kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習の記録

2017-10-19 | 陸上競技
練習に関しても記録しておきたいと思います。忘れてしまうので。

月曜日、中国新人翌日。男子に練習をどうするか?と尋ねるとやるということなので実施。私自身は前の週の木曜日の夜から体調がかなり悪くとても練習に参加できるような状況ではありませんでした。不在期間中の仕事を消化しながら休ませてもらいました。こういう意味では「無責任」なのでしょうか。練習自体は山で。前回と同じメニューを実施してもらいました。

火曜日。この日は雨でしたが多少持ち直す感じだったので屋外で。とはいえ、グランドでは走れません。男子は前日に走っているので学校でトレーニング中心に。身体作りをしていきたいと思います。今後はウエイトを導入してみようかなとも考えています。女子はシャフト補強で良いかもしれませんが男子に関してはもう少し大きくした方が力が出るかもしれないなと。これも行ったり来たりしている内容ですね。どれが正しいのか正直分かりません。検討しながらです。

女子は山へ。先日から体調が微妙な選手がいるので付き添うことに。とはいっても私自身会議があったので早い時間帯からはいけません。気を配りながらやっていかないといけないなと思っています。私が到着した時には坂道走をしていました。1セット目が終わった状況。かなり時間を要していたので2セットに変更しました。女子に関しても「もう少し長めの距離を走りたい」という要望がありました。150mくらいですが。学校のグランドではそれはできないので別の形で対応したいなと思っています。あれこれやりたい。こちらは戻ってからシャフトトレーニングとシャフト補強。かなりの時間になりました。

水曜日は雨。屋外でやるのは難しい状況。最初は外でDM投げなどをやりましたがひどくなってきたので中止して室内へ。室内ではひたすらトレーニング系を実施。色々な動きをやりました。中心は股関節周辺と大臀筋。この部分が弱いなと改めて感じました。もう少し工夫して強化していかないと勝負することはできないなと。腹筋系もかなりやりました。気が付くと「体幹補強」と言いながら腹筋が不足しています。寝転がっての補強は避けていた部分がありますがやはりやる必要があります。

ハムストリングの補強も実施。これも選手が要望していたので。練習の取り組みのスタイルを変えるつもりはありません。選手が要望すれば練習をしないという形はありえない。が、実際にやっていて「不足するもの」があればやはりその意見は聞かなければいけないと思っています。様々な補強をやりました。本当であれば走らないといけないのですが。

補強をしっかりやるということは走力向上につながると思っています。当然の話ですが。レース後半でスピードレベルが落ちる。この対策にひたすら走るというのも選択肢の一つなのかもしれませんが、「補強」で対応できないかと思っています。低負荷高回数でしっかりと補強をする。「動かし続ける」という意味では必要なのではないかと思います。非科学的と言われるかもしれませんが。

やっている中で思うことはあります。それでもやり続けることに意味があるのかもしれない。そう思うようになりました。進化なのか退化なのか。これは分かりません。自分自身の役割や存在意義を見据えながら進みたいと思います。
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練習日誌

2017-10-19 | 陸上競技
色々と思うことを。

これまで練習日誌を重視してきました。色々と考えることがあって「練習日誌」に関しては「提出しなくてもよい」ということに。これまでの私からすれば大きなことだと思います。

練習日誌をきちんと書く。これは間違いなく自分自身の振り返りになります。私も現役時代は毎日記入していました。他県の選手の様子を見るとやはりきちんと日誌を書いています。それは「強制されるもの」ではなく、自分自身がきちんとその日の練習を振り返るためです。前任校でもかなり書いていました。

新天地に赴任して「練習日誌」をどうするか。1年くらいたってからこちらで「ひな形」を作って印刷し配布しするようにしました。自分自身の振り返りです。前任校ではノートを各自が準備してきて勝手に書いていました。そういう習慣がない状態だったのでこちらが「準備」して「提出」を促すようにしていました。

練習日誌を見てみると「振り返り」が顕著に出ます。書けない選手も当然出てきます。「~を意識して走った」くらいで終わってしまう者もいる。かと思えば、かなり振り返りをする者もいる。別に日誌がきちんとかけたからその選手の意欲が高いとは言い切れないと思います。しかし、比例する部分はあると思っています。とりあえず書くだけの日誌は無意味だと思います。私が「ひな形」を準備しているからそれに記入するだけになる。「強制」でしかない。そうであれば「強制しない」という選択もありかなと。

結局は「自分自身がどうするのか」だと思っています。本当に必要であれば自分で振り返りをすると思います。その振り返りをしないのは「必要がないから」なのかもしれません。書く時間があればもっともっと別のことをする方がいいと思うのかも。それに関しては内面的なことですからよく分かりませんが。

繰り返しになりますが「日誌を書かなければ意識が低い」とは思いません。が、これは「強制されてやるものではなかった」と思うのです。自分自身の中から湧き出る想いがあってそれを記しておくもの。今の課題を明確にし次にそれを改善しようとするもの。指摘された内容を自分自身で忘れないために記録しておくためのもの。それが練習日誌だと思っています。そのことは「必要ない」「無意味」なのかもしれない。強い選手はそれほど振り返りをしないでも対応できるかもしれないので。

