北海道新聞2024年8月22日 20:15
1万人目の来場者となり記念品を受け取る本間国敬さん(右から2人目)
【白老】胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」内の国立アイヌ民族博物館で開催中の「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」(同館と北海道新聞社の主催)の来場者が22日、1万人に達し、同館で記念セレモニーが開かれた。
1万人目は・・・・・
25日まで。問い合わせはウポポイ、電話0144・82・3914へ。
北海道新聞2024年8月22日 20:15
1万人目の来場者となり記念品を受け取る本間国敬さん(右から2人目)
【白老】胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」内の国立アイヌ民族博物館で開催中の「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」(同館と北海道新聞社の主催)の来場者が22日、1万人に達し、同館で記念セレモニーが開かれた。
1万人目は・・・・・
25日まで。問い合わせはウポポイ、電話0144・82・3914へ。
北海道新聞2024年8月22日 20:14(8月22日 23:21更新)
上川大雪酒造(上川管内上川町)と高砂酒造(旭川)がそれぞれ、ラベルなどにアイヌ文様をあしらった高級日本酒を発売した。道内での酒造りが豊かな自然に支えられていることを、象徴的に表現。インバウンド(訪日外国人)への販売や輸出に力を入れ、海外にアイヌ文化を伝える役割も担う。
訪日外国人客が8割を占める東京・銀座の酒店「いまでや銀座」。夫婦で来日した米国の弁護士ジェミソン・レイフィールドさん(40)は、上川大雪酒造の最高級酒「Niptay(ニプタイ)」を試飲すると「すごくおいしい。華やかな味わいだ」と笑顔を見せた。
4月末に限定300本発売したニプタイ(720ミリリットル)は3万3千円。ラベルと箱にアイヌ文様のモレウ(渦巻き)と、日高管内平取町二風谷地区の木彫りに用いられるラムラム(魚のうろこ)をあしらっている。
ニプタイは二風谷の地名の由来となったアイヌ語。原料の酒米に空知管内新十津川町で農薬や化学肥料を使わずに生産された彗星(すいせい)を使い、日本酒では珍しい日本農林規格(JAS)の有機認証を受けた。北海道の自然に育まれた有機の酒だと伝えるモチーフに選んだのがアイヌ文様で、デザインした二風谷のアイヌ工芸家、関根真紀さん(57)は「お酒を通じて、アイヌ文化の自然観にも興味を持ってほしい」と期待する。
売り上げの一部は次世代のアイヌ工芸家の育成などを目的に、関係する団体や企業などに寄付し、文化振興につなげる。上川大雪の塚原敏夫社長(56)は「模倣できない商品を目指した。価値を感じる人は高額でも購入する」と語る。
アイヌ文様がデザインされた最高級酒「旭神威」を手にする高砂酒造の広野取締役(左)と、川村カ子トアイヌ記念館の川村副館長(西野正史撮影)
「国士無双」で・・・・・・
※「ラムラム」の「ム」は小さい字。
北海道新聞2024年8月22日 19:20
【八雲】クマまつり実行委は9月1日午前10時~11時半、町公民館で「わくわく木彫り熊リレートーク」を開催する。町外から招く5人のゲストが、木彫り熊の世界の奥深さを語る。
釧路市阿寒湖畔在住のアイヌ民族木彫作家藤戸康平さんは「巨匠・藤戸竹喜を見つめて」。札幌で木・・・・・・
詳細は、実行委事務局のkodamado(コダマド)のホームページ参照。入場無料。問い合わせはコダマド、電話0137・63・2917へ。
ファッションプレス 2024年8月22日
特別展「アイヌの美しき手仕事」が、愛知の豊田市民芸館にて、2024年10月12日(土)から12月15日(日)まで開催される。
アイヌの手仕事を紹介
《イラクサ地切伏刺繍衣裳(テタラペ)》 樺太アイヌ 日本民藝館蔵
名もなき作り手の手仕事によって生みだされる日用品にこそ、美を見出そうとした「民藝運動」。民藝運動の中心人物であった思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)は、早くからアイヌ民族の工芸文化に着目し、1941年には展覧会を開催した。この時、作品選定や展示に携わった染色家・芹沢銈介(せりざわ けいすけ)もまた、アイヌの手仕事を高く評価し、自ら工芸品を蒐集している。
実際、アイヌの手仕事は、細部にいたるまで、豊かな創造性、深い精神性、そして優れた造形性を湛えている。それは、オヒョウやイラクサなどの繊維で織られた衣裳、本州からもたらされた木綿に刺繍などを施した衣裳、幾何学文様をあしらった刀掛け帯、首飾り、儀礼に用いられる木製の祭具など、さまざまな工芸品に見てとることができる。
特別展「アイヌの美しき手仕事」は、衣裳や刀掛け帯、首飾りなど、アイヌの工芸品約230点を紹介する展覧会。柳や芹沢が蒐集した工芸品を公開するほか、柳が自ら「アイヌを最上の姿で示した展覧であった」と評した1941年の展示を一部再現する。
展覧会概要
特別展「アイヌの美しき手仕事」
会期:2024年10月12日(土)〜12月15日(日)
会場:豊田市民芸館 第1・第2民芸館
住所:愛知県豊田市平戸橋町波岩86-100
開館時間:9:30〜17:00
休館日:月曜日(祝日・振替休日のぞく。ただし10月14日(月・祝)、11月4日(月・振)は開館)
観覧料:一般 800円、高校・大学生 600円
※中学生以下、豊田市在住の70歳以上、障がい者は無料(いずれも要証明)
【問い合わせ先】
豊田市民芸館
TEL:0565-45-4039
武将ジャパン 2024/08/22
谷垣との年齢を超えた繋がりは読者の心に深く刺さるばかりでしたが、だからこそ気になることがあります。
チカパシのその後が最終回で語られなかっただけでなく、ファンブックでは
「歴史的な波に飲まれる」
と記されているのです。
しかも彼が慕った谷垣とは再会できないとされていて、チカパシとエノノカの未来に不穏な状況が待ち構えていることが容易に想像できる。
一体チカパシには何が起きるというのか?
