谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

鬼怒川龍王峡の紅葉

2007年11月29日 11時33分15秒 | Weblog

 今日も寒いです。それでも雨の予報が曇に変わっただけでももうけものです。
 風邪などひかれぬようご自愛ください。
さて
 11月22日(木)から栃木方面へ旅行しました。
 我が家を午前5時40分出発~東北自動車道~日光宇都宮道路経由で午前9時には、最初の目的地鬼怒川龍王峡に着きました。

 龍王峡は、今から2200万年前、海底火山の活動によって噴出した火山岩が、鬼怒川の流れによって侵食され、現在のような景観になったと言われております。
 名のとおり龍がのたうつ姿を思わせる景観を鬼怒川温泉から川治温泉の3キロにわたって見ることができるそうです。

 駐車場から虹見の滝方面に急な坂道を下り始めたところでまずシャッターをパチリ。下の写真です。結構紅葉が綺麗でした。


 坂をもう少し下ったところから虹見の滝を写しました。
 晴れた日には陽光に輝き美しい虹を架けるそうです。生憎この日は、曇空虹は見えませんでした。


 そして、坂を下ったところ・虹見の滝の真正面にある龍王神社にお参りしました。
 この辺りには、中国からの観光客が大勢いました。皆さん小型のデジカメでお互いに写真を写しあっておりました。
 下の写真は、龍王神社から写した虹見橋です。


 その後、虹見橋の上に出て、上流の川治温泉の方を写しました。
 写真では良く分からないと思いますが正面の山は雪で白くなっておりました。
 右の山が白くなっているのは分かると思います。前夜、降った雪だそうです。


 虹見橋から龍王神社の方を写しました。


 1時間ばかりでしたが結構紅葉があり、満足の龍王峡見物でした。
 その後、次の目的地塩原へ
 残念ながら日塩有料道路(もみじライン)は、前夜の雪のためチェーン規制がかかっておりました。
 泣く泣く矢板まで戻り塩原に向かいました。続きは次回投稿します。 

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新四国八十八ヶ所めぐり(第10回~1)

2007年11月26日 11時39分59秒 | Weblog
 今日も小春日和です。この天気が続けば良いのですが・・・・明日は
 昨日は、茨城県の北浦までタナゴ釣りに行きましたが釣れませんでした。
 下の写真は、先週我が団地の庭で撮りました。めじろと柿珍しい取り合わせと思いませんか。シャッターチャンスに恵まれました。

さて本題です。
 いよいよ10回の1まできました。

 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。

 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。
 マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
 第10回は、新京成「薬円台駅」~正伯高幢庵(41)~正伯不動堂(47)~田喜野井正法寺(19)~田喜野井不動堂(36)~三山神宮寺(13)(74)~三山二宮神社~三山新田弁天社(77)~大久保薬師寺(88)~京成「大久保駅」の順で歩かれております。


 5月8日第41番正伯高幢庵、第47番正伯不動堂、第19番田喜野井正法寺、第36番田喜野井不動堂を訪れました。
 第41番正伯高幢庵(船橋市薬円台1-5-26)です。
 成田街道薬円台交差点の傍にあります。従って駐車場はありません。小生少し離れた道(約3分)に止めお参りしました。この大師堂のみです。
 図録によれば[寛延2年(1749)の「葛飾記」によると「ゆるぎの松」が枯れ死した時、これを惜しんだ木食僧観信が二体の地蔵菩薩を彫った。大きいほうを「ゆるぎ地蔵」といい、上飯山満の地蔵堂へ小さいほうを「木っぱ地蔵」といい、高庵へ納めた。(船橋市指定文化財)]だそうです。


 下は、木食観信の墓です。
 [「ゆるぎ地蔵」「木っぱ地蔵」を彫った木食僧の墓。享保11年(1725)没。船橋市指定文化財](図録)
 


 第47番正伯不動堂(船橋市薬円台4-2-22)です。
 ここも駐車場がなく、少し離れた道に車を止めるしかありません。


 第47番札所です。


 第19番
田喜野井正法寺
(船橋市田喜野井3-7-6)です。
 ここには、立派なお寺があります。
 境内の中に駐車することが出来ます。お寺に通じる道はかなり狭いです。


