宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「奇跡のコース」への入口

2009年11月09日 | 神の使者
 
この宇宙は、夢だ。一見、現実的に見えるのだが、実は、まったくの非現実。神こそが、唯一のリアリティである。

夢といっても、リアルな夢だ。これには、荘子の一節を思い出す。

古代中国の荘子は、夢の中で胡蝶となった。荘子はヒラヒラと舞い飛びながら、自分のことを胡蝶だと思いこんでいた。目を覚ました荘子は、自分が人間だということを思い出してガク然。自分は、実は胡蝶というのがホンモノで、夢の中で荘子になってるんじゃないかと疑った・・・。

あまりにも有名なストーリーだが、これは、すべての人間に当てはまるようだ。もっとも、われわれは「胡蝶」の夢を見ているわけではない。では、何の夢を見ているのか。

「分離」という夢である。

この、われわれが創り出した幻影の中で、われわれは「分離」という夢を見ている。それは、神からの分離。そして、人間同士の分離。ひいては、人間のみならず、あらゆる個体としての分離。
  
大宇宙に遍満する、「分離」。それは、夢まぼろしに過ぎなかった・・・。
 
そうなると、「さあ、分離という夢から覚めようじゃないか」となるのが自然な流れというもの。「神の使者」が勧める強力な目覚めのツールは、「ACIM~奇跡のコース」である。世界各国語に翻訳されているのだが、なぜか、世界に冠たるスピリチュアル大国のひとつ、日本では翻訳されていない。まだ、翻訳者が本部に認められていないからだという(笑)。もっとも、コアなマニアはすでに原書で読んでいる。原書を読む趣味がない人は、その代わりに「神の使者」を読むわけなのだが、これには賛否両論がある。「神の使者」に限らず、思想の世界に賛否両論はツキモノだ。

実際のところ、「神の使者」の読者には、著者のゲイリー・レナード氏に対して、「個性的」というか、「アクが強い」という印象を受ける人も多いというのが事実だ。そこに、賛否両論が生まれる素地がある。というのも、「奇跡のコース」のメッセージは、これを読む人々が、原典から離れないことを強く望んでいる。もともと、読者による自由な解釈や、アレンジを好まないところがあるのだ。そこには、血で血を洗う宗派対立に明け暮れてきた、キリスト教の歴史という背景があるらしい。そのためか、「奇跡のコース」は、自学自習用の教材として構成されている。そうすることで、宗派が形成されるのを、できる限り防ごうとしているのかもしれない。

もっとも、オリジナルの「奇跡のコース」しか認めない・・・という原理主義者(?)にも、「神の使者」の有益な使い道はある。それは、この分厚い本の隅々にまで満ちている、「奇跡のコース」からの引用部分を拾い読みすることだ(笑)。訳者は、「神との対話」で定評ある、吉田利子氏。さあ、さっそく読み始めよう。

・・・導入部

これは奇跡のコースである。これは必要なコースである。あなたがいつこのコースを学ぶか、それだけがあなたの意志に任される。(中略)・・・このコースは愛の意味を教えることを目的としてはいない。・・・そうではなく、(あなたがたが自然に受け継いでいる)愛の存在に目覚めるうえでの障害を取り除くことを目的としている。愛の対極は恐怖だが、すべてを包み込むものには対極がない。したがってこのコースは、ごく簡単に言えば次のように要約できる。

現実(リアル)であるものは、いっさい脅かされることがない。

非現実(アンリアル)であるものは、いっさい存在しない。

ここに神の平和がある。
 
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