谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

飯綱神社へ八千代菊花展を見に行きました

2011年11月30日 09時20分09秒 | Weblog

 平成23年11月30日(水)我が八千代、晴れてきました。そんなに寒くなく比較的過ごしやすいです。
さて本題です。
 11月16日飯綱神社(八千代市萱田476所在)へ八千代菊花展を見に行きました。
 鳥居の先に見えるのが拝殿です。毎年初詣に訪れます。
 戦国時代、太田道灌が米本城や臼井城を攻撃する際の兵站基地だったそうです。
 当時、米本城は、肉眼で見えたのではないでしょうか。

 鐘楼です。八千代市の有形文化財になっています。文化11年(1814)に建てられたそうです。

 甚兵衛渡し場の盆景です

 正面から写しました。(2枚の写真を1枚に合成)

 向って左側をアップで写しました。

 中央部分です。印旛沼に見立てたのでしょうか、水が張ってあり金魚が泳いでいました。

 右側部分です。

 懸崖です。

 切り花の部です。

 切り花の部優等作品です。

 盆栽の部でしょうか。

 優等作品です。

 これは何の部でしょうか。少し盛りを過ぎた菊もありました。

 「大菊3本仕立て」の優等作品です。

 本殿です。二十四孝の玉垣彫り物(八千代市指定文化財)があります。

 二十四孝の玉垣彫り物をアップで写しました。

 飯綱神社から写しました。野焼きでしょうか、煙の向こうが印旛新川です。
 毎年、この場所から初日の出を拝んでいます。

 八千代菊花展は、20日まででした。

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ニコロジーウォーク(錦糸公園~東京スカイツリー)に参加しました その2

2011年11月27日 08時46分38秒 | Weblog

 平成23年11月27日(日)我が八千代、晴天です。
 朝のウォーキングを済ませてきましたが、寒かったです。今日は暖かくなるとの予報ですが・・・
さて本題です。
 11月12日J:COM主催のニコロジーウォークに参加しました。
 墨田区錦糸公園に集合、墨田区観光協会の方のガイドで墨田区の名所を探索しながら東京スカイツリー目指してウォーキングしました。その2です。
 写真は、歩いた順に載せています。
 大横川親水公園から見たスカイツリーです。

 能勢妙見山別院(墨田区本所4-6-14所在)の山門です。

 本堂です。
 能勢妙見山別院は、当時徳川家の旗本能勢頼直が、安永3年(1774)下屋敷に堂宇を建立し妙見大菩薩のご分体をお祀りしたのが始まりだそうです。

 境内に勝海舟の胸像(昭和49年建立)がありました。
 妙見山別院は、親子鷹でおなじみの勝小吉と勝海舟の信仰を得ていたことで有名です。勝ゆかりの品が多く所蔵されているそうです。
 平成22年にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬伝紀行で龍馬と佐那が参拝に訪れた寺院として紹介され、歴史ファンなど多くの方が訪れているとのことです。

 大横川親水公園にある本所七不思議のレリーフの一つ「送りちょうちん」です。

 建物に自由の女神像やエンパイア・ステート・ビルなどが描かれていました。この建物、緑川化成工業株式会社ストックセンター(墨田区業平1-1-2)です。

 緑川化成すぐそばから見たスカイツリーです。ここもビュースポットの一つです

 墨田区業平1丁目8番先から写しました。(上下2枚の写真を合成しました。1枚では全体が撮れませんでした。)

 3階建のお城がありました。和菓子専門店の森八本舗本店(墨田区業平1-3-6)です。
 何も買わないで店の前を素通りしました。

 二枚上の写真と同じ墨田区業平1丁目8番先から写しました。一本通りが違うのでこちらの方は、スカイツリーが道路の左方に見えます。(上下2枚の写真を合成)

 北十間川側道のスカイツリーに一番近い場所から写しました。

 東武橋から写しました。(上下2枚の写真を合成。)

 その後、東武橋から近い大横川親水公園広場で午前11時50分ごろ解散しました。
 案内いただいた墨田区観光協会の方に御礼申し上げます。
 ニコロジーウォーク終了後、吾妻橋まで歩き、吾妻橋から水上バスで日の出桟橋へ行きました。この写真についても投稿する予定です。

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ニコロジーウォーク(錦糸公園~東京スカイツリー)に参加しました その1

