先住民族関連ニュース

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アイヌ民族「エント茶」×南米パラグアイ「マテ茶」 ブレンド商品開発へ 白老文化観光推進実行委

2024-08-30 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年8月30日 1:05

エント茶を試飲するマテ茶生産者ら(白老文化観光推進実行委員会提供)

 胆振管内白老町の観光関係者らでつくる白老文化観光推進実行委員会は、南米パラグアイの事業組合と共同で、現地先住民族が発祥のマテ茶をベースとした新商品開発に乗り出す。アイヌ民族が愛飲するエント茶とマテ茶のブレンド商品のほか、将来的には道産牛乳を使ったミルクマテ茶も開発する方針。実行委幹部が22~24日に現地を訪問し、開発の推進を確認した。早ければ年内の商品化を目指す。

 南米で広く愛飲されるマテ茶はパラグアイ最大の先住民族、グアラニー民族から広まったとされる。エント茶はアイヌ民族の薬草茶。同実行委はパラグアイのマテ茶生産者組合「オニョイル」と共同で、エント茶をブレンドした商品のほか、・・・・・・

 

(ワシントン駐在 広田孝明)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1056516/


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アイヌ神話の世界、豪快な版画で 札幌で結城さん作品展

2024-08-30 | アイヌ民族関連

花城潤 有料記事

北海道新聞2024年8月29日 22:25(8月29日 23:19更新)

アイヌ神話をモチーフにした多彩な作品と作者の結城さん

 札幌アイヌ協会の共同代表で版画家の結城幸司さん(60)の作品展が9月1日まで、札幌市中央区の大丸札幌店で開かれている。アイヌ神話をモチーフにしたヒグマやサケの版画、木彫りなど計35点が並ぶ。

 結城さんは札幌を拠点に創作活動を続け、同店での開催は4年連続。

 会場で最も大きな作品は縦95センチ横92センチの版画「森の中の物語」。・・・・・・

 午前10時~午後6時(最終日は午後5時まで)。入場無料。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1056494/


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悲惨な戦争、紙芝居で忠実に 中札内の真野さん作画 原作者の弁護士「平和を考える契機に」

2024-08-30 | アイヌ民族関連

関山大樹 有料記事

北海道新聞2024年8月29日 19:54

 【中札内】奈良市在住の人権派弁護士、田中幹夫さん(91)著の戦争体験記を基にした紙芝居「いくさの少年期~ぼくが子どものころ戦争があった~」が刊行された。絵は中札内村在住の画家真野正美さん(66)が担当。子どもの目線から見た戦争を伝える内容で、企画した作家寮美千子さん(68)=同市=は「幅広い世代に戦争をリアルに伝えたい」と話している。

 原作は昨年絶版となった田中さん著「いくさの少年期 1941~1945」(文芸社)。少年期に古里の福井市で経験した太平洋戦争に翻弄(ほんろう)された暮らしや当時の心情を書いた。

寮美千子さん

 寮さんは、過去の裁判を通じ恩義を感じていた田中さんが昨年病に倒れたことを知り、紙芝居の脚本制作を開始。印刷代などの制作費は寄付で200万円ほど集めた。絵は交流サイトで知り合った真野さんに依頼した。

 真野さんは十勝管内の小中学生の詩を紹介する月刊児童詩誌「サイロ」の表紙を手がけるなど多忙な中、原作と資料を読み込んだ上で、自身のイメージで絵を描き、寮さんと内容をすり合わせていった。「普段の画風と違い、初めての連続だった。下手なものは作れないと、取りつかれたように使命感に駆られ、描いていた」と振り返る。

 紙芝居は7月に京阪奈情報教育出版から出版し、ロクリン社からは絵本になった。アイヌ民族関連の絵本や著書があり、過去に十勝を周遊した寮さんは「真野さんの協力は本当にうれしかった。想像以上の素晴らしい作品になった」と感謝する。

 ・・・・・・

 紙芝居はB4判33枚。300部作り、200部は送料込み5千円で販売している。100部は上演する団体などに無償で寄贈し、増刷する予定だ。詳細や問い合わせは、ならまち通信社(奈良市)、電話070・5024・9428へ。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1056365/


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実写「ゴールデンカムイ」新キャスト&キャラクターは?

