kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

伝わらないもどかしさ

2010-07-10 | 陸上競技
金曜日、1日だけのクラスマッチでした。朝練の時間帯に1・2年生女子が私の所に話をしに来ました。とはいっても2年生が話をしただけですが。

前日2年生が話をして言い合いになったという連絡を受けていました。それぞれがそれぞれの主張をして言いたいことを言い合ったということです。これからのことについて真剣に考えた様子が伺えました。「1人になっても強くなるためにやる」という「覚悟」の部分を感じました。これで「はいそうですか」 という気にはなりませんが、考えていなかった前日と比べると随分ましになったかなと感じました。この状態が最低レベルだと考えています。問題点から目を反らしてその場をやり過ごすというのは何も解決しません。このままで良くはない。当然です。表情がかなり変わっていました。一時的な変化でなければ大きく伸びてくる可能性があります。
これまでの表面上の付き合いではなく一歩踏み出せたのではないかと思います。だから、時間を与えたのです。何もしないで話を聞いてくださいというのは「その場だけ」で終わり。問題解決にはつながりません。そこがわからないから問題だと言っているのです。

しかし、1年生はついてくるだけでした。こちらは問題点が何一つ明確になっていません。「続ける」「辞める」という選択肢で「続ける」というのを選んだだけです。ここに意味があるのか?結局惰性でやってしまうことになるのです。問題点を問題点だと思わないから次も同じことを繰り返す。上手く行かない事が目に見えている。目の前に明らかな落とし穴があるのです。それなのに「前に進め」と指導することが出来るでしょうか?さすがに無理です。

勉強会で勉強をしているのに隠しながら携帯を触ってメールをする、休憩時間に隙を見て携帯でメールをする。今は「勉強をする時だ」と割り切って我慢をする。相手にも「勉強しているからメールはできない」と伝える。それが出来ないから他の部分も我慢はできないのです。勉強するよりもメールで愚痴ったり、つながりを作っておくほうが「楽しい」ですから。メール相手もそれがわからないような者なら自分にとって本当にプラスにはならないのです。ここを分からない者に理解させるというのは非常に難しいことなのかもしれませんが、大切なことだと思っています。

これは部活でも同様。友達と遊びたい、恋人と一緒に過ごしたい、好きなものを好きなだけ食べたい。誰もが持っている感情です。しかし、本気で「競技」をやろうと思えばその部分はあまりプラスにはならないのです。結局競技をするために他のモノを我慢できるかどうかだけです。勉強会の携帯メールと同じことなのです。そこが我慢できない者が競技を真剣にできるのか?結局流されてしまい自分の中の可能性を生かせないまま終わってしまう。

「競技で強くなりたい」と「他者から可愛いと思われたい」というのは真逆の感情だと思っています。涙を流して倒れ込みながら走る。ウエイトや補強をやって筋肉をつける。周りを気にしていたら出来ないことです。逆に「可愛いと思われたい」というのは容姿に気を配り化粧をして着飾る。女性を意識することで女性ホルモンの分泌が盛んになら美しくなる。同時に筋肉はつかなくなるのを覚悟しなければいけません。男性ホルモンが筋肉の発達を促します。真逆なのです。

「友達と遊びたい」「恋人と一緒にいたい」「好きなものを食べたい」「学内でスカートを短くしたい」「携帯を触っていたい」という感情と「競技を真剣にやりたい」というのは同時には無理だと思っています。割り切れるなら可能ですが(校則を守らないのは大問題なので無理です)、割り切ってできない者が多いですからね。結局「陸上競技」も全力でできなくなります。「恋人と分かれた」「友達から遊びに誘われなくなった」という負の感情を練習に持ち込み始めますからね。そこまで割り切れるなら何も言いません。でも高校生の意志レベルでは出来ません。出来ていたら「賭ける」という意味をすでに理解できているはずですから。

それなりに楽しく「陸上サークル」をやるなら全く問題はないと思います。あれもこれも少しずつやりたいという価値観もありますからそれは否定しません。しかし、今のうちがやっているのは「陸上競技」です。今までの自分のやってきたことを越えていこうと日々やっているのです。それが「陸上サークル」をするのは無理だと思います。価値観が全く違うのですから。

今しかできないことをする。ここに価値を見いだしています。必死になって仲間と自分達の目標に向けてひたすら進み続ける。この中で他では決して手に入れることのできない大切なモノ、一生の宝となるものが見えてくるのです。それを感じさせるために「陸上競技」を通じて選手に様々なモノを伝えているのです。「陸上競技」が私の「想い」を一番伝えることができるツールだから「陸上競技」を使って伝えているのです。

