日本裁判官ネットワークブログ
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 4月の週末は,狂おしくせわしない。
「せわしない」という言葉も面白い。「ない」は,否定語ではなく,「甚だしい」という意味だそうだ。
 初旬は,桜の開花が待ち遠しく,週末は花見の予定でそわそわしている。天気も気になって仕方がない。お出かけを予定していても,週末にそこがちょうど満開で,しかも天気に恵まれるという幸運は,そうはない。
 今年は最高についていた。2週連続で京都と琵琶湖(長浜・彦根)のそれぞれで快晴の下,満開の桜に酔いしれることができたのだ。
 日頃のおこないが良いせいであろう。

 桜が終わってほっと一息していると,庭先のハナミズキが白さを競い,路傍のツツジが色づき始める。
 その頃から,野菜作りに備えて,畑が気になりだす。
 猫の顎ほどの(額の広さもない)わが家の菜園であるが,それでも,雑草を抜き,鍬を入れ,元肥を置いて,石灰をまいて畝を作る。それなりの時間と体力がいるのだ。鍬を持つ腰の力が年々衰えて,改めて歳を感じたりする。ミミズに出会い,畑が健康であることを確認する。
 準備の整った菜園に,連休の頃,定番のトマト,キューリ,ナス,ピーマンを少しづつ植える。年々歳々,自然の営みを感じるときである。
 今年は,はやりのゴーヤにも挑戦してみようか。 (蕪勢)

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 中学生の非行事件を担当していると,少年や保護者から,学校の先生に対する厳しい批判,というより非難を聞かされることがある。
「あの先生は,私にばかり服装のことで細かい注意をしてくる」
「あの先生は,うちの子のことをちっとも理解してくれない」
 だから,少年は,「学校に行く気にならない」,「先生に暴力を振るってしまう」となり,不登校や非行の弁解,口実になっている。

 少年がそのような考えを抱いているとき,その保護者も同様の批判を持っている場合が多い。いや,むしろ,保護者がそういう考えを持っているから,子供が,自らの非を棚に上げ,教師に対する不満不平を前面に押し出すようになるというべきだろう。

 しかしながら,少なくとも義務教育の場では,教師に対するこのような批判は,子供の教育上決してプラスにならない 
未熟な子供への教育は,「教える側」にある種の絶対的権威が必要である。教えられる側が,教える人を,否定的にみてバカにし,特に人格批判が度を超し,その「教え」を受け付けなくなったのでは,少なくとも初中級教育は成り立たない。
 保護者は,子供の前で,決して教師の悪口を言ってはいけない。子供の教師批判に同調してもいけない。

 もちろん,学校側・教師側に非のあるときもあるだろう。保護者がそれを批判し是正を求めることが必要な場合もあろう(もちろん,自子主義からではなく)。しかし,その方法は,慎重に選ぶべきである。子供の目の前でそれをすることは最大限に避けるべきであろう。

 「オレ様化」することによって,教師の権威を否定する子供達が増え,これが教育現場を影を落とし,非行対処に困難をもたらしている。
 これは,「モンスターペアレント」「自子主義」とも関連しているのだ。   (蕪勢)

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 東京はとっくに満開だというのに,暖かいはずの関西が遅れるのはどうしたことか。
 一極集中,関西の地盤低下が桜前線まで影響したか。
 老ジャッジは僻みっぽくなっていた。
それでも,ようやく,ようやく満開となった。
 
 春爛漫。週末は心も弾むサクラ三昧。

 金曜日の夕方は,帰り道,街中を歩いて10分の小川沿いに100メートル以上は続く桜並木。絢爛豪華なサクラ,サクラのオンパレード。相当な老木ばかり,見事というほかなし。「どこへ行くよりここが一番」と,近所のおばあさんが誇らしげに見上げている。