昭和20年(1945年)8月22日は、樺太へ攻め込んできたソ連軍との停戦交渉が成立した日。
物語には描かれなかったチカパシとエノノカのその後を考察してみましょう。
チカパシの人生とは
天涯孤独の孤児として登場したチパカシ。
彼は、コタンで療養中であった谷垣と偶然出会い、その後についてくるようになりました。
家族を疱瘡で失っていて、一人残された少年だったのです。
この時点でチカパシは歴史の波に飲まれています。
谷垣の妹や、海賊房太郎の家族のように、和人にとっても疱瘡は驚異でしたが、明治初期は地方格差が大きくなっています。
疱瘡予防のための種痘は、江戸時代後期には先進的な藩で取り入れられています。
そうした藩に住んでいない。医療へのアクセスができない。貧しい。
悪条件が重なるほど、疱瘡による死亡率は高まります。
北海道のアイヌは、この点、最悪の環境にいました。
教育や医療は西高東低の傾向が強い明治時代、北海道は最も遅れているばかりでなく、アイヌは、和人の持ち込んだ伝染病に対する抵抗力が弱い。
生活環境や食生活の変化も重なり、病気に対して極めて脆弱でした。
そうした歴史の荒波により、チカパシの家族は犠牲となった可能性が高いのです。
偶然出会った谷垣を父、インカラマッを母に見立て、チカパシは旅を続けます。
谷垣が樺太に渡ると、鯉登の荷物に犬のリュウと共にこっそり忍び込む。
樺太の旅において、杉元たちはエノノカという少女に出逢いました。
鯉登の提案により、一行はエノノカとその祖父が引く犬ぞりで旅をすることとなります。
当時の樺太で犬ぞりは重要な移動手段でした。
その樺太での旅の終わりに、エノノカのもとに残ることを選びます。
谷垣が譲った銃を手にして、彼は樺太で新しい家族と暮らすことにするのでした。
チカパシが樺太にわたった理由として、杉元たちが誘拐されたアシㇼパを追いかけたことがありますが、それだけでもありません。
政治的な要素も絡んでいた。
日露戦争の結果、南樺太は日本領となり、もしもロシア領のままであれば、展開は異なっていたかもしれないのです。
最終回後、彼らは歴史の波に飲まれる
歴史の波とは何か?
これは近代史ものの宿命でしょう。
大正時代が舞台の『鬼滅の刃』では、鬼との戦いが終結したことでハッピーエンドとなりましたが、人間同士の戦いとなると、そうはいきません。
むしろここからが大変ではないか?
