谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

谷風便り今年の最終版

2006年12月30日 07時27分30秒 | Weblog

 平成18年も残り40時間ばかりとなりました。
 小生これからウオーキングに出ます。その後、車の清掃等いろいろあります。
 がんばるぞ。

 それでは、感謝を込めて「谷風便り今年の最終版」を投稿します。

 谷風便りを始めて1年が経ちました。
 
これも皆様の応援・ご支援の賜物です。御礼申し上げます。
          
 我が家にとってこの一年は、
  過ぎたことはしょうがない  まあーいいか   来年がある
 塞翁が馬という言葉もあります。来年は、良い年になってくれるでしょう。

 皆さんのご家庭は如何だったでしょうか。

 年越しには、紅白歌合戦と除夜の鐘がつきものです。
 紅白歌合戦は、今年もアルファベットとカタカナ文字の歌手が多いですね。
 小生、演歌歌手大歓迎なのですが・・・・・・・・・・・。

 除夜の鐘は、大晦日の夜から寺院で108回撞かれます。107回は旧年のうち、残り1回は新年に撞かれます。
 このお寺の鐘もテレビで聞けると思います。


 何故108回なのでしょうか。
 一般的に言われているのは、人間は108の煩悩を持っておりそれを払うために撞くといいます。
 その他108回については、
 四苦八苦を取り払うという事で4×9+8×9=108という説もあります。
 他にもう一つ説がありますが省きます。

 皆様方には、良いお年をお迎えください。
 そして、来年も谷風便りへの訪問お願い致します。

             

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茨城遊遊(袋田の滝・竜神大吊橋)

2006年12月26日 09時36分23秒 | Weblog
 今日は、朝から雨模様鬱陶しいですね。こんな日はパソコン専科です。

さて本題です。
 旅の2日目(12月6日)、午前8時45分宿を出発。
 地図(カーナビがない)を片手に一般道を進み、午前10時40分袋田の滝に着きました。
 車は、道路突き当りの土産物屋の駐車場に止めました。駐車場整理の人に聞くと料金はただ、よければ帰りに寄ってくださいとのことでした。
 早速滝へ。トンネルを通り観瀑台にでると真正面に滝が見えました。水量は多くなかったですがそれでも迫力満点でした。観光案内本には、ここの写真が載っているので谷風便りでは省略しました。
 その後、吊橋から滝を眺める。(下の写真)。


 そして、吊橋を渡り展望台に出でました。ここでパチリ(下の写真)。


 滝が見えるのはここまで。坂道をくだり駐車場に戻りました。
 駐車場に店の人はおりませんでしたが、仁義とやらで店に寄り駐車料金(通常500円)のほぼ倍のみやげ物を買いました。
 午前11時30分出発、竜神大吊橋に向う。
 途中りんご園が多くありましたが、木にはりんごはなく、開いていたりんご園には、疵物のりんごしかありませんでした。少し遅かったようです。
 正午、竜神大吊橋に着く。


 まずは、吊橋のすぐそばにある水府物産センター二階にあるレストラン「森の風」で昼食。
 小生、定番の天ぷらそば(1000円)を食べました。値段の割には、てんぷらも多く味も美味しかったです。いつもこのレストランで食事を取りますが、安く味もよいオススメの店です。
 竜神大吊橋は、竜神ダムの上に架けられ長さは375mで歩行者専用吊橋としては日本一の長さです。ダムの湖面からの高さは100mです。
 紅葉も少し残っており旅の最後になってやっと紅葉にめぐり合えました。


 午後1時竜神大吊橋を後にしました。
 途中、西山荘の案内看板があり寄る事にしまたが、ごく近くになったところで案内板がなくなり立寄ることが出来ませんでした。小生が悪いのか。これまでも何回となく近くになると案内板がなくなり行けなっかた場所があります。

 その後、那珂インターから常磐道に乗り帰宅の途につきました。
 午後5時無事自宅に着き、1泊2日の旅は終りました。

追記(12月28日)日本一の大吊橋について
 日本一の大吊橋(歩行者専用)は、九重夢大吊橋だと「おっかけ サキ」さんからコメントいただきました。
 早速、インターネットで調べたところ、竜神大吊橋は、現在日本で2番目でした。
 当日もらったパンフレットをもとに記事にしました。訂正しお詫びいたします。
 「おっかけ サキ」さんありがとうございました。
 そこで、罪滅ぼしに九重夢大吊橋の宣伝です。
 九重夢大吊橋は、本年10月30日、大分県玖珠郡九重町に開通しました。
 高さ173m、長さ390mで高さ、長さともに歩行者専用吊橋としては日本一です。