 土曜日は,山歩き仲間と京都へ。寒くない。絶好の行楽日和である。朝9時半,蹴上駅を出発して,南禅寺境内を抜け,蹴上船溜へ。ここもサクラが今を盛り。京都を見下ろす白一色の斜面は,すでに相当の混雑である。さらに小さな山を越え,桜名所の一つ山科疎水へ。川面に枝を伸ばす満開の桜がこれでもかこれでもかと連なる。
 仲間も,子供の遠足のようなはしゃぎよう。医療保険制度の「後期高齢者」のネーミングがけしからんと,「後期熟年」は衆議一致し,まだまだ意気軒昂である。花の下で弁当を拡げた後は,小関越で三井寺へ。わずか小一時間で到着。境内の桜を見下ろしてまたまた歓声。ここも満開である。その先にヨットの浮かぶ琵琶湖がキラキラ輝いている。

 日曜日は,カミさんとふたりで,ウォーキングをかねて近くの公園にささやかなお花見。缶ビールで乾杯。心地よい陽光の中,さまざまなグループが,満開の花の下でお昼を楽しんでいる。幸せな春の日の光景である。
 
 こんな贅沢な週末を過ごさせて貰って,申し訳ない。(蕪勢)
 

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 桜が開花し,いよいよ春本番である。
 歳を重ねるにつれ,桜にあくがれ,待ちどおしく思う心が強くなる。
昔から,人々は,桜にさまざまな想いを託してきた。

  今さらに春を忘るる花もあらじ
       やすく待ちつつ今日も暮らさむ 
   西行

 西行という人は,桜に特別の思い入れがあったようで,沢山の歌を詠んでいる(山家集・岩波文庫)。
 当時はソメイヨシノはまだなく,ヤマザクラを愛でていたのである。
老境をうたう歌が,私には,とりわけ心に沁みる。

  わきて見む老木は花もあはれなり
       今いくたびか春にあふべき

 これは少し寂しすぎる。次の二首には,むしろ突き抜けた明るさがある。
 
   ねがはくは花の下にて春死なん
       そのきさらぎのもち月の頃
 
   佛には櫻の花をたてまつれ
       わが後の世を人とぶらはば 
(蕪勢)

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 井垣さんの主宰する少年問題の勉強会に参加して,篤志面接委員をされている方のお話を聞くことが出来た。
 篤志面接委員というのは,刑務所や少年院に出向き,受刑者や在院者に対して,相談に乗ったり,勉強や趣味を教えたりしながら,その更生と社会復帰を手助けする民間ボランティアの方を言う(それにしても,名前がちいと古すぎるなあ)。
 少年院の院内視察をすると,どこかの部屋で,版画をやっていたり,音楽を楽しんだり,あるいは算数の授業をやっていたりする。少年らが落ち着いて楽しそうに講師と語り合っている場面をみると,何かほっとしたものを感じる。あの人たちが篤志面接委員なのだと,あらためて思い当たった。
 先日出席した少年院の卒業式でも,式の間,ずっとピアノの前でバックグランドの演奏を続けていた女性の講師がいた。少年たちの誓いの中には,音楽の授業の楽しかったこと,講師に対するお礼の言葉が沢山あった。少年らは,こうした講師との出会いや交流を通じ,教官からの指導とはまた別に,人間信頼の心を回復しているのだと思う。

 勉強会でお話が聞けた大川哲次弁護士(大阪弁護士会)は,刑務所や少年院の篤志面接委員を長年やって来られた方である。受刑者や在院者からの法律相談を担当しているという。交通費も自弁だという無償のボランティア精神には頭の下がる思いがした。
 大川弁護士は,心ある人は,彼らの更生と社会復帰のために,何でもいい自分の特技を生かして,このボランティア活動にぜひ加わってほしいと訴えておられた。 (蕪勢)


