日本裁判官ネットワークブログ

日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。

名前は正確に

2007年12月31日 | 蕪勢
 年賀状の時節。パソコンの住所録に入れた名前が間違っていると,その間違いは何年も続く。受け取る方は毎年イヤになる。「いつも間違いやがって!」と。自戒しなければいけない。

 私の名前は「△△武是」である。「たけよし」と読む。太平洋戦争中に生まれた私に,「強く正しい」大日本帝国の礎となれ,親の「願い」の籠もった名前である。しかし,なかなか正確には読んでくれない。せいぜい「たけこれ」がいいところ。「ぶぜい」などとカッコよく読んでくれた人には,むしろ二重まるをあげたい。

 先日,とある相手と連絡をとり,郵便物を受け取る必要があった。電話で,先方が住所と名前を尋ねてきた。応対したカミさんが「武士の「ぶ」,それに,良い悪いという意味の「是非」の「ぜ」です」と,丁寧に教えた。

数日後,その郵便物が届いた。
宛名には,なんと,「△△武非様」とあった。
こんな名前をつける親がいるか! バカタレ! 責任者でてこーい!
 
皆さん,よいお年を。(蕪勢)

走ることについて語るときに・・・

2007年12月24日 | 蕪勢
 村上春樹ファンにはまたまた心躍る本が出た。「走ることについて語るときに僕の語ること」という長いタイトル(文芸春秋社)。帯には「村上春樹がはじめて自分自身について真正面から語った」とある。確かに,マラソンランナーでもある小説家の日々を語ってその息づかいが伝わってくる。マラソンに向けてのたゆまぬトレーニングと克己心もやはり並のものではない。いまやノーベル文学賞の有力候補者に挙げられている。彼の小説の主人公についてもそうだが,このエッセイにも一貫して流れる小説家のひたむきな頑固さ,それでいて前向きで潔い生き方は,私にとって,人生の応援歌のように聞こえてくる。今夜はクリスマスイブ。私にはどんなサンタが来るのだろう。
 心に沁みる素敵な一節に出会った。全部引用したいところだが,そうもいかない。
 「いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値観があり、それに添った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに添った生き方がある」。只,そのような相違が人と人との大きな誤解に発展して「心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ」。しかし,年齢を重ねることで分かったことは,「僕が僕であって,別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は,そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価」ということだ(34~35頁)。
(蕪勢) 

通勤電車のドラマ

2007年12月17日 | 蕪勢
 通勤電車での長椅子席の座り方が気になってしようがない。私は,ラッシュアワーが一段落した時刻に始発電車に乗るのだが,9人,10人は座れる長椅子に,みんなが適当にまばらに座るものだから,7,8人で満席のように形になったり,右の座席の方は窮屈だが,左の方はたっぷりゆとりがあったりする。後に座る人のために,隣との間隔を考えて座る人は,意外と少ない。
 先日,興味深いシーンに出会った。一人の若い男が両側にかなりのすき間を空けて真ん中にどっかりと座り,盛んにケータイをいじっている。前に立った若い女性が静かに「詰めていただけませんか」と言った。男はこれを無視している。付近に立っていた別の男が,つかつかとそのケータイ男の前に来て,怒ったように「横に寄れ」と強い身振りを示した。ようやく気づいたふうのケータイ男は,左に身を寄せ,女性を見上げながら,空いた右側の座席を強くポンポンと何回も叩き,「座れ」と合図する。その仕草は異常であり,なにやら怖い感じもした。案の定,それを見た女性は,恐れをなして,顔を横に振り「結構です」とかぼそく言った。その直後,ケータイ男の右側に座っていた身だしなみのいい初老男性が,さっと左に動き,ケータイ男の右側に密着し,女性に,自分の座っていた空いた席に座るように仕草した。女性はその紳士にお礼を言って座った。一件落着。その紳士の行動の素早さと心遣いは,まことに格好がよかった。(蕪勢)

再犯者を減らせ!

2007年12月10日 | 蕪勢
 最近発表された平成19年版の犯罪白書は,「再犯者の実態と対策」を特集として取り上げている。統計調査の結果によると,犯歴を有する100万人のうち,再犯者は約3割で,あとの約7割は初犯者である。しかし,その3割の再犯者が犯罪件数全体の約6割を犯しているとのことである。「ここに刑事政策として再犯者対策が重要であることの根拠があります」と法務総合研究所担当者は述べている。再犯者問題について,統計に基づくこのような綿密な分析公表は,初めてではなかろうか。
 罪を犯した者も,刑期を終えれば,いずれ社会に復帰する。一度罪を犯した者が再び罪を犯さないようにすることは,犯罪減少社会に向けての最重要課題の一つである。犯罪に対する昨今の社会不安の増大は,刑務所等の矯正教育のあり方を巡る関心の高まりとなっている。こうした世論を背景に,刑務所,少年院、保護観察所等の矯正施設においても,犯罪者(非行少年を含む)の再犯防止のために様々な施策が採られるようになった。
 犯罪者の再犯防止のためには,裁判所の適切な判決(決定)とその感銘力も確かに重要である。しかしながら,おそらく,それ以上に大切なのは,その判決後を過ごす矯正施設における更生教育ではなかろうか。刑務所を例にとると,たとえ,犯罪者がその判決に感銘を受け,更生への強い意欲が生まれていても,その後に長い期間を過ごす刑務所での教育がその意欲を萎えさせるものであっては何もならない。また,たとえ判決に不満があったとしても,刑務所での教育が適切に粘り強く施されるならば,受刑者は心を入れ替えて更生への努力をするに違いない。
 只,矯正施設での更生に向けてのプログラムが形だけのものであってはならない。たとえば,刑務所に勤める職員は、今,一人当たり多数の受刑者を抱え,大変な労働加重に喘ぎ,一人一人の受刑者に丁寧な対応がとてもできない状況にある。少年院や保護観察所にも同様な問題がある。更生のための種々のプログラムは,職員の大幅な人員増と質的向上が前提とならなければ,絵に描いた餅となる。
 犯罪の少ない安心できる社会を築くためには,矯正機関における予算を伴った人的物的充実が必要不可欠と思われる。(蕪勢)
参照 法務総合研究所
     平成19年版犯罪白書について -再犯者の実態と対策-

泣くこと,泣けること,泣きたいこと

2007年12月03日 | 蕪勢
 長嶺超輝さんをお招きしてのネットワークの12月例会。いくつかの興味深い話が聞けました。

 「裁判官の爆笑お言葉集」は,それこそ「爆発的」な売れ行きで著者の予想をはるかに超えたそう。「爆笑」は著者の考えたタイトルではないとのこと。確かに,内容は大変生真面目なもので,著者のお人柄も誠実そのもの。読者からは「泣けました」との感想がかなりあったそうです。

 その夜の懇親会。例会に駆け付けてくださった周防監督とお話しする機会があった。青少年の性の意識が話題になった時,監督は,ケータイ小説を下に作られた映画「恋空(こいぞら)」が大ヒットしていることを語られた。その映画が,中高校生に大きなブームを呼び,「感涙」が日本中を覆っているという。監督は,その感動現象に戸惑いを覚えておられる様子。ぜひ一度見てみたい。

 翌日のネットワークの総会。ブログやHPで私どものメッセージをどう伝えるか議論となった。参加して下さったファンクラブのUさん,「とにかく,若い人達は「泣く」場面に飢えているんですよね。」と一言。

 感涙することがめっきり減ってしまった老ジャッジは,「泣くこと」の意味についてあれこれ想いを巡らせています。
(蕪勢)