 第19番札所です。


 下写真右から2番目は、石造り如意輪観音像です。
 [延宝5年(1677)の造立。十九夜講の如意輪観音像としては船橋市内最古](図録)


 第36番田喜野井不動堂(船橋市田喜野井4-31-12)です。
 ここも、道に迷い反対側のまだ林の残っている高台に登り探しましたがわかりませんでした。不審に思い近寄って来た人から教えてもらいやっとたどり着きました。
 特にお寺らしいお堂はありません。後ろの瓦屋根の家は、小生に道を教えてくださった方の家です。


 第39番札所です。


次回(第10回~2)は、第13番74番三山神宮寺、三山二宮神社、第77番三山新田弁天社、第88番大久保薬師寺を掲載します。
 次回で新四国めぐりも最終回です。

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我が散歩道の秋 その1

2007年11月24日 16時42分50秒 | Weblog

 寒さも厳しくなりました。我が家では、今日コタツを出しました。
 風邪など引かぬようご自愛下さい。

さて本題です。我が散歩道の秋総集編です。2回に分けて投稿します。
 小生、朝夕各1時間ウオーキングをしております。小生の歩く八千代緑ヶ丘は、開発?が進みマンション・大型スーパーが出来ました。しかし少し離れるとまだ自然が残っております。そんな散歩道で撮った秋です。
 まずは、昔懐かしいはざ掛けです。
 丁度、このころ台風が来ました。もう一箇所はざ掛けがありました。そちらは朝見つけ、午後撮影に行きましたが既に片付けられておりました。
 下の写真は、9月4日撮影しました。


 次はアケビです。
 アケビは、ここを含め4箇所にありました。しかし2箇所は、ある日まだ青かったのに全部(20個)取られていました。残念です。持ち帰った人は食べたのでしょうか。
 ウオーキング仲間は毎日見るのを楽しみにしていました。
 写真のアケビは囲いがあり、そして高台にあるので個人で取るのは不可能です。
 10月11日撮影しました。


 下のアケビは、上の写真とは別の場所にあるのですが、取るのは不可能なところにあります。
 10月11日撮影しました。


 どんぐりは、頭から50cm位上のところにあります。10月6日撮影しました。
 手が届きますが取る人はいません。価値がないのでしょうか。


 散歩道には、からす瓜があちこちにあります。昨年は持ち帰る人が多かったですが、今年はまだ多く残っております。
10月20日に撮影しました。少し加工しました。


 如何だったでしょうか。まだまだ田舎が残っていると思いませんか。
 来年も再来年もこの自然が残ってほしいものです。
 我が散歩道の秋は、もう一回掲載する予定です。
  コメントは受け付けておりません。 

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新四国八十八ヶ所めぐり(第9~3第9回終)・甚兵衛沼情報

2007年11月20日 08時20分04秒 | Weblog

 まず甚兵衛沼情報です。
 11月19日(月)甚兵衛沼に行きました。15日に2回目のへら鮒の放流があり下の成績表のとおり釣れておりました。今回の放流は1500枚(値段は35万円位)です。
 沼に着いた時は、釣友が30枚(この人の釣果75枚・竿頭)近く釣っておりました。
 小生わくわくしながら釣りを始め、4時間で37枚釣りました。まあまあか。
 少し遅れてきたもう一人の釣友は30枚釣りました。遅れてきた釣友は、かっつけ釣り、小生、竿頭は底釣りでした。
 しばらく釣れると思います。クリスマスあたりに3回目の放流があります。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。
 マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月8日第76番谷津東福寺、第26番谷津西光寺を訪れました。
 まずは、第76番谷津東福寺(習志野市谷津2-11-7)です。
 京成線踏み切り傍にあります。車の通行が少ないので、短時間なら前の道に駐車できます。


