谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

河口湖遊遊

2006年07月28日 13時26分46秒 | Weblog

 7月10日(月)曇時々晴
 午前10時、霧にけむる箱根の宿を後にする。
 まずは、過去2度行ったことのある山中湖・花の都公園をめざす。
 空は少しずつ明るくなり雨の心配はなくなってきた。
 11時過ぎ花の都公園に着く。目的の花が咲いていないので、河口湖に予定変更。
 午前11時30分河口湖の木崎公園に着く。
 丁度、「2006河口湖ハーブフェスティバルが行われていた。
 まずは、ラベンダーをパチリ


 背景に富士山を入れたいが顔を見せてくれない。車で移動中少し頭を見せてくれたのに残念。
 妻たちは、ほのぼのとした人形作りの作家・与 勇輝作品常設館である「河口湖ミューズ館」へ行く。
 小生、ラベンダーのアイスリームを食べながら、デジカメでパチリパチリ、しかし暑い暑い。



 ガーデニングコンテストも行われていました。どの作品が良かったのでしょうか。



 小生写真を撮るのにも疲れ、川口湖畔で一休み。
 その後、妻たちと合流、設置されたテント内でお土産など購入しました。
 最後まで「お富士さんこんにちは」とはいきませんでした。


 13時10分木崎公園に別れを告げ、中央道経由で帰路に着きました。
 天気情報では、2日とも雨の予報でしたが、心配したほど雨も降らず、まあまあの旅行でした。よかった・よかった・・・・・・・。
 なお、「2006河口湖ハーブフェスティバル」7月13日までで、ここでもラッキー・ラッキーでした。

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箱根遊遊その2 箱根ピクニックガーデンゆり園

2006年07月23日 08時50分56秒 | Weblog
今日(7月23日)もはっきりしない天気です。
朝の日課ウオーキングは、しっかり済ませてきました。
何時梅雨が明けるのでしょうか。来月の8日は、立秋です。

さて、箱根旅行の続きです。
7月9日(日)曇時々雨
 箱根湿生花園を後にし、次の目的地と決めた雨に強い箱根芦ノ湯フラワーセンターに向う。
 桃源台を過ぎ元箱根方面に進んでいると左方山の斜面に色とりどりの花が見えてきました。  即座に意見一致で予定変更。
 そこが箱根ピクニックガーデンゆり園でした。

             上の写真は、入口そばで撮影したもの。

 駐車場代は無料、入園料500円でした。
 斜面には動く歩道があり、綺麗なゆりの花を観賞しながら最上部まで行く。

             下の写真は、最上部から撮影したもの。


 ネロ、ソルミオ、カサブランカ、ナバラなど60種40万株のゆりが植えられているそうです。


動く歩道の反対側斜面にも、ゆりが植えられており、歩きながら鑑賞出来るようになっています。全体的に五分咲きぐらいか。
    下の写真は反対側斜面(この写真の右側に動く歩道があります。)です。

 鑑賞約1時間、雨も降らず、皆満足した様子。
 残念ながら富士のお山は顔を見せてくれませんでした。
 箱根ピクニックガーデンゆり園を後に今宵の宿に向う。宿着17:00
 箱根のおいしい酒を飲む。

 帰宅後、インターネットで、箱根ピクニックガーデンゆり園を検索したところ
       開園期間は7月8日(土)~8月27日(日)
       入園料大人1000円  駐車場代500円
となっておりました。

 すると我々が訪れたのは、オープンの次の日、しかも入園料500円だけラッキー・ラッキーでした。

箱根ピクニックガーデンゆり園(箱根園系列)所在地等
     神奈川県足柄下郡箱根町元箱根143-1
              電話0460-3-6885  営業時間9:00~17:00


              桃源台から撮影した海賊船です。

 箱根ロープウェーは、桃源台~大涌谷間が新型架替え工事のため本年6月1日から来年5月31日まで運休となっておりました。
 桃源台駅舎も改装のため壊されておりました。
 旅行記もう1回投稿します。

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神宮球場は、雨でした

2006年07月19日 14時30分50秒 | Weblog

 今日(7月19日)も雨が降り続いております。梅雨は、いつ明けるのでしょうか。
 午前中、八千代市睦公民館の囲碁クラブに参加。幸いにも3連勝し、おいしく昼食を食べました。
 さて
 先日(7月17日)姪夫婦の招待で、ヤクルト×広島の試合を観戦しました。
 小生、広島カープの大大ファンであることを知ってのものでした。
 姪たちと信濃町駅で待ち合わせ神宮球場へ。我々の席は、ヤクルト応援団のすぐ後ろでした。


