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九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

青年植益との朝練

2020年01月09日 12時12分33秒 | Weblog

大学生の植益が授業があるので、朝練習しましょうと昨夜連絡があった。

しかし朝起きると雨。

そこで雨降ってるぞと連絡入れると、小雨なのでやりましょうとやる気満々。(1月末に大学のレースがあるらしい)

俺的には今日は辞めようかと思う気持ちで一杯だったのに、気持ちを入れ替え付き合う事にした。

バンクは雨で濡れてるが風はほとんど無く寒くもない、でもバンクが濡れると滑りそうでビビってスタート。

アップを始めると何となく脚は重く心拍も今一つ上がらない、それに昨夜からギックリ腰になる兆候がありやばい。

2回目の周回で心拍も安定してきたが、何時もよりは重い感じ、でも少しずつ足も動き出し、腰もましになった。

3日目の周回で何とか動きだした感じがあり、ラストの周回に速度を上げると青年がまくりの体制に入ってきた。

バック側で並んできたから合わせると、そのままゴールまで逃げ切った。(初めて合わせられた)

ここで粘れたと言う事は、これからの練習に非常にいい感じで進められる。

植益青年は、週末鈴鹿で行われたイベントに参加して成長したと実感したらしい、45kmで走る集団でも楽に走れ練習の成果が出てますと言う。

と、言う事は俺もそれなりに走れるようになっているはず。

いや待てよ、ここで勘違いをしてはダメだ。

走れ無い選手が冬の間に、走れるようになり今年は調子がいいと発言するのを選手時代に多く見ていた。

今の俺、青年達とそれなりに走れるが、がそこまで強くは無いはず、強度が上がり、速度が増せば、今の力だと話にならないことぐらいわかる。

まだ本格的な練習には入っていない、基礎的能力はついてきているのは確かだが、後数か月はかかるだろう。

その為には一流の速度を持つ森口の力をうまく使う必要がある。

練習を終えた植益は爺ちゃんに乗せられ学校に向かった。

 


戦争はやってはいけない

2020年01月08日 18時40分43秒 | Weblog

イランには多くの教え子や、兄弟と言える仲間が沢山居るし、イラージュが4日の便でイランに向かったところだ。

以前イラージュと、イラクの国境近くに行った時、かまぼこ型のテントがあり中に入った。

そこは戦争で闘った人や、戦争の悲惨さを忘れないために設置されたものだった。(戦争はしてはいけないと言っていた)

イラク国境付近では警察より、自衛団等の民兵が家族や国を守っている、日本では考えられないような光景だった。

80年から88年、イラン、イラク戦争を体験したイラージュ。

当時学校に軍人が来て、家族を守りたいなら戦え、志願するなら家族に別れを言って来いと言われ、そのまま軍隊に入り戦地に向かった少年達が多く居たんだよと説明してくれた。

俺はアメリカに入国が出来ない、理由はイランに行ったことがあるからだ。

それをイランの選手に行ったら、イランは危ない国と思われてるんだ。

最初にイランに行く時は皆そう言った。

俺も大丈夫かなと思って行ったが平和そのもので驚き、純粋な子供達や親切な大人たちに感心したほどだ。

る時選手が、アメリカとイランどちらが危険だと思う?行った事ある監督だからわかるよねと言われた事がある。

アメリカは銃を持ち夜は危ない、イランは夜中でも公園で家族ぐるみでお茶を飲んでるし、一人で歩いても大丈夫。

そんなイランが俺は大好きだ。

その後、イラン国家チームの監督に就任、制裁もそれほどでも無く平和だった。

2年前もそれほどでも無かったが、経済制裁の余波は色々な所に表れ始め、トランプのせいで遂に俺までイランに行けなくなった。

選手達にも影響があり自国のチームが無くなり職が無くなった。海外に出ている選手も居るが生活は困窮している。(物凄く強いのに)

