かるさんのgooブログ <北国たより>

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中高年へ吹く風――②

2004-01-14 00:50:00 | インポート
ほんとうは以下のようなことを書くつもりでしたのに、ついつい「思いの丈」が溜まってしまい、①のような雑記になりました。

相変わらず新聞の記事からの話しです。

1月10日の朝日新聞・朝刊にありました。

『放送業界、中高年に照準』――AMラジオCM人気■TV編成「大人」が軸に――

というのが見だしです。

その内容によれば「人口の重心が若者から中高年に変わりつつあることから、業界で、広告制作や番組企画のターゲットを中高年層に移す動きが広がっている」とのことです。

若者たちとともに時代の文化をつくってきた放送メデイアにも、少子高齢化の高波が打ち寄せて来ている・・・ということのようです。

この記事で驚いたことがあります。
放送業界の「ラジオ聴取率調査」の対象が59歳までだった・・・という事実です。(01年10月の調査から10歳拡大されて69歳までになった)

ということは、いままで60歳以上の高年者は「放送文化」の恩恵に与かることもなく「シカト」されていたことになるのです。

この調査対象者の見直しで「50~69歳」の聴取率は、午前6時~午後6時の時間帯で10%もあることが判ったようです。
(今さら判りようが遅い・・・と言いたいが)

これには「広告業界」も黙って居る訳にはいきません。レスポンス広告を中心にして、保険会社や健康食品産業、情報通信業界などが飛びつきました。
ある放送会社の「平日午前の生CM枠」は3ヶ月先までいっぱい・・・なんだそうです。

ついこの間までは「TVやほかの時間帯と抱き合わせた”たたき売り”」を余儀なくされていたことを思うと「隔世の感」があるとのことです。

以上のことはAMラジオの業界にことですが、TV業界でも考えが様変わりしているようです。

※ スカパーでは雑誌に「大人が楽しい世の中
へ」という広告を掲載しました。
――サッカー人気の陰りで大きく落ち込んだ視聴率を50歳以上への勧誘でカバーする方針。
経営者いわく「高齢者のライフスタイルを研究して番組編成を変える事も検討したい、とのこと――

※ TBS系の(BS-1)は局全体のキャッチフレーズを「オトナになったらBS-1」にした。
――夜の6時~7時台のOL向け番組を大人向け「情報番組」に変更するなどで、自動車や住宅など高額品のCMが増え、00年の放送開始以来初めて増収を達成する原動力となった――

※ テレビ朝日が昨年8月に採用したキャッチコピーは「オトナって、なんだろう?」
――「楽しくなければテレビじゃない」などと、子供中心のテレビ文化を考え直し「これからはオトナの時代・・・」の方向で行くとの話し――

以上ながながと、こと細かに記事の内容を書きました。
放送業界の一部が「中高年層に目を向け始めた」ことに敬意を表わしはしますが、今さらなんとも遅い認識・・・と思ってしまいます。

音楽、映画、放送、出版、情報など、どの業界でもターゲットは「若者・・それも10~20歳台が中心」でした。
「お金を持っている、金離れが良い」などがその理由のようでした。確かに「アムロ」の「アユ」の「モームス」のCDのミリオンセラーは彼らの購買力の功績でしょう。これには「中高年」はなんのお手伝いもしておりません。

(歌の業界について言えば、中高年はとことん非協力的です。シングルCD一枚はおろか、演歌の新曲カセットテープですらあまり購入しません。
だいたい仲間同士でダビングし合って一件落着です。
これでは演歌歌手も干上がってしまいますが)

ですが若者たちに、そんなにいつまでも「購買力がある」とは考えられません。
物欲しさから無理を重ねることによる「犯罪」も、近ごろは頻繁に報道されて来ています。

いつまでも若者を重要購買層としてターゲットとしている、さまざまな業界に疑問を持っていました。

「中高年者層」の購買力の底力を侮ってはいけません。
決して富裕とは申しませんが、無駄なものには目もくれず、これと思った「価値のある商品」には猛然とアタックします。

今までは、あらゆる業界で「彼らの目に適った商品」が開発されなかっただけの話しです。
目線が若者層だけに向いていたのです。

話しはチト外れますが、お正月(だけでは無いが)のTV番組の「くだらなさ加減」には長年うんざりして来ました。
「馬鹿タレント達の為に貴重な公共の電波を無駄に使うな!!と声を大きくしたい気がします。

ここへ来て、ようやく「大人たち」を意識し始めた放送業界のさらなる前進により、「若者層」との住み分けが可能になることを望んでいます。

というように「中高年層」に吹き始めた一部の
「フォローの風」を冷静に受け止め、堅実な生活姿勢を推進させながら、為政者の「弱いもの苛め的」「とり易い処から取る的」方向にはっきりと「ノン」と言える・・・そんな一年にしたいと思ったりします。

――せめて思いだけでも――