く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<100歳の詩人 柴田トヨ> 著名人36人が直筆した「くじけないで」展

2012年08月07日 | ひと模様

【片岡鶴太郎、日野原重明、小原宏貴、三国連太郎、佐藤可士和……】

 「著名人がつむぐ100歳の詩人 柴田トヨ くじけないで展」がいま、大阪高島屋で開かれている(14日まで)。トヨさんは1911年(明治44年)6月26日栃木市生まれ。一人息子健一さんの勧めで90歳を過ぎてから詩を作り始め、3年前に「私の葬式代で作ってほしい」と詩集「くじけないで」を自費出版、半年で1万部を完売した。これに着目した飛鳥新社が2010年に改訂版の「くじけないで」、さらに昨年には第2弾の詩集「百歳」を出版したところ、大きな反響を呼んで合計200万部を超えるベストセラーに。同展は著名人にお気に入りの詩を選んで揮毫してもらったものだが、いずれも筆使いの巧拙を超えて、トヨさんのほのぼのとした温かい詩の世界が1文字1文字に刻まれている。

   

 作品は揮毫した方々の名前の五十音順に並ぶ。小原宏貴(いけばな小原流家元、以下敬称略)が書いたのは『先生に』と題した作品(下の写真㊧)。「私をおばあちゃんと呼ばないで 『今日は何曜日?』『9+9は幾つ?』 そんなバカな質問もしないでほしい 『柴田さん 西条八十の詩は好きですか? 小泉内閣をどう思います?』 こんな質問ならうれしいわ』。トヨさんの作品について「一切の無駄な言葉を省くことによってストレートに想いを表現しており、一枝一枝の美しさや力強さを表現するため余分なものを省いていく、いけばなの〝引き算の美学〟とどこか共通している」という。

 

  片岡鶴太郎が揮毫した作品は最も多い20点が展示されていた。その中の『忘れる』(上の写真㊨)の後半はなかなか味わい深い。「忘れてゆくことの幸福 忘れてゆくことへのあきらめ ひぐらしの声が聞こえる」。トヨさんの詩については「1人の女性が歩んだ一本道 その道の季節の色が 匂いが私の心に迫り 切なく暖かく包む」と詩的な表現で印象を寄せている。三国連太郎も同じ『忘れる』を書いた。「迷わずこの詩を選ばせていただきました。人生の道しるべとでも言いましょうか。私なぞまだまだだなあと」。

 遠藤保仁(プロサッカー選手)が揮毫した作品は『被災地のあなたに』。「最愛の人を失い 大切なものを流され あなたの悲しみは計り知れません でも生きていれば きっといい事はあります お願いです あなたの心だけは流されないで 不幸の津波には負けないで」。菊池雄星(プロ野球選手)は堂々とした筆使いで『幸来橋』を揮毫。「奉公先でいじめられ 幸来橋のたもとで泣いている私を ふーちゃんががんばろうねって笑いかけてくれた 巴波川(うずまがわ)のせせらぎ 青い空 白い雲 幸せが来るという橋 やさしいふーちゃん がんばれる気がした 八十年前の私」。この詩の感想「80年前ということで今の自分と同じ年齢。自分も何気ない一言で救われたことがある。一期一会。自分も周囲と真剣に向き合っていきます」。

 佐藤可士和(アートディレクター)が揮毫したのは『貯金』という作品。「私ね 人からやさしさを貰ったら 心に貯金をしておくの さびしくなった時はそれを引き出して元気になる あなたも今から積んでおきなさい 年金よりいいわよ」。日野原重明(聖路加国際病院理事長)はトヨさんと同い年でトヨさんが3カ月余りお姉さん。トヨさんが100歳になる前年に作った作品『百歳』を揮毫した。「……両親も夫もお友だちも みんな逝ってしまった でも次の世で会えるわ 私 笑顔で会いたい そして いろいろなこと 話してあげたい 百歳のゴールを胸を張って駆けぬけよう」。トヨさん、百歳になって「人生、いつだってこれから!」。励まされるなぁ~、この言葉。

【柴田トヨさん101歳 老衰のため1月20日死去】(2013年1月21日記)以下は毎日新聞から。「栃木市出身。92歳で新聞の投稿欄に詩を送り始め、09年に平易な言葉で日常をつづった『くじけないで』を自費出版。10年に飛鳥新社から出版され、前向きな作風が中高年女性らの共感を集め、詩集では異例の150万部突破のベストセラーとなった。100歳を迎えた11年には『百歳』を出版、両作で計200万部を超えた」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする