引頭佐知(いんどうさち)の料理ブログ

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母とだし。煮干し篇

2008年05月31日 | 天然出汁とのめぐり合い

わたしの母は、食材の買い物と読書以外は、

ほぼ1日中を台所で過ごし、料理をしている人でした。

1日中料理をするというと、

やさしいおかあさんのイメージがありますが、

「おかあさん」、というよりは料理作りが

仕事のような人でした

.

母の買い物の手伝いで商店に行くと、

ときどき尋ねられたものです。

「おかあさんの、お店どこにあるん?」と。

「おかあさん、何屋さん?」

「お母さん、お菓子屋?」というのも。

わたしが「なんでね?」と聞くと、

「うるさいんよ。

品物の選び方が。

普通の主婦には思えん」

.

今思うと、本当にそうでした。

たとえば、煮干しを買ってきたとき。

テーブルに、広告のチラシの裏の白い方をパー-ッと、ひろげ、

袋から煮干しをあけ、指の先で払うようにして山をくずし、

手早く、少しづつチェックしていくのです。

そして頭とはらわたを取っていきます。

.

そばで聞いていると、

「ああ、だめだ!

わーー、失敗。

もう、00(店名)はやめた」

とがっかりしたり、

それでも捨てるわけにはいかないので、

悪いのをていねいにはねたり、

「あーー、今日のは、触ったときからわかった、

いいわ」

「からからに、よぅ、乾いとる」

とか、言いながら選別し、

紙に落ちた小さなごみを掃除してから、

(*ゴミは、庭のちしゃ(サラダ菜に似た味の葉)の肥料に)

1~2本つまみぐいし、

「うん、いいわ」

わたしにも

「どう?」

と、味見をさせるのでした。

.

どう?といわれても、

子供のわたしには、おいしい以外の適当な

形容詞も浮かばず、

見た目で、

「うん、この間より、銀色が(皮の)きれいな気がする」

などと、適当に、こたえていました。

月に数回の、日常的な作業ですから、

いつものことと、別に気に留めていませんでしたが、

煮干しの見方は、

腹の部分が銀色に光り、目玉も透明感があってきれい、

乾燥状態がいいと、さわると軽い、

食べても生臭みがない、

ということも、少しはわかるようになって

いました。

尾道のことですし、母のことですから、

腹が脂焼けして酸化し、黄色味を帯びている

なんてことは

なかったような気がします。

母がはねていたのは、うろこが落ちている煮干し、

身割れした煮干しだったのでは、と思っています。

これは、もともと鮮度の落ちた鰯を加工し

たときにあることです。

.

掃除した煮干しは、缶に入れて保存していました。

しょっちゅうではありませんが、

習字の半紙の中央に掃除した煮干しをおき、

そのまま缶にスポッっといれていたことも。

乾燥剤がわりだったのでしょう。

.

そう、煮干しだけではなく、だしは、海苔の缶に入っていました。

東京・日本橋の山本山の海苔の缶。

あのロゴをみると、母の「だし」への手間のかけ方を思い出すのです。

.

母と「だし」。

続きます。

.

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