 上の写真が九重夢大吊橋です。九重町ホームページからダウンロードしました。
 詳しくは、赤文字の「九重町ホームページ」にリンクを貼り付けましたのでクリックしてホームページをご覧下さい。
 なお、入場者数は、開通24日後に年間目標の30万人を達成したそうです。
 一度は、行って見たいですね。

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八千代緑が丘のクリスマスイルミネーション

2006年12月23日 10時34分32秒 | Weblog

 今日は、天皇陛下の73歳の誕生日です。ご誕生日をお祝いし雲ひとつない青空で穏やかな日和となっております。

 小生気持ちよく朝のウオーキングを済ませてきました。

さて
 わが町八千代緑が丘にもクリスマスイルミネーションが輝いております。
 特に緑が丘1丁目地区は、昨年にも増して華やかです。
 イルミネーションの写真は、12月19日に撮影したもので、小生の好みで良いと思うものを載せました。


 投稿するにあたり、クリスマスについてインターネットで調べてみました。
 クリスマス(Christmas)とは
 キリストの降誕(誕生)を祝う祭りで、その日が12月25日。
 クリスマスの英語綴り、これはキリスト「Christ」、のミサ「mas」の意味だそうです。
 Xmasとも言いますが、Xとは?興味のある方は、調べられてはいかがでしょうか。


 イルミネーションについて辞書で調べると
 「建物や樹木をたくさんの電灯をともして飾ること。電光飾。電飾」と説明されていました。


 日本では、八百万の神を敬い、お祀りするという良い伝統があり、多くの日本人がクリスマスを祝い、花祭り(釈迦の降誕)を祝い、お正月には神社仏閣に詣でます。
 おそらく外国では、こんなことはないと思います。
 タレントの明石やさんまさんがこんな話をしておりました。
 かって外国(オーストラリア?)へ行った時、空港で偽ブランド密売人と間違われ拘束されたそうです。
 その時持ち物の七福神の図柄を尋ねられ、7人の神様と答えたところ神様は1人しかいないと即座に言われたといいます。一神教のお国柄ですね。


 おひまと行動力のある方は、是非緑が丘のイルミネーションをご覧になってください。
 車でも見て回れます。八千代緑が丘駅から徒歩で4~5分のところです。

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塩原遊遊(もみじ谷大吊橋・竜化の滝)

2006年12月20日 12時41分42秒 | Weblog

 本日午前中、八千代市睦公民館の囲碁クラブに参加しました。
 昼飯は、美味しく食べられました。その理由は・・・・・・・・。

 前回の続き、12月5日(火)
 龍王峡を後に、日塩もみじラインへ。
 以前チェーンなしでこの道に入り雪に苦しめられた事がありました。
 料金所で積雪情報を聞くとないとの事、安心して枯れもみじラインに入りました。
 しばらく走ると白滝(下左の写真)の看板がありましたので見物する事にしました。
 右の雪の積もった道路は、白滝へ行く道です。もみじラインから分流して再び合流するまで200メートル位ですがこんなに積もっていました。
 本線は、おそらく除雪したのでしょう。もうこの辺りへ行くには、雪に対する用意が必要です。


 無事塩原温泉郷に着きましいたが素通り、西那須野・塩原IC近くの千本松牧場まで足を延ばし焼肉の昼食(午後1時~午後2時)を取りました。
 美味しかったですが体重が確実に増えたものと思います。この牧場、特に見るものはありませんでした。
 そして、定番のもみじ谷大吊橋に行きました。もみじがあればと思いました。
 とりあえず写真をパチリ。


 この日最後は、竜化の滝です。この滝は駐車場から少し歩きますがオススメのスポットです。往復40分位です。


 午後4時過ぎこの日の宿に着き、温泉に入り、おいしいお酒を飲みました。
 写真下左は千本松牧場。
 右は塩原の十五夜の月です。酒もたくさんいただいたので、玄関先からとりあえず撮りました。


 次の日の観光については、茨城遊遊でお伝えします。
 是非ご訪問ください。
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鬼怒川遊遊(東武ワールドスクウェア・龍王峡)

2006年12月15日 12時10分30秒 | Weblog
 松坂投手のレッドソックス入団が決まり、本日入団会見がありました。
 大リーグのテレビ中継は楽しみになりましたが、日本のプロ野球はどうなるのでしょうか。心配ですね。

さて本題です。

 12月5~6日鬼怒川~塩原~袋田の滝~竜神大吊橋を駆け足で旅しました。
 旅行は、もみじの季節に予定していましたが、いろいろあり遅れてしまいました。
 我が家を午前6時、車で出発。
 まず、三郷南インターから外環道に入るため松戸方面に向いました。
 この日が丁度15夜、丸いお月様がおいでおいでと30分ぐらい真正面におられました。
 途中、佐野サービスエリアで朝食を済ませ、午前9時すぎ最初の目的地東武ワールドスクウェアに着きました。
 駐車場に車は、1台もありませんでした。休みかと思いましたが、一人2500円也を支払うと入場させてくれました。

