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<記者の視点>ウポポイ来場者伸び悩み 職員の声生かした誘客を 苫小牧報道部・斎藤雅史

2024-08-05 | アイヌ民族関連

斎藤雅史 会員限定記事

北海道新聞2024年8月4日 10:02

年間来場者数100万人を目指し誘客促進戦略が策定されたウポポイ

 胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が集客に苦戦している。政府目標の年間来場者100万人に対し、2020年度の開業以降、年間19万~36万人で推移。国土交通省は今年3月に来場者を増やすための誘客戦略を策定し新たな取り組みを進めるが、現場からは事務作業量の増加を訴える声が相次ぐ。アイヌ文化を発信し、伝承する施設本来の目的を踏まえ、数値目標だけに縛られない柔軟な運営が望まれる。

 7月中旬の休日、開業4周年イベント期間のウポポイを訪れた。中核施設の国立アイヌ民族博物館で25日まで開催中の「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」で、1日限定の解説ツアーに参加した。職員は総出で来場者と一緒に伝統舞踊を舞うステージの運営に当たっていた。

 施設は家族連れなどでにぎわってはいたが、解説ツアーや踊りなどの企画が、どれほど集客につながっているかは疑問だ。ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)によると、7月の来場者数は3万4873人と前年同月を約5千人下回り、23年度の来場者も33万3097人と前年度比で約1割減った。

 ウポポイの取材を続け、以前から疑問に思っていたことがある。そもそも、なぜ「100万人」なのか。

 調べてみると、ウポポイ開業に関わった菅義偉官房長官(当時)の発言に行き着いた。

 2015年のアイヌ政策推進会議。事務方は当初、年間50万人の目標を示したが、それに菅氏が注文をつけた。菅氏はウポポイの開業前から同じ場所にあった旧アイヌ民族博物館が1991年に入館者87万人を達成した実績や、好調なインバウンド(訪日客)を理由に上方修正を求め、19年に「100万人」が閣議決定された。

 菅氏が首相に就任した後の21年の施政方針演説では、ウポポイを「観光の起爆剤とする」と強調。退陣後も影響力を及ぼし、地元の自民党関係者は「菅さんが現役のうちは、目標の見直しはないだろう」とみる。

 北海道観光の現状を踏まえても、「100万人」達成の壁は高いように思える。旧博物館が多くの人を集めた1980~90年代は修学旅行や職場旅行など団体が主流で、立ち寄り先や目的地は旅行会社が決めることが多かった。今は観光が個人化し、旅行会社に営業する従来の手法だけでは誘客が難しいからだ。

 道内を訪れた外国人は、・・・・・・・

 

(苫小牧報道部 斎藤雅史)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1046848/


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「理科の視点でアイヌ文化を」 十勝で道高校理科研究大会

2024-08-05 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/08/04 11:28

 第67回北海道高校理科研究大会十勝大会が7月31日から8月2日まで、帯広市内のとかちプラザなどを会場に開かれた。道内高校の理科教諭らが集まり、授業実践の報告などを行った。
 北海道...

●この記事は会員限定です。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=614238


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差別禁止を求めるシンポ 芦谷 英夫 ブログ

2024-08-05 | アイヌ民族関連

選挙ドットコム 2024/8/4

◆4日差別禁止法を求めるシンポジウムがあり、基調講演は「いま、なぜ差別禁止法が必要なのか」と題する近畿大学名誉教授の奥田均さんのお話です。シンポジウムでは、アイヌ民族が日本との同化政策で人権差別と被害を受けたこと、部落解放運動と差別事象などが日本社会で埋もれていること、在日外国人のこれまで様々虐げられいまの置かれている立場など、それぞれ発言がありました。いま性にまつわること、SNSなどによる新たな事件や被害があることなど、いまや「差別禁止法」の制定が必要ですが、日本の対処は遅々として進まず、国連から人種差別撤廃条約などから追い立てられているのが現実です。

https://go2senkyo.com/seijika/7222/posts/940284


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パリ五輪でも話題、レインボーはなぜLGBTQIA+の象徴に?

