kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

応援されるチームになる

2010-05-23 | 陸上競技
前日「マイルで中国大会に行くためには」という話になりました。どれくらいのタイムが必要かと。うちが初めて中国大会に参加させてもらったのが5年前になると思いますが当時はかなり厳しい状態でした。マイルを走れる人間は4人しかいなくてそれも今と比べると意識レベルがかなり低かった。「賭ける」というものはそれほどなかった気がしています。これは私の甘さが影響していたのかなとも。

最初の年は4分20秒を切れば中国に行けると選手に言い聞かしていました。冬期は3人しか選手がいないのに根拠もなく「行ける」と(笑)。たまたま1年生が入って来てくれてマイルに出ることができました。うちは思っていた以上に速くなっていて4分11秒6くらいで準決勝を走りました。が、プラスの2番目。加えて何度も書いていますが1人転倒して歩くこともままならない状態。正直諦めかけていました。それでもmatuzaki先生に手を当ててもらい決勝で激走。同じく4分11秒6で中国に進むことが出来ました。この時は「おめでとう」と周りからかなり祝福されました。チーム状態がそれまでで一番良かったと思います。さすがに私も感動して涙したのを覚えています。初めて中国に行けるからではなく選手が力を出しきってくれたからです。

翌年は冬期の時点からトラブルが相次ぎました。「先生に怒られるのが嫌だ」「周りのように遊びたい」という理由で退部、「先生が自分の事を分かってくれない」「自分はこんなに頑張っているのに…」というので反発して上手く練習できない。この状態で戦えるほど甘くはありません。退部した者が色々なことがあって2ヶ月後に復部。通常ではありえません。まー色々あったので。が、結局スカート丈は短くする、化粧はしてくる、見ていないところでは手を抜くの繰り返しですから上手くいくはずはありません。なかなか伝わらないもどかしさがありました。
総体4継の決勝の前に「走りたくない」と言ってきました。それを聞いたkuboi先生が激怒されたのを覚えています。化粧をして走ろうというような選手が勝ってはいけないと厳しく言われました。当然です。周りから応援されるチームとは一番遠い状態だったと思います。運命とは残酷ですが4継は優勝候補がバトンミスで失格し6位、マイルは上位チームが転倒してその間を縫うようにして6位に滑り込みました。そこから学ぶべきものは多かった気がします。勝ち上がったというよりは「試練を与えられた」という感じでした。「強いチームには責任が伴う」というのを強く感じました。応援されないようなチームではプラスアルファの力は出ないのです。

更に翌年はもう一度戦うために必要なものが何かを学ばせてもらいました。表面上のつながりではチームはできない。この年も同じように冬期からもめることが多かった。本来チームを作っていくべき3年生が当たり前の事を当たり前にやらない状態が続きました。本来持っている「力」は素晴らしいものがありましたが、その力を磨くために最大の努力が出来ませんでした。練習開始時に行うサーキットを見ていると明らかに力を抜く姿が見られました。ウエイトコントロールをしなければいけないはずなのにそれができない。持っている力を最大限に引き出すことはできません。
あまりにも酷い状態でした。明らかに「やりたくないのにやらされている」という感じで学年で温度差がかなりありました。総体に向かうまでにチームがきちんと成立しない状態では絶対に戦えないのです。何度話をしても伝わらない。正直顧問交代を口にしたこともあります。その時はやる気になるのですが、数日後には元に戻る。短い指導歴ですが一番しんどい時期でした。

総体を迎えて初日に1年生がいきなり62秒1で走り県で7位となりました。が、この選手をマイルメンバーに入れるかどうかという時に完全にチームが崩壊しました。今までメンバーから外れたことのない者が危機感を感じ、嫌がらせをしたり無視をしたりという状態が生まれチーム内に会話が無くなりました。やるべき事を間違えていることに気づかないのです。総体は上級生で組もうと思っていましたがそのような状態ですから戦えるはずがありません。結局4分15秒くらいかかって5位だったと思います。表彰台に上がってもおかしくない力がありましたが周りから「勝てないだろうな」と思われるチーム、顧問が「勝ってはいけない」と思うようなチームでは戦えないというのを強く感じました。

4年目は3年生がこれまでのチームを見ていましたから随分違いました。これまでで一番まとまりがある状態でした。が、エースが春先に故障してしまいそこから少しずつ歯車が狂ってしまいました。その動きを戻すために総体直前まで練習しなければいけない状態でした。また、私が意図的に選手に距離を置いていたため、仲間同士で動きを見るという習慣がついていました。総体でも過剰に「仲間に見てもらう」ようになっていました。「大丈夫」だと言ってもらうことで安心をするというのが目立っていました。「チーム」という枠組みに入ってしまい本当に戦うのが自分自身だということを忘れてしまっていたのです。各自が最大限の力を発揮していくことで「チーム」として戦えるのです。誰かに戦ってもらって上の大会に進むわけではない。そこを見失ってはいけません。
実際のマイルではエースが全く走れずに64秒くらいかかりました。厳しいようですがメンバーを外しました。前年では絶対にできないことだと思いますが、当時のチーム状態だからできたのだと思います。悔しかったでしょうがその想いがあったから中国で爆発的な走りができたのた思います。全てを決めるのは「心」ですから。

この姿を見て下の選手が育っていきました。この時のチームを越えるというのが最大テーマです。秋には4分00秒まで行きました。タイムでは既に昨年のチームを越えていますが、「心」の部分で越えていかなければ戦えません。全てで越えていくことがインターハイへの唯一の道です。この冬は本当によくやりました。取り組む姿勢もかなりのレベルだと思っています。中国地区でもトップレベルだと自負しています。応援してもらえるチームになってきていると。見えない力ですが「勝ってもらいたい」と応援してもらえるチームになればきっとインターハイに届く。そう信じています。
初めて中国大会に行ったとき、山口県開催でしたがube高校がマイルでインターハイ出場を決めました。地元開催というのもありましたが最終種目で県内のほとんどの学校が一体になって応援していました。この大応援団の声援を受けてのインターハイ出場。応援されるチームの姿を見ました。今年の鳥取で応援されるチームとして戦っていきたいと思います。自分達のやってきた事を証明したいと。応援してもらうためにやっているわけではありません。自分達のためです。自然発生的に応援してもらえるチームになってもらいたいと思います。

どこまで力を出せるか?そのためには総体できちんと勝ち上がらないといけません。慢心せず油断せず冷静に取り組んでいきたいですね。
コメント
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