karin's English Writing

karin's English Writing

coming home, to Tochio

2008-10-21 23:11:41 | ノンジャンル
I was born and brought up in Tochio.
Tochio-shi was merged into Nagaoka City a few years ago.

Tochio-machi became Tochio City 54 years ago.
I was in the 6th grade at elementary school then.
I remember joining a street parade celebrating
the municipality. I miss Tochio City.





I am sorry my hometown has been losing population.
Very few people were walking along "gangi,"shopping arcade.



After the Shinto ritual for 30th anniversary of my father's death,
we visited my parents' graveyard with a Shinto priest.
He performed a ceremony of ritual purification there.

The graveyard is on the hill.
It was a lovely day and I enjoyed a beautiful country scenery.
I am sure my parents like this place. My father was born here.

at the foot of the hill--










21 コメント

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Unknown (JIMPA)
2008-10-21 23:35:27
お帰りなさい karinさん

お写真、素敵ですね。懐旧の心がいっぱいに感じられます。もし、栃尾市が長岡より大きければ「栃尾市」になったのに、町名だけにとどまるとは残念ですね。

街頭パレードに参加されたんですか?きれいに着飾ってでしょうね。その頃はお父さんもわが子の姿に惚れ惚れして見入っていたのでしょうね。

雪も深く、雁木の下を歩かれたんですね。長岡の街の面白い庇を日記に書いたときのことを思い出します。あの時は教えていただいて感謝しています。この字だったでしょうか。

「火留小路」横が深雪の時の道ですね。懐かしい風景、懐かしい名前ですね。火事の時は、ここで火が留まるのですか。空・山・林。空気がおいしそうです。
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Unknown (voyagerおさむ)
2008-10-21 23:36:40
トチオ生まれなんですね。
今は合併進んでいますしね。
母校も無くなっている人居ますしね。
なんか寂しいですよね。
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Unknown (karin)
2008-10-22 10:05:35
JIMPAさん おはようございます

私の記憶では小学校6年生のときに古志郡栃尾町から栃尾市になりました。子供心に何かとても嬉しかったのでいまだに覚えております。

旗を振りながら街中を行進しました。「新潟県の歌」を歌いながら歩きました。今もその歌はあるのかどうか、、、ところどころ覚えていて、ふっと口ずさむことがあります。

「ごごくのほうこ つちこえて さんがあらたに 、、、県民250万、きぼうにもえて、、、、にいがたけん♪」

耳で聞いて覚えたままですから、きっと違う単語なのかもしれません。6年生の私は一生懸命大声で歌ったのでしょうねぇ。自分の姿が見えるような気がします。

はい、雁木(がんぎ)でございます。雪深い地ではこの雁木があってどんなに助かることでしょう。私が子供の頃は町が雪に埋もれてしまいました。冬は牛や馬がそりを引っ張っていました。

すみません、懐かしくてたまらなくなってつい自分勝手に思い出の世界に浸ってしまいました。 ありがとうございました。
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Unknown (karin)
2008-10-22 10:11:10
voyagerおさむさん おはようございます

生まれは栃尾、18歳まで暮らしたのですが、多感な頃を過ごした時期が一番のふるさととなりますね。新潟市の生活が一番長いのですが、やっぱり「ふるさとは?」と問われたら「栃尾です」と答えますねぇ。

四方を山に囲まれた盆地なのですが、発展の名のもとにトンネルがいくつもできて往来が便利になるにつれて過疎化が進みました。出てきた私には語る資格がありませんが、、、帰省するたびに過疎化を実感するのはとても寂しいことですね。  ありがとうございました。
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Unknown (karin)
2008-10-22 10:27:28
shunranさん おはようございます

墓地はこの写真を撮ったところ、沼の写真のところからちょっと小山を登りきったところにあります。ここは栃尾の中心街から山奥へ向かってタクシーを走らせて30分くらいのところです。五月の連休でもまだ雪が残りお墓参りはできないくらいです。

30年祭の日は素晴らしいお天気でした。この風景を見ながら両親は眠っているのだ、、、と思いました。でもどなたにも会うことがなく、本当に寂しいと思いました。それほど山奥です。