2024-08-05 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック 2024.08.04

パリ五輪は公表する選手が過去最多、進化し続ける旗のデザイン

 2017年、米ペンシルベニア州フィラデルフィアの市庁舎で、アンバー・ハイクス氏率いるフィラデルフィアLGBT局が作成した「フィラデルフィア・プライドフラッグ」が公開された。ベイカーのフラッグの上に、QTBIPOC(クィアやトランスの黒人と有色人種の先住民族)を表す黒と茶のストライプが加えられている。

 QTBIPOCは、クィアまたはトランスジェンダーであり有色人種であるという二重のマイノリティ性にまつわる偏見と暴力にあいながら、クィア運動から排除されてきた人々だ。

従来のレインボーフラッグに黒と茶のストライプを加えた「フィラデルフィア・プライドフラッグ」。(PHOTOGRAPH BY MATT SLOCUM/AP)

[画像のクリックで別ページへ]

「QTBIPOCの関わりは、『ストーンウォールの反乱』(1969年にニューヨークのゲイバーで警察に立ち向かって起こった暴動事件。LGBT運動が高まるきっかけとなった)の中心にありました。これをフラッグに追加するのは、QTBIPOCの人々に敬意を払い、中心に据えるということです」と、米カリフォルニア州立大学サクラメント校の歴史学助教のレベッカ・マルホランド氏は言う。

 2018年には、ノンバイナリー(自分の性自認が男女の枠に当てはまらない)のアーティストであるダニエル・クエーサー氏が、トランスジェエンダーのフラッグに使用されていた白、薄いピンク、水色のストライプを加えて、より幅広い受容性への取り組みを表す「プログレス・プライドフラッグ」を考案した。

「一度は削除されたピンクが含まれています。QTBIPOCを運動から排除しようとする動きに対する抵抗の象徴です」と、ユーウィング氏は言う。

 6色のレインボーフラッグに黒と茶の帯をVの字で加え、さらにその内側にトランスフラッグの水色、ピンク、白の帯を配置したデザインは、「トランスジェンダーを中心にすることの重要性を示しています。これらの人々はジェンダー規範からの逸脱が目に見えやすいために、しばしば運動の最前線で最も激しい抵抗にあってきました」と、ウールナー氏は指摘する。(参考記事:「トランスジェンダー「救急外来で嫌な思い」、調査」

 2020年には、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動のモチーフを取り入れてクィアと人種平等を訴える新しい「クィア・ピープル・オブ・カラー・フラッグ」が登場した。デザイナーは知られていないが、BLM運動の象徴である突き上げたこぶしが、異なる肌の色を象徴してグラデーションになっている。(参考記事:「人種差別抗議デモ、人種を超えて広がる人々の思いと闘い」

「1970年代後半にレインボーフラッグ誕生のきっかけとなった政治運動は、QTBIPOCの貢献なしにはあり得ませんでした。その人々を中心に置くことは、LGBTQIA+運動における有色人種の動かしがたい地位を強く主張するものです」と、ユーウィング氏は話す。

 そして最新版のプライドフラッグは、インターセックス(男性にも女性にも当てはまらない身体的特徴を持った人)のコラムニストでメディアパーソナリティのバレンティノ・ベッキエッティ氏が2021年に作成した「インターセックス・インクルーシブ・プライドフラッグ」だ。

「プライドフラッグは、私たちを閉じ込めたり区別したりするのではなく、私たちの多様な存在を反映し、インクルージョン(包摂)を可視化するために存在しているのです」とベッキエッティ氏は言う。「インクルージョンは、当然あるものと思い込むべきではありません。目に見えるということが重要なのです」

 最新のフラッグはプログレス・プライドのデザインを基にしており、インターセックス・プライドを象徴する黄色地に紫の円が描かれた三角形が加えられている。11色にまで増えたプライドフラッグは、始まりであるベイカーのレインボーフラッグをどことなく彷彿とさせる。

ギャラリー:LGBTQIA+の象徴、レインボーフラッグの進化史 写真7点(写真クリックでギャラリーページへ)

 何度も変更が加えられてきたプライドフラッグは、この先もまた新たなデザインが生まれるだろう。

「人のアイデンティティの幅がいかに広いかが明らかになればなるほど、様々なバリエーションのフラッグが生まれるものです。これほど活発で創造的で、積極的に運動に関わろうとする人々が多くいるコミュニティですから、それを象徴するフラッグもまた進化し続けることでしょう」と、ケステン氏は言う。

文=Lola Méndez/訳=荒井ハンナ

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/061200313/?P=2


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キノコ雲がトレードマークで誇りの町へ。原爆を作るために生まれた町がいまだ知られていない理由

2024-08-05 | 先住民族関連

Yahoo!ニュース 水上賢治 映画ライター 8/4(日) 10:25

 キノコ雲がシンボルマークとしていたるところに掲げられ、「原爆は戦争の早期終結を促した」と核兵器を誇りとする町がある。

 アメリカ・ワシントン州南部の閑静な郊外にある町、リッチランド。

 この町は第二次世界大戦時、秘密裏に進められたマンハッタン計画の核燃料生産拠点となった「ハンフォード・サイト」で働く人々とその家族が生活するためのベットタウンとして作られた。

