谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

新四国八十八ヶ所めぐり(第7回~1)

2007年09月29日 11時56分08秒 | Weblog

 一昨日(9月27日)印西牧の原駅近くの「コスモスの丘」にコスモスを見に行きましたが、ほとんど咲いていませんでした。行事に合わせて植えたものと思います。満開の写真が撮れましたらこのブログに掲載します。
 下の写真は、その日牧の原駅越しに撮った「ビッグアップ ガーデンモール印西」です。昨日オープンしました。
広告チラシには、
 「伸び盛りの千葉ニュータウンに、新しいエンターテイメントスポットが誕生しました。広々とした敷地内には多彩なジャンルの魅力あふれる施設が集結。シンボルの観覧車を中心に、アミューズメント、ファッション、グルメなどなどここだけで憩い、集い、遊び、和めることうけあい すみからすみまでとことん楽しみ尽くそう」と出ていました。千葉ニュータウンは、行くたびに大店舗が建ちびっくりします。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
 

 図録によれば
 第7回は、京成勝田台駅~台町稲荷神社(84)~下市場八坂神社(78)~下市場白簱社(16)~萱田町薬師寺(59)~辺田前蓮葉院(53)~村上正覚院(73)~宮内不動堂(34)~宝喜作不動堂(72)~城橋大師堂(66)~米本神社バス停~京成勝田台駅の順で歩かれております。

 5月7日第84番台町稲荷神社、第78番下市場八坂神社、第16番下市場白簱社を訪れました。
 まず第84番台町稲荷神社(八千代市村上4479-6)です。
 小さな稲荷神社です。この辺り小生の生活範囲ですが、今回掲載の三ヶ所とも知りませんでした。。
  この稲荷神社は、裏通りに面していますから短時間なら道路に駐車可能です。


 第84番札所です。


 第78番下市場八坂神社(八千代市下市場1)です。
 成田街道に面しています。敷地も少しで駐車場は勿論ありません。 


 第78番札所です。


 第16番下市場白簱神社(八千代市村上3215)です。
 地図では、白旗神社と記していますが、白簱神社が正解です。
 成田街道と国道16号の交わる下市場交差点のそばにあります。
 小さなお宮で、ここにも駐車場はありません。


 第16番札所です。


次回(第7回~2)は、第59番萱田町薬師寺、第53番辺田前蓮葉院、第73番村上正覚院を掲載します。

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夏の思い出~妙義山・中之嶽神社・大国神社

2007年09月26日 08時44分26秒 | Weblog
 やっとすごしやすい気候になりました。今日は、気持ち良くウオーキング出来ました。
さて、本題です。
 8月8日(水)群馬旅行最終日。
 妙義神社を後にし、妙義山を回るように走り中乃嶽神社に向かいました。
 午前10時45分中乃嶽神社そばの妙義公園駐車場に着きました。
 下の写真は、この駐車場から写した妙義山です。
 この写真の左下の方に金色の大きなだいこく様が写っております。後で記述しますがこの大きさ覚えておいて下さい。


 下は、その駐車場にあった案内図です。
 妙義山(1104m)は、榛名、赤城とともに群馬を代表する名山、上毛三山の一つとして親しまれ、国定公園にも指定されております。また四国小豆島の寒霞渓、大分県の耶馬溪と並んで、日本三奇勝の一つになっています。


 駐車場から赤い鳥居をくぐり、下の写真の急な階段を登ったところに中乃嶽神社がありました。


 中乃嶽神社(下の写真)の祭神は、日本武尊外十柱です。
 第29代欽明天皇(在位539~571年)の御代に創建された古社で、妙義山信仰の社として参拝されているそうです。


 中乃嶽神社に登る石段下の左側には、811年大納言藤原冬嗣が奉建したと伝えられる大国神社(下写真左)があります。
 右は、高さ20メートル、重さ8.5トンの日本一のだいこく様です。


 ここで群馬旅行を終わりにました。
 松井田妙義ICから上信越自動車道へ。帰宅の途につきました。
 途中藤岡PAに寄り遅い昼食を取りました。ここは、道の駅ふじおか(らんらん藤岡)兼ハイウエーオアシスになっています。レストラン、売店、花の交流館、ミニ遊園地などがあります。オススメの場所です。

