波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「春節、そして台湾」

2019-02-11 11:06:47 | Weblog
嘗て(約30年前になる)アメリカ、そしてドイツ、フランスを仕事で周ったことがある。どこもが初めてであり、訪ねるところは都会ではなく工場のある地域であった。言葉が話せなかったという不便さに加えて食事も日本食とはいかなくて困ったことを覚えている。そんな時目安になるのは「中華料理」の店であった。小さな町であれば、探すと必ず見つかり、中華料理で日本食に近い食事が出来てほっとしたことが今でも忘れられない。現在ならおそらくよほどの僻地に行かない限り、さらに増えていることだろう。それほどに中国人の世界進出は大きいと思う。そんなことを思いながら「春節」を迎えて改めてお正月を考えると、かつての日本のお正月風景をこの春節が思い出させてくれる気がしている。知人に華僑で同業の方が赤い小さい袋にお金を入れて春節に台湾へ行くことをとても楽しみにしていた。何しろその数何十袋にもなっており、どこへ配るのかと聞くと家族はおろか、遠い親戚の小さい子供にまで一人一人配るのだと説明していたが、今でもそうなのであろうか。私にとって台湾は忘れられない国でもある。
サラリーマンになって間もなく仕事で台湾との取引を始めるチャンスが巡ってきた。想像もできないことであり(40年以上前)若かったので夢中であった。仕事は準備されていた通り順調に進み、私は初めての外国ですっかり舞い上がっていた。予定の1週間はあっという間に過ぎ、気が付いたときは明日帰国になっていた。帰国前夜も遅くまで過ごしホテルへ帰ってから「日本へのお土産」を用意することをすっかり忘れていた。
ホテルは台北の駅前にあったが、階ごとにフロアーサービスがいた。私の階についた女性は日本語が堪能な人で(台湾では日本語で不便はない)事情を話してお金を預けて寝ることができた。翌朝忙しく身支度をして帰国、ほっとして家で土産物を開けると、台湾名物のケーキや飾り物のほかにプラチナの指輪が入っていた。一瞬戸惑ったが妻に黙って渡しておいたが、この指輪は本当に土産でよかったのか、今でも謎である。(台湾にそんな習慣があるのか、それとも彼女に何か思惑があったのか、)
今ではお正月の内容も変わっているのだろうが、家族で祝うこの春節は家族で祝うイベントとして楽しんでいることだろう。
台湾の食事も日本人には味も優しく私はその中でも「おかゆ」と「びーふん」が忘れられない。