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 少年院の卒業式に参列した。
 正確には「中学校卒業証書授与式」という。
 少年院の教育は,通常の場合でも,仮退院までに概ね1年程度かかる。中学3年生の途中で入った場合は,その期間は,卒業時期をまたがることになる。
 不登校を重ね,ほとんど勉強をして来なかった中学生も,ここでは勉強せざるを得ない。目に見えて学力は上がる。漢字を覚え,計算に長け,文字式,英語にも親しむことになる。何よりも,そうした学力向上により,物事を考える力がついてくる。そして,3月には卒業時期となる。
 だが,残念ながら,元いた中学校の同級生達と一緒の卒業式には参加できない。
 そこで,この少年院では,保護者,来賓を招いて,盛大な「卒業式」を催し,みんなで卒業を祝うのである。それぞれ出身中学校の校長先生から,一人一人に卒業証書が手渡されるのだ。
 この日,24人の中学3年生が,卒業の日を迎えた。私が送った4人の少年もこの中にいた。
 在校生,保護者,来賓,講師,教官ら多数が着席する体育館。卒業生達は,一人づつ,大きく手を振り,しっかり足を挙げ,入場してきて,前二列に着席する。院歌斉唱等の後,卒業生が3人づつ壇上に登り,一人一人,出身校の校長先生から卒業証書が読み上げられて授与される。校長は,にこやかに大きな声で「おめでとう」と言葉を添える。生徒らの登壇,授与,降壇,着席までのきびきびとした動作は気持ちがいい。
 式辞,祝辞,来賓紹介,記念品授与,生徒代表の「贈る言葉」と続く。
 圧巻は,卒業生24名が全員壇上に登って披露した「僕たちの決意」であった。一人づつ,スポットライトを浴びる中,しっかりとした大きな声で述べる。これまでの非行と生活態度を振り返ったこと,被害者に大きな心身の傷を与えたこと,家族を心配させたことを訴え,そして,更生への固い決意を力強く誓うのである。多くの子ども達は「お父さん,お母さん,本当に,ごめんなさい!」と,ひときわ大きな声でお詫びの言葉を加える。
 審判の時のあの不安そうな顔,泣きわめいた顔を思い起こしながら,胸の熱くなるのを感じた。保護者席からは,すすり泣く声も聞こえる。
 式のあと,見送ってくれた卒業生と握手を交わす機会があった。どこの中学生にも負けない晴れやか顔が何よりも嬉しかった。ここまで指導するには,少年院の教官や講師たちは大変なご苦労があったと思う。
 少年院教育の尊さを改めて感じさせてくれた1日であった。
(蕪勢)

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 「戦前の少年犯罪」という本が版を重ねているようだ(管賀江留郎著,築地書館)。昭和20年の終戦前のわが国の少年犯罪を,当時の新聞記事から丹念に蒐集したレポートである。
 「戦前は小学生が人を殺す時代」「戦前は親殺しの時代」「戦前はいじめの時代」「戦前は教師を殴る時代」等,何か錯覚ではないかと思わせる目次が並ぶ。だが,事実,どのページにも,戦前の少年達の残虐,悲惨,不合理,異常な犯罪がうんざりするほど羅列されるのである。
 たとえば,「東京市向島区(現墨田区)の小学校で,小学4年生女子が女の子(4)をトイレに連れ込み頭をめった打ちにして殺害,迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが,言うことを聞かないのでやったと自供」(昭和13年,15頁),「静岡県浜松市で,満17歳の少年が,昭和16年8月18日に置屋に侵入して芸妓を刺殺,もう一人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8月20日には料理屋に侵入,寝ていた女主人(44),女中(16),雇い人(67)を殺害,警察の調べを受けながら,9月27日には自宅で強盗を装って兄を殺害,兄の妻と子ども,父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8月30日には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入,両親を姉と弟を殺害し,女性を強姦しようとしたが失敗して逃走,10月22日に逮捕され,翌日に自供した」(昭和17年,29頁)。何とも驚くべき事件である。この本には,このような殺伐な犯罪がこれでもかこれでもかとばかり埋め尽くされている。

 昨今,少年非行の増大,凶悪化,低年齢化等が声高に議論され,その対策として,少年法制の見直し,処分の厳罰化等の措置が採られてきた。ただ,識者の中には,少年非行の「憂慮傾向」は必ずしも統計に基づく正確な分析ではないと法改正を強く批判する人達もいた。しかし,そうした声がどこまで届いたか分からぬまま,少年法制の改正は着々と進行してきた。
 テレビなどマスメディアの肥大化は,地方の1事件も,あっという間に全国津々浦々の茶の間に流れ,延々と続く報道の中,まるで犯罪劇をみるような生々しさで,人々に「驚愕」と「恐怖」をもたらしている。戦前の上記の事件などは,前者が読売新聞に小さく出ていただけ。後者の事件の発生時は,検閲によって一切報道がなく,地元は噂によって恐慌状態なっていて,逮捕されれてから一か月後にようやく解禁となって新聞記事になっただけだという。地元以外の人々に与えたインパクトは雲泥の差である。

 著者は,国会図書館に通い,新聞から事件記事を丁寧に探して,膨大なデータを蒐集してきたという。そして,この国の政策を立案,決定をする人々が,正確なデータに基づかないで,ことを進める事態を憤るのである。「虚構と現実を混同してしまっている人たちが,新聞やテレビニュースを通じて過去について全くの妄想を語り,それを信じた人がまた妄想を増幅するというヴァーチャルな円環ができあがって,無意味にぐるぐると回転しています」と痛烈な警告を発している(291頁)。
 なお,この本の著者は,ウェブサイトで
 「少年犯罪データベース」(http://kangaeru.s59.xrea.com/)
も主宰している。
(蕪勢)

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 今年の冬は寒い。例年なら,小春日和というか,寒さの中休みのような日があるものだが,今年はそれがほとんどない。寒い日がずっと続いている。地球温暖化も,一直線ではないということか。
 温暖化と言えば,二酸化炭素削減に向けてのわが役所の態度は厳格である。室温20度を断固維持しているのである。決してそれ以上に室温が上がることを許さない。部屋によっては,ベストの上にカーディガンを羽織って執務していても,なお身体の芯が冷えるときもある。ある日,音を上げて,冷暖房を管理している会計課の係員に電話した。「もう少し暖かくして貰えないか!」。すると,係員が飛んできて,寒暖計を見せながら「このとおり20度ですから,これ以上はダメです!」。(果たして,この部屋が20度もあるか疑問に思ったが,係員の気迫に押されて何も言えない。)
 この冷厳なる姿勢は,ノーベル環境保護賞ものである。この夏,北海道で開かれる温暖化防止のためのサミット。各国首脳も「わが社」の意気込みを見習うべきだ。

 寒いとは言っても,通勤路の庭先では,いつのまにか,木蓮の蕾が膨らみ始めている。あと1か月もすれば満開である。それから桜が咲いて,春本番となるのだ。ある高名な作家の小説に,「桜が散り,それから,木蓮が咲き始める」とあった。これはおかしい。木蓮が3月の半ば過ぎに咲き,それが終わる頃,桜が開花し始めるのだ。春到来の順序である。
 この寒さもそう長くはない。春は,もうそこまで来ている。(蕪勢)

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  山田洋次監督の「母べえ」を,ある女性と一緒に観た。
寅さんが死んだ後も,監督の一連の作品は相変わらず好調である。今回の映画も前評判に違わない。
 暗く悲しい時代の重いテーマを扱っているのに,監督の目は決して深刻になっていない。明るさが救いである。子役達がいい,いつもとうって変わった髭ぼうぼうの坂東三津五郎がいい,鶴瓶の演技も存在感があった。(そうか! カアべえにはツルべえが合うわけだ!)
 しかし,何と言っても,元祖サユリスト世代の老ジャッジには,やはり吉永小百合が一番よかった。日本の母を見事に演じきっている。

 母べえは,針仕事をしながら,獄中の夫への文を,二人の子どもに口ずさむ。抑えのきいた静かな語り・・・。澄み切った悲しみが胸一杯に広がる。モーツアルトの愁いに満ちたの旋律のように。

 吉永小百合は,最初に話があったとき,年齢からして無理だと監督に断ったが,監督のたっての頼みに出演することになったという。わが同学年の吉永小百合だけは,まだまだ十分に若い。

 「それでもボクはやっていない」の周防正行監督と裁判について語りあった実績を持つわが裁判官ネットワークである。今度は,吉永小百合さんを招いて,「母べえと裁判員制度」という深淵かつ,何だかよく分からないテーマで例会を持てないものか。老ジャッジの妄想は発展する。
「そしたら,サインが貰えるのに・・・」
 一気にミーハーに変身するところが情けない。
ちなみに,一緒に映画を見た女性は,何を隠そう,わがカミさんでした。
(蕪勢)


