波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「絆」

2015-05-27 09:28:08 | Weblog
2年ほど前に流行語になったほど、毎日この言葉を聞いていた気がするのだが、最近は稀にしか聞かなくなったきがする。では人の心に「絆」は失われてしまったのだろうか。
否、はじめから無かったのだが、何いtかのきっかけで使ってみただけなのだろうか。
私は最近この言葉に心を惹かれている。辞書にはこの言葉の意味として「物をつなぎとめる綱」「断ち切りがたい気持ち」のこととあった。しかし、この言葉の延長には、さらに
「信用」「信頼」「誠意」という言葉につながるような気がしている。
つまり現代のこの世の生活においてこの言こ葉が本当の意味で生きている場面がどれほどあるのだろうかと思えるからだ。いこの言葉が目に見えて示されれば人はこれを信じるし
説得力も出てくるが、しかと目に映り、残るものではない。これが絆だと示すことは難しい。辞書の言葉にあるようにこれが心と心をつなぎとめる綱であると言うものが生かされ
断ち切りがたい気持ちで交わりを持つことなどは、あってもほんの稀なことであろうし、多分に自己本位のことでしかないのではと自らを省みて自分自身で反省せざるを得ない。
そして自分自身原点に立ち返ることからはじめなければと思うのだ。
何もそんなに大げさに考えることではない。どんな人でも人と人との交わりにおいて
どれほど自分の思いよりも相手の思いを十分に理解し、尊重しているかと言うことである。聞くことにしてもはなすことにしても自分中心ではなく、まずその場面、場面においてどのような交わりが出来るかで決まるのである。つまり心と心をつなぎとめることを考えつつ、それを行動にあらわすことであろうと思う。
聖書には悲しむものと悲しみ、喜ぶものと喜べとあるが、まさにこのことをさしていると思う。そしてその言動こそが絆を生んでいくのだと思うべきである。
人間関係はこの世にある限り続くのである。誰でもいつでも何処でもこのことを原点としなければ本当の「絆」は生まれてこない。
目に見えない力こそ大きいものであることを改めて知らされている。