 第76番札所です。


 下左は宝篋印塔です。
 「文政3年(1820)の造立。施主は金子儀左衛門、石工は船橋川端の長十郎が務めた。台座は昭和11年の後捕。」(図録)
 右は子安大明神並びに四国霊場七十六番供養塔です。
 [天保6年(1835)の造立。子安大明神と四国霊場供養塔の二つの機能を備えた珍しい供養塔。正面には「子安観音」の彫像と「子安大明神」の銘、左側面に「南無大師遍照金剛」「四国七拾六番讃州金倉寺」とある。](図録)


 第26番谷津西光寺(習志野市谷津1-2-15)です。
 駐車場はありませんでした。少し離れた道に車を止めお参りしました。


 第26番札所です。


 第60番大日堂(習志野市谷津1-2-15西光寺内)です。
 この札所は、見落とし午後再度訪れお参りしました。


次回(第10回~1)は、第41番正伯高幢庵、第47番正伯不動堂、第19番田喜野井正法寺、第36番田喜野井不動堂を掲載します。
 コメントは受け付けておりません。 

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甚兵衛沼情報

2007年11月15日 18時25分24秒 | Weblog

 今日は、穏やかな小春日和でした。
 小生、朝からタナゴ水槽の大掃除をしました。これで冬越しできます。
 苔を食ってくれる小さなカタツムリのような虫を大事に保護し、清掃後水槽に放しました。この虫?は、水生植物を入れたとき付いてきたものです。
 名前を知っている方教えてください。と言ってもコメント拒否状態では無理ですね。

さて本題です。
 11月13日(火)甚兵衛沼にへら鮒釣りに行きました。釣果は良くなかったですが、天気は日本晴れ、釣り仲間と冗談を交わしながら楽しい一日を過ごしました。
 下の写真は、前回載せたパノラマ写真と反対側から写したものです。
 木の茂っている土手が道路になっています。この土手は、利根川の水害から護るために人工的に作られたものです。かってこの土手の向こう側まで水が溢れてきたそうです。この話は、沼主の岩井のじいちゃんから聞きました。
 


 今週末にも2回目の放流が予定されております。また入れ食いに・・・・・
 下の写真中央上に雲が写っていますが、あの辺りに3~4分間隔で成田空港から離陸する飛行機が見えます。 着陸する飛行機は見えません。


 甚兵衛沼から徒歩7~8分のところにある田圃に、今年も白鳥が来ておりました。
 気長に餌付けされた結果です。

 今後、多くの白鳥が飛来すると思います。
 甚兵衛沼釣行の楽しみがまた一つふえます。


 甚兵衛沼釣行記・情報については、きめ細かく伝える予定です。
 愛する甚兵衛沼復活のために・・・・何しろ30年通った釣り場ですから!
 コメントは受け付けておりません。 

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新四国八十八ヶ所めぐり(第9回~2)

2007年11月14日 15時14分22秒 | Weblog

 本日、囲碁の定例会がありました。1勝2敗昼飯の味は、すこし苦かったです。

 今朝(午前4時~)NHKラジオ「こころの時代」で囲碁棋士の小川誠子6段が「忘れえぬ言葉」と題していろいろ碁の話をしておりました。
 その中から
 紫式部と清少納言(二人とも囲碁は知っていたらしい。)が碁の対戦をしたらどちらが強いか。若い方の紫式部が勝つだろうと言うのが囲碁界の定説だそうです。
 コンピュータがプロ棋士に勝てるか。
 将棋では、現在かなり良い戦いをしていますが、囲碁では人間が滅ぶまで無理だそうです。理由は、すべてのプログラムを紙に書いて積み重ねると銀河系を突き抜ける位多いそうです。
 小川誠子6段は、14歳で全日本女流アマチュア囲碁選手権大会に優勝し、それを機会に木谷實の内弟子になりました。若いころは囲碁界のアイドルでした。ご主人は俳優の山本 圭さんです。