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 「気が置けない」とは,面白い表現だ。「気詰まりでない,気づかいしなくてよい」という意味である。「気が置けない友」というとき,「親友」とも少し違うように感じる。親友は,しゃれた上品な言葉であるだけに,なお幾分か気をつかう面が残る。「親しき仲に礼儀あり」とも言うではないか。
 私にも,気が置けない友がいる。小学校時代からの同級生である。やんちゃで結構悪ガキだった彼とは何回か喧嘩をしたこともあったが,中学,高校と進むにつれて,一層親しくなり,遊び友だちとして最高の男であった。今は,中小企業の親父として,何人もの従業員の生活が双肩にかかる身だ。面倒見のいい人柄は,昔のままで全く変わっていない。
 10年以上も前,私が刑事裁判を担当していたときのこと,甘い刑を言い渡したとして,新聞で皮肉っぽく叩かれたことがあった。気持ちが落ち込んでいるとき,たまたま,彼から電話があり,「落語の会のチケットがあるんだけど,行かないか」と誘ってくれた。喜んで一緒に行き,会場で多いに笑って,帰りに軽く飲みながら,いつものように,他愛のない話をして別れた。彼は,新聞のことなど一言も触れない。鈍感な私は,後になってようやく気がついた。「あれはオレへの励ましだったのだ!」
 子どものころから,互いの性格,行状を知り尽くしている二人に,構えるところは何もない。たまに,同級生達の噂話などを肴にして一杯飲む程度であるが,友だち思いの彼の話には,いつも心が温められる。彼との付き合いが,私の人生にとって,どれだけ励みと潤いを与えてくれたことか。
 彼から,「4月になったら,同級生を何人か誘って,琵琶湖に桜を見に行こう」と誘いがあった。うれしい話だ。
 老ジャッジにも春が待ち遠しい。(蕪勢)


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 寅さん映画の中では,第5作目の「望郷編」が一番好きだ。その幕切れのシーンが印象深い。思うところがあって,「額に汗して地道に暮らさなきゃ」と固く決意した寅さん,浦安の豆腐屋で地味なかたぎの生活を始める。だが,そこの娘(長山藍子)に振られて,これも長続きせず,また元のヤクザ稼業に戻ってしまう。その旅先で,一旦杯を返してかたぎにさせた舎弟ののぼると再会する。喜びあった二人がはしゃぎながら,言葉を交わす。
「兄貴! かたぎになったんじゃねえのかよ。ちっとも変わってねえよ!」
「バカヤロウ! 徐々に変わるんだよ。一遍に変わると身体に悪いじゃないかよ!」

 少年事件を担当していると,更生しようと決意を固めて少年院を退院した少年が,最初は,張り切ってウソのように生真面目に仕事を始め,周りをすっかり喜ばせていたが,しばらくするうち,何かが原因で,夜遊びが再開し,生活を乱して,ついにまた,小さな非行を起こす,ということがある。そんな少年に出会うと,私は,いつもこの映画のシーンを思い出すのである。 

 またまた村上春樹で申し訳ないが,好きな小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中にも,主人公の次のようなセリフがある。
「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だし,しょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう? 簡単だ。何故なら,僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しづつだけれど,それでも向上は向上だ」(講談社文庫「下」117頁118頁)
(蕪勢)