 そして関越道の川越IC付近を走行中またひと波乱が起きました。
 片側3車線の高速道を遅い車を追い越すため一番中央寄りの車線を走り、左から数えて二番目の車線に戻ったところで、恐れていたエンジンがストップしてしまいました。
 左車線を確かめたところ幸いにも車両がなく左の路側帯に停止することが出来ました。今度もすぐエンジンがかかりました。
 その後は、恐る恐る左の車線を走り、午後5時過ぎ無事帰宅することが出来ました。
 翌日、車を購入したメーカー系の工場に入庫しました。
 コンピューターで診断(過去の履歴)したところ、空気を供給する部品が壊れているとのことでした。その工場に部品の在庫があったので、その日の内に修理完了しました。
 部品管理が厳しい現在、部品の在庫があることが不思議でした。
 もしかしてリコールの対象ではないかと疑いました。下司の勘ぐりでしょうか。
 その後今日まで、同じ故障はありません。
 車って怖いですね。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第6回~2第6回最終回)

2007年09月22日 10時25分33秒 | Weblog

 一昨日、我が散歩道に実っていたあけびが一つ残らずなくなっていました。
 3つの蔓に30個ほどあり、まだ熟していませんでした。
 何のために取ったのでしょうか。
 毎日見るのを楽しみにしていたウオーキング仲間皆が、残念がっております。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月5日第31番鎌ヶ谷清長庵、第43番鎌ヶ谷八幡神社を訪れました。
 まずは、第31番鎌ヶ谷清長庵(鎌ヶ谷市南鎌ヶ谷3-6-43)です。
 早朝訪れました。
 少し行き過ぎ、そば屋の駐車場に車を止め清長庵にお参りしました。
 パソコン仲間と再度訪れた時は、隣の郵便局の駐車場に止めましたがガードマンの人に睨まれました。清長庵の中も駐車可能と思います。


 下左は、第31番札所です。右は道標地蔵です。


 道標地蔵の説明案内板です。


 第43番鎌ヶ谷八幡神社(鎌ヶ谷市鎌ヶ谷1-6-1)です。


 下は、境内にある百庚申です。


 百庚申とは次の案内表示のとおりです。
 参考~八幡神社には駐車場はありません。


 下の写真は、鎌ヶ谷大仏です。新四国の札所ではありません。
 八幡神社と道を隔ててすぐ前にあります。
 [像高1.8mの阿弥陀如来坐像。安永5年(1776)の造立。(鎌ヶ谷市指定文化財) ](図録)
 大仏様かなり汚れておられました。洗ってあげればと思います。


次回(第7回~1)は、第84番台町稲荷神社、第78番下市場八坂神社、
第16番下市場白簱社を掲載します。
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夏の思い出~碓氷峠鉄道文化むら ・ 妙義神社

2007年09月19日 14時27分35秒 | Weblog

 本日午前中、囲碁クラブの例会がありました。
 結果は、1勝1敗、昼飯の味はまあまあでした。
さて、本題です。
 8月7日(火)群馬旅行2日目です。
 白糸の滝の見物を終わり、群馬県安中市磯部にあるこの日の宿に向かいました。
 通過した軽井沢の町並みが違ったものなっていました。特に巨大なプリンスショッピングブラザにはびっくりしました。。
 勘に頼りながら碓氷バイパスに出ました。
 この道を始めて通ったのは昭和47年冬の午前4時ごろ、大型トラックを運転して軽井沢めざして登りました。
 自分史を書こうと思っていますが、この頃の事が大きな柱になると思っております。
 碓氷バイパスを下ったところで、碓氷峠鉄道文化むらの看板(下写真左)を見つけ急遽入ることにしました。右は、鉄道文化むらに展示されていたあさま号です。


 入園料中学生以上500円
 パンフレットには、
    見て、触れて、体験できる峠と鉄道の歴史。
    
お子様から鉄道ファンまで楽しめます。
                              と記載されています。
 レンガ造りの「めがね橋」をモチーフにした高架橋をくぐり園内に入るとあさま号が迎えてくれます。勿論車内にも入れます。上のあさま号とは形が違っています。
 小生、このあさま号の運転席に乗り窓から顔を出し写真を撮りました。


 昭和61年当時の横川駅時刻表です。鉄道むらにありました。


 鉄道資料館には、蒸気機関車などの写真も展示されております。
 許可を受け写真を撮影しました。


 資料館1階では、碓氷峠の鉄道ジオラマで模型の新幹線などの走行や、碓氷峠を登るあさま号などがみられます。
 残念なのは、旧国鉄時代活躍した蒸気機関車、電気機関車、ディーゼル車など鉄道車両の屋外展示スペースがあるに気がつかなかったことです。
 もう一度訪れたいと思っております。

