波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            思いつくまま   ボリビア

2009-11-18 09:19:14 | Weblog
私の知人のS氏はボリビアで10年以上仕事をされていた方で、以前にもお話を聞いたことはあったが、その内、興味と関心が強くなり、先日お話を聞く機会を得た。(ボリビアがどこにあってどんな国かご存知でしょうか。私自身話を聞くまで全く知識がありませんでしたが)
ボリビアは南米のほぼ中央に位置していてその面積は日本の約三倍と言われている。世界でも27番目の大きさである。人口は約一千万人。
国の中央にアンデス山脈が南北に連なり、首都ラパスは空港を降り立った所が標高4030mと表示されている高地である。(富士山より高い)
当然ながら空気が薄く酸素不足(平地の約60㌫)の為に頭が痛くなったり、息苦しくなる人がでる。つまり国全体が高いところ(山岳高地の4800m)から低地の(2000m)だから、普通には想像が難しい。
まして赤道からそんなに離れていない熱帯に属しているので、一日の気温の差が激しく40度にもなると言う。(日本ではせいぜい10度くらいか)
つまり朝のうちは春で20度、昼になると一気に30度を越え夏になり、夕方になると秋の温度の15度くらい、そして夜中になるとマイナス20度と真冬を感じさせることになる。S氏の住んでいた宿舎の屋根はトタンであったが、朝になると
「チン、チン」と言う音で目が覚める。最初は何の音かわからず、不思議に思っていたが、それが夜のうち寒さで縮んでいたトタンが温度の上昇と共に伸び始める音だったとのことでした。この国には色々な地下資源が産出する。最初に開発されたのが、スペイン人のインカ帝国征服後に発見された銀鉱脈に始まり、19世紀に入り錫開発は半世紀にわたって行われた。S氏もこの鉱山業に従事していたのだが、その産出は銅であった。事ほど左様にボリビア輸出の99㌫が鉱物資源であった。
その他にも現在は石油と天然ガスの埋蔵が確認されている。
S氏は昭和40年代に現地に行ったのだがS氏のほかにも10名近い人が派遣されている。その中には日本を離れる時、地元の人に「万歳」で見送られ家族と「水盃」までしてきたと言う人もいたらしい。着任して挨拶の時、身体には自信があると胸をはって自慢をしていた、その人が一ヶ月もしないうちに元気がなくなってきた。何しろ、電気も無い(発電機)、テレビも無い、電話も無いという所である。
日本が恋しくなってノイローゼになっても不思議ではない。「あまり神経質にならず、のんびりやればよいから」と励ましていたが、頭が痛い、息苦しい、食事も取れないようになって来た。チャカリヤというこの場所は首都ラパスから300㌔近く離れている。通信は一日2回だけの無線電話だけで、それも日本語は使用できない(反政府活動とみなされ、無線も禁止されるため)
しかし、生活のための現地人用の病院、学校、教会、物品支給所はあった。
S氏はこの人をラパスまで連れてゆき、医者に見せることにした。