過疎化は進み、しかたなく長岡市に合併したのでしょうが、寂しいことですね。商店街にある雁木にもお客さんらしき人の姿は見えませんでした。

30年祭の終わったあと、どうしても会いたいという人たちがいて、夕方、集いました。「新潟市や東京にいないで、栃尾に帰ってこいて(方言)。Yさん(私の旧姓)が帰ってきてくれたら、どんげに嬉しいか・・」などと一人でも帰ってきて欲しいという地元を守っている人たちの言葉が胸にひびきました。

懐かしい人たちに会って、とにかく最期まで自分のできることをして精一杯生きようと思いました。  ありがとうございました。
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Unknown (ヒロ)
2008-10-22 10:30:19
karinさん おはようございます
そして、おかえりなさい。
故郷に帰るとホッとする気持と町並みが変わっている寂しさとがありますね。
写真でみるkarinさんの故郷は穏やかに見えますが
冬は厳しいのでしょうね。
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Unknown (karin)
2008-10-22 11:31:06
ヒロさん おはようございます

子供の目でみたいた故郷と大人になってから帰省してみる故郷は全然違って見えますね。もっとも確かに道路は舗装され、区画整理されて、子供の頃は遠く感じられた道がまっすぐの近い道になってしまっていました。

外に出た者にとっては「故郷はいつまでも昔のままであってほしい」と思いますが、そこで生活する人にとっては便利に生活できるようにするのは大切なことですものね。寂しさは外に出たものが背負うべき「宿命」かもしれませんねぇ。

地球温暖化が進み、降雪量はずいぶん少なくなりましたが、一昨年あたりは大雪でしたし、、、冬は生活するのが大変ですね。この穏やかな風景もすべて深い雪のしたになってしまいます。暮らしてみないと分からない厳しさがありますね。過疎化で屋根の雪堀り、道付け、、、大変ですね。

東京で暮らし始めて9年目になりますが、一番感じるのは「東京には冬がない・・・」ということです。あの厳しい豪雪地帯の冬のことを思いますと、ホント、東京の冬は春のようなものですねぇ。  ありがとうございました。
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Unknown (よしえ)
2008-10-22 11:43:44
karinさん、お帰りなさい!

天気に恵まれて、青空が素晴らしいですね!
きっと、お父様も喜ばれたことでしょう!
これからは寒くなるのでしょうね。
故郷は理屈抜きでホッと出来る場所ですよね。
そんな場所があることは私も幸せです。
昔とあまり変わらない場所もあるみたいですね。
最後のホオズキ可愛いですね!

http://happy.ap.teacup.com/123789/
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Unknown (karin)
2008-10-22 12:19:48
よしえさん こんにちは

無事に終わってほっとしました。素晴らしい青空の下のふるさとの地に立ち、父母を思い、故郷を思い、懐かしい人たちとの語らいがあり、、、嬉しい帰郷となりました。

ホオズキは墓地への上り口でたった一個だけまだ残っていました。どこの世界も最後の最後までがんばるものがあるのですねぇ、、、。

「ふるさと」といいますとすぐに思い出す詩はあの室生犀星の詩ですね。「ふるさと」を思ってがんばる、というのがあの「ふるさと」という歌の3番、「志を果たして いつの日にか帰らん・・・」という歌詞を思い出しました。

     ふるさとは遠きにありて思ふもの
     そして悲しくうたふもの
           よしや
     うらぶれて異土の乞食となるとても
     帰るところにあるまじや
     ひとり都のゆふぐれに
     ふるさとおもひ涙ぐむ
     そのこころもて
     遠きみやこにかへらばや
     遠きみやこにかへらばや

寂しい詩ですが、好きな詩です。  ありがとうございました。
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Unknown (suzuran)
2008-10-22 13:58:02
karinさん こんにちは

お帰りなさい。
皆さん親族の方々が、お集まりになっての30年祭
お天気も良くて、無事終わって、本当によかったですね、お疲れ様でした。

多分、お父様も、皆さんのお元気な姿を見て
喜んでいらっしゃるでしょうね、良かったです。

栃尾の町の写真、火留小路って、どこにあるのでしょうか?
栃尾に行くと、よくお祭りとか、催し物に会うことがありますが、ちょっと、歩いてみたい小路ですよね、最近はご無沙汰していますが、また行ってみたいです。
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