 さて本題です。
 新四国めぐりも第9回の2までたどりつきました。後三回で新四国めぐりも結願です。もう少しお付き合いお願い致します。
我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。
 マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月8日第11番藤崎正福寺、第40番観音堂、第25番久々田東漸寺を訪れました。
 まずは、第11番藤崎正福寺(習志野市藤崎2-11-9)です。
 このお寺は、地図を勘違いし少し離れた場所をあちらこちら探しました。
 やっとたどり着きましたが早朝なので門が閉まり(午前9時開門)お参りすることが出来ませんでした。その日の午後再度訪れました。
 お寺らしいお寺は、ありませんでした。
 下左が第40番札所(観音堂)です。右が第11番札所です。並んで札所がありました。


 下が、正福寺常夜塔(田久保五兵衛家の方か?)です。
 「右が田久保五兵衛家左が田久保左衛門家の造立。共に両家の墓碑を兼ねている。」(図録)と記されております。


 正福寺と道を隔てて下の観音堂がありました。新しく建てたようです。第40番観音堂との関係は分かりません。


 第25番久々田東漸寺(習志野市津田沼4-121)です。
 訪れたのが早朝でしたのでお寺の前の道に駐車することができました。
 この道は、商店街ですので昼間の駐車は難しいと思います。


 第25番札所です。


 境内には、鐘撞堂などがあります。

次回(第9回~3第9回最終回)は、第76番谷津東福寺、第26番谷津西光寺
を掲載します。
 
 悪質なコメントがあるため、コメントは受け付けておりません。
 申し訳ありません。

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甚兵衛沼復活・へら放流

2007年11月10日 08時27分46秒 | Weblog

 お知らせ
 最近迷惑なコメントが多くあります。当分の間コメントを受け付けない設定としました。ご不便をかけ申し訳ありません。
 立冬(7日)も過ぎ、朝晩はめっきり寒くなってきました。木枯らしが吹くとの予報もちらほら、谷風便り訪問の皆様ご自愛下さい。

さて本題です。 
 甚兵衛沼は、安食水郷一のへら鮒の管理釣り場でした。
 小生、甚兵衛沼に通い始めて30年が経ちます。
 最盛期の冬の日曜日、午前五時には釣り客であふれていました。釣り開始は午前6時30分なのに・・・・・。
 朝飯のサービスもあり、近所の農家の主婦が2~3人手伝いに来ていました。
 釣れるポイントに入るには、午前3時に行かねばなりませんでした。
 そんな釣り場も最近は寂れております。それは、釣り業者がバス釣り客に的を変更したためへら鮒釣りをする人が減っていったのも原因の一つです。


 それに開業以来沼の管理をしていた岩井のじいちゃん(沼主)が病気で入院、昨年は管理が出来ないとのことでへら鮒の放流もなく営業をやめるとの噂がながれました。


 永年通っていた釣り仲間達もがっかりしておりました。

 しかし、今年はへら鮒の放流がされ  施設も少しづつ整備されてきています。
 我々甚兵衛沼ファンには嬉しいことです。
 小生、年間100回以上甚兵衛沼に通うへら狂でした。仕事をやめてからなぜか通う回数が減ってきておりました。


 上3枚の写真は、11月3日撮影しました。

 下の魚釣成績表(沼に常備)のとおり、10月16日早朝3000枚のへら鮒が放流されました。放流当初、竿頭は100枚以上の釣果でした。
 このところいくらか食いが落ち20~30枚程度の釣果になっております。
 今年の放流は、この後11月12月に各一回あります。
 寒いなりに気温が落ちつけば釣果が上がってくると思います。


 今回の放流を機会に、下のようなポイントカード(小生が作成)を発行しております。
 10回通えば1回無料か、お米5kgがもらえます。
 甚兵衛沼の沼主宅で作った米です。美味いこと間違いありません。
 これまで常連は、来るたびに買って帰ったものです。


 釣果等甚兵衛沼の情報は、このブログで随時投稿する予定です
 料 金 1日陸釣り~1500円、舟釣り~2500円
 所在地 千葉県印旛郡本埜村字甚兵衛


 上の写真のように釣堀りというより自然そのままの釣り場(1万坪・舟50艘)です。
釣果にこだわらず、のんびり釣りをすればストレス発散間違いありません。
 頑張れ甚兵衛沼・・・・  何時までも残しておきたい釣り場です。
 