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 鹿児島県の選挙違反事件や富山県の婦女暴行事件等の「冤罪」事件の再発防止を期すため,警察庁は,今月24日「取り調べ適正化指針」を発表したという。高圧的な取り調べにより虚偽の自白がなされて「冤罪」を生んだことへの反省に基づくものだ。
 しかしながら,その指針では,取り調べの際に被疑者の身体に触れたり,被疑者の尊厳を著しく害する言動を禁止するなど定めを置く,また,密室での取り調べ状況を警察内部の者がマジックミラーで見守るなどの監視強化策に止まっている。ある新聞の社説でもいうように,このような内部での改善策で,高圧的な取り調べの防止に,はたしてどの程度の効果が期待できるのか,疑問である。
 只,警察庁は,「冤罪」事件に対する世論の厳しい批判が背中押しとなって,このような指針を打ち出さざるを得なかったのであろう。そして,その背景には,ここ数年の,特に裁判員制度を控えて,取り調べに対する可視化(注)を求める声の高まりが,これまで強い抵抗の姿勢を見せてきた警察をして,もはやこれを無視できないところまできた点もあったと思われる。追い込まれている感じはあるものの,警察は,まだ,可視化への第一歩を踏み出すには至っていない。

 1月26日大阪弁護士会で開かれた「可視化を求めるシンポジウム」を傍聴した。鹿児島事件の担当弁護士や江川昭子氏の可視化を求める説得的な話やパネルデスカッションなどで盛り上がり,可視化を求める運動の着実な高まりを実感した。もはや,可視化は世界の流れであり,時代の要請である。
 具体的事例を挙げての江川氏の話は,全般的に分かりやすく,裁判官に対する厳しい批判も,考えさせられ,反省を迫られた。しかし,ひとつだけ気になる点があった。それは,同氏が,裁判に一番期待するものして「真相解明」を挙げた点である。確かに,被害者あるいは市民が,なぜ被告人がそのような行為に及んだのか,被害者はなぜ死ななければならなかったのか,その真相を知りたいとの思いは当然である。日本の裁判は,かなりこれに答えてきた。
 しかし,それは,詳細な自白調書があったから出来たのである。犯行の動機が微に入り細に入り被疑者の口から供述調書の形に語られてきたからである。自白中心主義裁判の積極面であったのだ。
 取り調べの可視化は,自白追求を困難なものにすることになろう。高圧的な取り調べができなくなれば,口を閉ざしたままで真実を語らない被疑者も少なくないと思われるからである(自白追求は,無実の者に虚偽自白を迫るマイナス面と,真犯人に真相を語らせるプラス面とがあるのだ)。
 有罪無罪の認定を,被疑者の自白からではなく,客観的証拠から認定しする,そのような裁判に変容していくのが,取り調べ可視化のもたらす現実であろう。そのことは,これまで真相究明に役立ってきた「動機についての自白」も得がたくなるということだ。事件の背景などの客観的状況から「推定される動機」でよしとせざるを得ない。
 「自白追求」という野蛮で中世的な手法からもはや脱却すべきだと考えている私は,それもやむを得ないと考えている。
(注・取り調べの状況を録画などに記録しておいて,後の裁判で「自白は強制された嘘のものだ」との主張が出された場合に備える方策。これにより,暴行,脅迫を伴う取り調べはもちろんできなくなるし,供述を強制しかなねい高圧的態度による取り調べも難しくなる。)
(無勢)

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先日,少年院の成人式に来賓として出席した。

百数十人の在院生が姿勢を正して着席する体育館。
モーツアルトの軽やかなメヌエットが流れる中,みんなの拍手に迎えられ,新成人23人が,間隔をあけて一人づつ,両手をしっかり振って入場し,壇の前2列に着席する。
新成人の名前が一人づつ読み上げられと,それぞれが「はい!」と大きな返事をして立ち上がり,後ろの在院生,保護者,来賓に一礼する。
学園長の式辞。地元教育長そして在院生代表の祝辞と励ましの言葉。
記念品の贈呈。

新成人を代表して一人が壇上に上がり,誓いの言葉を述べる。
「この学園に入院しても,本気で謝罪したことはまだありません。うわべだけの謝罪だけなら,いつでもできると思います。ですが,今まで数え切れないくらい謝罪をし,何度もチャンスを頂きましたが,私は,その事に甘えてしまい,同じ事を何度も繰り返してきました。」「成人になったからには,心から謝罪ができるようにしっかりと生活をし,被害者の方々にも,心からの謝罪をし,認めて貰えるように準備をしていきます。」