 日本とは無縁ではなく、1945年8月9日、長崎に落とされた「ファットマン」のプルトニウムはハンフォード・サイトで精製されたものだった。

 そのような歴史があり、先で触れたように“キノコ雲”のマークが町のいたるところに掲げられ、地元高校のフットボールのチーム名は「リッチランド・ボマーズ」、そして「原爆は戦争の早期終結を促した」と口にする人は少なくない。ただ、その一方で多くの人々を殺戮した事実を前に認識を新たにした人たちもいる。

 また「ハンフォード・サイト」はすでに稼働終了。現在はマンハッタン計画に関連する研究施設群として「国立歴史公園」に指定され、アメリカの栄光を見ようと多くの観光客が訪れる場所となっている。2000年代以降はワイン産業が急成長して、いまではワインの名産地でそれ目当てに訪れる人も多い。

 その一方で、設立当初から土地の放射能汚染が叫ばれ、いまも核の廃棄物の人体の影響への不安を抱えながら住んでいる人がいる。さらにハンフォード・サイトはもともとネイティブアメリカンから略奪した土地。いまもネイティブアメリカンが、核の汚染を完全に取り除いた上での土地の返還を求めている。

 ドキュメンタリー映画「リッチランド」は、このような一筋縄ではいかない町に深く分け入っていく。

 ともするとよそ者は排除されてもおかしくない地に、足を踏み入れたのは、縁もゆかりもなかった女性映画作家のアイリーン・ルスティック。

 なぜ、この地を訪れることになったのか?現地で何を感じ、作品を通して何を伝えようとしたのか?

 彼女に訊く。全五回/第三回

「リッチランド」のアイリーン・ルスティック監督   筆者撮影

リッチランドはアメリカではほとんど知られていないと思います

 前回(第二回はこちら)は、リッチランドを初めて訪れてから数年を経て、本格的に調べてみようと思った経緯について語ってくれたアイリーン・ルスティック監督。

 そもそものところで「リッチランド」とはすごいネーミングの町だと思うのだが、アメリカではよく知られた町なのだろうか?

「残念ながらアメリカではほとんど知られていないと思います。

 わたしも撮影でリッチランドを訪れるまで、正直なところ町の名前をきいたことはありませんでした。

 リッチランドは、第二次世界大戦時に進められた『マンハッタン計画』で、急遽作られた核燃料生産拠点『ハンフォード·サイト』で働く人々のベッドタウンとして生まれました。

 『マンハッタン計画』は極秘裏に進められた計画で、ハンフォード・サイトはプルトニウムの生産拠点となり、そのプルトニウムは長崎に落とされた原子爆弾『ファットマン』に使用されました。

 第二次世界大戦以降も、核燃料生産工場としてアメリカ国家の核開発を推しめる重要拠点となっていました。そして、1987年まで核燃料生産が行われ、アメリカの軍事用プルトニウムの約3分の2がこの場所で生産されたといわれています。

 ですから、広い目でみたとき、世界史においてひじょうに大きな役割を果たした場所であり町だと思います。核兵器について語るときに外せない場所といっていいでしょう。

 でも、『マンハッタン計画』自体が極秘プロジェクトで社会に広く知らされるものではありませんでした。

 リッチランドはその秘密裏の計画のために人工的に作られた町ですから、当然、町の存在もさほど広く知らされることはなかった。

 あと、映画でも触れていますが、『ハンフォード・サイト』は、古くからワナパム族等の先住民族の居住地だった。

 でも、広大な敷地があること、近隣に多くの住民が住む都市がないこと、原子炉冷却に必要な水が豊富なこと、といった条件を満たした土地として、先住民族から奪い、1942年に核燃料生産拠点の建設が決定され、1943年から施設が稼働を開始しました。

 つまり人口の少ない土地で、周囲の目に触れずらい場所だった。そのことも存在が明るみになかなかならなかった理由のひとつにあると思います。

 原子力爆弾開発を目的とする研究所が設立されたニューメキシコ州のロスアラモスや、テネシー州にあるウラン精製工場のオークリッジに比べると、『ハンフォード・サイト』と『リッチランド』は人目に触れることなくここまできてしまった。