そう考えねばならない状況が待ち構えています。
『ゴールデンカムイ』の人物もそれは同様であり、個々のケースを見ておきましょう。
◆鯉登と月島
二人についてはあっさり処理されていますが、この鯉登と月島の展開だけでも数巻ぶんに相当するのではないでしょうか。
重厚な近代史ものとして、スピンオフ作品にできるだけのボリュームはあります。
軍人にとって最悪の罪とは、反乱です。
鯉登は「賊軍」と語っておりますが、それはちょっと不正確かもしれません。
戊辰戦争の賊軍ならば明白ですが、この場合は皇軍にいながら叛旗を翻している。いわば五・一五事件や二・二六事件が近いと思えます。
有罪となれば銃殺。しかも鯉登の場合、父親が勝手に皇軍の戦艦を動かして沈めていますので、全くもって許されざる罪でしょう。
抜け道といえば、鶴見が全面的に悪いことにするか、中央も泳がせていたと駆け引きをするか。想像するとかなり面白いようで、別ジャンルの物語に突入しそうな気もします。
ともあれ彼は、銃殺刑から免れ、最後の第七師団長となりました。
この作品最大のチートキャラは鯉登ではないでしょうか。
◆門倉とキラウシ
アメリカで映画を作ったとのこと。
コケてすぐ帰国していればよいのですが、真珠湾攻撃後もアメリカに留まったのであれば、日系人収容所に収監されます。
◆白石
白石はちゃっかり無人島へ向かい、そこで自分の顔を刻んだ貨幣を作れるほど成功しました。
あのアイデアは一から作られたものではなく、第二次世界大戦前にあった日本人の夢の一種です。
当時の日本人は「海外雄飛」というフレーズに背中を押され、外へ出る夢を抱いたものでした。
一見、ロマンに溢れていますが、政府が後先考えずに人口増大を推し進めた帰結とも言える。
第二次世界大戦後、日本のそうした海外進出はなかったことになります。その過程で戦闘なり、命懸けの帰国、収監といった試練が待ち受けていました。
白石は築き上げたものを失い、その過程で命をも失う可能性が高いということです。
◆谷垣とインカラマッ
子沢山でしかも息子が多いとなると、戦場へ向かった子も多かったことでしょう。
谷垣のころ、三八式歩兵銃は最先端の武器でした。
しかし彼の息子の時代は、日本陸軍の遅れた装備の象徴です。父子で同じ銃を持つとは、どれほど悲劇的なことであったか。
日露戦争に従軍した父が、アジア太平洋戦争へ向かう我が子を見送る。
その姿が悲しくなかったはずがない……。
全員が戦争に巻き込まれる。ヴァシリはロシア革命を目撃する。そんな時代の荒波が彼らを待ち受けています。
作中では描かれないそんな歴史を学ぶことも大切かもしれません。
ざっと描かれたその後の姿の中、まったく出てこなかったチカパシとエノノカのことを考えてみましょう。
「8月ジャーナリズム」からこぼれてしまう樺太
テレビも新聞も、日本の報道では8月になると急に戦争関連の取扱が増えます。
原爆投下、終戦記念日、学生の夏休み、お盆といった要素が重なり合うタイミング。
他の時期には無く集中しているため、偏っているではないか、という批判もあります。
ここで注目したいのは「樺太」です。
樺太は沖縄と共に地上戦が行われた地域であるにもかかわらず、この「8月ジャーナリズム」から抜け落ちやすく、下手をすれば認識すらされていない。
例外的に広く知られている事件は、電話交換手9人が自決した【真岡郵便局事件】くらいでしょうか。若い女性の悲劇としてフィクションの題材ともされてきました。
しかし、実際にはこの事件以外にも、多数の集団自決が起きています。かつ、この事件は不可解な点があり、検証が必要な事件です。
こうした悲劇が取り上げられるにしても、主に和人の被害がクローズアップされてしまう問題点もあります。
樺太を襲った「1945年8月の波」は実に大きなものでした。
以下に箇条書きでまとめておきます。
・終戦時の南樺太の人口は、45〜46万人と推定される
・そのうち、2週間の戦闘で4,200から4,400の死者が出たとされる
・引き揚げできず、シベリアに抑留者された者も多い
・引き揚げできなかった日本人はいないものと、長く政府に認識されていた
・先住民でも樺太アイヌは、アイヌは日本人とされたため、引き揚げ後は樺太に戻れなくなる
こうした荒波が待ち受けている樺太で、チカパシとエノノカは果たして幸せになれたのか……。
ソ連軍の侵攻
ロシアが日本に南下してきたらどうなるのか?
そのことに危機感を覚え始めたのは、江戸時代後期からとされています。
警戒した幕府が、会津藩士を樺太に派遣したこともありました。
明治政府は、第七師団を北海道に置きます。
その別名である「北鎮部隊」とは、対ロ防衛の意味をこめてこう呼ばれています。
脅威が現実のものとなった日露戦争では、辛勝をおさめた日本。【日英同盟】を結んでいたイギリス側の仲介あっての、薄氷での和平交渉といえました。
ロシアから圧迫され続けた樺太の歴史 いつから日本じゃなくなった?
『ゴールデンカムイ』で注目 南樺太の歴史とは?戦前の日本経済に貢献した過去を知る
「樺太の戦い」は日露の最終戦 サハリンの地図が南北に切れている理由
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その後、イギリスと決裂し、【日独伊三国同盟】を結んだ日本。
ロシア革命を経たソビエト連邦は、ドイツとの激烈な戦争である【独ソ戦】に入り、とりあえず、日本に目を向けられることはありませんでした。
しかし、ドイツが降伏するとなると、状況は切迫します。
1941年に結んだ【日ソ中立条約】は果たして守られるかどうか。
とはいえ、戦線を拡大し、アメリカと敵対する日本には、ソ連のことなど考えられる余裕などないのが実情だったでしょう。
5月にドイツが降伏すると、樺太沖には巨大な船の影が見え出します。
アメリカか、ソ連か?