 この日の観光は、これでお終りにしました。
 そして、磯辺の宿で美味しいお酒を飲みました。
 この日は、お蔭様で心配していたエンジントラブルは起きませんでした。

 8月8日(水)いよいよ旅行の最終日です。
 まず、白雲山の東の麓にある妙義神社(富岡市妙義町妙義6)に向かいました。
 午前9時15分道の駅「みょうぎ」に到着。車を止め急な坂道を登り総門(下の写真)にたどり着きました。国指定の文化財です。


 総門から本殿までも急な石段の連続です。
 汗びっしょり、やっと本殿にたどり着きました。
 この神社が創建されたのは今から1500年ほど昔、宣化天皇の2年(537)です。
 ここには、日本武尊、菅原道真公らが祭られております。
 現在の建築物は、江戸時代に大改築されたもので、昭和60年~平成元年に4億円の費用をかけ修築が行なわれました。絢爛で目を見張るような社です。 

 たまたま出会った神社の方からいろいろの話を聞くことが出来たのも幸いでした。



 残念ながら、関東を直撃した台風9号で裏山が崩れ社殿の塀の一部が壊れたとの報道がありました。
 夏の思い出「群馬の旅」は、後一回です。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第6回~1)

2007年09月16日 13時48分40秒 | Weblog
 一昨日、我が小さな庭から木瓜の実を収穫しました。


 早速、木瓜酒を作りました。どの位経ったら飲めるのでしょうか。楽しみです。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。

図録によれば
 第6回は、新京成「滝不動駅」~御滝不動尊(37)~二和星影神社(33)(42)~鎌ヶ谷清長庵(31)~鎌ヶ谷八幡神社(43)~鎌ヶ谷大仏~新京成「初富駅」を歩かれております。
 5月5日第37番御滝不動尊、第33番二和星影神社訪れました。
 まず、第37番御滝不動尊(船橋市金杉6-25-1)です。
 このお寺は、広大な敷地のなかにあります。
 早朝訪れましたが、地元の方が大勢境内を散歩されておりました。
 このお寺には、大きなお堂が二つあります。
 下の写真のお堂が古い本堂でしょうか。


 下のお堂が新本堂でしょうか。ほとんどの方がこちらにお参りされておりました。


 この日、札所を探しましたが見つかりませんでした。散歩されていた女性の方にも尋ねましたが分かりませんでした。
 その方は、子供のころ母親と吉橋大師めぐりの方の接待をしたと話しておられました。
 結局札所は、分かりませんでした。
 後日、八千代市立郷土博物館を訪れ聞いたところ、札所の番号表示はないが観音堂が第37番札所と分かりました。
 この日にも観音堂の写真は撮りましたが、逆光のため上手く撮れていませんでした。 5月10日改めて訪れ、観音堂の写真を撮りました。(下の写真)


 下左は、境内八十八ヶ所です。
 「境内に設置された八十八ヶ所霊場。上部に大師彫像、下部に四国霊場の写し番を刻んだ供養塔が仁王門から参道に立ち並ぶ。その数明治3~4年造立分と昭和9年造立分を合わせて100体を超える。」(図録)
 写真右は、常夜塔道標です。
 [寛永5年(1852)3月造立。道標機能をそなえ、「右 大わだ道」「左 滝ふどう 大もり道」とある。](図録)
 この道標も見つかりませんでした。図録の写真を通りがかった中学生に見せ、尋ねたところ「私達の学校の中にあります。」と案内してくれました。
 このお寺に隣接する御滝中学校の校内にありました。
 参考~お寺には、大きな駐車場があります。


 第33番第42番二和星影神社(船橋市二和西3-6-43)です。
 神社の境内に札所があるところが新四国には何箇所かありますが、神仏混交の名残でしょうか。
 


 第33番42番札所です。
 この神社には、駐車場はありません。路上に止め大急ぎでお参りしました。

次回(第6回~2)は、第31番清長庵、第43番八幡神社を掲載します。

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夏の思い出~鬼押出し・白糸の滝

2007年09月12日 15時25分42秒 | Weblog

 今日、囲碁クラブの例会がありました。成績は、まあまあでした。
 午後1時前に帰宅、テレビを見たところ安倍総理の辞任のニュースがありびっくりしました。
 さて本題です。 
 8月7日(火)群馬旅行2日目です。
 白根山、草津志賀ルートを後にし万座ハイウェイ~鬼押出しハイウェイ経由で鬼押出しに向かいました。途中昼食を取り午後0時50分鬼押出し園に着きました。
 入園料は、大人600円でした。
 鬼押出し園のパンフレットには
 「鬼押出し園は、天明3年(1783年)の浅間山大噴火によって生まれた溶岩の芸術です。噴火の激しさを今に伝える岩海と豊かな大自然が織りなす、浅間高原随一の景観をご覧になれます。また、花と緑がいっぱいの花木園では、野鳥のさえずりを聞きながら、大自然の散策、広場でのピクニックなどをご満悦ください。」と記載されていました。


