波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「 お見舞い」

2015-04-08 16:19:57 | Weblog
手術が終わって2日後落ち着いた頃を見計らって病院へ行く。玄関前の桜が見ごろで院内の患者さんが車椅子で花見に出ている光景も見られた。
面会は時間が規制されているのはもちろんだが、名前や時間の初めや帰りの時間まで厳重にチエックされる。面会者も殺到して行列が出来るほどである。
当人はまだ身体に数本の管をつけて窮屈そうであったが、元気で迎えてくれた。
前日までは様々な後遺症や傷の痛みで身体の不自由さがあったが、日に日に楽になり、今日は楽になった機嫌もよさそうでほっとする。一通りの話が終わると余裕が出てきたのか、院内の様子を話始めた。入院患者はその殆どが70歳前後の高齢者で占められていて
若い人は居ないとのこと、そしてその大半が部屋に閉じこもったままの(4人部屋)状態で何をすることも無く過ごしているのだという。その光景は病院とはいえ、あたかも何かを待っているような雰囲気が漂い、不気味でさえあるものを感じたという。
人間は環境によってその人生の生き方が影響を受けることは仕方が無いとしてもその内側にある精神的な面は各々違っていても良いはずである。
その身体の状況にもよるが、可能な限り、気力、体力、知力を働かせてその日の時間を大切にしたいと思うものだ。
一人暮らしの生活も考えようによっては入院生活と変わらないと思えるが、その時間の考え方や過ごし方、使い方によってはいかようにも変わる気がする。
つまり考え方で方向を変えることはいくらでも出来る気がする。違うのは正しい道を考え付くこととそれを実行する意思を強く持つことであろう。意思が弱いとその環境に負けるか、気力がなえて惰性に流れやすくなる。何も考えない何もしない、ただ無気力に時間を過ごすことが寂しさと孤独の中に追いやること事になるのだ。
どんな環境におかれても、この一日を大切にどのように過ごすかを生きがいに生きることを取り組むことこそ大事なことなのだと思う。
そして「継続は力」の言葉通り、「継続」から力を得ることが大事だと思っている。