もしもソ連が南下してきたら、なす術なし――そんな1945年、夏の樺太、8月3日に命令電報が届きます。
ソ連軍侵攻に対し、樺太兵団は戦う。
そして6日後の8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日、ソ連軍は樺太侵攻を開始しました。
樺太の対ソ連戦闘には特徴があります。
満洲では関東軍が現地住民に先んじて逃げた状況があり、沖縄戦では、軍人が民間人を下に見ることに端を発した悲劇がいくつもありました。
樺太の場合、陸軍と民間人の避難はほぼ同時であり、かつ対立もさほどありません。
とはいえソ連軍を相手に「国を守るべきだ!」という交戦命令のため、夥しい悲劇は起きました。
また、この混乱の中、日本人同士は一致していても、朝鮮などの他国から来た人々に対してはそうではありません。
混乱と疑心暗鬼による加害行為があり、サハリン州にはその慰霊碑も残されています。
チカパシとエノノカを巻き込む波とは、このソ連との地上戦も該当します。
また、最後の第七師団長である鯉登は、北海道から樺太に攻め寄せるソ連軍との対決を指揮する立場でした。
アジア太平洋戦争を扱った作品には、竹槍訓練をする場面がよく出てきます。
あんな訓練をしても、結局無駄だったとされますが、それは本土での話。樺太の人々は、装備もろくにないまま、迫り来るソ連軍と向き合うこととなりました。
前述の通り、樺太では軍隊と民間人が一丸となって逃げてゆきます。
結果、民間人も戦闘に巻き込まれたのです。
南北に長い道を逃げてゆく人々。
老いた親や幼い子は足手まといなるからと、道に捨てていく。そうまでして、逃げ落ちねばならない人たちもいました。
8月15日を過ぎても戦争は終わらない
日本の常識として、8月15日に戦争が終わったということがあげられます。
それはあくまで本土でのこと。
樺太では22日、地取において日ソ間で停戦交渉がまとまりましたが、その後、樺太最南端にあり、最も栄えていた豊原に空襲があり、犠牲者が出ています
樺太から脱出した船も魚雷に襲われ、北海道を前にして水中に散った命もありました。
荒波は、まだ続きます。
そんな中、チカパシとエノノカはどうなったのか?
樺太先住民でもアイヌは日本人と見なされ、日本領に住まねばならないと彼らが考えたならば、“決死の逃亡”に巻き込まれたことになります。
第二次世界大戦において、最大規模の戦死者を出したのはソビエト連邦です。
第二次世界大戦は【大西洋憲章(1941年8月)】と【カイロ宣言(1943年11月)】により、領土不拡大の原則が定められており、ソ連もここに加わっています。
とはいえ樺太の場合は拡大ではなく、ソ連からすれば【ポーツマス条約】により割譲された領土の「奪還」という認識です。
後に日本が1951年に締結した【サンフランシスコ平和条約】には、【ポーツマス条約】で獲得した領土の放棄が含まれていました。
樺太の一部と千島列島はこの範囲に入る。
問題はそれ以外の領土も獲得したことです。
ソ連はこのとき、南樺太を日本から取り戻すだけでなく、北方四島をも領有しました。
現在も残る【北方領土問題】の根源ですね。
◆北方領土:外務省(→link)
戦死者が膨大であったソ連は人手不足です。
労働力がなんとしても欲しい――そう考えたソ連は、満洲や樺太にいる日本人を冤罪で逮捕することが相次ぎました。
なぜ、逮捕されたのか?
ロシア語で説明された挙句、罪状はさっぱり理解できない、そんな事例が続発したのです。
もしもチカパシとエノノカが、樺太で事業を行い成功していたら。高い技術を身につけていたら。
労働力として目をつけられ、逮捕投獄され、財産を没収された可能性は出てきます。
彼ら自身が逃れたとしても、家族は捕まってしまった可能性も考えられるでしょう。
樺太は「鉄のカーテン」の向こう側へ
戦争という波だけでなく、ソ連と接している樺太は政治的な波にもさらされました。
1956年まで、日本とソ連は国交が回復されます(【日ソ共同宣言】)。それまではソ連により抑留された日本人のことが伝えられなかったのです。
さらにこの政府間の取り決めにより、取りこぼされる人々も出てきます。
冷戦という時代は、西側と東側陣営の諸国間に「鉄のカーテン」と呼ばれるほどの分厚い隔たりが生まれた時代でもありました。
日本とソ連の間でもこのカーテンがかかり、引き離されてしまった人々がいます。
ソ連領サハリン州となった樺太には、「日本人はいない」とされました。
やむを得ない事情で残った日本人が実際にはいたにもかかわらず、政治的には存在しないこととされたのです。
仮にチカパシとエノノカが、サハリン州にいたとしましょう。
彼らは収容所から解放されて、民間人として暮らすことになり、そうなると、彼らが存在したかどうかすら、日本にいる谷垣には知る手段がありません。
問い合わせるにしても、ロシア語を用いてソ連政府に聞いてみるしかない。
谷垣がロシア語のできる月島と連絡し、なんとか手紙を送ったとしても、答えはこうなったと推察できます。
「樺太アイヌは日本人である。日本人はもうサハリン州には存在しない。彼らは引き揚げた」
「もしもいるとしたら、彼らは自由意志でソ連に残ったのだ。帰国する意思はない」
こうして政治的な波によって消されてしまった人々。
サハリン州に残った日本人は、細々と流れてくるNHKラジオの音を拾い、祖国を思い出す。そんな歳月が長く続きました。
サハリン在住日本人の帰国運動が始まったのち、国会で審議されたのは、実に1990年のことです。
チカパシとエノノカは1895年頃の生まれと推察できるので、その頃まで生きていた可能性は低い。
彼らがサハリン州に住み続けていたら、2世や3世の時代となっています。
時代の波に消されたような人々の声が広く日本で認識されるようになったのは、1991年のソ連崩壊前夜のことでした。
歴史的な波をいくつ超えたら、再会できたのか?