 
 東武ワールドスクウェアは、万里の長城、ピサの斜塔、ピラミットなど世界の有名な建築物や遺跡などを1/25の縮尺で再現したテーマパークです。
 お客さんは、皆無に近く写真を撮るには最高でした。パチリパチリと120~130枚撮りました。説明文も撮りたかったのですがメディアの記録数に限りがあり、あきらめました。
 ここに載せている写真のように分りやすい所だとよいのですが・・・・・
 今後、写真と建造物や遺跡の名前を合わせるのが大変だと思っております。
 東武ワールドスクウェアの写真は、何回かに分けて投稿したいと思います。



 午前10時40分東武ワールドスクウェアを後にし龍王峡に向う。
 同50分龍王峡着。
 もみじの季節だったらさぞ綺麗だったのにと少し残念でしたが、この季節にはこの季節の味わいがありました。下の写真は、虹見の滝と龍王神社が写っています。


 龍王峡にもワビサビ(侘びしさ・寂しさを超越した)の景色がありました。


 とは言っても、長居は無用と午前11時30分早々に塩原方面へ向け出発しました。
 この続きは又投稿します。是非、谷風便りへの訪問お願い致します。
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本埜村に白鳥が飛来していました

2006年12月12日 09時53分39秒 | Weblog

 12月2日、久しぶりに甚兵衛沼を覗いてみました。
 釣友が、ぼちぼちとへら鮒を釣り上げていました。
 彼の話では、今年のヘラ鮒の放流はないとのことでした。永年管理していた沼主(通称じいちゃん)が昨年から入院しており、管理釣り場の営業をやめるつもりのようです。
 30年近く通い続けた釣り場がなくなるのはさびしいですね。


 甚兵衛沼の土手から、毎年白鳥が飛来してくる田圃を見ると早くも白鳥がきておりました。早速そばに行き写真を撮りました。


 まだ、数は少ないですが今年も来てくれたのですね。本埜村の小さな田圃に迷わず来るのは不思議です。動物的勘でしょうか。


 下の写真は、日医大千葉北総病院のドクターヘリと正面入り口です。甚兵衛沼に行く通り道ですが、つい数年前まではほとんど人家はなく、樹木のおおい繁る田舎そのものでした。今では、団地ができスーパーまであります。


下の写真は、病院の正面ガラスに写った団地のビルです。この日初めて映っているのに気が付きました。そして素晴らしいなと思いました。


 たぶんこのビルが映っているものと思います。このビルの屋上が舟のような形なので、何時も見ながら通り過ぎておりました。


 日医大千葉北総病院が出来て良かったと思っております。
 本家である東京千駄木の日医大病院の救急救命センターは、24時間いつでも手術できる体制が整っており日本一だと思っております。
 しかし、いつも思うのですが、人口が減少しているのに、なぜ野原や林が壊され家やビルが建つのでしょうか。

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谷風便り開設1年・谷風便り由来

2006年12月07日 13時57分04秒 | Weblog

 昨年11月30日谷風便りを立ち上げて1年が経ちました。
パソコンのご指導をいただいているK・K先生はじめパソコン仲間の皆さんの励ましで、この日が迎えられ感謝しております。
 また、ご閲覧いただいた皆さんの応援があってこそがんばれたと思っております。

 この機会に、谷風便りの名前の由来について詳しく述べてみたいと思います。
 今は亡き兄が、平成4年4月広島の片田舎にある実家の裏に観音堂を建立しました。(下の写真がその観音堂です。)
 京都教育大学で教鞭をとっていた頃、大谷大学のサマースクールで仏教の勉強をしたようですが、そのとき何か感じるものがあったのでしょうか。
 我が家は、父が神主をしておりましたし、兄が建ってた実家には神棚がちゃんとあります。遺言には、兄弟だけで送って欲しいと書いてありましたので、当然神道の作法で送りました。


 兄は、観音堂の建立にあわせ谷風(こくふう)便りの発行(毎月18日)を始めました。
 下が第1号の一部です。谷風の意味など書いてありますのでお読みください。


 谷風便りは、B4版に手書きで作成、知り合いの方などに配布しておりました。
 内容は、仏教の話(特に観音様、般若心経)が主で、その他、家族の話、子どもの頃の思い出、自分の考え主張等でした。兄の専門は、英文学でしたがその記事はほとんどありませんでした。
 小生にも郵送してきましたが、原本が残っているのは、下の1部だけです。
 第69号です。この号も検査入院予定なので早めに発行するとの断り書きがありま
す。