 そういういくつかの理由が重なって、あまり知られないできたところがあると思います。

 少なくともわたしは、リッチランドを訪れるまではまったく知りませんでした。

 ハンフォード・サイトもリッチランドも、聞いたこともありませんでした。

 ですから、リッチランドを初めて訪れたときは、作品内に映し出されますけど、あの画一的な町並みに圧倒されましたし、キノコ雲のマークに驚きました」

「リッチランド」より

原爆を生み出した町で暮らす人々のメンタルや記憶というものを丹念に紐解く

 話しを戻すが、リッチランドという共同体をきちんと見つめることで、分断の進むアメリカ社会の現状が見えてくるかもしれないと思ったとのこと。

 まず作品を作る上でなにからとりかかったのだろう。

「リッチランドのような共同体は、アメリカが自らの暴力の歴史をいかに処理してきたのかについて何かしらの示唆を与えてくれるのではないかと考えて、まずはリサーチを始めました。

 ただ、わたしのリサーチはほかとはちょっと違うといいますか。

 ハンフォード・サイトおよびリッチランドをテーマにして何かを発表しようとしたジャーナリストや作家、反核アクティビストはけっこういます。

 でも、彼らのほとんどが目を向けるのは、核兵器産業の真実や国の核開発について。その真実を暴いたり、国の核政策を批判することを目的としたリサーチがほとんどなんです。

 でも、わたしが知りたいのはそういうことではない。

 ハンフォード・サイトおよびリッチランドがどのようにして生まれて、どのようなコミュニティが生まれ、どのような文化や歴史が育まれてきたかを、わたしは探求したかった。

 この地で暮らす人々のメンタルや記憶というものを丹念に紐解くことで、なぜキノコ雲がトレードマークになるのか、核開発が町の誇りになるのか、そういった事の本質が見えてくると考えたんです。

 わたし自身がチャウシェスク政権下のルーマニアを政治亡命者として逃れてきた両親の間に生まれた米国人1世ということもあって、もともとコミュニティの在り方や自身の過去とどう折り合いをつけていくかということに興味がありました。

 初めての長編映画も自分の家族の隠された歴史を5年間かけて掘り起こしたもので。いろいろな人と親密な関係を結び、その人の痛みを伴う歴史と向き合いました。

 以来、映画作家としてのわたしは、人々とその過去の間に繊細に仲介する立場にいようと考えているところがあります。

 ですので、まずは町のことをきちんとリサーチして、リッチランドの人々と辛抱強く向き合って、人間関係をきちんと構築して、コミュニティのリスニングを数年かけて行おうと思いまた」(※第四回に続く)

【「リッチランド」アイリーン・ルスティック監督インタビュー第一回】

【「リッチランド」アイリーン・ルスティック監督インタビュー第二回】

「リッチランド」ポスタービジュアル

「リッチランド」

監督・製作・編集:アイリーン・ルスティック

公式サイト https://richland-movie.com/#

全国順次公開中

筆者撮影の写真以外はすべて(C) 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3d7e5e8b2e47ec9a02f1fe8979e9aa8a3ad3941a


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オーストラリアの写真家がフランスのフェスティバルで先住民族の遺産を祝う

2024-08-05 | 先住民族関連

Antennefrance 2024 年 8 月 5 日

フランスのブルターニュで開催された2024年ラ・ガシリー・フォト・フェスティバルに招待されたオーストラリア先住民の写真家ボビー・ロッキャーによる画像。© ボビー・ロッキヤー

フランス西部のブルターニュにある絵のように美しいラ・ガシリーの村は、環境と社会問題に焦点を当てた毎年恒例の写真祭の本拠地であり、今年、オーストラリアは主賓です。特集された11人のオーストラリアの写真家の中には、彼女の先住民族の遺産と彼女の故郷を守ることの重要性を共有することに熱心なボビー・ロッキャーがいます。

オリア・ホートン

西オーストラリア州のピルバラ地方出身のLockyerは、La Gacillyに行くために3回のフライトと電車に乗り、フランスでの最初の正式な展覧会のレイアウトを発見することに興奮しています。

老いも若きもオーストラリア先住民の顔の大規模な肖像画は、アフ川を見下ろす静かな庭園の緑から現れます。

「私はカリヤラ、ンガルルマ、ニュル・ニュル、ヤウルの女性です。それは私が塩水の国のアボリジニの女性であることを意味します」とLockyerは紹介としてRFIに伝えます。

Lockyerは、地元の言語でMarrapikarinyaとして知られる海岸沿いの町Port Hedlandで育ち、そこで4人の幼い息子を育てています。海鳥、カメ、イルカなどの自然の避難所です。

彼女は、先住民族の文化の複雑なトーテムシステム、自然に触発され、家族の血統に応じて各人に起因するシンボルについて説明し続けます。ペリカンに代表される彼女の責任は、海とその生き物の世話をすることです。