大粒の涙をこぼし、谷垣と別れたチカパシ――彼らは再会の機会に恵まれなかった、というのが公式見解です。
もしも再会を果たすとすれば、どれだけの障壁を越えねばならなかったのか。
最後に確認してみましょう。
◆日本人として、北海道に戻った場合
・1945年8月、ソ連兵の侵攻をくぐりぬけ、北海道へたどりつく。ただしその場合、故郷である樺太には戻れなくなる
◆ソ連人として、サハリン州に残った場合
・谷垣はロシア語を駆使し、ソ連政府とかけあう
・それでもソ連政府相手にはどうにもならないことを、誰かに訴えねばならない。墓参を名目とした一団に参加する
・1990年頃まで生存し、国境を超えて出会う
両者の年齢を踏まえると、やはり再会は不可能なのでしょう……。
言うまでもなくこれは『ゴールデンカムイ』のキャラクター同士の話だけではありません。
苦難を味わった人々は実在したのです。
やんちゃな笑顔のチカパシ。
そろばんを弾いていたしっかりもののエノノカ。
あの無邪気な子どもたちは、歴史的な波に飲まれてゆきます。
チカパシが谷垣からゆずられた銃で、彼はソ連兵と戦うことになるかもしれない。
エノノカは犬たちを置き去りにできず、樺太にとどまることを願うかもしれない。
『ゴールデンカムイ』は厳しい世界です。
鶴見にせよ、尾形にせよ、辛い人生を送っています。
日露戦争を生き延びた時点で、誰も彼もが過酷な思いを味わっています。
しかし、彼らの苦難は過去にあるともいえる。いや、杉元たちだってもちろん戦争に巻き込まれます。
それでも北海道や本土に暮らしていることでしょう。和人や和人の配偶者として生きる道を選んでいます。
しかし、チカパシとエノノカは、あの戦争の中で樺太に生きるアイヌとなります。
彼らのその後について語るとなれば、数コマや数ページだけでは到底間に合わない。ゆえに「歴史的な波」という表現でまとめるしかなかったのかもしれません。
樺太の運命と、そこにいた人々の苦難は、戦争の記憶からも抜け落ちやすいもの。
そんな苦悩を知り、さらに調べてみようという読者が増えれば『ゴールデンカムイ』の意義はさらに高まることでしょう。
最終回でも描かれなかったからこそ……チカパシとエノノカが巻き込まれる波のことを思い巡らすと、今も胸が苦しくなってしまいます。
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
金子俊男『樺太一九四五年夏』(→amazon)
小川エイ一『樺太・シベリアに生きる』(→amazon)
川嶋康男『永訣の朝 (河出文庫)』(→amazon)
野田サトル『ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録』(→amazon)
他
https://bushoojapan.com/historybook/historycomic/2024/08/22/176523
シネマトゥデイ 2024年8月22日 17時00分
中川大志演じる鯉登音之進 - (C)野田サトル/集英社(C)2024 WOWOW
野田サトルの累計発行部数2,900万部(2024年7月時点)を突破する人気漫画を山崎賢人(※崎は「たつさき」)主演でを実写化した映画『ゴールデンカムイ』の続編となるドラマシリーズ「連続ドラマW ゴールデンカムイ ー北海道刺青囚人争奪編ー」で、薩摩生まれのエリート少尉・鯉登音之進を中川大志が演じることが明らかになった。あわせて、鯉登のビジュアル並びに最新予告映像も公開された。
映画版では、明治末期の北海道を舞台に、元陸軍兵の杉元佐一(山崎)がアイヌの少女・アシリパ(※リは小文字/山田杏奈)と共に、莫大なアイヌの埋蔵金の在りかの手掛かりが記された「刺青人皮(いれずみにんぴ)」を求めて旅する中で、第七師団、土方一派と三つ巴の戦いを繰り広げるさまが描かれた。その続編となるドラマ版では、杉元たちがアシリパの父の古き友のキロランケ(池内博之)、アイヌの女・インカラマッ(※ラは小文字/高橋メアリージュン)、「札幌世界ホテル」の女将(おかみ)の家永(桜井ユキ)、元ヤクザの若衆の夏太郎(塩野瑛久)らと遭遇。さらには網走監獄典獄の犬童(北村一輝)、伝説的な熊撃ち、“煌めき”を追い求める男、ヤクザの親分、凄腕壺振り、天才剥製職人、贋作師、変装の名手にして詐欺師などクセ者たちが次々に現われる。
中川演じる鯉登音之進は、鶴見中尉(玉木宏)を敬愛する第七師団の少尉であり、身体能力に優れ、一撃必殺が特徴の剣術・自顕流の使い手という役どころ。今年3月に解禁された特報映像には鯉登と思われる人物の走る姿が一瞬だけ映っており、SNS上ではキャスト予想が展開された。
