波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

       思い付くままに   「ハローウインに思う」    

2016-11-03 10:17:56 | Weblog
今年もこの時期が来たことを知らされた。ケルト人が秋の収穫祭をかぼちゃのくりぬき仮装をつくって各家を回り、そのお礼にお菓子をもらうという風習らしい。
私はこのお祭りを読みながら小さいころを思い出していた。戦後東京から疎開で田舎へ帰り、そこのの秋のお祭りで神社へ行ったのだ。そこへは小さな出店が並びにぎやかに飾られていて小さかった私にはどれほどの喜びをおぼえたことか。特別に買いたいものとか、ほしいものがあったわけではないが、その好奇心と雰囲気が太鼓の音共に心を掻き立てられて、どれだけわくわくしたことか、80歳になった今でもそのときの興奮を感じられるのだ。
それが小さなビー玉だったり、めんこだったりしてもそれは私には宝だったのだ。
東京の中心で若者が仮装をしてくるまで乗り回して差沸いているのを見ていると、それほどの純粋さは感じられない。単に目立ちたい、騒ぎたい、こちらを向いてもらいたい。そんなありきたりの行動を見るとき、ただただむなしさと、浪費のエネルギーの向け先をかなしくおもうだけである。日本にも文化に基づいたそれぞれの行事が残されている。それらはそれぞれに目的もあり、喜びもたのしみもある。それらを大事にして伝統を守ってもらいたいものだと思うのだが
、さて11月に入り、急に気温が落ちて冬近しの感が近くなった。
我が家はお天気の良いときは朝から部屋いっぱいに日光が差し込み、温室並みになる。このなかで聖書を読みその日の予定をはじめるのだが、このときほど幸せを感じるときはない。
(雨天のときもあるが、)
一日、一日を祝福と平安に恵まれて過ごす事ができるほど幸せなときはない。毎日が神と共にある日をもつことこそ、何にも代えがたいことを知らされている。