2011年11月24日 11時35分47秒 | Weblog

 平成23年11月24日(木)我が八千代市、晴天で過ごしやすいです。
 朝のウォーキング気持ち良く済ませました。今年の1日平均歩行数は、15000歩を超えています。
 散歩道の紅葉も色づいてきました。
さて本題です。
 11月12日J:COM主催のニコロジーウォークに参加しました。その1です。
 墨田区の錦糸公園に集合、墨田区観光協会の方の案内で墨田区の名所を探索しながら東京スカイツリーを目指してウォーキングしました。
ニコロジーウォークとは・・・
 J:COMのCSR活動「ニコロジー活動」の一環として、全国13コースで実施される自然に親しむウォーキングにご参加いただくことで、緑化支援に貢献できるチャリティウォーキングです。参加の皆様の延べ歩行距離累計に応じて、J:COMから(社)国土緑化推進機構の「緑の募金(東日本大震災使途限定募金)」に寄付を行い、被災地の緑化推進に充てられます。(参加のしおり記載)
 錦糸公園です。

 まず、墨田区総合体育館に開設された名誉区民顕彰コナー「王貞治のふるさと墨田」を見に行きました。
 ユニホーム・グローブ、写真などが展示されていました。

 王貞治氏の自筆です。

 本塁打世界新記録達成した翌年の年賀状です。

 ウォーキングコースでのお気に入りの場所やスカイツリービューポイントで撮影した写真を載せます。
 すみだ江戸切子館(墨田区太平2-10-9)です。
 ホームページには ~創業100余年。東京スカイツリーを望む、東京下町すみだの「技」と「粋」伝統工芸江戸切子体験工房ショップ~と記載されていました。

 スカイツリー クリスタルタワーです。ショーウインドーの外から写しました。素晴らしかったです。

 墨田区太平2丁目15番先から撮影しました。真正面にスカイツリーが見えます。

 

 法恩寺(墨田区大平1-26-16所在)参道から撮影しました。

 法恩寺山門です。
 左方のカメラマンは、J:COMの方です。先頭で山門を入られているのがガイドの方です。

 本堂です。
 太田道灌公が江戸城築城(長禄2年:1458年)にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、資高(道灌の孫)の代に法恩寺と改称しました。その後、神田柳原~谷中清水町に移転し、元禄8年この地に移ったそうです。

 山門をくぐった右手にある道灌公記念碑です。
 山吹の和歌の物語が浮き彫りにされています。

 法恩寺境内の墓地に五輪塔形式の太田道灌公の供養墓があります。
 墨田区の記念物に指定されています。

 山門をくぐった左手にある三重塔です。下部に鐘楼があります。昭和7年に建立、昭和22年に大改修が行われたそうです。

 その2へ続きます。

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城峯公園(冬桜)~長瀞へ行きました

2011年11月22日 11時15分42秒 | Weblog

 平成23年11月22日(火)我が八千代、晴天ですが寒いです。
 先ほど散歩道で撮った写真です。

さて本題です。
 11月8日バスツアーで、城峯公園(冬桜)などへの一日観光旅行に行きました。
 首都高速道路を走行中のバスの中から写した東京スカイツリーです。ツリーの上部に雲がかかっていました。

 首都高から関越道を経由して、まずヤマキ醸造(埼玉県児玉郡神川町阿久原955所在)へ行きました。柿の木の後ろの建物がヤマキ醸造です。
 ホームページに ~明治35年創業以来、代々受け継がれてきた伝統の杉桶を使用し、天然醸造法により味噌・醤油を100年以上造り続けています。~ と記されています。
 

 昼食は、ヤマキ醸造の紫水庵でとりました。メニューは、下のとおりです。

 醸造蔵の中を見ることが出来ました。

 工場と紫水庵の途中にお地蔵様がおられました。

 この柿の木も工場と紫水庵の途中にありました。この辺り一帯は、実をたわわにつけた柿の木があちらこちらにありました。

 次に向かったのは、城峯公園(埼玉県神川町)です。冬桜が満開でした。

 城峯公園は、下久保ダム建設により誕生した神流湖を見下ろす公園として昭和48年建設されたそうです。
 同年、埼玉県が冬桜を300本植栽したと言います。

 