出演発表を迎えた中川は「数ヶ月前、公開された特報映像に本当に一瞬だけ走る鯉登が映っていました。「一体誰なんだ?」という予想合戦を陰ながら見ていて、改めてこのキャラクターへの期待の大きさを実感しました。僕は鯉登音之進という男を誰よりも愛しています。だからこそプレッシャーもありましたが、今の自分に出せる全てを凝縮して演じました。鯉登の役は他の誰にも渡したくない、自分にしか出来ない、と自負しています。ファンの皆さんが愛する鯉登が、このドラマの中にも存在している事を願います」とコメントを寄せている。
さらに、120秒の最新予告映像も公開。「最後に金塊を手にするのは俺たちだ」と決意する杉元ら一行。何者かに対し「我々の密偵になれ」と裏切りを迫る土方(舘ひろし)、杉元に恨みを持つ二階堂(柳俊太郎)に「杉元を殺させてやる」と囁く鶴見。キロランケ、インカラマッ、家永カノ、奥山夏太郎、犬童四郎助、鯉登音之進、二瓶鉄造(藤本隆宏)、辺見和雄(萩原聖人)、若山輝一郎(渋川清彦)、仲沢達弥(木村知貴)、江渡貝弥作(古川雄輝)、熊岸長庵(徳井優)、鈴川聖弘(山路和弘)ら新たに登場するキャラクターたちも勢ぞろい。アイヌの埋蔵金を強奪し、24人の囚人の体に金塊の場所を記した刺青を彫った男・のっぺら坊の姿も見られる。
なお、8月27日午後6時30分頃より、本作のキャストが集結する完成披露試写会の模様を「LINE」内のショート動画プラットフォーム「LINE VOOM」で生配信。主演の山崎賢人をはじめ、山田杏奈、矢本悠馬、柳俊太郎(※「柳」は木へんに夘)、塩野瑛久、桜井ユキ、中川大志、池内博之、玉木宏、舘ひろしが登壇予定。(編集部・石井百合子)
「連続ドラマW ゴールデンカムイ ー北海道刺青囚人争奪編ー」は10月6日午後10:00よりWOWOWで独占放送・配信・全9話
上智大学 2024.08.22
「辺境」とそこに生きる人々の営みからコロンビア社会の歴史(なりたち)と現在(いま)に迫る
100を超える先住民族やアフロ系住民を有するなど、多民族・多文化国家であると同時に、世界屈指の生物多様性を誇り、自然・資源・文化的に豊かさをもつ南米の国、コロンビア。
2022年の大統領選で、同国初となる左派ペトロ政権が誕生し、注目を集めたものの、日本からは地理的にも文化交流的にも遠く、まだあまり広く知られていない国のひとつです。
なぜ今、コロンビアに注目するのか。なぜ辺境の人々を描くことで、コロンビア社会の理解につながるのか。その意義はどこに見出されるのか。
本書は、コロンビアの経験から、日本や国際社会が抱える社会問題、社会的排除への取組みを考える一助となる啓蒙書です。
ぎょうせいオンラインショップ、全国主要書店および紀伊國屋書店上智大学店で販売中。
https://www.sophia.ac.jp/jpn/article/news/announcement/sup20240822_colombia/
PWC 2024-08-22
2022年12月に生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)において「2030年に生物多様性を回復の軌道に変える」という方向性が示されました。また2023年11月には、自然保全団体、企業団体、国際機関などから構成されるNature Positive Initiative(NPI)が、COP15で合意されたネイチャーポジティブの考え方を踏襲した、ネイチャーポジティブの定義が明文化されました。
このように、近年はさまざまな業界でネイチャーポジティブに向けた動きが本格化しています。生物多様性や生態系を含む自然は、企業にとって重要な経済活動の基盤であり、企業はネイチャーポジティブの取り組みを推進しながらビジネス機会を獲得することが期待されます。
こうした流れの中で、企業が自社の価値向上プロセスに自然保全の概念をマテリアリティとして位置付ける経営、すなわちネイチャーポジティブ経営を実現するためには、まずは自社の事業活動が自然へもたらすインパクトや自然への依存の状態を正しく把握することが出発点となります。しかし、気候変動は温室効果ガス換算の排出量を使って全地球規模で世界共通の指標で測定できる一方で、自然は地域によってさまざまな生態系や生物種を包含する「地域性」があるため、単一の指標で測ることができません。自然そのものには地域性があるため、自社の事業活動と自然の関係が自然に及ぼすインパクトや、依存する生態系サービス、それらが派生する自社へのリスク・機会対応にも地域性が生まれます。こうした地域性の存在を踏まえ、自社の事業活動と自然の関係を正しく把握する際に有効な手法の1つが、ロケーション分析です。
ロケーション分析とは、GIS(地理情報システム)や空間解析ツール、国際機関が提供する地理データベースなどのツールを用いて、地理情報を持つ複数のデータを統合して分析する手法であり、都市計画、商圏分析、自然のモニタリングなど、さまざまな用途に活用されています。ネイチャーポジティブ経営においては、このロケーション分析により、自然に関連するインパクト・依存や、リスク・機会が潜在する場所を事業拠点レベルまで解像度を上げて把握することが可能となります。