 試合開始は、あいにくの雨のため少しおくれました。
 まもなく、ヤクルトの先発投手は、ガトームソン、広島は、佐々岡投手で試合が始まりました。
 3回裏には、ヤクルトがラミレスの本塁打などで6点奪い、ヤクルトの一方的な試合展開となってきました。目の前のヤクルト応援団は大喜び、東京音頭の連発となりました。


一方広島は、新井選手の空振りなどガトームソンをまったく打てません。
しょうがないので、生ビール2杯を飲み憂さ晴らしです。


6回ヤクルトに1点入ったところで席を立ちました。
帰途、くやし涙雨に濡れた絵画館をパチリ。


 結果は、10対1の惨敗でした。
 とは言っても、久しぶりの野球観戦楽しいひと時でした。美男美女の姪夫婦に感謝感謝です。

 小生、広島県呉市の出身、子供の頃からのカープファンです。
 昭和20年代、広島は負け続けておりました。
 20年代の広島カープの成績
 
昭和25年 41勝96敗   昭和26年 32勝64敗   昭和27年 37勝80敗
 昭和28年 53勝75敗   昭和29年 56勝69敗

昭和27年ごろだったと思います。
呉二河球場で行われた巨人戦の試合開始前、神主だったわが親父殿がピッチャーマウンドで必勝祈願を行いました。しかし、その後も勝てませんでした。

昭和50年初優勝した時は、嬉しかったですね。
下の写真は、昭和54年2回目の優勝をした時のものです。


小生の目の黒いうちに、この光景をもう一度見たいものです。
次回は、箱根遊遊その2を載せる予定です。

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箱根遊遊その1 箱根湿生花園

2006年07月16日 08時25分17秒 | Weblog

今日(7月16日)も晴れ間がのぞき良い天気?のようです。
蒸し暑くなるのでしょうか。皆様には、くれぐれもご自愛ください。
さて、先日箱根に旅行してきました。その旅行記をどうぞ。
7月9日(日)曇時々雨
 妻、義母、義妹を引き連れて箱根一泊旅行に出かけました。
 もちろん小生お抱え運転手。
 午前8時40分JR北朝霞駅で待ち合わせ、義妹の車で出発。
 環八~東名高速~御殿場経由で箱根湿生花園へ向う。
 海老名サービスエリアで忘れ物、御殿場から引き返すトラブルもあり箱根湿生花園に着いたのは午後2時近くでした。
 入園料は、大人700円ですが、3人は老人割引で600円でした。
 時々小雨が降る天気でしたが、見学を始める。


 箱根湿生花園は、日本ではじめての湿生花園として昭和51年に誕生。
 もとは湿原だった水田の跡地3万平方メートルを利用して丘や流れを作り、ミズバショウ、ノハナショウブ、サギユリ等日本の湿原植物を一同に集めたといいます。

 園内にはこんな歌板がありました。


 万葉集に詠まれた秋の七草です。

 ちなみに春の七草


です。(この歌板は、もちろんあるはずありません。)

 花は色々咲いていましたが、肝心の湿原には、花がほとんど咲いていませんでした。
 季節の変わり目だったのでしょう。
 近くの山々も霧にかすみ、ほとんど見えず一昨年来た時より少し物足りなさを感じました。しかし、一度は見る価値があります。

 40分程で見学を終わり次の目的地(雨に強いところ)に向いました。
 下の写真は、この日桃源台で撮った海賊船です。もう一艘の海賊船も撮りましたので次の記事に載せます。

箱根湿生花園の所在地等
      神奈川県足柄郡仙石原817
              電話0460-4-7293

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香取神宮その2・由緒等

2006年07月11日 13時14分01秒 | Weblog

今日(7月11日)も蒸し暑く、梅雨明けが待ちどうしいです。

さて、先日投稿した香取神宮の続きです。
写真は、6月17日撮影のものです。

 香取神宮
の創建は、神武18年と伝えられています。『神宮』の社号を持つ下総の国の一宮です。
 現在の社殿は、元禄13年(1700)徳川綱吉によって造営されたもので、本殿、楼門は国の重要文化財の指定を受けています。
 祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で「出雲国譲り」神話(日本書紀)に出てくる神様です。

 下の写真の左側が拝殿で、右が本殿です。本殿に経津主神が祀られております。
本殿屋根の端の所で、交差し高く突き出ている部分を「千木(ちぎ)」といいます。
 千木は、高天原(たかまのはら・後述)へ通信するアンテナの意味を持つともいわれています。