ここも考え方だと思います。必要であれば書く。それは当然のことだと思います。必要性を感じなければ書かない。これも当然のことだと思います。その目標に合わせて自分自身がどのようにするのか。

強い時代が続く学校というのはこういう基本的なことが「伝統」のようになっている。振り返りをしたりするのは「必要なこと」だという流れがあるから。上級生がきちんと書いている。それを見て「自分もきちんとやらなければいけない」となる。やるのが当然という流れになるから「強さ」もつながっていくのだと思います。日誌を書くのが「当たり前」のこととして存在しているから何も問題は生じない。

ここも「考え方」だと思っています。私がblogを書くのも「自分自身の振り返り」のためです。それなら公開するなという話になるのかもしれませんが。今自分が何をしようとしているのか。何を求めているのか。ここは自分の中で大切にしていきたい部分です。それをいつの間にか見失ってしまう。特にblogを書けない時期は自分がどのような「想い」の中で生きているのかさえ喪失しています。だからこそ書いておきたいと思うのです。

昨日、書いたblogに関しては多少なりと反響がありました。全国入賞を果たすようなチームの先生方からもアドバイスをもらいました。さらにこのblogを見てくださっている指導者の方からもコメントをいただきました。私は未熟です。40歳を過ぎたおっさんが「未熟」というのも情けない話ですが。一挙手一投足を完璧にできることはない。ロボットではないから感情も存在します。

常に素晴らしいと思ってもらえる内容をblogに書き続けられればいいのですが。スタンスを変えずにやることは変えていきたいと思っています。模索しながら。このことが1年後振り返った時にどのように感じるか。これもblogの意味だと思っています。後悔しないように生きていきたいなと思います。
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どう感じるか

2017-10-19 | 陸上競技
思うことを。

前の記事に少し書きました。文章的に足りない部分もあり誤解されるところもあると思います。表現するという中で当然ありあえることだと思っています。言葉足らずになるところはある。それでも思うことを書いておきたい。

人との関わり方。これは非常に難しいと思っています。ある人間にとっては「良い」と思うことであってもある人間にとってはそれは「悪い」となる。全員が「納得する」という形はとれないと思っています。それぞれの側面から物事を考えていく。どうしても自分自身の立場からの視点になります。

先日、中国新人がありました。2日間の強行日程。そのためタイムテーブルがかなり詰まってしまいます。トラックで競技をやっている間にフィールドもある。女子の4継と走幅跳の時間が重なるので試合運営が難しい。更には女子幅跳と100mのスタートが重なる。どう考えても難しい。また、競技開始時間が同じ種目がある。そうなると時間通りに競技を始めるのは難しくなる。私が担当する部署はトラック。競技開始時間に合わせてスタート位置に付くようにします。が、その時間にアナウンスに連絡すると実際は投擲競技が始まる時間と重なる。どこにとって「良い」とするのかだと思います。

フィールド種目から考えたらいつも「トラック優先」で物事が進むのは面白くない。競技進行が遅れることも多々ある。リレーがあるから待つというのであれば投げるのを待ってからリレーを始めればいいという話にもなるかもしれない。やり投げや高跳びなどでトラックに助走がかかる種目であればトラック種目がやっている合間にやらないといけない。自分の競技に集中できない。だったらトラックが待てばいい。一理あると思う。

一つの物事に対して「多面的に見る」という部分。全員が「これがいい」と思われるものは存在しないと思っています。

指導に関しても人との関わり方に関しては「これがいい」というのは存在しない。ある選手にとっては「良い指導だ」と言われるかもしれませんが、ある選手にとっては「なんだこれは」と思う。それはどうなのか。授業に関しても「これはいい」と思う者もいれば「不親切だ」と思う者も出てくる。ここが本当に難しいなと思っています。

私自身、こういう性格です。「良い」と言ってくださる方もいれば「絶対に許せない」と言われる方もいる。それは重々承知です。すべての人に受け入れられるほどの人間ではない。一生懸命やることは負けないと思います。それでもその力の注ぎ方が偏っていたりする。エネルギーを注がれている者にとっては「良い」と思うかもしれないがそうではない者にとっては「悪い」と感じる。表現ひとつとっても同じだと思います。ある人には「良い」と思われてもある人には「酷い言われ方をした」と感じるかもしれない。

私は聖人君子ではありません。すべての部分に対して完璧にできることはない。どちらかといえば抜けが多い。今のご時世、「教員は聖職だ」と思っている人はいないと思います。尊敬に値する仕事ではない。ほぼサービス業。打たれっぱなしのサンドバックだと思っています。それでも「意味がある」と思ってやっています。ストレスなどを感じる方がいけないのではないかという部分。

前の記事に書いた内容。「求められたら応える」というのもひょっとしたら主観なのかもしれない。本当は求めているのにそれを私が「求めていない」と感じる。その主観を埋めていくことは可能なのか。競技だけを求めているわけではない。他の部分も含めて先に進んでほしいと思っている。が、それは上手く伝わらない可能性がある。

スタートラインが「否定的な視点」であればそこから先に進むのは難しい。発言の一つ一つは「マイナス」にとらえられてしまうから。この部分に正解があるとは思えない。何が正しくて何が間違っているのか。それでも考えたい。こうやってblogを書くことによって更なる誤解が生まれるのかもしれない。それでも書いている。馬鹿かもしれませんね。

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