 紅葉も始まっておりました。

 見晴らし台から下久保ダムと神流湖を写しました。
 神流湖は、ヘラブナ釣りで知られた湖です。一度は、ヘラブナ釣りに行きたかったのですが・・・

 この日最後の観光場所は、長瀞の月の石紅葉公園でした。
 紅葉には、まだまだでした。仕方ないのですぐそばの荒川へ行きました。

 荒川では、カヌーをしている人もいました。

 記事を書くので、調べていたところこの河川敷に虎岩があることを知りました。
 この写真の中に、もしかして虎岩が写っているのではないかと思います。

 上の写真の岩の一つだったと思いますが大写ししました。面白い模様をしています。
 虎岩と思います。

 月の石紅葉公園の片隅に高浜虚子の句碑がありました。公園の名前は、この句に由来するそうです。

 月の石紅葉公園から関越道へ向かう途中、バスの中から写しました。
 このすぐ後、花園フォレストに寄りスイーツバイキングを食べ帰途につきました。

 我が家を午前6時30分出発、午後7時30分我が家に帰りました。結構面白い旅行でした。

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成田山新勝寺へお参りに行きました その2

2011年11月20日 10時08分55秒 | Weblog

 平成23年11月20日(日)我が八千代、曇空ですが暖かいです。朝のウォーキングは、半袖シャツで行いました。
さて本題です。
 11月4日パソコン仲間と般若心経の写経を兼ねて成田山新勝寺へお参りしました。
 平和大塔です。昭和59年建立です。この塔の中で写経を行いました。小生、習字は極めて不調法なものですから写経には参加ぜず境内の写真を撮っていました。

 平和大塔を別の角度から写しました。写経後、小生も塔内に入り、ボランティアの方から塔内の説明を受けました。

 光明堂国指定重要文化財):旧本堂です。元禄14年(1701)建立です。

 額堂国指定重要文化財)です。文久元年(1861)建立、信徒から奉納された額や絵馬を懸ける建物です。
 東北大震災のため建物に被害があり、中に入ることが出来ませんでした。

 開山堂です。昭和13年建立です。開山寛朝大僧正のご尊像を奉安する御堂です。

 釈迦堂国指定重要文化財)です。安政5年(1858)建立:前本堂です。江戸時代後期の特色をいかんなく発揮した御堂だそうです。

 出世開運稲荷参道を登ったところから撮影しました。釈迦堂、平和大塔などの位置関係が分かります。

 出世開運稲荷参道を登ったところにお地蔵様がおられました。

 出世開運稲荷の鳥居です。
 9月に深川不動尊にお参りしましたが、境内に出世開運稲荷がありました。本家は、成田山にあると知り、この日お参りしたわけです。

 正面が出世開運稲荷です。御本尊の枳尼天(だきにてん)は、江戸時代成田山を篤く信仰した佐倉藩主・稲葉丹後の守が寄進したもので、商売繁盛、開運成就、火伏の御利益があると伝えられています。

 成田山公園に高浜虚子の句碑凄かりし月の団蔵七代目)がありました。ここには七代目団十郎と六世団蔵の銅像がありました。戦時中、銅像が供出されたので、昭和18年八代目団蔵が七代目団蔵追悼供養のため、台座の上にこの句碑を建てたと言います。句碑右の「名優七世市川団蔵碑」は、坪内逍遥が建てたそうです。

 雄飛の滝です。高さ20m幅2.7mで、栃木県塩原にある雄飛の滝を模したものといいます。

 参拝を終わり帰途につきました。正面は仁王門です。

 正面の建物は、大野屋旅館です。
 大野屋のホームページによると(抜粋)~大野屋の歴史は江戸中期に始まります。新勝寺に納める蠟燭屋でした。現存するこの建物は昭和10年に建てられた木造四階建てです。平成17年成田市の登録有形文化財になりました。以前の建物は、二階建てで、房総の村の入り口にある「総屋(ふさや)」として復元されています。

 成田山には、10回以上お参りしていると思います。光明堂・額堂・出世稲荷へ行ったのは初めてでした。
 同じ場所でもいろいろの発見があるものです。

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成田山新勝寺へお参りに行きました その1

2011年11月17日 12時29分25秒 | Weblog

 11月17日(木)我が八千代、快晴です。
 昨日は、霞んではいましたが久しぶりに富士山が見えました。(下写真) 今朝は、見えませんでした。

 さて本題です。
 11月4日パソコン仲間と般若心経の写経を兼ねて成田山新勝寺へお参りしました。
 総門です。平成20年に建立されました。十六体獅子頭などにより飾られています。