例えば、ある地域に位置する4つの事業拠点のうち、最もハイリスクな拠点を特定したいとします。先住民族の土地、森林減少ホットスポット、河川洪水リスクをGIS上で重ね合わせることで、先住民族の土地や森林減少ホットスポットに接し、河川洪水リスクも高い拠点1が最もハイリスクな拠点であることが分かります(図表1)。なお、企業が自然に与えるインパクト・依存、リスク・機会を開示するための枠組みである自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)では、バリューチェーンの上流、直接操業、下流の各拠点を評価することによって、ロケーション分析を行うことが推奨されています。
また、ロケーション分析は資源枯渇リスク対応や事業適地の発見など、さまざまな自然関連のリスク対応・機会獲得に役立てることができます(図表2)。以下では、ロケーション分析を効果的に経営に取り入れた先進企業による具体事例を紹介します。
図表2:ロケーション分析による自然関連リスク対応・機会獲得の例
リスク対応 |
機会獲得 |
高リスク原材料生産地域の特定 事業拠点の洪水リスク管理 人権リスクを考慮した資源調達 資源枯渇リスクへの対応 |
自然環境を踏まえた事業適地の発見 作物収量向上需要の取り込み グローバルサプライチェーンの自然災害リスク情報一元管理サービスの開発(ロケーション分析の技術・手法そのものが価値の源泉) |
■原材料の高リスク生産・調達地域を特定し、小規模農家に対して再生農法導入を支援
グローバルに事業を展開するアパレル企業のなかには、国際NGO(以降、「事業者」とする)の協働により、再生農法の導入を支援している企業もあります。事業者が、原材料の生産・調達が最もインパクトを与える土地を特定するためにロケーション分析を実施した結果、インドから調達する大量のコットン繊維が土地に大きなインパクトを与えることが明らかになったのです。
特にインド中央部の特定の地域には、トラやその他の野生生物の重要な回廊となる森林と農作地が混在しており、昨今のインフラ開発や工業農法への転換などの圧力によって野生生物の生息地が失われるリスクや、農家が栽培する綿花の環境負荷の高さをリスクとして抱えており、対策が迫られていました。
そこで、この事業者は綿花栽培を事業変革の機会として捉え、小規模農家を対象とした再生農法の導入支援プロジェクトを実施しました。その結果、同地域の土壌の健全性が高まり、野生生物の回廊を維持できるようになりました。また、生物多様性が向上することで害虫が減少し、従来の慣行農法に比べ投入資材コストを削減するとともに、農家の生活水準も向上しました。
■グローバルサプライチェーンの自然災害リスク情報の一元管理サービスを開発
グローバルに事業展開する大手IT企業は、グローバルサプライチェーン上の自然災害リスク情報の一元管理サービスを提供しています。
近年、自然災害が招くサプライチェーンの機能不全による企業の損失が増加傾向にあり、こうした被害を最小化する企業のニーズが高まっています。このIT企業はこうしたニーズに着目し、GISなどのロケーション分析技術に基づくサプライチェーン上の災害リスクの一元管理サービスを開発しました。
同サービスには、グローバルサプライチェーンのリスク情報を一元管理し、拠点ごとにハザードマップと重ね合わせて自然災害リスクを可視化できる機能があります。これによって、顧客はサプライチェーン上の自然災害リスクを一元管理し、経営上の優先度に鑑みつつ、効果的かつ効率的に対応策を検討できるようになります。
■農業用GISの開発により、農家のリスク緩和や、自社製品の環境負荷削減を推進
農薬を製造販売している総合化学メーカーでは、農業の生産性と環境保全のバランスを生み出すための重要な要素としてデジタル技術を取り入れています。その1つとして、農地から流出する水の問題に着目し、農業用のデジタル地理情報システムを開発することで、農家支援と環境への負荷削減の両立に取り組んでいます。
農地からの流出水は、土壌侵食や肥料・農薬の環境中への流出による水質汚染を引き起こすだけでなく、水不足による収穫量の低下にもつながります。そこで、この事業者は農業用デジタル地理情報システムを用いて、圃場ごとの水の流出リスクを高解像度マップで可視化し、それに対するリスク軽減策を併せて提示します。これによって、ますます強まる気候変動の影響下においても、農家が灌漑に頼らず天水栽培を維持できるための仕組みづくりに一役を買っています。
