水曜日の練習中、様々なことを感じました。合宿中に脚を痛めた者がいるのですが「何がなんでも治そう」という雰囲気を感じませんでした。こちらから言われて初めて何かアクションを起こす。「地区合宿があるからら様子を見ろ」と話をしてはいましたが本当に様子を見ているだけでした…。走れないならケアをするなり補強をするなりできることがあるだろうと。「補強でもやっておけ」と言い放ちましたが本人がどこまで意味を考えて受け止めたか…。
能力的にはかなり高いと思っています。本気になって取り組めば県でトップが取れるくらいの潜在能力があると感じています。が、ガムシャラさが全くありません。他の選手よりも努力をして強くなってやろうという雰囲気が出てきません…。残念ですがこのまま同じレベルのまま終わってしまうかもしれないと本気で感じています。こちらもアプローチをしていきますが、結局は本人がどれだけ本気になるかだけです。今までそれなりに練習してきてそれなりにタイムが出ていましたからそこで満足している部分もあるのでしょう。とにかく今の状態では怪我を繰り返したりして力は出せないでしょうね。最終的に本気になれない者は何も変わりません。本当にそれで良いのでしょうか…。難しいと思いますね。
逆に2年生女子は変わり始めました。今までと比べると数段良くなりました。声を出すようになったのもありますし、一時期の甘えたような顔ではなくなってきました。それに比例して走りも格段と良くなってきました。もちろん今の力では目標には届きませんが可能性が出てきました。しばらく走るのを見ていなかったというのもあるかもしれませんが脚運びがかなりスムーズになってきています。前日退部届けを渡し真剣に考えさせた意味はあるようですね。まだ本物ではありませんが確実に変わりつつあります。これが本物になれば…。
ほんの少しのきっかけで変わる者もいればどれだけ話をしても変わらない者もいます。これはたまたまなのでしょうか?違うと思っています。変わる者は変わる理由があるのです。逆に変わらない者は変わらない理由がある。他者からの話の意味をどれだけ理解しようとするかです。真剣に考えていく事で初めて変わるためのきっかけがつかめる。何もしないで過ごしていてはチャンスはつかめないのです。足りないものは「ガムシャラさ」です。
周りの目を気にしないでひたすら目指すものに向けて進む。それなりにやるのではなく、必死になってガムシャラに汗をかき、涙を流し、倒れても立ち上がる。そういう必死さがあって初めてきっかけやチャンスをつかめるのです。それがない者は強くなるチャンスを逃し続けることになる。
先程の怪我をして練習を見ていた選手、この部分が足りていないのです。何とかして強くなろうという欲があれば練習中の時間は大切なはずです。他の者が目の前で負荷をかけている。それを見ているだけで何が変わるのでしょうか?補強をするにしても何が必要かを考える必要があります。そこが自分で分からないから「甘い」と言われているのです。どれだけ「力」があっても本気になりきれない者、「心」が無い者は決して強くなりません。冷たい言い方かもしれませんが、それが現実です。まだ頑張り方を知らないのだと思いますがこれから先も今のままであれば非常にもったいないですが変化は少ないかもしれません。
練習中の姿を見ていて感じることがあります。上手くできなくてもこちらが求めていることを不器用ながらもやろうとする者には手を差しのべてやりたくなります。私が本人の「意欲」を見るのは補強です。走るのはそれなりにやりますが、補強は本気で「強くなるんだ」と思っていたら自然と補強をします。言われたからやるのではなく「自分のため」にやるのです。分かりづらい表現かもしれませんが、ここに全てが集約されていると思っています。
どこまで理解できるでしょうか。変わるのは自分自身です。足りないものに気づけるか?気づかなければそこまで。チームとして戦うことができるようになるでしょうか。一抹の不安があります…。
能力的にはかなり高いと思っています。本気になって取り組めば県でトップが取れるくらいの潜在能力があると感じています。が、ガムシャラさが全くありません。他の選手よりも努力をして強くなってやろうという雰囲気が出てきません…。残念ですがこのまま同じレベルのまま終わってしまうかもしれないと本気で感じています。こちらもアプローチをしていきますが、結局は本人がどれだけ本気になるかだけです。今までそれなりに練習してきてそれなりにタイムが出ていましたからそこで満足している部分もあるのでしょう。とにかく今の状態では怪我を繰り返したりして力は出せないでしょうね。最終的に本気になれない者は何も変わりません。本当にそれで良いのでしょうか…。難しいと思いますね。
逆に2年生女子は変わり始めました。今までと比べると数段良くなりました。声を出すようになったのもありますし、一時期の甘えたような顔ではなくなってきました。それに比例して走りも格段と良くなってきました。もちろん今の力では目標には届きませんが可能性が出てきました。しばらく走るのを見ていなかったというのもあるかもしれませんが脚運びがかなりスムーズになってきています。前日退部届けを渡し真剣に考えさせた意味はあるようですね。まだ本物ではありませんが確実に変わりつつあります。これが本物になれば…。
ほんの少しのきっかけで変わる者もいればどれだけ話をしても変わらない者もいます。これはたまたまなのでしょうか?違うと思っています。変わる者は変わる理由があるのです。逆に変わらない者は変わらない理由がある。他者からの話の意味をどれだけ理解しようとするかです。真剣に考えていく事で初めて変わるためのきっかけがつかめる。何もしないで過ごしていてはチャンスはつかめないのです。足りないものは「ガムシャラさ」です。
周りの目を気にしないでひたすら目指すものに向けて進む。それなりにやるのではなく、必死になってガムシャラに汗をかき、涙を流し、倒れても立ち上がる。そういう必死さがあって初めてきっかけやチャンスをつかめるのです。それがない者は強くなるチャンスを逃し続けることになる。
先程の怪我をして練習を見ていた選手、この部分が足りていないのです。何とかして強くなろうという欲があれば練習中の時間は大切なはずです。他の者が目の前で負荷をかけている。それを見ているだけで何が変わるのでしょうか?補強をするにしても何が必要かを考える必要があります。そこが自分で分からないから「甘い」と言われているのです。どれだけ「力」があっても本気になりきれない者、「心」が無い者は決して強くなりません。冷たい言い方かもしれませんが、それが現実です。まだ頑張り方を知らないのだと思いますがこれから先も今のままであれば非常にもったいないですが変化は少ないかもしれません。
練習中の姿を見ていて感じることがあります。上手くできなくてもこちらが求めていることを不器用ながらもやろうとする者には手を差しのべてやりたくなります。私が本人の「意欲」を見るのは補強です。走るのはそれなりにやりますが、補強は本気で「強くなるんだ」と思っていたら自然と補強をします。言われたからやるのではなく「自分のため」にやるのです。分かりづらい表現かもしれませんが、ここに全てが集約されていると思っています。
どこまで理解できるでしょうか。変わるのは自分自身です。足りないものに気づけるか?気づかなければそこまで。チームとして戦うことができるようになるでしょうか。一抹の不安があります…。