 国指定重要文化財の仁王門です。天保2年(1831)再建されました。大提灯(800kg)は、寺門の守護役目をはたしているそうです。

 昭和43年建立の大本堂です。
 弘法大師によって敬刻開眼された不動明王を御本尊として成田山で最も重要な御護摩祈祷を行う道場です。

 朝の勤行が終わったのでしょうか。菊花展開催中で菊も飾られ素晴らしい風景です。

 左から聖徳太子堂三重塔一切経堂鐘楼です。

 国指定重要文化財の三重塔です。
 正徳2年(1712)建立:十六羅漢の彫刻がめぐらされた高さ約25mの塔です。 

 聖徳太子堂です。平成4年の建立です。
 我が国仏教興隆の祖として崇められる太子の「和をもって貴しとなす」の理念にもとずき、世界平和を願って建てられたそうです。

 成田山公園の竜智の池です。紅葉には、少し早すぎたようです。

 成田山参道です。鰻福亭の上にあったウナギの看板がなくなっていました。ちょっとさびしい感じがしました。

 下の写真は、平成9年の成田祇園祭(7月11日)の時撮った写真です。中央にウナギの看板がありました。

 成田山参道に十二支の石像がありました。

 成田山新勝寺菊花大会が開催されていました。明治16年より続く伝統行事で、今年で126回目だそうです。

 珍しい菊と思いましたので撮りました。

  続きは、その2に掲載します。境内の写真が主な内容です。

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我が散歩道で撮りました~八千代市緑が丘周辺

2011年11月15日 10時42分04秒 | Weblog

 平成23年11月15日(火)我が八千代、雲は多いですが日差しはあります。今朝は、少し冷え込みました。
さて本題です。
 一昨日(11月13日)天気が良かったので、午後2時過ぎから1時間ほど散歩道をホォトウオークしました。
 我が団地のお宅のピラカンサです。綺麗ですね。

 同じお宅の皇帝ダリアです。高さ4m位です。

 我が団地のハナミズキの実です。

 ハナミズキをアップで写しました。

 我が団地に咲いている菊の花を蝶の形に切り抜きました

 散歩道のお宅の菊の花です。実物の方が綺麗です。

 東葉高速鉄道車両基地引き込み線上の小さな橋から撮りました。
 習志野駐屯地第一空挺団の降下訓練中のC1輸送機です。偶然にも飛んできました。

 落下傘降下訓練の模様です。逆光のため鮮明に写すことが出来ませんでした。(上と同じ橋の上から撮りました。) 小さな子供さんを連れたお父さんも写真を撮っておられました。

 この実の名前は、分かりません。 再度撮影するつもりです。

 毎日歩いている東葉高速鉄道車両基地西側の谷間には、烏瓜の実が多くあります。

 ヒヨドリジョウゴの実です。毎年「はざかけ」を行う車両基地北側にある田圃のあぜ道にありました。

 クロガネモチの実です。この道には、7~8本のクロガネモチがあります。冬になるとヒヨドリが実を食べつくします。

 我が家近くに帰ってきた時、偶然にも空を見上げると飛行機が飛んでいました。

 我が家傍で季節はずれのツツジの花が咲いていました。

 カメラを持って歩くと結構いい被写体が見つかるものです。 

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習志野ウオーク「秋山好古・騎兵の町を歩く」に参加しました。 その2

2011年11月13日 12時31分18秒 | Weblog

 平成23年11月13日(日)我が八千代、快晴気持ち良いです。
 午前中、我が団地のグリーンデーで樹木の剪定をしました。
さて本題です。
 10月19日習志野ウオーク「秋山好古・騎兵の町を歩く」(産経新聞社主催・習志野市教育委員会後援)に参加しました。その2です。
 秋山好古は、司馬遼太郎著「坂の上の雲」の主人公で、日本騎兵の父と呼ばれていました。連合艦隊参謀の秋山真之は実弟です。
 船橋市営の習志野霊園です。かっては習志野陸軍墓地と呼ばれていました。
 やすらぎの木です。 

 霊園の奥に旧日本軍、第一次世界大戦のドイツ軍捕虜、日露戦争のロシア軍捕虜の戦没者慰霊之碑や墓石があります。手前の碑は、記念碑です。正面の碑~日本軍人戦没者慰霊之碑  左~ドイツ軍戦没者慰霊之碑   右~ソ連軍人戦没者慰霊之碑です。

