谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

あさみちゆきミニコンサートへ行きました

2007年02月26日 14時03分18秒 | Weblog

 昨日(2月25日)は、寒かったですね。体感的には、この冬(春?)一番の寒さだった気がします。  ご自愛ください。
さて本題です。
 2月18日(日曜日)、歌手あさみ ちゆきミニコンサートに行きました。
 場所は、イオン緑が丘ショッピングセンター内アゼリア広場。  無料でした。
 午後4時からコンサートは始まりました。


 この日、午後1時からは同じ場所で南かなこのミニコンサートが行われました。
 小生、ミニコンサートのハシゴをしたわけです。
 今度は、写真を撮るため椅子には座らず立ち見にしました。
 あさみちゆきさんは、井の頭公園の歌姫として2004年6月、フジテレビスーパーニュースで紹介され一躍全国区になりました。小生も、この頃彼女の存在を知りました。


 この日配布されたチラシを見ると「1993年BS勝ち抜き歌謡選手権福山大会でチャンピオンになり、1996柳井商業高校を卒業後歌手をめざして上京」と記されておりました。
 2001年ラジカセ、マイク1本で井の頭公園で歌い始め、2002年ギターの弾き語りでストリートライブをはじめたそうです。
 今でも井の頭公園でストリートライブを行っているといいます。


 この日は、「井の頭線」「青春のたまり場」などの歌を聞かせてくれました。
 下の写真は、吹き抜けになっているすぐ上の階から撮ったものです。


 観客は、昔の若者が多かったように思います。
 CDを買えば、サイン色紙をもらえたのですが、1日に2枚もCDを買えば女房殿に笑われそうな予感がしたのでやめました。ほしかった・・・・・・ 
 先日、ミニコンサートをハシゴしたと碁仲間に話したところ、年齢を尋ねられました。
 年を尋ねたのは何のためだったのでしょうか。???????

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「南かなこミニコンサート」へ行きました

2007年02月22日 13時32分40秒 | Weblog

 2月18日(日)午後南かなこさんのミニコンサートをイオン八千代緑が丘ショッピングセンター(アゼリア広場)へ聴きに行きました。勿論無料でした。
 小生、1時間前の正午に行きましたが最前列は、席取りのため色々の物が置いてあり2列目に座りました。
 南かなこさんはブラジル出身の演歌歌手で、平成3年元日デビューしたそうです。
 名前の由来は、
 南のブラジルから来たから、夢がかなうようにかなこと付けたそうです。
 午後1時、コンサートが始まりました。


 南かなこさんは、文化放送の火曜日~土曜日午前3時~5時に放送されている「走れ歌謡曲」の金曜担当のレギュラ-パソナリティーです。
 走れ歌謡曲は、今年で35年、レギュラ-パソナリティーから数々のスターが生まれています。
 走れ歌謡曲には、デビューした年から異例の抜擢をされています。
 小生午後9時に就寝しますので、午前4時前後には目が覚めます。従って走れ歌謡曲は毎日聞いています。
 ラジオでの話し振りは、元気そのもので、姿かたちとはかなりのギャップがあります。
 デビュー曲は「居酒屋サンバ」ですがそれなりにヒットしました。
 この日は、最新曲の望郷北岬他を絶唱しました。

 彼女は、デビュー以来着物姿で歌っていましたが、この日は純白のドレスでした。
 このドレスは勝負服だと話していました。 ホームページを見るとこの日付で、このドレス姿が掲載されていました。もしかして初めての服装だったのかも。


 コンサートには、サイン会がありました。
 これには条件があり、望郷北岬のCDを買う事でした。
 小生1200円也を支払いサイン色紙をゲットしました。


 おまけで握手も出来ました。
 その時、夢はかないましたかと話しかけたところ「まだまだです。頑張ります。」との返事をもらいました。
 日本の地で夢がかなうよう祈っています。がんばれかなこ

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佐倉の七福神めぐり その3

2007年02月18日 09時35分30秒 | Weblog

 先週の日曜日、早朝のラジオ番組「菅原文太 日本人の底力」でゲストの筑波大学名誉教授村上和雄さんがこんな話をしておられました。
 最近多くの学校で給食時、子供達に「いただきます」とは言わせないとのことです。
 父兄から給食費を払っているのに「いただきます」と言うのはおかしいと抗議を受け止めたといいます。
 これに対する村上先生のお話は、この記事のおわりに記します。