 コメントは受け付けない設定となっています。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第9回~1)

2007年11月07日 14時28分28秒 | Weblog

 今日の午前中は、囲碁の定例会がありました。このところ負けが多かったですが、今日は本来の実力が出て快勝の連続でした。美味しい昼ご飯を食べました。
 下の写真は、印旛新川の傍で撮りました。何か昔懐かしいと思いませんか・・・

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。
 マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
図録によれば 
 第9回は、東葉高速「北習志野駅」~七林金毘羅社(85)~倶利伽羅不動(45)~滝台阿弥陀堂(55)~前原道入庵(49)~藤崎正福寺(11)観音堂(40)~久々田東漸寺(25)~谷津東福寺(76)~谷津西光寺(26)大日堂(60)~京成「津田沼駅」の順で歩かれております。


 5月8日第85番七林金毘羅社、第45番倶利伽羅不動、第55番滝台阿弥陀堂、第49番前原道入庵を訪れました。
 まずは第85番七林金毘羅社(船橋市七林町432)を早朝に訪れました。
 少し離れた裏通りに車を止めお参りしました。


 第85番札所です。


 第45番倶利伽羅不動(船橋市飯山満町3-1525)です。
 ここには、すぐ前に小さな池があり、その傍の道に車を止めることが出来ます。


 第45番札所です。


 下の写真は、庚申塔群です。
 「倶利伽羅不動の入口に庚申塔等6基もの石塔が立ち並ぶ。最も右側の石塔が天保3年(1832)飯山満村一帯で一斉に造立さらた四国供養塔の一つ。」(図録)


 第55番滝台阿弥陀堂(船橋市滝台2-5-2)です。
 ここは、成田街道に面しており近くに車を止めるところはありません。かなり遠くに止めることになります。


 第55番札所です。


 第49番前原道入庵(船橋市前原東5-2-26)です。
 ここも成田街道に面しており車を止めるところはありません。すぐ前にコンビニがありますのでお茶でも買い、駐車場代わりにお参りすると良いでしょう。
 この日は、早朝でしたので道入庵の門が閉まっており(午前9時開門)お参りすることが出来ませんでした。午後あらためてお参りしました。

 第49番札所です。


次回(第9回~2)は、第11番藤崎正福寺、第40番観音堂、第25番久々田東漸寺を掲載します。

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ふなばしアンデルセン公園に行きました。その2

2007年11月02日 11時55分01秒 | Weblog

 昨夜、釣り仲間から嬉しい電話がありました。 
 それは、へら鮒釣りに30年近く通った甚兵衛沼で「へら鮒の放流があり釣れている」との内容でした。
 管理釣り場は、商売にならないとのことで、昨年はへら鮒の放流がありませんでした。それで、閉鎖状態になっておりました。
 放流したということは、沼主がやる気になったのだと思います。
 これから、また甚兵衛沼に通うことになるでしょう。

さて、本題です。
 10月22日ふなばしアンデルセン公園に行きました。
 現在、第24回全国都市緑化ふなばしフェア「おとぎフェスタinふなばし」を開催しております。期間は、11月4日までです

 下の写真のように、太陽の池の周りも花一杯です。


 下は、太陽の池ゾーンの匠の庭にある「龍の庭~双龍図」と名づけられた作品で施工部門の金賞を取っています。ここにもいろいろの作品がありました。


 下は、わんぱくゾーン傍にありました。グランドピアノと思います。よく出来ていますね。
 花で動物などを模った作品も多くあります。


 下は、メルヘンの丘ゾーンにある竹を使ったサウンド・オブジェです。
 いろいろの形をしたサウンド・オブジェがあります。風の力あるいは電気で動かしていろいろの音色を聞かせてくれます。
 案内板には、「妖精たちのもり・・・ゆるやかに流れる時間と空間を、森の演奏会をお楽しみください。」と記してありました。
 見るのも聞くのも楽しい空間です。


 この日、アンデルセン公園で撮った写真がたくさんありますので、その3、その4と掲載する予定です。
 開催期間は、後2日(11月3日、4日)です。オススメの場所です。

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