 日本軍人戦没者慰霊之碑です。日本軍騎兵の墓もありました。

 民間の方の墓に建立されていました。
 明治天皇が「草も生えないくらい演習している様」を詠まれたお歌です。(明治20年)
 明治天皇は、明治6年習志野原で行われた近衛兵の演習を御統監されておられます。(詳しくは後述)

 

 この日のメーン陸上自衛隊習志野駐屯地です。「精鋭無比」と称えられる第一空挺団の本拠地です。
 自衛隊の方の案内で駐屯地内を見学しました。

 軍馬慰霊之碑です。第二代騎兵学校長秋山好古の直筆です。
 当時は、騎兵学校西外柵にあったそうですが、現在の場所に移設されました。

 空挺資料館です。東北大地震の際、建物が壊れ改修工事がおこなわれていました。
 この建物は、明治天皇の「御馬見所」として明治44年東京目黒の騎兵学校に建てられました。大正5年騎兵学校が習志野に移転した際、移築され迎賓館として使用されていました。現在は、空挺館と呼ばれ第一空挺団のシンボルとなっています。

 この日は、肌寒い日でしたが隊員の方が上半身裸で訓練に励んでおられました。

 高さ83mの降下塔です。

 C1訓練台で訓練が行われていました。習志野駐屯地では、毎月C1輸送機からの降下訓練が行われています。我が家からも見ることが出来ます。

 この建造物も降下訓練の施設です。高さ11m:人間が最も恐怖心を抱く高さです。この塔から何度も飛び出して訓練を行い恐怖心を克服するといいます。オリンピック日本代表選手も精神力を高めるため降下訓練に挑戦するそうです。
 小生、このことを知っていましたので、案内の自衛隊員の方に聞いてみました。この方は、83mの降下塔の方が怖かったそうです。
 この後、駐屯地の売店で買い物や休憩をしました。

 売店そばにある軽装甲機動車の駐車場になぜかがいました。

 空の神兵之像です。
 元になった像は、日本美術会員彫刻家の古賀忠雄先生が昭和17年大東亜戦争美術展に於いて朝日新聞社賞を受賞した名作「天降る像」です。

 習志野駐屯地付近は、陸軍騎兵学校があった場所で、その歴史を記念して日本騎兵之碑が建立されたそうです。 習志野駐屯地の所在地は、船橋市薬円台です。習志野市でも、船橋市習志野・習志野台でもありません。
 かって、習志野原と呼ばれ陸軍の演習場となっていたことから名付けたのでしょうか・・・
 これで習志野駐屯地の見学は終わりました。

 駐屯地前の船橋市郷土資料館にあるD51機関車です。

 上写真D51の後方すぐの所に明治天皇駐蹕之處碑(「元帥陸軍大将 公爵 山縣有朋謹書」と刻まれています。)があります。(薬円台公園内)
 習志野は江戸時代幕府直轄の馬の放牧場でした。当時は「下総国大和田原」と呼ばれていました。
 明治6年4月30日近衛兵(長州、薩摩、土佐の兵2800人)の演習がこの原で行われました。前夜荒天でしたが明治天皇は演習地の幕舎に野営、翌日の演習を天覧されました。演習を指揮したのは薩摩の篠原国幹でした明治天皇は、篠原の見事な指揮に感銘を受けられ「見習え、篠原に」との意味(習篠原→習志野原)をこめて「習志野」と命名されたと伝えられています。

 この後、新京成線習志野駅前まで歩き午後5時過ぎ解散しました。
 我が家近くの習志野が、あの「坂の上の雲」の主人公秋山好古のゆかりの地とは知りませんでした。

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習志野ウオーク「秋山好古・騎兵の町を歩く」に参加しました。 その1

2011年11月09日 15時49分05秒 | Weblog

 平成23年11月9日(水)我が八千代、曇空で肌寒いです。
 午前中、囲碁の例会に参加しました。成績は、でした。
さて本題です。
 10月19日習志野ウオーク「秋山好古・騎兵の町を歩く」(主催産経新聞社、後援習志野市教育委員会)に参加しました。
 京成線大久保駅近くの習志野市中央公園に集まり、主催者側の説明を受けた後、午後1時出発しました。
 ウオークした順に写真を掲載します。

