Hiro君の手作りジャズライブ・京都 Blog

寺崎純(p)を中心とする京都のプレーヤーと大阪、神戸を主戦場とするジャズメンとのブッキングを、行いたいと考えています。

3/3ジャズナイトatサントロペー

2014年03月07日 23時57分40秒 | Weblog

は、疲れ果てて欠席。ホントに疲れております。最近、もっぱらクラリネットばかり吹いていて、テナーががたがたになっていましたが、とうとうSelmerが壊れて、仕方なくソネではカドソンBNで演奏。一番好きでない音のするこの楽器、Vandoren Java2.5で吹くと、あれまあ結構いい音。もう少し堅いリードが良いけど、てな訳で、リード合わせから再出発しなけりゃいけない状態ですが、はてさて。

ヤナギサワも新しいサックス出したようで。アルトが欲しい。

Yamahaも新しい特注品のクラを出したようで。そんなに違う音なんだろうか。Blissも欲しい欲しいと要っている間に、入手困難に。ソプラノサックスも買い換えないと。バリトン、忘れてた。

と、相変わらずおめでたく楽器を変えれば上手くなると思っているような状態ですが、そろそろ楽器も絞らないと、等と殊勝なことを。大体練習時間が極端に確保できなくなっているのは、ちと辛い。

 


中井裕樹

2014年03月07日 23時41分26秒 | Weblog

中井裕樹、VALE TUDO JAPAN OPEN 1995で見たのが最初で最後。又、Youtubeでもさがせば出てくるかも知れないが。
バーリトゥード(なんでもあり)の試合。日本の総合格闘技の走りだが、正に壮絶な戦いであった。プライドなど、総合格闘技として人気を博する前のもので、ルール等おおざっぱであったように思う。中井氏は身体も一回りも二回りも小さく、ひ弱にみえたが、関節技を全身で決める姿は本当に凄かった。
一回戦、空手家ジェラルド・ゴルドー戦では長時間の戦いで消耗し、且つ、左目が腫れ、悲愴な状態であったが、後で、失明と判明、それも、サミングによる、眼窩に指を入れられるという反則で受傷したとのこと。
それでも、関節技で仕留め、二回戦は大男のプロレスラーに、からかわれながら、最後は関節技でこれまた鮮やかに仕留めた。
さすがに、決勝戦では、ヒクソン・グレイシーに簡単に負けてしまうが、精根尽き果てた様子であった。あれ以上戦えという方が無理なボロボロの身体で、よくぞ戦ったと思ったが、増田氏によれば、ヒクソンから”サムライ!!”と賞賛されたそうな。ヒクソンと1回戦で当たっていれば、良い試合をしていたはずと、又、見果てぬ夢を抱かせる。
ウィキペディアによれば、失明、引退をしたとのことで、成る程、彼のその後の試合を見ることがなかったわけだが、プライド以降なら、中井氏の試合は一回戦でドクターストップがかかっていた事は間違いない。2010年、日本修斗協会会長に就任したそうです。桜庭和志と並んで、尊敬するファイター。


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著

2014年03月07日 23時40分40秒 | Weblog

武道、柔道、あるいは武術、柔術の歴史から説き起こして、グレイシー柔術との関係、プロレス、空手に至るまでの大きな流れを示した力作。
私自身が、多少とも武道をしていた関係上、大日本武徳会、高専武道等を耳にしながら、詳細は気にもとめず、柔道場では、高専柔道の流れをくんで寝技中心の柔道をしていたとの話もあるが、これもスルーして、その後、いい年をして総合格闘技に嵌り、桜庭和志を応援、敵のグレイシー柔術、講道館柔道でない、日本発の柔術の流れとは知りながら、それ以上の知識が無いままであったものが、この本を読んで全体像がやっと把握できたのは感動ものであった。百田尚樹著”永遠の0”で、太平洋(大東亜)戦争前後の断層を埋めるのが感動的であったように。
又、力道山がヒーローになった頃、小学生で、木村政彦という名前はその頃も知らず、"木村ロック”の発案者くらいの知識しか持っていなかった。
さて、多数の流派があった柔術が、明治以降、大日本武徳会、高専、講道館柔道などに纏まり、それぞれが競い合っていた。特に、高専柔道はもっぱら寝技中心の柔道であった。前二者が、敗戦後、GHQから禁止されたのに反して、講道館柔道だけが生き残り現在に至る。これが、オリンピック種目となっている。
木村政彦が、日本柔道界最強の柔道家であるのに、忘れ去られていたと言うのも驚きであった。力道山との昭和巌流島の戦いに、惨めに敗れて後の木村の生き様までが詳細に記されている。Youtubeで見られる"君は木村政彦を知っているか?”シリーズだけでは解らない、日本格闘技裏面史にも触れている。
木村政彦とエリオ・グレイシーとの戦いで、力の差はあったものの、お互いにリスペクトし合う既述を読んでいて、エリオがプライドの舞台で日本の観客にスピーチをした時に、当時グレイシーは敵!一色の観客に、とまどった表情を隠せなかったエリオが思い出される。
その他、木村が柔道を打撃技を含む格闘技と考え、ボクシング、空手などにも手を出したこともかかれている。力道山の暗部は、既に多くの本で指摘されているが、それでも、当時、日本のヒーローであったことは間違いない。彼の生き方と、木村の生き方も対照的であったが、昭和巌流島での戦いでは、力道山はスイッチが入り、プロレス技を越えて、打撃技で木村をノックアウト。木村は、最初の一、二発で意識が飛んだようだが、ガチンコ(セメント)なら、あの打撃は避け得たと思われる。エリオの動画と共に、Youtubeで閲覧できる。エリオとの動画についても2ラウンド目の動画との指摘もしており、詳細な分析をしていることが理解できる。
VALE TUDO JAPAN OPEN 1995で、ジェラルド・ゴルドーの反則で失明した中井祐樹の解説もあるが、失明の理由も初めて知った。この時のビデオも見たことがあるが、小さな身体の中井氏が、大男に正面から戦っていく様子は、これまた感動的である。決勝でヒクソンに簡単に敗れてしまうが、怪我その他で、精魂尽き果てた様は忘れ得ない。中井氏が初戦でヒクソンと対していれば、と、つい考えてしまうくらい、命をかけた、鋭い関節技は素晴らしかった。著者と共に北大柔道部出身(共に中退)とのこと。
著者について、Youtubeを見ると、入れ込みすぎて、これ以上書けない!との魂の叫びを伝えるものもあるが、確かに、それくらい強烈な情熱がなければ、これだけの大作は書けないと思う。
私自身の、知識、観戦経験を統合してくれた、素晴らしい著作。