2024-08-30 | アイヌ民族関連

シネマトゥデイ 2024年8月29日 7時45分

野田サトルの人気コミックを山崎賢人(※崎は「たつさき」)主演で実写映画化した『ゴールデンカムイ』の続編となる、「連続ドラマW ゴールデンカムイ -北海道刺青囚人争奪編-」(WOWOWで10月6日午後10時より独占放送・配信開始※全9話)。アイヌの莫大な埋蔵金を巡る争奪戦を描く本シリーズは、一癖も二癖もあるキャラクターの再現度が話題だが、映画版に続いて反響を呼ぶこと必至のドラマ版キャスト、キャラクターを振り返ってみた。

【画像】実写ドラマ「ゴールデンカムイ」新キャストビジュアル

 原作は累計発行部数2900万部(2024年7月時点)を突破。映画版では、明治末期の北海道を舞台に、“不死身の杉元”の異名をとる元陸軍兵・杉元(山崎)とアイヌの少女・アシリパ(山田杏奈※リは小文字)が、莫大なアイヌの埋蔵金を巡り軍人や脱獄囚らとバトルを繰り広げるさまが描かれた。ドラマ版では、埋蔵金のありかが記された刺青人皮を背負った囚人狩りが本格化。金塊をめぐる旅が新たな局面に差し掛かり、それぞれの過去や信念が解き明かされていく。

 藤本隆宏萩原聖人桜井ユキ高橋メアリージュン池内博之ら一部のキャストは映画のラストで一瞬姿を見せたが、ドラマ版のキャストを役どころと共に改めて紹介する。

 アシリパ(※リは小文字)の父(アチャ/井浦新)の友人・キロランケに池内博之。アイヌの集落コタンを転々とするミステリアスなアイヌの女・インカラマッ(※ラは小文字)に高橋メアリージュン。杉元一行が札幌で訪れることになる「札幌世界ホテル」の若き女将・家永カノに桜井ユキ。元はヤクザの一味だったが、土方と出会い魅了される奥山夏太郎に塩野瑛久

 “悪夢の熊撃ち”の異名をとり、エゾオオカミのレタラ(※ラは小文字)の狩猟に執着する二瓶鉄造に藤本隆宏。杉元の生きざまに心酔し、煌めきを求め戦いに挑む辺見和雄に萩原聖人。賭場を牛耳るヤクザの親分・若山輝一郎に渋川清彦。数々のイカサマ賭博で稼いできた凄腕の壺振り・仲沢達弥に木村知貴。天才的な剥製職人・江渡貝弥作に古川雄輝。人の皮を用いた服を作成しており、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見中尉(玉木宏)から思わぬ依頼をされる。腕利きの贋作師で精巧な偽札を作る熊岸長庵に徳井優。変装の名手で多くの詐欺を働く鈴川聖弘に山路和弘。その腕を買われ、杉元たちのある作戦に協力する羽目に。

 網走監獄の典獄で、厳格かつ潔癖な性格から“規律の鬼”と囚人たちから恐れられる犬童四郎助に北村一輝。ある出来事をきっかけに土方歳三(舘ひろし)に個人的な恨みを持つ。第七師団一等卒で東北マタギの生まれの谷垣(大谷亮平)を慕うアイヌの少年・チカパシに青木凰。牧場経営者で、杉元たちにあることを依頼するエディー・ダンにモーリー・ロバートソン

 そして薩摩生まれ、鶴見中尉を敬愛する第七師団のエリート少尉・鯉登音之進に中川大志。一撃必殺が特徴の剣術・自顕流の使い手。

 27日には本作の完成披露試写会が行われ、山崎賢人、山田杏奈、矢本悠馬柳俊太郎、塩野瑛久、桜井ユキ、中川大志、池内博之、玉木宏、舘ひろしら豪華キャストが一堂に集結した。(編集部・石井百合子)

https://www.cinematoday.jp/news/N0144684


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【男性に聞いた】地元民しか読めないと思う「北海道の一級河川」ランキングTOP13! 第1位は「後志利別川」【2024年最新調査結果】

2024-08-30 | アイヌ民族関連

ねとらぼ 2024/08/29 18:55(公開) 2024/08/29 18:55(更新)

第3位:鵡川(むかわ)

第2位:渚滑川(しょこつがわ)

解説

 第2位は、得票率12.3%の「渚滑川」(しょこつがわ)でした。北海道のほぼ中央に位置する「天塩岳」を源とし、紋別市を経てオホーツク海に注ぐ、延長84キロの一級河川です。渚滑川の名は、アイヌ語で「滝つぼ」などを表す「ショー・コツ」をルーツとする説が有力とされています。

 渚滑川が流れる滝上町の市街地付近は渓谷になっていて、清らかな流れや豊かな自然はもちろん、秋には美しい紅葉が見られることでも知られています。また、古くからニジマス・ヤマベ・イワナなどの渓流魚の集まる釣り場としても有名です。サケ・マスなどの稚魚のふ化・放流も行われていて、日本初のキャッチアンドリリース区間が設けられたことでも注目を集めました。

第1位:後志利別川(しりべしとしべつがわ)

解説

 第1位は、得票率50.2%の「後志利別川」(しりべしとしべつがわ)でした。北海道西部の「長万部岳」を源とし、久遠郡せたな町を経て日本海へ注ぐ、道南地方唯一の一級河川です。

 後志利別川の名は、アイヌ語で「山の走り根・大きい・川」などを意味する「ツウシベツ」、もしくは「縄・川」などを意味する「トゥシ・ペッ」をルーツとする説が有力。十勝地方の利別川と区別するため、「後志」を冠したものとされているようです。

 延長80キロを誇る後志利別川の流域は古くからサケの漁場として知られ、人々の生活の拠点とされてきました。米やジャガイモなどの農産物、日本海で収穫できるウニやアワビなどの海産物にも大きな役割を果たしています。また、国土交通省が認定する「清流日本一」に何度も輝いていることでも有名です。

https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/2950058/4


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先住民女性連続殺人、男に終身刑4回 カナダ

2024-08-30 | 先住民族関連

時事通信 2024-08-29 17:03 World eye

【オワタAFP=時事】カナダの裁判所は28日、マニトバ州ウィニペグで先住民女性4人をレイプして殺害した上、遺体を切断してごみに出したとして第一級殺人罪で有罪判決を受けていた男に終身刑4回を言い渡した。≪写真は、被害者のモーガン・ハリスさんの娘≫
 ジェレミー・スキビッキ被告(37)側は、精神の障害により責任能力が制限されていたと主張していたが証明できず、先月、第一級殺人罪で有罪判決を言い渡された。
 グレン・ジョヤル判事は判決文で、スキビッキ被告を「残忍暴虐」と非難し、25年間仮釈放の可能性がない終身刑4回の同時執行を言い渡した。
 現地メディアによると、ジョヤル判事は29日に法廷で、「(判決は)残念ながら、これらの罪の重さとあなたの道徳的有責性を十分に反映していない」と付け加えた。
 裁判によると、スキビッキ被告は、2022年3月~5月にホームレスシェルターで出会った先住民女性たちを標的にした。
 被告は女性たちを自宅アパートに連れ帰り、性的暴行を加えた後、絞殺したり浴槽で溺死させたりした。さらに、遺体に対しても性的行為に及んだ。
 被害者4人のうち、モーガン・ハリスさんとマーセデス・ミランさんの遺体は、ウィニペグ市の北にある廃棄物処分場に運ばれたとみられており、今も捜索が続いている。3人目の被害者、レベッカ・コントワさんの遺体の一部は、別の廃棄物処分場とウィニペグ市内のごみ箱から発見された。
 スキビッキ被告が殺害を自供した4人目の被害者は20代とされるが、身元は明らかになっておらず、遺体も見つかっていない。地元の先住民の指導者たちは4人目の被害者に「Mashkode Bizhiki'ikwe(バッファローの女)」という名前を与えた。
 カナダでは先住民女性の殺害と失踪が横行しており、2019年に公表された全国調査の報告書では「ジェノサイド(集団殺害)」と表現されている。多くの人々は本件について、こうした先住民女性の苦境の象徴だと見なしている。
 先住民女性は、カナダの全女性人口の5%を占めるにすぎないが、フェミサイド(女性や少女を標的とした殺人)の被害者の約20%を占めている。【翻訳編集AFPBBNews】

https://sp.m.jiji.com/article/show/3325633


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ニュージーランド障がい者庁のMatthew Frostさんが、eラーニングのコンテンツに初登場! 「スペシャルラーニング」でニュージーランドの福祉事情について解説

2024-08-30 | 先住民族関連

株式会社Lean on Me 2024年8月29日 10時30分

Special Learningで対談するMatthew Frostさん(右)とLean on Me代表志村

株式会社Lean on Me(本社:大阪府高槻市、代表取締役:志村駿介、以下「リーンオンミー」)は2024年8月28日、障がい福祉サービス事業所向けのオンライン研修サービス「スペシャルラーニング」に、ニュージーランドの障がい者庁Whaikaha(ワイカハ)に所属するMatthew Frostさん(以下、Mattさん)が出演する新コンテンツをアップしました。

