尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

刷り込み業界

2009-03-30 18:14:13 | 健康 整体
まったく違う方法でセラピーをされてる方のお話を聞くのは本当に気づきが多いものです。こちらでは「問題をどうやって解消するのか」と悩むところでも「それのナニが問題なの?」という切り口があったり。

その話は今日は関係ないのですが、要は明るく元気になってもらうこと。それにつきるなあ、って思いました。
あるセラピストさんと共通のお客さんがいるのですが、最近、明らかに明るくなってるんです。明るくなる、って女性だと美しくなってる!久しぶりにお顔を見たらもう別人ですよ。「変わりましたよね、あの女性」って話をしていたのです。

それをあるセラピストさんは「自信がつくと明るくなって、明るくなると美人になる」というニュアンスで表現されていました。

セラピストさんが自分で「こうじゃないか」という仮説を披露してくれたんですがそれによると、子どものころに「美人だね」と周りの人に言われると。親が「いえいえ、ウチの子なんて」と謙遜(この場合は否定)する、それが何回も幼いころから続いて、子どもは親からの否定を耳にし続けて自信を失うのではないか、と。
意外と美人の人に自分に自信がない人がいるのはそこらあたりに原因があったのではないか、と。

僕にはそういうことを考えたことがないのでわかりませんが、実は整体・カイロ業界って、こういう刷り込みをしまくってるんじゃないか、と冷や汗がでました。

「ああ、ここが歪んでますね」「ひどい歪みですね」「こりゃあ毎週来ないとね」「ぼろぼろですね、ガチガチですね」「ほっとくとこうなりますよ」「二足歩行の宿命ですから」エトセトラ・・・。

この逆ってあんまりないでしょ?「ああ、こんなの大したことないですよ、大丈夫ですよ」「ほっといても問題ないですよ」「もう大丈夫。あとは好きなときに来て下さい」エトセトラ・・・(笑)。

それで人が元気に明るくなれるものかしら、って。
整体とかカイロとかに来たからには、帰っていただくときには来た時よりももっともっと明るく元気になってもらわなきゃ、って。

最近、一回で治るかどうかよりも、喜んでもらえるかどうか、をもっと大事にするように心がけています。実際に病気でも「明るい人」はいます、病気でも幸せそうな人はいるんですよね。幸せかどうか、ってすごい大事な基準だと思うんです。

すべての人が幸せでありますように、と願いつつ、
今日もありがとう。
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あれれ・・・ (名無しさん)
2009-03-30 23:56:58
先生、最近ちょっと宗教っぽくなってません?

返信する
Unknown (かいつう)
2009-03-31 13:32:38
あれれ・・・これが宗教っぽいですか?
どっちかと言うとこういう内容の方が人間っぽくないですか?
もしこれが宗教っぽかったら、人は幸せになるためには宗教に入らなきゃダメってことになりません???
返信する
ほらぁ (名無しさん)
2009-03-31 23:23:42
よく見かけるじゃないですか?

世界人類が平和でありますようにってのが。
宗教法人 白光真宏会です。
参考;http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/byakkoshinkokai.html


かいつうさんは、すべての人が幸せでありますように、と願いつつ、 って書いたでしょう。

なんか似てると思いません?
返信する
Unknown (かいつう)
2009-04-02 23:11:37
あ、、、名無しさん、書いてしまいましたね?
そうやって具体名を出すのは慎重にやってね~。
否定も肯定もしにくくなるじゃないですか?

最初はせめて「スピリチュアルっぽくないですか?」って書いてよ~って返信するつもりだったんですよ(笑)。

で、さらっと返信しようかと思ったんですが、思いっきり書いちゃいましょう。

まず、宗教っぽい、というのは名無しさんの主観なわけで、名無しさんがそう思うならそうなんだろうな、って話で終わりです。以上。これがさらっとバージョン。

で、こっから話をむっちゃ広げていきますよ~。知りませんよ~~(笑)

主観、という話なのですが、僕がブログを通じて知り合った面識のない整体師さんは、ある部分の筋肉の拘縮は手を当てたらとれるんだ、と教えてくれました。これを聞いた僕が、
「へえ、すごいね」と思うか「へえ~、超能力者っぽいね」と思うか「へえ~、ヒーラーっぽいね」と思うか、「へえ~、宗教っぽいね」と思うかは僕の主観。手かざしをする宗教は現にありますからね。事実は、手を当てたら筋肉の硬いのがゆるめられますよ、というその一点だけ。そこに「手を当てる宗教があったな」と僕が結びつけたら、その整体師さんは「宗教っぽくなる」、あくまで「僕の頭のなかで」。

さて、次に僕のコメントで「人間っぽくないですか?」ということと「宗教っぽい」ということについて。

たとえば、健康雑誌にすら載るようになった「ありがとう、感謝します、ツイテル」という言葉をたくさん言うといいことが起るよ、てやつを例にします。
ある人が「神様、ありがとうございます」というと人は幸せになるみたいだ、として宗教法人化したとします。そうしたらそのあとは「ありがとうございます」と誰かがスーパーのレジで言うたびに「あ、あなた、最近、宗教っぽくなったね」と言われる可能性がある、てこと。

問題はその言葉が良い言葉かどうか、なのであって「先に宗教団体が使用しているかどうか」なのかい?ってとこ。


人間ぽくない?とお聞きしたのは言葉のもつ本質として「みんなの幸せを思うのは、人間らしいか宗教らしいか」てことです。もし、人間らしくなく宗教ぽいのであれば、絶対に人は幸せになれませんよね?宗教に入らない限りは。

でね、この宗教団体に即して整体のことを考えてみましょうか。仮にうちのお客さんが一回で改善したとしましょうよ。で、ですね。改善したその日の夜にミサイルが落ちてきてそのお客さんが死んじゃったらどうします?改善した意味が見出しにくいですよね。
1999年とか2012年とかの話があります。仮に三日後に世界が滅亡するとしたら、、、腰痛が治るかどうか、肩こりが辛いんだ、とか、整体という職業すら意味がなくなりませんか?今、第3次世界大戦中だったら、整体なんか誰もやってない。「世界が平和でなければ、腰痛も整体もやってられない」。
これはその宗教団体に入っていようがいなかろうが関係のない事実です。

というわけなんですよ。

まあ、僕の整体は宗教っぽくないですが、僕の生きてきた背景ってたぶんに宗教っぽいですかね。

やっぱり「自分が救われたい」て思いは小さいころからあったし、それが裏返って「人を救いたい」という気持ちになって、やっていくなかで「人は、人を救えるのではなく、人が救われる場所にたまたま立ち会えるだけなのかも知れないな」と思ってみたり。

でもそれが本当に宗教っぽいのか、もしかしたら人間の本能とまではいわないけど「誰かを助けたい」という気持ち自体が根源に埋め込まれているのではないか、とかね。そうだとしたら、宗教かどうかじゃなくて、人間らしいか人間らしくないか、て次元になってくるんですよね。

もし、メールをいただけたらもっと個人的なことも書きますよ。これ以上のボリュームで(爆)。
返信する
うわぁ (名無しさん)
2009-04-03 00:09:30
うっかりスイッチ入れちゃった!
返信する
Unknown (かいつう)
2009-04-03 13:14:11
完璧にスイッチ入りましたね(爆)。
返信する

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