kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習日誌

2017-10-19 | 陸上競技
色々と思うことを。

これまで練習日誌を重視してきました。色々と考えることがあって「練習日誌」に関しては「提出しなくてもよい」ということに。これまでの私からすれば大きなことだと思います。

練習日誌をきちんと書く。これは間違いなく自分自身の振り返りになります。私も現役時代は毎日記入していました。他県の選手の様子を見るとやはりきちんと日誌を書いています。それは「強制されるもの」ではなく、自分自身がきちんとその日の練習を振り返るためです。前任校でもかなり書いていました。

新天地に赴任して「練習日誌」をどうするか。1年くらいたってからこちらで「ひな形」を作って印刷し配布しするようにしました。自分自身の振り返りです。前任校ではノートを各自が準備してきて勝手に書いていました。そういう習慣がない状態だったのでこちらが「準備」して「提出」を促すようにしていました。

練習日誌を見てみると「振り返り」が顕著に出ます。書けない選手も当然出てきます。「~を意識して走った」くらいで終わってしまう者もいる。かと思えば、かなり振り返りをする者もいる。別に日誌がきちんとかけたからその選手の意欲が高いとは言い切れないと思います。しかし、比例する部分はあると思っています。とりあえず書くだけの日誌は無意味だと思います。私が「ひな形」を準備しているからそれに記入するだけになる。「強制」でしかない。そうであれば「強制しない」という選択もありかなと。

結局は「自分自身がどうするのか」だと思っています。本当に必要であれば自分で振り返りをすると思います。その振り返りをしないのは「必要がないから」なのかもしれません。書く時間があればもっともっと別のことをする方がいいと思うのかも。それに関しては内面的なことですからよく分かりませんが。

繰り返しになりますが「日誌を書かなければ意識が低い」とは思いません。が、これは「強制されてやるものではなかった」と思うのです。自分自身の中から湧き出る想いがあってそれを記しておくもの。今の課題を明確にし次にそれを改善しようとするもの。指摘された内容を自分自身で忘れないために記録しておくためのもの。それが練習日誌だと思っています。そのことは「必要ない」「無意味」なのかもしれない。強い選手はそれほど振り返りをしないでも対応できるかもしれないので。

ここも考え方だと思います。必要であれば書く。それは当然のことだと思います。必要性を感じなければ書かない。これも当然のことだと思います。その目標に合わせて自分自身がどのようにするのか。

強い時代が続く学校というのはこういう基本的なことが「伝統」のようになっている。振り返りをしたりするのは「必要なこと」だという流れがあるから。上級生がきちんと書いている。それを見て「自分もきちんとやらなければいけない」となる。やるのが当然という流れになるから「強さ」もつながっていくのだと思います。日誌を書くのが「当たり前」のこととして存在しているから何も問題は生じない。

ここも「考え方」だと思っています。私がblogを書くのも「自分自身の振り返り」のためです。それなら公開するなという話になるのかもしれませんが。今自分が何をしようとしているのか。何を求めているのか。ここは自分の中で大切にしていきたい部分です。それをいつの間にか見失ってしまう。特にblogを書けない時期は自分がどのような「想い」の中で生きているのかさえ喪失しています。だからこそ書いておきたいと思うのです。

昨日、書いたblogに関しては多少なりと反響がありました。全国入賞を果たすようなチームの先生方からもアドバイスをもらいました。さらにこのblogを見てくださっている指導者の方からもコメントをいただきました。私は未熟です。40歳を過ぎたおっさんが「未熟」というのも情けない話ですが。一挙手一投足を完璧にできることはない。ロボットではないから感情も存在します。

常に素晴らしいと思ってもらえる内容をblogに書き続けられればいいのですが。スタンスを変えずにやることは変えていきたいと思っています。模索しながら。このことが1年後振り返った時にどのように感じるか。これもblogの意味だと思っています。後悔しないように生きていきたいなと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どう感じるか | トップ | 練習の記録 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。