上記の事例のとおり、ロケーション分析は、自然関連のリスク管理や機会獲得に関する経営上の意思決定を強力にサポートします。しかし、企業がロケーション分析を実施するためには、トレーサビリティが十分でない拠点の位置情報の取得が新たに必要であったり、GISなどのツールを使いこなす必要があったりするなど、越えるべきハードルが存在します。また、これらを克服した後には、ロケーション分析結果を踏まえたリスク・機会の特定、取り組むべき方針・戦略の策定、実行およびモニタリングといった自社の事業活動への落とし込みも必要となります。これらのステップを推進する人材には、生態学などの専門知見に加えてビジネスに関する深い洞察力が求められるため、企業が単独で実施することが困難な場合もあり、エキスパートとのパートナーシップが1つの解決策といえます。
このように、克服すべき課題はあるものの、ロケーション分析は、企業が事業活動に関連する自然のインパクトを把握し、リスク対応・機会獲得に向けた戦略立案・実行へとつなげることをサポートする手法であり、ネイチャーポジティブ経営およびTNFD対応の要諦の1つといえます。
ハフポスト 2024年08月22日 9時39分 JST Kimberley Richards
エリック・アンドレさん(2023年11月)Leon Bennett via Getty Image
コメディアンで俳優のエリック・アンドレさんは、「私は一級市民として扱われるために髪を切ったり、スリーピーススーツを着たりしたいとは思いません。入国することで、『自分は受け入れられていない』と感じさせられるべきではない」と話している。
アンドレさんは8月18日、インスタグラムに動画を投稿した。動画では、あるプロジェクトの撮影のため、ニューヨークからオーストラリアのブリスベンに移動する途中のメルボルン空港で呼び止められたと報告。「特別な列」に並ばされ、「犬に徹底的に匂いを嗅がれた」などと明かした。
「これ以上、屈辱を受けたくない」
警察官や出入国管理に関わる職員などの法執行官が、「人種」や肌の色、世系や国・民族的出身を基に、個人を捜査活動の対象としたり、犯罪に関わったかどうかを判断したりする慣行は「レイシャル・プロファイリング」と呼ばれる。
アンドレさんは、今回のケースが「空港で何度も受けたレイシャル・プロファイリングのうちの一回だ」と述べた上で、「なのでこれは、メルボルンを旅行する全ての黒人、肌が褐色の人、先住民族へのメッセージです。どうか気をつけてください。彼らはそうした人たちを捜索しています」と発言した。
さらにフォロワーに向け、メルボルン空港の探知犬や、人種差別の事案に詳しいオーストラリアの弁護士に関する情報提供を求めた。
今後、オーストラリアでの仕事の話を持ちかける人らに対し、アンドレさん一人がメルボルン空港を通過することのないよう、警備の付き添いを手配することなどを依頼した。
今回の経験から、アンドレさんは「メルボルン空港は安全だと感じられない。空港でこれ以上屈辱を受けたり、人種差別を受けたりしたくない」と訴えた。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_66c5621ae4b0f1ca469330e7
2024年8月22日daikohkai
メキシコにある古代ピラミッドの一部が突然、崩落し、研究者らにより調査などが行われた。
先住民が約1100年前に建設
崩落したのは、メキシコ西部のミチョアカン州、パツクアロ湖近くのIhuatzio考古学エリアにある建造物だという。
この建造物は、プレペチャ族の祖先により、スペイン統治前の約1100年前に建造されたと考えられており、ピラミッドのように階段状になっている。
しかし7月29日、この地域に大雨が降り、その後建造物の南側が突然、崩落したそうだ。
高温でヒビ、雨が染み込んだ可能性
メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)の研究者らによれば、最近の高温とそれに伴う干ばつにより建物に亀裂が生じ、内部に水が浸透しやすくなっていたという。
その後、豪雨が降り、石に雨水が浸透し、南側の壁の中央部分が崩れたそうだ。
また、さらなる調査の結果、敷地の南側にある階段状の建造物のうち、少なくとも6つが、石の外壁だけでなく、中心部なども損傷していることが確認されたという。
Ihuatzio考古学エリアは広さが150ヘクタールもあり、少なくとも84の構造物が存在し、そのうちの7つが現在、展示されている。
この地域に最初に人が住み始めたのは西暦900年から1300年の間だと考えられ、最盛期は西暦1200年から1521年の間で、このときプレペチャ王国の最初の本拠地になっていたそうだ。
またピラミッドは、精神的な儀式や式典が行われる神聖な場所であると考えられるが、研究者の中には、何らかの政治的役割も担い、権力と権威の象徴として機能していたと考える人もいるという。(了)
出典元:METRO:Ancient pyramid in Mexico suddenly collapses sparking warning over ‘bad omen’(8/19)