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  裁判員制度について(その4)  -違憲論について-

 裁判員制度に対する逆風については、安原判事がホームページ(19年10月)のオピニオンで述べておられるが、なお、その風はおさまるところがない。最近発行された、文藝春秋編「日本の論点2008」でも、嵐山光三郎氏が、「裁判員に公正な判断は可能か」という題のもとに、自ら裁判員になりたくにないし、被告になってもプロの裁判官に裁かれたいと述べられていた。

 ところで,裁判員制度批判論,なかでもこれを違憲とする主張が,これが立法化されて相当な期日が経過した現時点でも衰えないというのは,その実施まで1年余りとなったこの時期からすると,決して好ましい事態とはいえないであろう。

 裁判員制度違憲論が、一番力点を置くのは、国民は、裁判官による裁判を受ける権利を保障されているところ、「裁判員は評決に当たり裁判官と同じ1票を持つから実質的に裁判官だ。これは憲法80条1項の『下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣で任命する』との規定に抵触する。裁判員が裁判に関与する根拠は、憲法のどこにもない」(元東京高裁部総括判事・大久保太郎・朝日新聞19・12・30)という点であろう。重罪に問われた被告人が、従前どおり裁判官だけの裁判を望んだ場合でも「裁判員裁判」を強いられるのは、制度論としても、やや硬直化していることは否めないし、アメリカのように「陪審裁判を要求する」権利として、構成すべきであったようにも思う。

 しかし、憲法を厳密に解釈すると、憲法32条は、「裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定して、「プロの裁判官だけによる」裁判に限定していないし、憲法からみると下位規範ではあるが、裁判所法は「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」(3条3項)と規定していることからみて、憲法は、裁判所の構成自体は、法律に委ねたとみることは十分に可能だと考える。そして、現に法制化された以上、現職の裁判官としては、この点にこだわって、違憲ゆえに裁判員制度に反対ということはできない(現に裁判で被告人からこの点を争われた場合に、違憲立法審査権を持つ裁判官としてもう一度真摯に検討すべきことは当然である。)。むしろ、理想的な「裁判員裁判を実現するために、どうすれば実質的な評議を確保することができるかどうか、について努力を傾けるべきであろう。

 もちろん、裁判員制度が軌道に乗った段階で、あらためて、被告人に、裁判員裁判を選択する権利を与えるかどうか、見直すことは必要ではないか、と考えている。                       (風船)



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