さて本題です。
 1月23日佐倉の七福神めぐりをしました。
 その1、その2でお伝えしたとおり大聖院麻賀多神社宗円寺嶺南寺甚大寺にお参りしました。
 今回は、6番目のお妙隆寺から。
 妙隆寺は、文明3年(1471年)開創、当初は佐倉城大手門そばにあったが、宝永年間現在の場所に移したといいます。
 訪れた時は境内を工事中でした。


 大黒天さまは本堂内におられるようで、写真が置いてありました。


 次に7番目のお寺松林寺を訪れました
 松林寺は、佐倉藩主土井利勝(後の徳川家の老中)が土井家の菩提寺として、佐倉城築城(1610年普請開始)と同時期に建立したそうです。
 佐倉城については、明治維新後に廃城令により解体。その後帝国陸軍の駐屯地となり、現在は、跡地の一部に国立歴史民族博物館が建っています。



 毘沙門天さまは、本堂の中におられるのでしょうか。拝観することは出来ませんでした。下右写真のように各寺社のご朱印紙(朱印済)が額に入れられ置いてありました。



 元旦から10日まで普段は拝観出来ない七福神像が拝めるそうです。
 ご朱印の受付も同じく元旦から10日まで受付ける他、毎月10日も各寺社あるいは歴史生活資料館で受け付けるそうです。
 朱印紙(朱印済)は、1枚2000円だそうです。
 下写真のように佐倉には昔なつかしい町並みが残っています。


 七福神めぐりを終わり昼食は、この町の蕎麦屋で。小生、天そばを美味しくいただきました。
 ウオーキングにも丁度良い距離、佐倉の七福神めぐりはオススメです。

いただきます続きです。
 村上先生は「人間は米、野菜、肉、魚等多くの生物の命をいただいて食事をし生きている。感謝の気持を込め食事前にいただきますと言うのは当然ではないか」とのお話でした。(もっと重みのある内容だったと思います。)
 小生、給食費は親が支払っていると思います。単純に考えて子供が親に感謝の気持で「いただきます」と言うのも駄目でしょうか。
 だんだん住みにくい世の中になってゆくようです。
    まあいいか  どうにかなるさ  あすがある
 村上先生のお名前を聞くのは初めてでしたのでインターネットで調べてみました。
 先生は、1983年高血圧を引き起こす原因となる「レニン」の遺伝子解読に成功し、世界的な業績として注目を集めておられます。ノーベル賞の有力な候補者だそうです。
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佐倉の七福神めぐり その2

2007年02月15日 11時11分42秒 | Weblog

 昨日、関東地方に春一番が吹きました。
 お陰さまで我が大和田新田付近は、雨も風もそんなに強くありませんでした。
 今日は、良い天気で気持ちよくウオーキングしました。

さて本題です。

 1月23日佐倉の七福神めぐりをしました。
 その1とおり、まず大聖院麻賀多神社にお参りしました。

 その後、三番目のお寺宗円寺

 途中、自然が小生を呼んできました。大聖院、麻賀多神社にはトイレはありませんでしたが心配無用です。
 車を駐車した市立駐車場前にある「佐倉市立美術館」、宗円寺に行く途中にある「おはやし館」には綺麗なトイレがあります。

 宗円寺は、佐倉城主堀田家(前は松本藩主)ゆかりのお寺で、寛永18年(1640年)信濃松本から移されてきといいます。
 墓地には、家老渡辺弥一兵の墓(東山千恵子の実家)、順天堂創立者佐藤泰然の墓があるそうです。
 残念ながらこの情報は把握していなかったのでお参りできませんでした。


 宗円寺には、寿老人がおられました。

 次に、お参りしたのが宗円寺と道を隔てて直ぐ前にあります嶺南寺です。
 嶺南寺もやはり堀田家ゆかりのお寺で寛永19年(1642年)建立されております。


 ここには、弁財天がおられるはずですが、お姿を拝見することは出来ませんでした。お賽銭箱もありませんでした。


 次は、すぐ近くにある甚大寺に行きました。
 甚大寺は、延暦寺の末寺として1615年建立された堀田家の菩提寺だそうです。
 ここでも毘沙門天さまの姿を拝見することは出来ませんでした。



