波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに

2011-08-25 15:59:53 | Weblog
人生をあまり深く考えている人は少ないかもしれないし、そんな必要もないのかもしれない。毎日が楽しく、必要なものが備えられていればそれで充分と言うことであまり気にしている人は居ないだろうし、そんな暇はないかもしれない。
若いときは面白おかしく、年をとってくれば、それなりにたくわえが出来ていて、非常時に備えが出来ていて、余裕があれば
セカンドハウスを楽しみ、環境を整えることだけを考えながら楽に暮らすことを考えるのが、普通だろう。
もちろんその前提としてまずは自らの健康であろうか。健康であって、何でも好きなことが出来て、ほしいものが手軽に手に入る環境であれば人生にあまり不満はなく、何も考えることはないかもしれない。。
しかし、本当にそうだろうか。その状況の中に置かれたら、何の不満もなくすごせるのだろうか。(残念ながら自分自身はそうではないので、不安の中にあるのだが、)今のような人から見れば幸せだろうなあと思われる人にとっても、この世に生きている限り、不安や不満がないということはないのである。(むしろ人から見れば不幸と思われる人より、さまざまな重荷を負っているかもしれないのだ。)つまり人間はこの世に生きている限り、これで満足だと言うことにはならないのだと思う。
こんな言葉がある。「わたしは自分の置かれた境遇で満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも知っています。
満腹しても居ても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合でも対処する秘訣を授かっています。私を強めてくださる方のお陰で、私はすべてが可能です。」
この言葉の背景には人間を超えた大きな力が働いていることが分かります。
人間の出来ることの限界を知らされるのです。弱さの中にこそ大切なものが隠されていると考えなければなりません。
しかし、人間は弱さの中におかれると絶望を覚え、そこから這い出ることが中々難しいのです。
けれどもその弱さの中かにこそ本当の力を知らされるときであり、強さを身につけることのできるときでもあるのです。
「苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を与える」と言う言葉もあります。そればその人なりに苦しく、あるときは悲しく、
つらさを伴うものであるでしょう。一人では耐えられず、負けてしまうこともあるでしょう。しかし、人間を超えた大きな力によってそれを乗り越えられたとき、そこには大きな愛の力と希望を持つことが出来るのです。

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