く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 『ヤマト政権誕生と大丹波王国 国宝「海部氏系図」が古代史を書き換える』

2012年03月17日 | BOOK

【伴とし子著、新人物往来社発行】

 著者は京都府網野町(現京丹後市)出身で、大谷大学文学部卒業、佛教大学史学科博物館学芸員課程修了。中学講師を経て東近江行政組合に勤める傍ら、主に丹後地方の伝説や古代史の研究に励んでいる。著書に「古代丹後王国は、あった」「前ヤマトを創った大丹波王国」など。

   

 日本三景の一つ、京都府宮津市の天橋立に丹後一宮籠(この)神社がある。この神社宮司の海部家に伝わるのが日本最古の系図「海部氏系図」と「海部氏勘注系図」(いずれも国宝)。著者はその系図の中に、古事記・日本書紀では不鮮明な日本建国の謎を解くカギが隠されていると確信、長年にわたって〝解読〟に努めてきた。本書はこれまでの成果を集約した労作である。

 記紀の天孫降臨神話ではニニギノミコトが九州・日向に降臨し、その子孫が神武天皇だが、著者は系図から天孫降臨はもう一つあったとみる。丹波にホアカリノミコトが天降り、その子孫の海部氏がいち早く大陸から先進技術や文化を取り入れて大丹波王国を築いた。中国の「隋書」に「倭国の王の姓は阿毎(あま)」と書かれており、この「阿毎」が海部氏とみる。王国は「丹後、丹波、但馬(三タン王朝)プラス若狭」と広域にまたがり、その勢力の一部がヤマトに入って「初期ヤマト政権の基礎を創った」。垂仁天皇は丹波国の王女たち5人を妃とし、そのうちヒバスヒメは皇后となって景行天皇を産んでいる。「皇室系譜の母系にしっかりと丹波系の血が流れている」わけで、これも大丹波王国の大きな力の一端を表す。

 伊勢神宮ではまず外宮に、次いで内宮に参る「外宮先祭」というしきたりがある。外宮に祀るのは豊受(とようけ)大神、内宮は皇室の祖神である天照大神。豊受大神は元々、大丹波王国が奉じた最高神だったが、雄略22年(478年)、伊勢に遷座した。なぜか。「ヤマト政権がアマテラスを奉じて国造りをしていくとき、大元の神である豊受大神=天御中主神はなくてはならない神だった」。ただ、記紀は豊受大神のことに触れていない。

 卑弥呼についても記紀にはほとんど記述がないが、「八世紀の大和政権の祖先筋になるのではなく、それ以前にヤマトに君臨していた氏族の中にこそ卑弥呼とトヨは存在したのではないか」。そして卑弥呼の「ひ」は「日」、「みこ」は「巫女」あるいは「御子」「神子」の当て字とみて、「海部氏勘注系図」から「海部氏の九世孫の妹日女命が卑弥呼で、十一世孫の妹日女命がトヨではないだろうか」と推測する。

 丹後、丹波地域の古代の繁栄ぶりは多くの古墳群や出土品、数々の伝承・伝説などからもうかがえる。著作を読んだのは「前ヤマトを創った大丹波王国」に次いで2冊目だが、王国が実際にあったであろうこと、そして、日本の黎明期に中心的な役割を果たしたことは間違いないと確信するに至った。古代史を塗り替える大仕事だが、著者にはさらに調査・研究を重ね、王国と大和朝廷、卑弥呼・邪馬台国との関わりなどを掘り下げていくことを期待したい。


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