 下の写真は、浅間山観音堂です。後ろの山が浅間山(2568m)です。
 浅間山は、小生の青春の一コマとしての忘れがたい思い出ががあります。?
 パンフレットには
 「観音堂には、大噴火の犠牲となった霊を供養するために、ご本尊に東叡山寛永寺伝来の秘仏である聖観世音菩薩が、上野寛永寺別院、厄除け観音として祭られています。」とあります。
 昭和33年、あの西武の堤康次郎氏が建立したものだそうです。
 このパンフレットに、鬼押出し園は西武グループと記載されております。


 下は、観音堂から売店を写したものです。
 その他いろいろ見るところがあるようでしたが、うだるような暑さこれだけ見るのが精一杯でした。


 次に向かったのが白糸の滝でした。
 湯川水源にある滝。高さ3m、湾曲した幅70m岩肌に地下水が崖の途中から細い糸のように無数に流れ落ちていました。
 富士宮市の白糸の滝とは規模が違います。こちらは、小さな日本庭園。


  上の写真右側の滝の続きが下の写真です。


 この後、軽井沢市内を通り碓氷峠をくだり、その日の宿がある磯部に向かいました。宿近くになって、鉄道文化村を見つけ入りましたがその記事は、次回に載せます。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第5回~3第5回最終回)

2007年09月10日 07時47分49秒 | Weblog

 新四国八十八ヶ所めぐり(第1回~2)で、尾崎薬師堂の傍にある四国霊場八十八番供養塔に「さくばみち」と彫られている。何処へ行く道でしょうか。との記事を載せました。小生、「さくら(佐倉)みち」ではないかと確認に行きました。さくばみちでした。
 9月になって「トボトボ」さんからコメントをいただきました。
 富津ことばの「農道:作場道」ではないかとのことでした。 
 詳しくは、右側メニューの「最新のコメント」欄で「トボトボ/新四国八十八ヶ所めぐり(第1回~2)」をクリックし「トボトボ」さんのコメントをご覧下さい。
 トボトボさんありがとうございました。

 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月7日第10番高津観音寺、第32番大和田新田大教院、第67番新木戸八幡社を訪れました。
 まず第10番高津観音寺(八千代市高津1347)です。
 このお寺は、八千代八福神の一つです。
 敷地は、かなり広く、駐車場も完備されております。


 第10番札所です。


 下は、韓国式鐘楼です。
 「大正12年の関東大震災の際、犠牲に遭われた朝鮮人のために韓国から梵鐘とともに贈られたもの。昭和60年の造立。」(図録)


 第32番大和田新田大教院(八千代市大和田新田350)です。
 下公会堂の敷地内にあります。このお堂だけです。
 このあたりも我がウオーキングのコースです。
 短時間なら敷地内に駐車可能です。
 


 第67番新木戸八幡社(八千代市大和田新田1032)です。
 この神社には、毎年初詣に行きます。初詣の方は、かなりの数です。
 隣地の新木戸公会堂に駐車場があります。


 第67番札所です。この札所は、八幡社の裏にあります。新木戸公会堂の敷地内と思います。


 下は、八幡社の拝殿、本殿、そして札所です。(左から右へ)
 小さな神社ですが、本殿にちゃんと千木があります。


次回(第6回~1)は、第37番御滝不動尊、第33番二和星影神社を掲載します。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第5回~2)

2007年09月07日 08時50分51秒 | Weblog

 我が家付近では、やっと台風9号が通り過ぎ風が弱くなってきました。お蔭様で被害はありませんでした。
 
 前回「はぜ掛け」の写真が撮れなかったとぼやきましたが、その日の夕方ウオーキング中に少し先の田圃で見つけました。
 早速、デジカメ持参で撮ったのが下の写真(9月4日撮影)です。次の日の朝には片付けられておりました。おそらく台風を心配されたのでしょう。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版
があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。

 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月11日第5番大和田円光院、5月7日第71番高津観音堂を訪れました。
 まず第5番大和田円光院(八千代市大和田786)です。
 このお寺は、わがパソコンクラブのホームグランド:大和田公民館のすぐ裏にあり何回かお参りしております。