続いて,23人の一人一人が,短いながらも,前向きの決意を力強く述べる。謝罪と感謝を忘れない人間に成長したい,そんな想いが伝わってくる。
その23人が綴った作文集には,何度も何度も押し寄せる不安や絶望との闘いがかいま見える。更生に向けて必死の毎日なのである。少年院の教官達は,そうした少年たちを支え励まし,考え抜く力を育てようとしている。

ボランティアの女性グループによるお祝いのコーラス披露。
そして,参列者全員で,「栄光の架橋」の合唱。

最後は,また,新成人が一人づつ,拍手の中を退場する。
学園長がその一人一人と笑顔の握手。少年らは照れながらも嬉しそう。
いつもは豪放磊落な学園長の目が次第にうるみ,赤くなって行くのが,遠目にも分かる。

きりっとした緊張感の中に,温かさも十分感じられた成人式だった。
新成人に幸あれ。(蕪勢)

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 裁判官の4月異動が動き出した。最高裁から転勤先が告げられるのである。転勤内示と呼ばれている。もちろん,裁判官に拒否する権利はある。しかし,現実は,ほとんどの裁判官がこれを受け入れる。この時期,全国の裁判所には,悲喜こもごものさざ波が立つ。

 裁判官には,任官してから20年目くらいまで,概ね3年ごとに全国を股にかける転勤がある。私の場合も,任官してから,大阪,松山,岐阜,宮崎・日南,大阪,鹿児島と異動してきた。20年目くらいを境に,一定の地域内の小さい転勤にとどまる。私も,20年目以降は,兵庫県と大阪だけの小範囲ですんでいる。

 裁判官は,転勤先について希望地を提出する。しかし,なかなかその通りにはならない。近い場所を希望したのに遠隔地に,大都市を希望したのに小都市に,新幹線沿線を希望したのに大きくずれた土地になったりする。他方,すんなり希望の叶えられる人もいる。自分の希望が容れられない理由はなぜなのか,ちょっとした戸惑いは誰でも持つ。あれこれと考えてしまう。考えないではいられない。転勤先を決める合理的な法則のようなものがあればいいが,それはないに等しい。最高裁人事局の裁量,腹ひとつで決まってしまうのだ。

 転勤を覚悟しているとはいえ,裁判官も,家族を持ち,配偶者の職場や子どもの教育,親の介護などその個人的事情は,世間と全く同じである。転勤の希望が容れられるために,絶対的な裁量権を持つ人事権者に好感をもたれたい,誰しもそう考える。人事権者は最高裁であり,それに連なる長官,所長である。その人達の自分に対する評価をどうして気にしないでいられよう。お釈迦様の手の平で遊ぶ孫悟空であるうちは問題ない。しかし,その手の平から一歩でも外に出ようものなら,何が待ち受けているか分からない。

 何年か前に,最高裁長官が「ヒラメ判事はいらない」と発言して話題をまいた。上ばかりを見て,右顧左眄する裁判官はダメ,裁判官は毅然として独立の気概を持つべきだ,という趣旨である。内外の喝采を受けた。そのとおりである。しかし,わが裁判所の転勤制度は,まさに,ヒラメ判事を作る元凶そのものではないのか。

 司法改革により,裁判所は一歩前進しようとしている。しかし,この転勤制度など裁判官人事については,まだまだ大きな宿題を残している。(蕪勢)

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 寒さは幾分和らぎ,暮れから調子の悪かった腰痛もようやく落ち着いた。久しぶりのウォーキング。朝6時20分,外はまだまだ暗い。腰の痛みはほとんど感じない。安心した。村上春樹に倣って,音楽を聴きながらの速歩も悪くない。
 団地の外周,往復わずか40分のわがウォーキングコース。夜が白々と明けてくる。復路のため池のあたりではすっかり明るくなった。池の向こうの家々の屋根が輝き始める。空に雲ひとつない。高台の団地から見下ろす冬枯れの田園風景。はるか向こうに連なる丘陵,朝日が暖かく染めている。
 今年はいいことがありそうだ。老ジャッジもちょっぴり幸せを感じる正月の朝である。
 さあ,仕事初めだ。気を引き締よう。(蕪勢)

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