医学黎明期のころの言葉ですね。
「神が治し、医者が報酬を受け取る」
もうちょっとまあるい表現だと
「神が治し、医者が包帯を巻く」
解釈はどのようにでも。外科手術をするのは医者でも、縫合したところが勝手に融合していくのは、医者の力は関係ないですよね。(死者の体にメスを入れて、縫合しても、決して融合しない。さすれば、この、勝手に融合していく力はなんなのか)風邪引いた、病院に行くと「水分とって暖かくして寝てなさい」と言われ、一週間で治った、と。この場合、治したのは誰か?
整体業界のホームページやチラシでも「私が治すのではありません。あなたの自然治癒力のお手伝いをするだけです」という謳い文句を掲げるところもあります。「俺を治してくれー」というお客様には物足りないかもしれませんが、実際に、治る力を持っているのはお客様本人であることは間違い無いところですよね。
しかも、この治る力、とやらは、行きすぎがない。治りすぎ(?)がないところがまさしく神の技としか言いようがない。しかも意識してここまで治せ、って考えてるわけじゃないですからね。
昔の人は、生命力、生きるという力、自然治癒力、イコール神の御技、に思えたのでしょうか。僕が神を信じているかどうかは別にしても。整体しながら「体って、心って、不思議だなあ。素晴らしいなあ」と日々実感しているのは本当のことです。
誰がこんな「もの」をつくったのかは知らないけれど、すごすぎっ、です。だから、治せる治療家もすごいのかも知れないけれど、治ってしまう自分も、もっとすごいんですよ。
「あなたの体はぼろぼろだ、歪みまくってる、ほっとくと大変だよ」という治療家は、この素晴らしさをまだ掴めていない人なんじゃないかな、と思ったりするんですが、いかがなもんでしょうか?
「神が治し、医者が報酬を受け取る」
もうちょっとまあるい表現だと
「神が治し、医者が包帯を巻く」
解釈はどのようにでも。外科手術をするのは医者でも、縫合したところが勝手に融合していくのは、医者の力は関係ないですよね。(死者の体にメスを入れて、縫合しても、決して融合しない。さすれば、この、勝手に融合していく力はなんなのか)風邪引いた、病院に行くと「水分とって暖かくして寝てなさい」と言われ、一週間で治った、と。この場合、治したのは誰か?
整体業界のホームページやチラシでも「私が治すのではありません。あなたの自然治癒力のお手伝いをするだけです」という謳い文句を掲げるところもあります。「俺を治してくれー」というお客様には物足りないかもしれませんが、実際に、治る力を持っているのはお客様本人であることは間違い無いところですよね。
しかも、この治る力、とやらは、行きすぎがない。治りすぎ(?)がないところがまさしく神の技としか言いようがない。しかも意識してここまで治せ、って考えてるわけじゃないですからね。
昔の人は、生命力、生きるという力、自然治癒力、イコール神の御技、に思えたのでしょうか。僕が神を信じているかどうかは別にしても。整体しながら「体って、心って、不思議だなあ。素晴らしいなあ」と日々実感しているのは本当のことです。
誰がこんな「もの」をつくったのかは知らないけれど、すごすぎっ、です。だから、治せる治療家もすごいのかも知れないけれど、治ってしまう自分も、もっとすごいんですよ。
「あなたの体はぼろぼろだ、歪みまくってる、ほっとくと大変だよ」という治療家は、この素晴らしさをまだ掴めていない人なんじゃないかな、と思ったりするんですが、いかがなもんでしょうか?
半数は「神が治す」ことをわかっていると思います。
現場にいるものは、医療技術だけでは病気が直らない
ことを実感しているようです。
「医学の無力を理解してこそ本物の医者」と語る友人もいますし、ガンの患者さんを「病は気から」励まし続けて治療効果?をあげているわけのわからん人もいます。
ただ一部には神を目指しているとしか思えない人も
いますね。「俺が治してやるっ!」というスタンスの
人たちです。外科のお医者さんの多いような気がします。
え?違うって?
まぁ良いじゃありませんか。かいつう先生は患者さんの立場に立った、数少ない先生だと言うことには間違い有りません!
で、軽自動車、買ったんですか?将来はベンツ?