 第5番札所です。


 下は、庚申塔です。
 この庚申塔は、なかなか見つかりませんでした。お寺の清掃をしている人も知りませんでした。
 [元禄7年(1694)の造立。正面には青面金剛王の彫像と「奉造立青面金剛 為ニ世安楽也敬白」の銘がある。](図録)


 第71番高津観音堂(八千代市高津1326)です。
 改築中でした。駐車場はありませんが、車の通行が少ないため短時間なら路上駐車可能です。この観音堂付近までは、たまにウオーキングで行きます。


 第71番札所です。


次回(第5回~3第5回最終回)は、第10番高津観音寺、第32番大和田新田大教院、第67番新木戸八幡社を掲載します。
 

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夏の思い出~草津白根山

2007年09月04日 14時18分30秒 | Weblog
 我が散歩道では、3日前から稲刈りが始まりました。刈り取った稲は、昔懐かしい「はぜ掛け」にして干してありました。 今朝まで干しってあったのに昼ごろ写真を撮りに行くと稲が片付けてありました。残念。
 昨年撮った写真を載せます。

さて本題です。
 8月7日(火)群馬旅行2日目です。
 午前9時、昨夜泊まった「かんぽの宿草津」を出発。
 まずは、ガソリン補給。草津の町を探しやっと見つけてスタンドに入りました。
 なんと1リットル149円でした。
 旅行出発時、八千代では139円だったのに・・・・・

 気を取り直し、白根山めざして出発進行。
 走ること約30分、白根山登山口の駐車場に到着しました。
 下の写真が白根山です。整備された登山道を登ること15分、山頂へ着きました。


 山頂に出ると湯釜が眼下に広がります。水の色が神秘的です。
 白根山湯釜は、
 「直径300m 水深30mの火口湖。エメラルドグリーンの湖水は草津観行のハイラ  イトスポット、PH1.2は世界一の酸性湖」だそうです。


 山頂からレストハウスの方を撮影しました。池は弓池です。


 下は、その弓池をパノラマで撮影しました。自然は素晴らしいですね。


 午前10時30分白根山を後にし、志賀高原方面へ国道292号線(草津志賀高原ルート)でドライブしました。下左は、ルート脇にあった間欠泉です。右もルート脇にありました。日本国道最高地点(標高2172m)を表示しています。
 この道は、何回か通行しましたが、間欠泉も国道最高地点の表示もなかったと思います。


 ドライブ途中、カモシカと出会いました。 以前この道でイノシシと出会ったこともありました。
 国道292号線を途中で引き返し、万座ハイウェイ~鬼押出しハイウェイ経由で鬼押出しへ。この続きは、後日投稿します。ぜひ谷風便りへご訪問下さい。 
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新四国八十八ヶ所めぐり(第5回~1)

2007年09月01日 08時32分06秒 | Weblog

 我が散歩道の秋です。 近くの田圃では、刈入れが始まったところもあります。

さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。
 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。


 5月7日第30番萱田飯綱神社、第21番萱田長福寺、第51番萱田薬師堂を訪れました。
 まず第30番萱田飯綱神社(八千代市萱田476)です。
 毎年元旦、この神社の境内から印旛新川の向こうから出る初日の出を拝んでおります。
 我が家からは車で7~8分で、駐車場はあります。


 第30番札所です。


 下左の鐘楼は、萱田長福寺にあったものを移築したと伝えられており、八千代市指定文化財です。
 右の玉垣は、図録によれば[建築年は寛政3年(1791)か?玉垣欄間に施されている装飾彫刻は[二十四考」が題材。19面24話ある。千葉県内で24話揃えているのはここだけ。]だそうです。(八千代市指定文化財)


 第21番萱田長福寺(八千代市萱田1427)です。
 このお寺は、八千代八福神の一つです。
 境内に1~2台駐車可能です。


 第21番札所です。


 下左は、二十三夜塔です。「寛文9年(1669)の造立。二十三夜講と日記念仏を兼ねた三層塔。市内の二十三夜塔としては二番目に古い。」(図録)
 左は、へんろ道標です。「赤門をくぐって右側に2基前後に並んでいる。ともに大和田5番を示す道標で明治期の造立。」(図録)


 第51番萱田薬師堂(八千代市萱田1775)です。
 この薬師堂は、萱田青年館の敷地内にあります。
 八千代市総合運動公園の駐車場に車を止めお参りしました。


次回(第5回~2)は、第5番大和田円光院、第71番高津観音堂を掲載します。

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