 京成大久保駅前商店街(ゆうろーど)を歩いています。

 この商店街に秋山好古大将の顕彰碑がありました。(習志野市大久保1丁目18番)
 秋山好古は、坂の上の雲(司馬遼太郎著)の主人公です。
 顕彰碑説明文に~日本とロシアとの間に緊張の高まった明治36年、秋山好古は当時大久保にあった騎兵第一旅団に赴任し、翌37年、日露戦争が始まると同旅団長として中国に渡りました。戦地では沙河・黒溝台・奉天等の激戦地を駆け巡り、当時世界最強と呼ばれたロシア・コサック騎兵と互角に渡り合い、あるいは凌ぎ、日本軍の危機を幾度も救う活躍を見せました。以下省略~と記載されていました。

 次は習志野市八幡公園です。ここは、騎兵連隊・旅団司令部跡です。公園入口の赤レンガの門柱は、司令部正門を移築したものだそうです。

 同公園内にある「習志野騎兵旅団発祥の地」の碑です。

 この碑も八幡公園内にありました。右の石柱には騎兵第一旅団司令部跡と刻まれています。

 千葉県済生会習志野病院です。この地、かっては陸軍病院でした。

 騎兵第13連隊発祥の地です。東邦大学習志野キャンパス内にあります。

 発祥之地の碑です。船橋市長大橋和夫書と刻まれています。
 残念ながら日大生産工学部内にある騎兵第14連隊跡には、大学行事のため行くことが出来ませんでした。

 同じ敷地に司馬遼太郎の碑もありました。
 碑に
  「かって存在せしものに 時代の価値観をこえて保存し 記念すべきものである。 それが、文明というものである」 司馬遼太郎    と刻まれています。

 二宮神社の鳥居です。

 社殿です。二宮神社は、習志野地区を代表する神社で平安時代の創建といいます。
 ここで一休みしました。

 この続きは、その2に掲載します。

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富岡八幡宮と水天宮へお参りしました

2011年11月06日 10時16分46秒 | Weblog

 平成23年11月6日(日)我が八千代、今にも雨の降りそうな曇空です。
 今日は、第43回全日本大学駅伝対抗選手権大会テレビ観戦です。
 下のアキアカネは、先日印旛新川で写しました。

さて本題です。
 9月23日富岡八幡宮と水天宮へお参りしました。
 富岡八幡宮(江東区富岡1-20-3所在)の大鳥居です。
 富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)創建された江戸最大の八幡様だそうです。

 大鳥居をくぐると、左側に伊能忠敬像がありました。
 「寛政12年(1800年)閏4月19日(陽暦6月11日)55歳の伊能忠敬は、この地から全国測量の旅に出発しました。」と後方の日本地図が描かれた碑に記載されていました。
 早朝に富岡八幡宮に参拝した後、杖先方位盤を手に力強く測量の旅に第一歩を踏み出した姿だそうです。
 忠敬は、49歳で隠居、佐原から江戸に出て、測量の勉強を本格的にしたと言います。

 正面参道を本殿方向に進み撮影しました。
 富岡八幡宮は、江戸勧進相撲発祥の地だそうです。

 結婚されたのでしょう。記念写真を撮っておられました。

 本殿です。お参りして、いろいろお願い致しました。

 本殿前を左方向へ進んだところにある鳥居です。
 富岡八幡には、その他多くの見所があるようです。再度、お参りしたいと思っております。

 続いて水天宮(中央区日本橋蠣殻町2-4-1所在)にお参りしました。
 水天宮は、安産祈願、子授けで親しまれております。

 階段を上がると左右に狛犬がおります。左側の狛犬です。

 正面が社殿です。右側が額殿です。額殿には、古写真、奉納された額、絵馬などが掲げられているそうですが中には入りませんでした。

 「権現造り」の社殿をアップで撮りました。(昭和42年完成)

 子宝犬です。子犬を見つめる母犬、親子の情愛が伝わってきます。周囲の十二支のうち自分の干支を撫でると子授けや家内安全・厄除けのご利益があるそうです。参詣の皆さん、干支やわんちゃんの頭を入れ代わり立ち代わり撫でていました、

 安産子育て河童です。肩、胸、足下に河童の赤ちゃんがしがみついています。

 左上~宝生辨財天です。学芸、芸能、&「宝生」の名のとおり財福のご利益が信仰されています。宝生流の能楽との因縁もあるようです。 右下~水天宮のホームページには、火風神社と記載されていました。神社前に架かった提灯には、左から秋葉神社、火風神社、火風神社、高尾神社と記載されております。おそらく三神社が祀られているのではないかと思います。

 この日は、頑張りました。清澄庭園を見た後、深川不動尊、富岡八幡宮、水天宮とお参りしました。

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