 絶筆は、平成10年2月9日発行の第70号です。
 第70号抜粋(概略)
 昔、母が聞いた話として「病気はいいものだ。神様が下さったお休みとして、しっかり養生しなさいヨ」と話してくれました。たぶん私が熱病で3ヶ月あまり高校を欠席した時、私を励ますつもりで聞かせてくれたものと思います。   
      ~略~
 病気をしたことのない人に病人の気持ちは分らないと昔からよく言われますが、まことにそのとおりだと、この頃シミジミと思います。
 病人にも病の苦しみと、それ以外のフツウの人の持つ感情や欲望やワガママがあります。私は今、すべてのお医者さんが一度は大病の経験者であってホシイと思います。ケンコウな先生は、ただ身体的病気を治すことだけに専一になって、人情が分からなすぎるのではないでしょうか。それは、専門家としてみごとなことですが、お医者さん自身にとっても人生の不幸と言えるかもしれません。(それは、大前提として、自分が人間であることを忘れているからです。)
      ~略~
そして、末尾のお知らせで
 二月中旬に再入院予定なので、今号も早く発行しました。と記されておりました。

 白血病で入退院を繰り返しておりましたが、70号発行直後再入院、ふたたび家に帰ることなく、この年の9月肝臓癌も併発して亡くなりました。

 下の本は、兄(広島女子大学)の研究室で、ご一緒だったT先生が兄の死後編集して下さいました。(上の観音堂の写真、第一号の記事については、この本からコピーしました。)
 T先生は、あとがき
 谷風便りが始まって間もない頃「まとまったところで本にしましょう。その時には、お手伝いしましょう。」とお話になったと述べられております。
 その約束を守り立派な本を作っていただきました。お礼申し上げます。
 T先生は、小学生のころ小生の頭をバリカンで刈ってくださった校長先生のお孫さんとか、縁とは不思議なものですね。


 そんな訳で、内容は全然違いますが、谷風便りの名前を引継ぎ使っております。
 今後も、兄の執筆した谷風便りの内容、兄の死亡前後のことなど記事にしたいと思っております。

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鹿島神宮その2

2006年12月04日 13時06分31秒 | Weblog

 今朝は、寒かったですね。ウオーキングに出るのを躊躇しました。

さて、鹿島神宮その2です。
 11月13日(月)鹿島神宮にお参りしました。
 大鳥居をくぐると菊花展が開かれておりました。素晴らしい菊を見ながら進むと楼門(下写真正面)があります。楼門は、国の重要文化財に指定されており、寛永11(1634)年黄門さまの父君徳川頼房公が奉納されました。
日本三代楼門の一つだそうです。


 楼門を通ると右に拝殿があります。神社のほとんどが鳥居―楼門―拝殿と一直線になっていますが、鹿島神宮は、右側にあります。かって小生、行過ぎそうになったことがあります。


 下の写真が本殿です。拝殿の奥にあります。屋根の上には、千木があります。


 拝殿でお参りをすませ、杉の大木の間を奥に進むと鹿園があります。鹿は神の使いとされ、サッカーJリーグの鹿島アントラーズ(鹿の角)の名前もここに由来しております。
 更に進むと奥宮(下の写真)があります。奥宮は、慶長10年(1605)年徳川家康公が奉納されました。


 更に進むと要石があります。要石は地震を起こす大なまずの頭をおさえていると言い伝えられてます。
 黄門さまが要石の根本を確かめようと七日七晩掘りましたが、掘れどもその穴が朝になると元に戻ってしまい確かめる事が出来なかったといいます。

 松尾芭蕉、小林一茶もこの地を訪れ句を詠んでいます。
  この松の 実生せしや 神の秋  芭蕉
  大地震(おおなえ)に びくともせぬや 松の花  一茶

 皆さん、剣豪塚原朴伝を知っていますか。朴伝は、鹿島、香取神宮で剣の修行を積み、武者修行のため鹿島立ち(本来の遣い方と少し違います。)をしました。
 かって本で読んだ小生の記憶ですが、鹿島から成田街道をのぼり薬円台付近で農家に押し入っている盗賊を懲らしめたのが最初のエピソードだったと思います。
 講談の定番は、朴伝が食事中、若き日の宮本武蔵に切り込まれ囲炉裏端の鍋の蓋を盾にして防いだという逸話があります。しかし、両者の生きた年代が少しずれているそうです。
 鹿島神宮は、日本を代表する神社です。初詣にお出かけになってはいかがでしょうか。
 小生、鹿島神宮、香取神宮、成田山をハシゴしよと考えています。

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