最近はガソリンの価格が上がり暴動も起きているらしい。

のんな中、アメリが革命軍の英雄を殺害した。

アメリカとイランの緊張は最大限に高まっているが、戦争を回避する事を願うしかない。

 

 

 

 

 

 

 


カザフスタンからの着信

2020年01月04日 20時33分53秒 | Weblog

12月31日海外からの電話がかかってきたが、直ぐに切れた。

2回目、ロシア語を聞いた瞬間にSergeyからだと確信したが切れた。

3回目で、Sergeyが俺の名前を呼んで、ハローと言った後は、ロシア語で嬉しそうに話す,声のトーンで元気とわかるが、ちんぷんかんぷん。

SergeyはキルギスタンのTTチャンピオン、その力を買われカザフスタンに親を残し移り住んだ。

少しでも裕福になる為に国を変えるなんて俺達にはわからない。

家族の為に外貨を稼ぎ母国に持ち帰る指名、腹減りはチャイに砂糖を入れて紛らす、武骨で余り話さない、旧ソビエト時代の秘密主義が染みついた男だった。

ロシア語しか話せないがチームメートのオギ(モンゴル人)がロシア語が出来たので意思の疎通は出来た。

ある時ウッカを飲んで酔っ払い、一気に仲良くなって打ち解けた。(さすが酒の力)

知らない国、カザフやキルギスの事も色々聞いたし、ロシア語も習ったりした。

使わないポットがあるからプレゼントすると、自動でお湯が出るのに感激して、ホテルの廊下でお茶会を始め自慢していた。

使わなくなったユニホームや部品をあげると、自国に持って帰えって、ジュニア選手にあげるんだとバックに詰めた。

何でもある俺達は物の大切さを教わり、何でもある生活を考えさせられた。

sergeyとは自分が怪我で、レースから離れている間にカザフに帰国したから、最後がどのような状態だったかわからない。

一緒に居た、ウズベキスタンのモミノフは韓国まで一緒だったらしいが、モミノフは国に帰るお金が無いから韓国に住み着いた。

その後モミノフは連絡してきた(10年後、今は韓国語バリバリで国に帰っていない)

Sergeyはカザフに帰国して一度手紙はもらったが、その後は音信不通17年。

カザフの知り合いに所在を聞いたが皆知らないと言うから、もう連絡はつかないだろうと半ば諦めていた。

そんなSergeyは今。カザフでコーチをして選手を育てているとの事。

家族もバラバラになって無いから一安心、お互いが元気なうちに会ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 


調子の波が戻って来た

2019年12月29日 14時09分45秒 | Weblog

昨夜、練習に行きましょうと植益から連絡があった。

今一津調子が悪いから気乗りしないが、強くなりたい青年の誘いだから、

今朝競技場に向かった。

何時ものように、30周の周回、速度を40kmまでにしてアップ完了。

走り終わると、疲れてると言う植益、俺は調子が戻っ感じだ。

今日の練習には城本さんの弟子2号と3号も参加。

2回目は20周、身体も動き出し植益も速度アップ、弟子2号も足が回ってる、3人の力でラストの5周は高速巡行。

3回目20周回、次は弟子3号の高校生が入るが、走行ラインを真っすぐに走れないし、バックは踏むむから、後ろに居る俺は足を使うし怖かった。

休憩の合間に指導。

真っすぐ走る事、身体の緊張を無くしバックは踏むなと色々と注意した。

そろそろ今日は練習終了かなと思っていると、後20周行きましょうと植益が言うから、しゃーないなと言いながら重い腰を上げた。

それを聞いた弟子2号、足が一杯でキャンセルさせて下さいと言い出した。

横を見ると大学生が居て声をかけるが、ついていけないから無理ですと言う。だからお前は何時までたっても走れ無いんだよと植益が叫ぶ。

回りを見ると弟子3号が突っ立ってる、なんやお前もう帰るんか、準備しろ周回行くぞと声をかけたら、嬉しそうに良いですかと答えた。  勿論だぜ。

弟子3号よ、基礎練習無くして力はつかんのだ、誰でも初めは弱い、練習で強くなるんだ。何の種目でも走しれるように鍛えあげろ。

行くぞ少年と振り返ると(寒いのに一人だけ夏のようなユニホーム)さすが風の子。

残り10周で速度が上がる、弟子3号は切れるだろうと思っていたが、粘っている。(やれば出来る)先頭に出た時の速度も遅くない、それに走りが綺麗になっている。(若いと神経がいい)

ラスト1周の先頭は弟子3号、必死に速度を上げようとする横から俺が先行体制に入る、バックの向かい風で植益が並んできたが簡単には抜かせない、ゴールの直線までもつれこんだがタイヤ1本差で刺された。

今日はこれぐらいで許したろ。

 

 

 

 


年末だけど練習

2019年12月28日 19時28分10秒 | Weblog

周回を始めると、競輪学校から冬休みで帰ってきている生徒達も混ぜてくださいと練習に入って来た。

現役の国体代表、元チームパーシュート全日本チャンピオン、競輪学校生徒、来期競輪試験を受ける選手、インターハイチャンピオン、に大学生、初老の親父(経歴は誰より上)で400m30周回、20週回、20周回、10周回。

アップの速度がアップじゃない、周回が進むにつれて速度がまし、大学生が切れて行った。

空気抵抗が少ない後ろでもキツイ速度、何とか最後まで我慢したが、メンバーが良いと速度維持も半端じゃない。

この1本で森口の足が一気に止まった。

一番強い森口、格下相手との練習なら楽かと思ったが、速度を上げる機関車役だから疲労が蓄積していたのだ。

洗礼を受けた大学生、まさかアップで切れるとは思って無かったみたい。

聞くと昨日100kmロード練習したんですよと言うが、ふーんーーーーと聞き流した。

その前に基本的な練習が足りてない、走りを見ればすぐにわかる、頑張りなさい。(現役選手がオッサンに負けたらいかんやろ)

2か月前に練習を再開した時、まさかオッサンが、れほど走るようになるとは思っても居なかった青年達。

ひたすら基本練習で弱い部分を補う練習、古臭い練習法に一見みえるが超科学的、理論に元づき自分が学んできた世界のトレーニング学と経験を存分に使って能力を伸ばしていく。

森口は俺が練習してることを知り、自分もお願いしますと来るようになり、一度辞めて訛った身体を戻していくが、時間の問題で一気に強くなるな。

これを見て、植益も練習に参加させて下さいと言い出し、最近よく一緒に練習をするようになり、皆の力が付き始めた。(植益はその効果に驚き)

休憩時間は非常に重要な話をた沢山してる、何故基礎練習が大事なのか、講釈をたれて、行くぞと行く気持ちで練習に入る。

後もう少し、俺の花粉症が始まる前にある程度速力を上げようぜ。

 

 

 

 

 


調子よくなれ

2019年12月26日 22時42分39秒 | Weblog

余りに調子が悪かった月曜日、家に帰ってきても、それほど疲れていると言う自覚症状は無かったが、田上にマッサージを頼んだ。

何時ものごとくベットに寝ると、バリバリに張ってる背中、腰、尻、ありとあらゆる所が張っている、でも揉まれた感じだと、このぐらいの張りで足が回らなくなるはずは無い、、、、、、と言う感じだ。(何処かの筋肉が動いていないのだろう)

背骨が緩んだ、鈍いボキボキと言う音、これが鳴り股関節を抜いて調整完了、後は調子が戻ったかは実走しかない。

今回の原因を考えて見ると、先週土曜日の練習か。

次第にきつくなる練習の最後、尻の筋肉が張り、身体が動かなくなっていく感覚があった。

多分、あの瞬間に筋肉が固まったのだろうが、あれぐらいの負荷で筋肉が硬直したのでは、練習レベルを上げられない。

年を取ると回復が遅れるって、全く考えてない、練習で負荷に耐えれる身体を養えば回復も調整可能になる。

青年達のパワーを利用して速力をあげてきた2か月間、年齢差はつまらないが、力の差は少し詰まった。

普通では、このレベルの選手と練習なんかしない。

気が狂ってるとしか言いようが無い、老人と青年で発育曲線の論文もかけるし、人生論もかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日は足が動かなかった

2019年12月25日 17時33分35秒 | Weblog

ペダルを踏み込んだ瞬間に重いと感じた。

ハードに乗って2日間休養、2回復しているはずが重いのは何故、走りながら原因を考えた。

何時もと違うのはホイル、ここまで影響はない、ギヤ比を間違ったのではと確認するも間違いは無かった。

ウォーミングアップで苦しくなるははずは無い、速度に対する我慢がきかず速度は落ちるばかりだ。

身体も温まりもう一度周回にチャレンジするが、脚が異常に重く回転しないが少し休めば動き出すだろと休息。

そんなに速く無い周回速度なのに、森口の後方で力を温存する事も出来ない。

多分、走れない高校生も同じような状態に追い込まれているんだろうと想像しながら速度にチャレンジしてみたが無理だった。

速く走ろうと力を入れ回転モーメントをかけるが、だた重く心拍に異常な負荷がかかる。

こうなれば練習しても意味が無い為に今日の練習は終了。

選手時代に同じような経験が一度だけある、30年ほど前の海邦国体。チームパーシュートのメンバーで出走したが、脚が動かず1回だけ先頭を引いて切れた。

この時、予選は通過したが、迷惑がかかるので選手交代を頼んだ。

原因は定かでは無いが、筋肉の疲労以外考えようがない、ヨーロッパから帰国後の国民体躯大会で心身ともに疲れ果てていた。

今回も数日前の高強度が影響しているのか。調子の悪い原因は究明する必要がある、指導する上では非常に良い経験だ。

練習時間の合間に足の重さを回避できるのではと、ストレッチや身体の筋肉を緩めてみた。

これでもう一度練習再開、時間と距離が短ければ根性で乗り切れるかチャレンジしたがダメだった。

速度を殺さないように踏み込んでも固まる身体、あと数百メートル我慢だ根性だと言い聞かせ引き、交替した時の安堵感。

苦しさで集中力は半減している。

根性は良く鍛えられた選手が使えるアイテムと言う事を再確認した。

色々考えさせられる練習だった。

 

 

 


ペルシャ絨毯

2019年12月24日 13時17分46秒 | Weblog

何千年も前からあるテヘランのバザール、イラン行くと友人のイラージュが仕入れをするから、何時も絨毯屋を回る。

お陰で絨毯の良し悪しや、ぺルシャ絨毯でも価格の差がある事が分って来た。

イラン全土から集つめられた絨毯、問屋さんが数千店もある。

膨大な時間をかけ、手織りで作られた絨毯はこんな感じで毛が長い。

職人が手作業でカットする。

ウールやシルク素材で手織りは非常に高価で、素人が見てもその良さはわかるほど美しい。

触ると手触りが最高で、現物を見たら欲しくなる。

 

絨毯の修理屋、一度購入すると、何世代にわたり使用する、手織りのペルシャジュータン、アンテークになると家が買える。

人が踏めば踏むほど美しさが出るし、洗う事も出来るからそれこそ数百年軽く持つ。

価格も色々あり、玄関マットの少し大きめで25万円ぐらいからあるが、高いのは家が買える。

イラン産でもシルクが中国の糸を使っていたらペルシャ絨毯では無いとの事。(機械織もダメ)

素人とではわからないから、ここに買い付けに来る業者は専門家を同行させている。

俺も特別価格で購入したが(イラージュは東京で店も持っている)価格は交渉だね。

欲しくなったら俺が交渉人だ。

 


アメリカに夢を託した男

2019年12月23日 15時24分07秒 | Weblog

名前はシナ、ソロクサナマン俺の教え子。

イラン人にしては小さいが、俺の強化プロジェクトを生き残った男だ。

俺が率いるイランナショナルチーム、アジア選手権でメダルを取る為に必要なメンバーの一人だった。しかし試合場にシナの姿は無かった。

代表に選んだのに何故と聞くと。

俺達日本人にはわからない宗教の派閥問題のようだった?

必死に練習をこなし、代表の座を取ったのに、落胆したシナは決断した。イランに居ても先が無い、隣国のトルコに行き、難民申請の後USAにたどり着いた。

コロラドでは、スキーの板にワックスかける仕事をしながらMTBレースにも参戦した。

そして遂にビザがおり、永住権を取得できた。

つい数か月前にも、元チームメートのミズバー二にUSAビザ取得の推薦状を書いた所だった。

しかしガデルはまだイランから出国できていない。

イランは制裁を受けているから経済が悪く、身動きが取れないでいる市民が多い。

 

 

 

 

 


確実にレベルアップしてる

2019年12月22日 07時39分01秒 | Weblog

8月腰を強打し1ヵ月も寝て、9月6日にKCSCで練習を開始し始めた頃は、30分ほど走れば満足と言った感じだった。

記憶と感覚は元選手なのに年月が過ぎれば、身体は大きくなり老化の道をたどっていた。

身体全体に脂肪がのり、内臓脂肪で腹が出ると年のせいにして代謝が悪いと思い込む、自転車に乗るとハンドルの下を持ちずらく筋力不足を実感。無酸素運動は心拍に大きな負荷がかかり速度維持が出来ない、こんなに走れ無いのかと思う反面、練習を再開すれば、どれぐらいで走れるようになるのか興味が湧いて来た。(ここで学んできた自転車の科学、トレーニング理論を自分に使う)

9月後半

乗り始めると肩と首が痛い、これを我慢してマスターズに出るが、追い抜きでハンドルが持てず大敗。

ポイントレースは優勝したが、まぐれだった。(自分の力はわかる)

10月は後輩とMTBで遊んでいる時に脚を強打、約1か月間自転車には乗れなかった。(計画台無し)

10月後半、教え子の森口が練習に参加、森口は高校時代の個人追い抜きで何度も優勝、チームパーシュートでも全日本を制覇、ジュニア世界選手権のメンバーでもあった。

それが大学卒業後、競技から離れたが速力は健在。

11月、体力が変化するごとにポジションは変わり、より効率的で力が出る所に収まり始める。

世間ではポジショニングを売りにする所があるらしいが、そんなに簡単な物じゃない。(素人をだますのは簡単)

計画的に進める基礎練習は経験と理論に基づき段階を踏んでいる。(世界のトレーニング学、もう一度勉強)

ロード練習で自己満足から、専門的なトレーニングにシフトして3か月、身体の変化が見られ始めた。

発育曲線でみるゴールデンエイジの少年達より、ウルトラゴールデンエイジの老化曲線は尻上がりだ。

(少年達は初老のオッサンに負けてはならない)

多くの一流選手を育てた経験、ギリギリの強度が必要だが、後何本、何周回苦しまなければいけないと言う心理的恐怖感が襲ってくる。

後半になれば自分に優しくなり、追いこむ事から逃げたくなる、いや逃げる。

行くぞ最後の1本と気合を入れて開始、自分の意志はもっと速く、脳からの指令も伝わっているはずの脚が動かない、森口も植益も練習している皆同じだが、少年達は違った。

最後のダウンが速い、おいおい、そんな力残ってるんだったら、高速走行の時出しきれ。

 

練習の最後は、レッツ漕ぎ漕ぎと応援してくれるキャラクターの前で解散。