く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 『母と餡パンと学童疎開』

2012年03月06日 | BOOK

 【青木民男著、編集工房ノア発行】

 著者は1956年、京都大学卒業後、関西初の民間テレビ会社、大阪テレビに入社。後に毎日放送に移籍してテレビドラマディレクターやプロデューサー、テレビ制作局長などを務めた。タイトルのものを含め6編を収録。いずれもテレビ局退職後、同人誌に寄せたエッセー風の自伝で、母の思い出や集団疎開、バイオリンとの出合い、転校した福岡県の小倉中学時代の冒険旅行などを、歯切れのいい文体でさわやかに綴っている。  

      

 最も印象に残ったのが4編目の「ひと冬の奈良ものがたり」。京大めざし一浪中の筆者が奈良で友人と受験勉強の合宿中のこと。毎朝散歩していた飛火野で、シューベルトの「冬の旅」の一節を歌っていると、初老の男性に声を掛けられる。名刺には大学文学部教授の肩書き。誘いに応じ翌日、教授宅を訪ねると、レコードから「冬の旅」が聞こえてきた。京大在学中、学徒動員で出征し南方で亡くなった一人息子が大好きだったという。「聴くのが辛くてレコードは仕舞っていたんですが、昨日偶然にも貴方が歌っていられるのを聞いて、息子のためにもう一度聴いてやろうと決心し、貴方たちをお招きして今日掛けてみたのです」。読んでいてぐっと胸に迫るものがあった。

 2人は奈良を離れる前に再度、高畑町の教授宅を訪ねるが、そこに一人息子の婚約者だった女性も来ていた。高校の音楽の先生になるというその女性がピアノでベートーベンの「熱情」を弾いてくれた。「戦争がなければ、若い二人は幸せな生活を送っていたであろうに、また先生も夫人も悲しい思いをすることもなく、平穏な、或いは可愛い孫に囲まれた生活を送っていただろうにと、僕は目を閉じながらこの人たちの心中を考えていた」。高畑町といえば、志賀直哉が1938年まで約10年間過ごし「高畑サロン」に多くの文人が集まった所。その高畑町での60年前の受験生と教授との出会い、心の交流の情景が目に浮かぶようだった。この「奈良ものがたり」にはあと1つ、東京の音楽学校受験のため隣家でピアノを練習していた清楚な女性との心ときめく出会いも描かれている。この1遍だけでもこの本を手に取った価値があると思った。

 ちょうど1世紀ほど前、女性の間で「203高地」という髪型がはやっていたこともこの本で初めて知った。203高地は日露戦争の激戦地になった中国・旅順の丘陵地(標高203メートル)。束ねた髪を高くまとめた髪型を当時そう呼んでいたという。その髪型で筆者の母親が女学校の卒業式に参列したらしいという書き出しで最初の1編は始まっていた。筆者の夫人は有名なバイオリニスト、辻久子さんの妹さん。その夫人が父(筆者の義父)、辻吉之助氏に「息子に趣味程度でいいから(バイオリンを)教えてやって」と頼んだら、「趣味程度に教えろとはどういう風に教えることや。趣味もプロも教え方は一緒や」と言われたという。ごもっとも!

コメント
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