小生、八千代市公民館の囲碁クラブで、周1回囲碁を楽しんでおります。
8月21~22日の二日間、緑が丘公民館で開催された子供囲碁教室に、その他大勢の指導者
として参加しました。
囲碁を全く知らない子供も三分の一おりました。ゲームを始めると、それなりに夢中になって楽しんでおりました。
負けたくやしくさで、「明日は、来ない」とだだを言ってる女の子もいました。しかし、2日目も出席、今度は、勝ちニコニコして帰って行きました。
教室は、盛況のうちに終わりました。夏休みのよい思い出になってくれればと思っています。
小生、子供達に元気をもらった二日間でした。
小生、昭和40年ごろから囲碁を始めました。下は小生の初段免状です。
「免状紙は大高檀紙という特殊な和紙を用い全文毛筆で書き、審査役の棋士が自筆署名したものです。」と別紙に記載されておりました。
小生、今も初段のままです。実力は、弱い初段と思います。
小生、坂田栄男理事長の署名があるこの免状が自慢です。
坂田理事長は、戦後最強の棋士と言われております。とうてい活きられそうもない石をアッというような妙手で活きて見せ「しのぎの坂田」といわれていました。
また、ある棋士は、[木谷先生のヨミは、「そこまでヨンでいるんですか」と敬服させられるヨミで、坂田さんのヨミは「そんな手までヨンでいるんですか」と感嘆させられるヨミだ。]と評しています。木谷先生については、碁の次の投稿でふれます。
囲碁のエピソードをもう一つ
現日本将棋連名会長 米長邦雄永世棋聖の若い頃の話です。
同じく将棋棋士の芹沢九段に四目置いて負け「碁は、しょせん知恵のゲームだ。とにかく知恵のある方が勝つ。知恵の差で決まるゲームなんておもしろくないね」と大笑いされたそうです。
そこで、米長会長、将棋の専門棋士として一人立ちを許される四段になって、初めてもらった給料6750円を手に古本屋街に出かけ、「お城碁譜」という本を6000円で買ったそうです。そして半年で碁敵を超えたと言います。さすが勝負師ですね。脱帽です。
小生、毎週熱くなりながら碁を指していますが、根性だけでは勝てません。今後も、ざる碁を楽しみたいと思います。