波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

       波紋     第80回

2009-04-03 09:20:10 | Weblog
窓外に見える景色がすがすがしく、始めて見るように新鮮だった。そのうちに現役時代の感覚が戻るかのように昔のことが思い出されてくる。静岡は特に思い出が深かった。そこには日本一のマグネットの工場があった。海沿いのある工場まで山を越えて行くのだが、ある時はバスで、ある時はタクシーでそして業務用の車であったり、様々であったが、先方の方々との話を学びながら、自分自身も準備をして、対等に話が出来たことが嬉しかった。それはユーザーとベンダーとの関係ではなく、個々の立場での意見交換の場でもあった。私たちの人生には何回会っても、何の影響も痕跡も与えない人が多い。しかし、一度その人と会っただけなのにその人の痕跡が私の人生に刻み込まれる相手もいることを思っていた。
大阪も懐かしい。途中下車して降りてみたい衝動にかられた。何しろ営業所があり、頻繁に来ては話をしたものである。表向きは会議だが、半分は遊びのようなところもあった。何しろ、あの頃は日本も成長期であり、どの業種も活気があった。時代と共に次第に厳しくはなったが、ものの流通は止まることは無かった。
岡山へ着いたのは午後の夕方に近かった。今日はここで泊まることにしていた。
翌日工場の近くのレストランでひるを一緒にしながら話をすることにしていた。
一人での夕食はわびしかったが、誰に気を使うことも無く、のんびりとしていた。
そして、又何時しか昔を思い出していた。小林の両親は岡山であり、自分は東京生まれであった。疎開で中学、高校をを岡山で過ごしたのだが、その時一人の女性が記憶にあった。同じ、東京からの疎開で一緒になったが、どこか都会のにおいがして、気を引かれたのである。その後同窓会で何度か会うこともあったが、結婚もせず、独身をつづけていた。そのまま地元の商社で過ごしていて、いつか話をしたこともあったが、あの時、何故、「付き合ってくれませんか。」と言えなかったのか、自分の臆病さと幼さが、悔やまれた。「元気で、いるかな。もう70は過ぎているのだが、あの人はどんなおばあさんになっているだろう。」昔のイメージをかぶせながら、想像してみる。このまま思い出の玉手箱にしまっておこう。
翌日は、秋晴れの快晴だった。岡山から在来線で途中まで行き、タクシーに乗り、工場の近くまで行く。其処には工場が分散して三つあった。
話では、その工場も一つしか残っていないと聞いていたので、その後を訪ねてみることにした。