になるパパに
処理速度がついていけなくてパニックしたルイ。
2人とも不幸な結果でした。
午後から2人は別行動です。ルイは工作教室で楽しく、夫は一人で休息。
私とルイはその後は川べりで遊んで遅く帰るでしょう。
夫には、なぜルイが突然拒否をしたか、それは限界のパニックであったこと。
ルイにはパパが「ルイに教えることが初めてで慣れていない」ことを伝えました。
2人の、パパが勉強を教えてくれる!と喜んだルイの気持ちと
一生懸命教えようとして空振りした夫の顛末を考えると
心が痛みます。
こういう時、特性を持つもの同士の難しさをまざまざと感じて、顛末のせいでおいてけぼりにされたルイの嬉しさや、娘に向けた夫の優しい気持ちを思うと…辛くなりますね。
あと数時間で、私も建て直さないと。
→マインドを限りなくゼロに近づけるのは難しい。
失礼いたしました。
それでも。
ズレた選択をしなければならないこともあります。
他人の目線・意見をどうこう判断する前に、人間としてどうなのか?を考えた結果、ズレていようとも、選ぶ。
その結果が苦しいものであっても、それがわかっていても。
マインドは夢実現に大切。
マインドを限りなくゼロに地被けるのは難しい。
この世はそういう世界だから。
でも極力、人生はマインドでなくハートで生きる道を選ぶ事を良しとする。
ここの世界には、そういう事態に追い込まれる人も存在します。
夢実現に走り出しても、まもなく必ず…自分ではどうにもならないことで、環境から壊れて行く。何度挑戦を繰り返しても進めない。
それを役目として生きる人々。
他者のために生きることを役目とする人々。
生まれる前にそれを受け入れて来た人々。
そういう人たちが存在します。
その人たちの中には、天より賜り物を頂いている人々もいます。
困難な人生を生き抜くために。
今日はそこから入ってみます。
まず「選ぶ」ということから見ていきましょう。
人生は、自分の選択の結果でしょうか。
それともすべて決まっているのでしょうか。
僕は、ある時には「人生は選択だ」と言い、ある時は「人生はすべて決められている」と言います。
その気になれば、どちらの立場も取れます。
どちら側からでも説明可能ですし、どちらも真実です。
それは見る次元によって変わってくるのです。
いまは、どちらが正しいのかを決めるのではなく、どちらの立場で生きたほうが自分にはいいかという観点から話を進めていきましょう。
人生を生きるということから言えば、「人生は選択だ」という立場のほうが大切だと思います。
自己や人生そのものを超えて、目覚めに至るというのであれば、また話は変わってきますが、いまはそのことはいったん横に置いておきましょう。
地上目線から見れば、僕たちは、毎瞬の選択によって人生を作り出してきました。
いまそれぞれが抱えている人生は、これまでの自分自身の選択の結果です。
そして選択には大きな特徴があります。
それは、「選択とは、自分にとって、よりマシなほうを選ぶ」ということです。
例外はありません。
よりマシなほうを選んできた結果が、いま生きている現実を創り出したのです。
えっ?全然マシじゃないって?
おかしいですね、マシなほうを選んだのにマシじゃないなんて。
いったい何が起きているのでしょう。
それは、よりマシな方を選ぶとき、何を基準にして選んだかが、自分の思いとズレているからです。
たとえば、家を出て一人立ちしたかったけれど、家族のためにそれをしなかったと言うのであれば、家を出るという思いよりも、家族に心配をかけたくないという思いが勝(まさ)ったということです。
選択の基準が、自分の思いではなく、家族にあったのです。
やりたいことがあるのに、人からどう思われるかが心配でやっていないとしたら、やりたいという思いよりも、人の目のほうが重要になっているのです。
自分にとっての選択の基準が、自分の思いではなく、変な人に見られたくないという思いになっています。
あるいは、画家になりたかったけれど、将来が不安だったから就職したと言うのであれば、なりたいという思いよりも、安全無難という価値のほうが大切だったのです。
選択とは、何を基準にして選ぶかによって、結果が180度変わってしまうものなのです。
自分の思いを優先して生きていれば、成功しているかどうかは別としても、思い通りの人生を生きています。
でも、安全や、無難や、人の目や、周囲の気持ちを優先して生きていれば、自分の思いとは違う人生を選んでいます。
でもどちらにせよ、「よりマシ」なほうを選んできたことに変わりありません。
これが選択の特徴です。
ここまで理解してやっと、「感情を選ぶ」というテーマに入れます。
先日も述べたように、感情も自分の選択の結果です。
ほとんどは無意識に選んでいますが、無意識だとしても選ぶ限りは、よりマシなほうを選んできています。
あれ?また変な話になってきました。
怒りなどの嫌な感情を、何が嬉しくて選んでいるというのでしょう。
人間の心理は複雑ですね。
地球での経験もない。でも、息苦しくはない。
ここに来た目的は、地球の波動を上げる為。
あなたがいるだけで元気になる。
不思議な人です。と言われますが、地球での生活は
とても普通の生活です。
このサイトに出逢えて良かった。
ありがとう♪