今日は、「昭和の日」です。
わが町は、雲ひとつない晴天です。昭和天皇がお出かけになるときは必ず晴れたという伝説があります。・・・・・・・
昨年、みどりの日に投稿しようとした原稿(黄色の部分)です。
「今日は、みどりの日ですが今年でお別れです。(来年からは5月4日へ移動)
来年からは、昭和の日になります。この日は、元々昭和天皇の誕生日でした。
みどりの日から昭和の日になるのは、必然のことだったと思います。」
昭和の日とは、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。と定められております。(祝日法第2条)
我が家には、昭和(家族)の思い出の写真を貼った額縁があります。
それは、昭和天皇、皇后両陛下のお写真を右上に、神職姿の父親が中央、残りのスペースに母、子供のころの我が兄弟姉妹4人の写真を貼った額です。
この額は、父親が昭和40年ころから広島の実家に掛ておりました。
その頃には、兄、小生、上の妹の3人が東京に出てきており、家族の絆を思って掛けたのだと思います。
父母が亡くなり、昭和に光あれ(光昭)と名付けられた兄も亡くなり、訪ねる人もなくなった実家から持ち帰ったものです。
写真は、セピヤ色になっていたり、一部が破損しておりました。パソコンで自分なりに修正しました。
下の写真は、母親に背負われた小生の写真です。この写真は、破れており修正に手間取りました。
戦闘帽をかぶっておりますし、昭和10年代後半に写したものと思われます。
今では、小生の宝物です。
本物の写真は、劣化しないように大事に保管しております。
レプリカの写真を貼った額縁は、朝、目が覚めたらすぐ見れる位置に掛け父母や子供の頃の兄妹たちに会っております。
小生の生まれた当時の昭和を振り返ります。
小生の誕生した昭和15年(皇紀2600年)は、東京オリンピックが実施予定でしたし、紀元2600年を祝う行事が多く行われたといいます。
「紀元二千六百年」の歌(公募)も奉祝国民歌として発表(昭和14年)されました。
この歌の一番(5番まであります。)です。
金鵄(きんし)輝く日本の 栄(はえ)ある光身にうけて
いまこそ祝えこの朝(あした) 紀元は二千六百年
あゝ 一億の胸はなる
今年は、平成19年、昭和もだんだん遠くなります。