ここでは、「地球の物質世界は、よくできた仮想現実である。いかにも本物の存在であると錯覚させるような、巧妙な仕掛けに満ちている」という話をいつもしている。
これは、「私は、そういう信念を持って生きています」という話ではない。科学と哲学にさんざん取り組み、ものすごく色々と考えた結果、このような最終結論に到達したのである。ていうか、そうならざるを得ない。地球の物質世界がよくできた仮想現実であるということは、すでに分かり切っている。あとは、それに対する解釈の問題。
前にも書いたように、筆者は文系とはいえ、かつては学習塾で理科と数学を教えてた上に、仕事の都合で科学技術に関するレポートを書いたり話をしたりすることが多いので、科学のことも理系なみに知っている。もちろん、特定の分野についてはその道の専門家のお知恵を拝借しなければとても語れないけど、いろんな理系分野を幅広くカバーしているという点にかけて、筆者に及ぶ人は、世間には滅多にいない。
しかも、もとはといえば文系人間なので、哲学にも通暁している。西洋哲学や仏教哲学はもちろん、朱子や王陽明の中国思想、アラブやペルシャのイスラム思想のことまで、かなりの細部まで知っている。とにかく、ネット上でもリアルでも、あまりの博識さにいつもビックリされる、一種のビックリ人間。それが筆者の特徴なのだ。
それというのも、またまた話が飛ぶけど、筆者は「情報端末」なのである。ここには主に、地球の情報を収集しにきているのだ。そのために生きているといっても言いすぎではない。だから、他人からは「なんでそこまで」と思われるほど、根源的な情熱に動かされている。
というのも、人間の意識というのは、自分1人の分だけでできているわけではない。自分の意識というのは、本当はもっと大きいのである。この自分は、その一部が切り離されて、情報端末として地球に飛んできているにすぎない。「これから、地球が大きな変容を迎える。その様子をリアルタイムでウォッチしてこよう」というわけだ。端末が収集した情報は、本体意識ともリアルタイムで共有される。そういうシステムになっている。
もっとも、情報収集といっても、残念ながら筆者には行動力がない。だから、あまり動かず、定点観測に徹している(笑)。
でも、大丈夫だ。そのために、インターネットが急速に発達してきている。あまり動かなくても、世界中のことが手に取るように分かるのは、そのためだ。先日も、サイゼリヤでスパゲッティを食べていたら、隣の席のイギリス人に話しかけられた。話をしてみたら、中世ヨーロッパの歴史のマニアだった。そこで筆者は、第四回十字軍がコンスタンティノープルを占領したときの話や、リチャード獅子心王が大陸各地を転戦したときの話をした。あたかも、自分自身の思い出話でもあるかのように語った。これは、歴史マニアにはアリガチな傾向。「応仁の乱のときは大変だった。細川勝元が攻め込んできたときは、生きた心地もしなかった」って、お前はそのときから生きてたのかよとツッコミが入るくらいでないと、本当の歴史マニアとは言えない。
それを聞いたイギリス人は、とにかくビックリしていた。「世の中は広い。地球の裏側に来てこんな人間と出会うとは」としきりに感心していた。
それはともかく、情報端末として飛んできたのはいいが、地球の物質環境は、予想していたよりも遥かに厳しい。厳しいというか、難しい環境だ。ここは、そう簡単になじめるところではない。こればっかりは、まあ仕方ない。
(時間がなくなったので、次回に続く)
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