「やりたいからやる」だけではないのです。指導者の理念があってそれに賛同して競技をやるのです。この数週間でこの想いが強くなりました。価値観が違う部活動に参加していても意味はない。間違っているかもしれませんが、強制されるモノではないと思います。

このblogを読んでいただいている方にも理解してもらえないかもしれません。しかし、メッセージの無い教育活動ほど無意味なモノはありません。こちらが伝えたいモノを持たずに部活動をするのは今の私には無理です。信念を持ってやっています。厳しすぎるかもしれません。が、今は曲げたくありません。この先、生徒の質が大幅に変化していって社会が成り立たなくなれば違うかもしれません。その危険性を抱えた教育活動をしているとこの数週間痛いほど感じています。

信念を持ちやっていきます。それしかできませんから。
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更なる怒り

2010-07-10 | 陸上競技
木曜日、朝練は申し出があったのでミーティングにしました。こちらは完全に任せました。私は「もういいだろう」と思っていました。そこまでやる必要があるのだろうかと…。

午後の練習に行こうと思ったらもう既に練習が始まっていました。サーキットですが、前日に退部届けを渡して「辞めても良い」と話しているにも関わらず普通に練習に参加していました。何なんでしょうか?自分達の中で「頑張ろう」と思ったらそれで良いのでしょうか?問題は何も解決していないのに練習を一生懸命にやれば良いのか?話は全く違うと思います。更なる怒りがわいてきました。

こちらが時間を取って話をした事の意味が分かっていないのだと思います。日常生活がきちんと送れない者と一緒にやる気にならないと話したのです。練習をやればそれで良いというわけではありません。競技そのものに目が向かないのにそのまま練習に参加して本当に意味があるのか?一般的な高校生と同じように他にもやりたいことがあっておしゃれをして可愛く着飾って髪を染めて生活をしたいというならそちらの方向で生きれば良いだけの事。陸上競技部で部活をする必要はありません。
練習日誌は提出されていましたが見ませんでした。日誌に何を書いてもまずは自分の口できちんと考えを伝えることが必要です。というか礼儀だと思います。一般的な高校生と比べると多くのモノを我慢するかもしれません。しかし、何かを本気でやろうと思えばそれは当然なのではないでしょうか?自分が持っているエネルギーを様々な方向に使っていけば「本気でやる」と言っている事に使うエネルギーは少なくなります。「それなりに頑張る」という最も嫌いな練習になるのです。

かなり頭に来ました。どこのレベルに合わせるのかという話です。全く意味がわかりません。まともに話をしてもいないのに「やりたいからやる」というのではルールも何もあったものではありません。問題点がどこにあるかも分かっていないのに「はいそうですか」と練習に参加させるのは今私がやりたいと思っている事とは全く違います。これまで3年生に目が向いていたので下級生はその影に隠れていました。 中国大会が終わった時に「雰囲気だけで泣いている」と話しましたがまさにその通りでした。悔しいですがこのチーム状態ではインターハイはありませんでした。あれだけやってきたのに表面上のつながりだけしかなっていませんでした。これまで何をやって来たのか虚しくなりました…。

かなりの労力をかけて時間をかけて、その見返りが「こんな練習で強くなるとは思えない」という評価ですから。やりたくない者にかける時間ほど無駄なものはないと感じています。表情そのものが競技者では無くなくなっている者もいます。これでも私が指導をしなければいけないのかと…。無理だと思っています。こちらがその気になりません。

自分達のための練習だという事が分かっていないもののために時間を使うのがかなり惜しくなりました。初めて赴任した学校であればチーム作りをしていくためにかなりの労力を使うのは当然です。しかし、これまでやってきてこれですから正直疲れました。中国大会が終わってからの数週間、ストレスからほとんど眠れなくなっていました。これ以上のストレスは無理です。

時間が過ぎればなんとかなるなると考えているのかもしれません。もう競技をしてもらう必要はないと真剣に思いました。「話があります」と取って付けたような感じだったのでこちらとしては火に油を注がれた状態です。まだ勤務時間内だったので年休を取って帰りました。大人気ないかもしれませんがこちらにも権利はあると思います。何でもかんでも生徒の要望に応える必要はない。私にもそれくらいの権利はある。違うのでしょうか?

他の者には指示を出して帰りました。これ以上は無理です。かなりストレスが蓄積しています。中国大会以後1年生の事で考えられないくらいのストレスを受けています。複数の事が重なりあっていますから。いい加減にして欲しいという感じですね。情けないを通り越して限界です。我々の仕事の無力さをかなり感じています。

これから先の事、真剣に考えたいと思います。楽しくない中でやるのは嫌ですから。
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