 境内には、観音さまが祀られておりました。(写真右側)
 次回、その3(完結編)を投稿します。

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建国記念の日そして春の花

2007年02月11日 14時25分33秒 | Weblog

 今日は、建国記念の日です。昭和41年から国民の祝日となりました。
 祝日法には、「建国をしのび、国を愛する心を養う」と定められております。
 建国記念日ではなく「建国記念日」なのは単に建国されたという事実そのものを記念する日だからと言います。むずかしいですね。
 初代神武天皇は、天孫降臨の地日向から東征、大和の地を平定し橿原に大宮を築き辛酉(かのとり)の年元旦即位(日本書紀)されました。
 現在の暦に換算すると紀元前660年の2月11日となるそうです。真偽の程は?ですが、日本神話には興味もありますし好きです。ロマンがあります。

 話は変わります。
 小生の散歩道、八千代緑が丘周辺に春の花が咲き出しました。
 以下の写真は、いずれも昨日写したものです。
 早くも桜の花が咲いておりました。 桜の種類はわかりません。
 昨年は、3月11日にこの桜の開花を確認写真に撮っています。
 やはり暖冬のせいでしょうか。


 水仙は畑の土手のところに咲いていました。ミツバチも盛んに蜜を吸っておりました。


 この梅ノ木は、農家の庭先に咲いていました。

 昨年より花の咲くのが早いように思います。暖冬はありがたいのですが地球環境が悪くなっているのでしょうか。心配です。
 これから、花を見ながらのウオーキングに出かけます。

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成田山新勝寺の節分会

2007年02月08日 14時22分43秒 | Weblog

 2月3日、成田山新勝寺へ行きました。
 節分の日には、毎年お参りしております。
 この日は、天気も良く参道はお参りの善男善女で混雑しておりました。


 成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって開山されたそうです。

 階段を上り仁王門をくぐると正面に大本堂があります。



 大本堂では、この日豆まきが行われました。
 小生、午後1時30分からの豆まきを見物しました。

 大相撲の横綱朝青龍関、大関千代大海関、白鵬関、NHK大河ドラマ「風林火山」に出演中の内野聖陽さん、柴本幸さんがそろって豆まきをしました。

 とわ言っても大本堂前の広場は、真ん中で仕切られていたため「風林火山」出演の俳優さん達は見ることが出来ませんでした。
 小生後ろの方でしたので、写真は手を上にいっぱい伸ばしてやっと撮れました。


 小生の手の届く範囲内に2度ほど豆がまかれましたが、見事下の写真の豆をゲットしました。今年は何か良い事があるのでしょうか。
 この日の豆まきは3回行われました。まかれた豆は860キロ、落花生400キロだったそうです。

 その後、成田山公園を散策しました。
 帰り道、お土産に米屋本店でさくら饅頭など買いました。
 来年も元気にお参りしたいと思います。 

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佐倉の七福神めぐり その1

2007年02月04日 11時42分02秒 | Weblog

 今日は、二十四節気の一つ立春です。各節気は15日目ごとだそうです。
 昨日は節分(季節を分ける)、年の数だけ豆を食べましたか。小生は、×。

さて本題です。
 1月23日(火)千葉県佐倉の七福神めぐり出かけました。
 佐倉は、江戸時代城下町として栄え、今も江戸情緒を多く残した町です。
 車佐倉市立美術館館前の市営駐車場に止めました。
 この駐車場は広く、料金は無料、平日ならば間違いなく駐車出来ると思います。
 七福神めぐりは、徒歩で2時間ぐらいです。

 まず訪れたのは、大聖院です。お寺の中では、一番遠い場所にあります。
 下の写真が大聖院で、鎌倉時代初期に開山され、近くには、武家屋敷も残っております。
 梅が咲けば素晴らしいと思います。もう一度くるつもりです。


 このお寺には、大黒天さまと布袋尊さまがおられますが、大黒天さまは、何処におられるかわかりませんでした。
 七福神とは、一般に大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊をいい、お参りすると7つの災難が除かれ、7つの幸福が授かるそうです。


 次に、訪れたのが麻賀多神社です。
 麻賀多神社は佐倉総鎮守・城地鎮護の神として尊崇を集めているそうです。
樹齢800年の大銀杏があります。


 ここには、写真のとおり福禄寿さまと恵比寿さまがおられました。


 各名所には、下のようなスタンプがおいてあります。
 予めスタンプを押す台紙を持参されると良いでしょう。


この続きは、次回投稿します。

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