ラ・ガシリーでのロッキエの展覧会は「起源」と呼ばれ、家族、母性、母なる地球の保護という彼女の心に近いテーマをまとめています。

土地と再接続する

いくつかの写真は、彼女のシリーズ「Birthing on Country」からのものです。彼女は、伝統的な習慣に従って子供を持つために先住民の祖先の土地に戻ることを選択した若い家族を記録しました。

妊娠中の女性はカメラを誇らしげに見つめ、ボディペイントをした父親は新生児を抱きしめ、赤ちゃんは鳥の巣で安らかに眠っています。ロッキャー自身の2人の息子が、緑豊かなフレームから覗く。

「それは私たちの若者を彼らの国と結びつけ、土地の世話をし、私たちの物語を共有することです」と彼女は言い、遠隔地のコミュニティにある彼らの家のために、多くのアボリジニの女性が現代の病院で赤ちゃんを産むために大都市に引っ越し、その結果、彼らの土地とその家族との重要な接触を失うと説明しました。

オーストラリアは、1780年代のイギリスによる植民地化以来、虐殺の犠牲者であり、様々な虐待的で人種差別的な同化政策が続いている先住民と常に厄介な関係を築いてきました。

子供たちはしばしば両親や祖父母から引き離され、ヨーロッパの方法で教育を受けました。その結果、彼らはしばしば先住民族の遺産とのつながりを知らずに育ち、年長者と一緒に消えた口承の歴史を聞くのを逃しました。

しかし、Lockyerのような幸運な少数の人は、たとえ物語の伝達が時間の経過とともに進化したとしても、これらのリンクを維持することができました。

画家、ファッションデザイナー、写真家として、ロッキャーは言語的および文化的格差を超えてメッセージを伝えるためのイメージと色の力を理解しています。

「写真は常に会話を開き、意識を高めることができる」と彼女は微笑む。

「私はとても視覚的な人間です。多くの人々は読書だけで学ぶのではなく、画像を見て、私たちが伝えようとしていることを正確に見ることから学ぶでしょう。

「調和の不均衡」

これにより、写真は環境問題にも注意を引くための強力なツールになります。

ポートヘドランドは、鉄鉱石やその他の鉱業活動のためのオーストラリア最大の海運港であり、経済を後押しするだけでなく、大気中に放出される有毒なほこりによる健康問題を引き起こしています。

「鉱業が私たちの土地、さらにはそこに港がある海の国に与えた損害を見て、それが私たちの人々をどのように避難させたかを見るのは悲痛です」とLockyerは言います。悲しいことに、彼女は「調和の不均衡は常にそこにある」と付け加えた。

しかし、Lockyerは、これらの課題にもかかわらず、彼女の人々の風景との強いつながりを撮影し、記録することは、彼らのつながりを強化する方法であると断固として主張しています。人々が自然と文化遺産に誇りを持つほど、彼らはそれを守るために働く可能性が高くなると彼女は信じています。

「説明するのは難しいですが、私にとっては、それは常にそのつながりを私たちの国に戻し、そのつながりを私たちの物語に戻すことです。」

ラ・ガシリー・フォト・フェスティバルは2024年11月3日まで開催されます。
https://www.rfi.fr/en/culture/20240804-australian-photographer-celebrates-indigenous-heritage-at-french-festival

https://www.antennefrance.com/arts/australian-photographer-celebrates-indigenous-heritage-at-french-festival/#google_vignette


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【北海道の難読地名】北海道の南東部にある「馬主来」って何と読む?その由来は?

2024-08-05 | アイヌ民族関連

リビング札幌Web 8/4(日) 

北海道といえば、難読地名の宝庫!道民ならたいてい知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名がたくさんあります。

そんな地名を探して、クイズにします!

北海道の南東部にある「馬主来」は何と読む?

北海道の南東部に位置する「馬主来」。アイヌ伝説の舞台とも言われるこの場所。何と読むか分かりますか?

さて、正解は?

正解は・・・

「ぱしくる」でした!

その由来は?

パシクルは、アイヌ語で「カラス」を意味するそうで、地名の由来はそこから来ているそうです。他にも、アイヌ語の分析と伝説をもとに「パ(見つける)・シリ(陸地)・クル(影)」がっつまって「パシクル」になったという説もあるとか。

一帯にはパシクル沼が広がり、美しい景色が有名です。パシクル川の水が河口で荒波にせき止められて満水になると、自然に太平洋に流れ出る、海水と淡水が混じり合っている汽水湖です。

また、アイヌ伝説の舞台ともなっていて、中でもアイヌ古式舞踊「フンペリムセ(鯨踊り)」発祥の地とも言われています。

札幌や近郊のグルメ&お出かけ情報を見るなら「リビング札幌Web」!

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