出雲国譲り神話
 はるかなる昔、世界は、天照大御神が支配する高天原(天上界)と葦原の中つ国(豊葦原瑞穂の国・日本・地上)、そして根の国・底の国(黄泉の国・地下)の三重構造と考えられていた。
 高天原の神々は、葦原の中つ国を天孫[天照大御神の孫・邇邇藝の命(ににぎのみこと)]が治める国と決めた。
 そして第一次、二次と神々を派遣して、葦原の中つ国を支配する大国主神に国譲りを迫るが失敗。
 三度目として、武勇の誉れ高い経津主神と鹿島神宮の祭神である建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を地上に送った。
 二神は出雲の伊那佐の浜に降り立ち、剣を逆さまに突き立て、その切っ先の上にあぐらをかいて、大国主神に国譲りを迫った。
 これに対し、大国主神は返事をしぶったが、その息子八重言代主神は国譲りを承知した。ところがもう一人の息子建御名方神(たけみなかたのかみ)は、「国がほしいなら勝負しろ」と挑戦した。しかし勝負はすぐつき、敗れた建御名方神は、諏訪まで逃げ降参した。(建御名方神は、諏訪大社の祭神となっている。)
 こうなると大国主神はしかたなく承諾する。
 こうして強談判は成功し天孫邇邇藝の命は、筑紫の日向の高千穂の峰に降臨した。なぜ出雲をさけて高千穂の峰に降臨したのか記紀神話最大の謎となっている。
 邇邇藝の命の曾孫が初代神武天皇である。
 真偽の詮索よりも、小生日本神話のロマンが好きです。

 下の写真は、楼門です。右側に2本の木があります。左の木は、昭和48年昭和天皇のご親拝記念の植樹です。右の木は、水戸光圀が参拝の折、植樹奉納したと伝えられる黄門桜です。


 香取神宮、鹿島神宮の祭神が武道の神様ということで、今でも柔道、剣道等武道の試合前に必勝祈願に来る人が多いと聞きます。

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日本寺(にちほんじ)とあじさい

2006年07月05日 20時16分18秒 | Weblog

6月29日(木)妻と多古道の駅へ、この道の駅は妻のお気に入りです。
毎回多古米や野菜、小生は、ここの松前漬けの味が好きで毎回購入しています。
今回は、栗山川のあじさいも目的で行きましたが、あじさいはもう終わりでした。
道の駅で、近くの見所として日本寺が紹介されていました。
時間もあることから行くことにしました。車で7~8分ぐらいのところにありました。


日本寺は、元応元年(1319年)に開基した古刹。
仏教史上有名な檀林(学校)のある寺として知られ全国から学僧たちが集まり学んだそうです。慶長4年から明治初期までの270余り続き、常時4~500名の学僧がいたといいます。
鐘楼は、常陸水戸藩、加賀前田家の寄進で建てられたそうです。


こんな話もあります。あの水戸黄門が学僧のために、日本寺を起点として江戸まで1里毎に塚をたてたそうです。ちなみに三里は、成田三里塚。
また、あじさいの美しい寺としても有名で、境内に8000株植えられています。


あじさいは、少し盛り過ぎています。
来年でもあじさい満開の頃お行きになる事をおすすめします。あわせて多古道の駅そば栗山川のあじさいもご覧になるとよいでしょう。

日本寺所在地
千葉県香取郡多古町南中1820-1   電話0479-76-3745

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今年も歩いた6ヶ月

2006年07月03日 08時56分53秒 | Weblog

今日(7月3日)も梅雨の中休みのようです。
このところが、我が家前の木立で、夏が来たよ・ホーホケキョと鳴いています。今も鳴き声が聞こえます。電線にも日に1~2回とまって鳴きます。下の写真は昨日撮影したものです。


先日の早朝、ラジオで森永卓郎さんがスポーツキャスターの増田明美さんに「ジョッキングしたいが。」と質問。
「森永さんがジョッキングしたら身体を壊しますよ。まずウオーキングで体重を減らしてください。」と回答していました。太った方は、足の負担を考えるとウオーキングが一番のようですね。
小生、朝夕1時間のウオーキングまだまだ続けております。
今年1月~6月の歩行数は、次のとおりです。
     総歩行数      2,324,922歩 (昨年比プラス242,942歩)
     1日平均歩行数     12,845歩 (昨年比プラス1,343歩)


総括すると
5月に風邪を引き11日間ウオーキングが出来ませんでした。唯一、昨年比マイナスの月となりました。
全体的には、天候に恵まれ、比較的健康に過ごせた事がプラスにつながったと思います。

歩幅70センチメートルとして、距離に換算するとすると1627Km歩行した事になります。この距離は、東京から鹿児島、更に折り返し熊本の阿蘇山あたりを歩いている事になります。(JR営業キロで計算しました。)

今、体重は、59kg~60kg(夕食前測定)の間を上下しています。
目標体重は56kg~57kgです。
この体重は、高校卒業後、十二指腸潰瘍の手術をした40歳ごろまで保っていた理想の体重です。
小太りが良いとの話も知っておりますが・・・・・・・・・ 。   

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