谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

新四国八十八ヶ所めぐり(第10回~1)

2007年11月26日 11時39分59秒 | Weblog
 今日も小春日和です。この天気が続けば良いのですが・・・・明日は
 昨日は、茨城県の北浦までタナゴ釣りに行きましたが釣れませんでした。
 下の写真は、先週我が団地の庭で撮りました。めじろと柿珍しい取り合わせと思いませんか。シャッターチャンスに恵まれました。

さて本題です。
 いよいよ10回の1まできました。

 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。

 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。
 マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
 第10回は、新京成「薬円台駅」~正伯高幢庵(41)~正伯不動堂(47)~田喜野井正法寺(19)~田喜野井不動堂(36)~三山神宮寺(13)(74)~三山二宮神社~三山新田弁天社(77)~大久保薬師寺(88)~京成「大久保駅」の順で歩かれております。


 5月8日第41番正伯高幢庵、第47番正伯不動堂、第19番田喜野井正法寺、第36番田喜野井不動堂を訪れました。
 第41番正伯高幢庵(船橋市薬円台1-5-26)です。
 成田街道薬円台交差点の傍にあります。従って駐車場はありません。小生少し離れた道(約3分)に止めお参りしました。この大師堂のみです。
 図録によれば[寛延2年(1749)の「葛飾記」によると「ゆるぎの松」が枯れ死した時、これを惜しんだ木食僧観信が二体の地蔵菩薩を彫った。大きいほうを「ゆるぎ地蔵」といい、上飯山満の地蔵堂へ小さいほうを「木っぱ地蔵」といい、高庵へ納めた。(船橋市指定文化財)]だそうです。


 下は、木食観信の墓です。
 [「ゆるぎ地蔵」「木っぱ地蔵」を彫った木食僧の墓。享保11年(1725)没。船橋市指定文化財](図録)
 


 第47番正伯不動堂(船橋市薬円台4-2-22)です。
 ここも駐車場がなく、少し離れた道に車を止めるしかありません。


 第47番札所です。


 第19番
田喜野井正法寺
(船橋市田喜野井3-7-6)です。
 ここには、立派なお寺があります。
 境内の中に駐車することが出来ます。お寺に通じる道はかなり狭いです。


 第19番札所です。


 下写真右から2番目は、石造り如意輪観音像です。
 [延宝5年(1677)の造立。十九夜講の如意輪観音像としては船橋市内最古](図録)


 第36番田喜野井不動堂(船橋市田喜野井4-31-12)です。
 ここも、道に迷い反対側のまだ林の残っている高台に登り探しましたがわかりませんでした。不審に思い近寄って来た人から教えてもらいやっとたどり着きました。
 特にお寺らしいお堂はありません。後ろの瓦屋根の家は、小生に道を教えてくださった方の家です。


 第39番札所です。


次回(第10回~2)は、第13番74番三山神宮寺、三山二宮神社、第77番三山新田弁天社、第88番大久保薬師寺を掲載します。
 次回で新四国めぐりも最終回です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする