原発とテレビ③ 極秘番組に労組が抗議
現在ある54基の原発で1970年代に計画、着工したものは31基に上ります。これにたいして、志賀(石川)や浜岡(静岡)など、各地で放射能への不安を持つ住民らによる反対運動が盛んになります。
東京12チャンネル(現・テレビ東京)が、安全神話をPRする2回連続の番組「原子力発電は安全か」を制作したのは71年10月のことです。

1970年代、住民の反対運動が起きた中部電力浜岡原子力発電所
電力9社提供
識者が原発建設予定地の住民の疑問に答えるというのが、その内容です。出演者は、後に原子力安全委員会委員長を務める都甲(とこう)泰正東大教授、当時の通産省原子力課長ら推進側の人物ばかりでした。
東京12チャンネルの労働組合は放送当日、スタッフの内部告発で番組のことを知ります。秘密裏に制作が進められていたのです。
組合員は、入手した台本にスポンサー名がないと気付きます。後に提供者は、国の所管で原子力普及に努める日本原子力文化振興財団と判明。当時、書記長を務めていた亀井洋二さん(74)は、「電力9社が金を出し合い、広告代理店を通じて放送局に制作を迫ったのが実態です」と話します。
番組は全国の地方局でも放送されることになっていました。北海道、青森、宮城、福島、新潟、石川、福井、島根、愛媛、佐賀、鹿児島の計11局。いずれも原発建設予定地でした。
これほど露骨な意向が見える番組に、亀井さんは「12チャンネルは財政難の続く時期。イメージの悪い番組でも、大金をぶら下げられたら弱い部分が他局よりもあった」。
確認書
「原子力発電は安金か」の放映についてこの番組は一方的な安全性PR番組で、科学的な正確さを欠いているという鋤職があつたことを考慮し、反対データを検討した上で、反対意見を充分反映した番組を放送する。
昭和46年10月26日
日本科学技術振興財団
テレビ事業本部編成局長
東京12チャンネル労組らが局側と交わした「反論番組」の確認書(『放送レポート』1972年1月の創刊号から)
放送中止局も
労組は200人の大量首切り撤回を求めてたたかい、4年がかりで70年に勝利しました。原発PR番組に対しても放送直前、局側に団体交渉をして中止を求めました。局側が放送を強行した後も、労組は取り組みを拡大。日本労働組合総評議会、原水爆禁止日本協議会などとも連携して抗議団を組織しました。
抗議団は局に中止と反論番組の制作を要求。局は原発番組の内容が一方的だと認め、「反対意見を十分反映した番組を放送する」とした確認書を作りました。
反論番組は実現しませんでしたが、地方局の労組の間からは、「原子力発電は安全か」を放送することに抗議が強まりました。日本民間放送労働組合連合会(民放労連)によると愛媛・南海放送は「局の放送基準に合わない」と放送を中止。石川・北陸放送は、コ方的PRをやっているような誤解を視聴者に与えるおそれがある」と番組を差し替えました。
亀井さんは、「東電福島第1原発の事故が発生し、自分たちが最初からたたかってきたことは正しかったと、改めて確信しています」と語ります。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月24日付掲載
自主的に放送中止したくても、お金で首根っこを捕まれていては、したくてもできなかったのでしょうね。
でも、労組の働きかけで放送番組の供給をうけている地方局では放送中止できたのですね。
やっぱり闘わないといけないのですね。
現在ある54基の原発で1970年代に計画、着工したものは31基に上ります。これにたいして、志賀(石川)や浜岡(静岡)など、各地で放射能への不安を持つ住民らによる反対運動が盛んになります。
東京12チャンネル(現・テレビ東京)が、安全神話をPRする2回連続の番組「原子力発電は安全か」を制作したのは71年10月のことです。

1970年代、住民の反対運動が起きた中部電力浜岡原子力発電所
電力9社提供
識者が原発建設予定地の住民の疑問に答えるというのが、その内容です。出演者は、後に原子力安全委員会委員長を務める都甲(とこう)泰正東大教授、当時の通産省原子力課長ら推進側の人物ばかりでした。
東京12チャンネルの労働組合は放送当日、スタッフの内部告発で番組のことを知ります。秘密裏に制作が進められていたのです。
組合員は、入手した台本にスポンサー名がないと気付きます。後に提供者は、国の所管で原子力普及に努める日本原子力文化振興財団と判明。当時、書記長を務めていた亀井洋二さん(74)は、「電力9社が金を出し合い、広告代理店を通じて放送局に制作を迫ったのが実態です」と話します。
番組は全国の地方局でも放送されることになっていました。北海道、青森、宮城、福島、新潟、石川、福井、島根、愛媛、佐賀、鹿児島の計11局。いずれも原発建設予定地でした。
これほど露骨な意向が見える番組に、亀井さんは「12チャンネルは財政難の続く時期。イメージの悪い番組でも、大金をぶら下げられたら弱い部分が他局よりもあった」。
確認書
「原子力発電は安金か」の放映についてこの番組は一方的な安全性PR番組で、科学的な正確さを欠いているという鋤職があつたことを考慮し、反対データを検討した上で、反対意見を充分反映した番組を放送する。
昭和46年10月26日
日本科学技術振興財団
テレビ事業本部編成局長
東京12チャンネル労組らが局側と交わした「反論番組」の確認書(『放送レポート』1972年1月の創刊号から)
放送中止局も
労組は200人の大量首切り撤回を求めてたたかい、4年がかりで70年に勝利しました。原発PR番組に対しても放送直前、局側に団体交渉をして中止を求めました。局側が放送を強行した後も、労組は取り組みを拡大。日本労働組合総評議会、原水爆禁止日本協議会などとも連携して抗議団を組織しました。
抗議団は局に中止と反論番組の制作を要求。局は原発番組の内容が一方的だと認め、「反対意見を十分反映した番組を放送する」とした確認書を作りました。
反論番組は実現しませんでしたが、地方局の労組の間からは、「原子力発電は安全か」を放送することに抗議が強まりました。日本民間放送労働組合連合会(民放労連)によると愛媛・南海放送は「局の放送基準に合わない」と放送を中止。石川・北陸放送は、コ方的PRをやっているような誤解を視聴者に与えるおそれがある」と番組を差し替えました。
亀井さんは、「東電福島第1原発の事故が発生し、自分たちが最初からたたかってきたことは正しかったと、改めて確信しています」と語ります。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年9月24日付掲載
自主的に放送中止したくても、お金で首根っこを捕まれていては、したくてもできなかったのでしょうね。
でも、労組の働きかけで放送番組の供給をうけている地方局では放送中止できたのですね。
やっぱり闘わないといけないのですね。