kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考えさせられる

2014-02-11 | 陸上競技
大阪室内の話は流れがあるのでまた後ほど書くことにします。今回の経験を下級生に話をさせることで「自分たちがどのような状態だったか」を確認させたいと思っていたので。私から言われるよりも自分の言葉で話した後に指摘するほうが効果があるだろうと思いました。

月曜日の朝、1年生だけを集めて話をしました。内容は様々な部分です。まずは不在時の練習について。自分たちで練習を考えるように指示をしていました。木曜日に時間を与えましたがその時間内ではまとめることができない。その日に翌日の朝練の時間に考えてもよいと伝えました。その後、金曜日の練習終了後まで一切の連絡なし。「何をやるか知らせるように」と話していたのですが「行った内容」だけを伝えてきました。「報告をする」という当たり前のことはできました。が、それ以前に「本当にその練習でいいのか」という部分が確認できていません。全く意味のない練習をしていたらどうするのか?ここの部分まで気が回らない。「やること」に一生懸命になって「正しい練習なのかどうか」まで視野が広がらないのです。高校生だから仕方ないという部分はあると思います。しかし、本当にそれでいいのか?「自分たちの好きな練習をやる」だけでは何も生まれないのです。

また、報告をしてきた者、一人は誰か分かりませんでした。入学して約1年過ぎますがいまだに私に連絡先を伝えていない。だから「誰かわからないアドレスからメールが来る」という事態になるのです。「件名に名前を入れていた」と言っていましたが、長文のメールが送られてきて誰かわからない状態であれば通常であれば読みません。これまでも練習内容の変更や集合時間の変更は一斉送信で全員に送っていました。が、この者だけは送っていません。そのことも指摘して「不便ではなかったか?」と問うと「別に」という返答。自分自身は不便ではないのかもしれませんが、一人だけ連絡が回っていないのです。ということは、誰か他の者がわざわざ連絡を回さなければいけなくなる。自分は良いかもしれませんが周囲に迷惑をかけている可能性があるのです。ここに目を向けることができない。「礼儀」の部分だと思います。

「義務」と「権利」の話をしました。今、すべての面において「やってもらって当たり前」という感覚はないか?練習メニューを与えてもらう。これは「権利」かもしれない。しかし、それに対する「義務」をきちんと果たしているのか?自分のやりたいことだけをやるというのは「自己中心的な活動」でしかない。少しイメージしにくいかもしれませんが「保険証」の話をしました。少し分かり易いように意訳しながらですが。通常病院に行ったら「保険証」を提示します。これにより医療費負担が3割くらいになります。通常であれば1万円払う必要があっても「保険証」を提示すれば3000円で済むのです。高校生はこのことに何も感じないでしょう。結局お金を払うのは自分ではなく保護者なのですから。3割負担ということさえも知らないかもしれません。

3割負担。残りの7割はどうしているのか?実際は病院に行っていない人が「国民保健」「社会保険」等の形で保険料を納めているのです。自分自身が病気になっていなくても納めている。これが万が一自分が病気になった時に「3割負担」ですむための要因です。自分以外の人のために(最終的には自分にも返ってくることですが)毎月お金を納めている。そのお金で他の人が病院に行くときに「3割負担」となる。保険料を納めることをしなかったら「保険証」は存在しませんから病院に行ったときに100%自己負担となります。これは大きな額です。日ごろから「義務」をきちんと果たしているから「保険証」という負担軽減のための「権利」を得るのです。

これはすべての活動において言えること。自分たちが「陸上をやる」という。それは「権利」かもしれません。しかし、その裏側にどれだけ多くの人の支援があるのか?考えたことがあるのか?合宿に行く、試合に行く、スパイクを買う、サプリメントを買う。これはすべて自分が働いて稼いだお金ではなく保護者が働いて得たお金です。自分が「やりたいことをやる」ために多くの人が支援してくれているのです。そのことを忘れてないか?自分が「競技をやりたい」という「権利」だけを主張して果たすべき「義務」を果たしていないのではないか?ここについて考えたことがあるでしょうか。

遠征時に私が車を出すのは「当たり前」ではない。自分たちは寝ていたら目標地点にたどり着けるが、私はひたすら運転しているのです。メニューを与えられるのも遠征や合宿に行くのも「当たり前」のことではない。それまでに多くの準備をしている。実際は練習でも同じことが言えるのではないかと思います。「与えられたメニュー」をやっておけば「目的地」に着くと勘違いをしていないか?自分自身が「一生懸命練習をする」という「義務」を果たさないでおいて「なんとかなるだろう」という考えで取り組めば100%上手くいきません。やるべきことをやるのです。このことは午後に2年生も含めてもう一度話をしました。ここはまた別に書きます。

最後に「どれだけやるのか」の話も。中学時代の「努力」や「取り組み」と比べるとかなり頑張れるようになっていると思います。中学時代の頑張りを「1」としたら高校での頑張りは「10」かもしれません。過去の自分と比べると10倍頑張っている。大きな成長と考えられます。が、それは「自分自身の視野」で見たときの考え。実際はもっともっと「努力」をしている人がいるのです。全国に視野を広げると「100」頑張っている人がいる可能性もある。「1」だった努力が「10」になれば10倍の努力。しかし、「100」頑張っている人から比べると10分の1の努力でしかないのです。自分たちが一番が頑張っている。そう思いがちです。実際に世界は広い。

大阪室内に出場した選手がそれをどれだけ感じることができるのか?その話を直接聞くことで下級生の取り組みの意識が変わるのではないかと考えていました。そのために午後はミーティングから始めようと思っていました。

長くなりました。すみません。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大阪室内 | トップ | 考えさせられる2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。