Mattさんは研修のために来日した際、日本の障がい者施設に滞在した経験を持ちます。コンテンツでは、世界で初めて設立された障がい者庁の仕組みや、Mattさんから見た日本とニュージーランドの障がい福祉、障がい者の社会参加や権利擁護、ウェルビーイングについてお話いただいています。

ワイカハとMatt さんについて

ワイカハ:世界で初めて設立された、ニュージーランドの障がい者庁。先住民族の言葉で「People of Strength」(強みを持つ人たち)の意味を持つ。スタッフの約40%に障がいがある。

Matthew Frostさん:ワイカハのプリンシプルアドバイザー。障がいを「世界を違った目で見ている」ととらえ、約20年にわたりニュージーランド政府に貢献。28歳の時にトレーニングプログラムのため来日するも、ホストファミリーがつかず、日本の障がい者施設に滞在。入所者と交流する。2024年6月、志村がニュージーランドを視察したのをきっかけに、Special Learningへの出演を決める。

視聴方法

Special Learningにご加入いただいている方の限定視聴となっております。

加入またはトライアル利用をご希望の方は、Lean on Meまでお問合せください。

スペシャルラーニングのサイトはこちら

株式会社Lean on Me

所在地:(本社)〒569-0803  大阪府高槻市高槻町11-7-217

    (大阪支社)〒532-0011 大阪府大阪市淀川区西中島1丁目9番20号 新中島ビル8階GH

TEL:072-648-4438

設立:2014年4月1日

資本金:3億1,380万円(準備金を含む)

代表者:代表取締役 志村 駿介

URL: https://leanonme.co.jp 

事業内容:障がいのある方への理解を深めるeラーニング「スペシャル ラーニング」

「スペシャル ラーニング」について                            

 障がい福祉サービスに従事される職員様、障がいのある方を積極的に雇用する一般企業の従業員様、障がいのあるお客様の対応をされる従業員様を対象とする、オンライン研修サービスです。知的、発達、精神障がいのある方と接する上での知識を、動画で学ぶことができます。

 自閉症協会会長や元厚生労働省の虐待防止専門官、国の研究機関の責任者らとコンテンツを制作。日常の支援でつまずいた時、自分が必要とする知識(コンテンツ)を自ら選択して学ぶ(視聴する)ことで、障がいのある方への不適切な対応を事前に防止できるサポートツールです。

【リンクはこちら】https://portal.special-learning.jp/

メディア掲載・出演実績(一部) 

【TV】TOKIOテラス~MBS(2022年5月22日)

https://www.mbs.jp/TOKIO_terrace/company/leanonme.shtml 

【TV】Fresh Faces ~アタラシイヒト~BS朝日(2021年7月24日)

https://www.bs-asahi.co.jp/fresh-faces/lineup/prg_325/ 

【Web】日経ビジネス「1分でわかる「起業家たち」のリンカク」(2021年5月7日)

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00073/042800084/ 

【TV】25歳~情熱の原点~テレビ朝日(2022年6月1日)

【新聞】日本経済新聞(朝刊)@EDGE(2021年6月2日)、日本経済新聞(2021年4月6日)、日本経済新聞@きらり感彩人(2023年5月7日)、共同通信@時の人(2023年冬、各地方紙に配信)、ほか

本リリースに関するお問い合わせ先 

株式会社Lean on Me 広報室
TEL:072-648-4438
FAX:072-668-2066
E-mail:info@leanonme.co.jp

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000096.000038466.html


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『アウトロー(1976)』ネタバレあらすじ感想と結末評価。西部劇名作に名優イーストウッドが監督で挑む!

2024-08-30 | 先住民族関連

Cinemarche 2024/08/29 星野しげみ

クリント・イーストウッド監督の第5作目は復讐の旅にでる無法者を描く

南北戦争後の西部に生きた男ジョージー・ウェルズの半生を描いた『アウトロー(1976)』。

クリント・イーストウッド監督がアメリカ建国200年記念作品として製作した監督第5作です。

https://www.youtube.com/watch?v=dCPcoNo_OkM

主人公は、南北戦争中に、北軍のゲリラに妻子を虐殺された農夫のジョージー・ウェルズ。鍬を捨てて銃を握り、復讐の旅に出るアウトロー(無法者)な男をクリント・イーストウッド監督自ら演じています。

復讐のために早撃ちを習得したジョージー・ウェルズ。扮するクリント・イーストウッドが披露するそのガン裁きも、西部劇ファンを魅了します。

1976年製作の西部劇『アウトロー(1976)』をネタバレ有でご紹介します

映画『アウトロー(1976)』の作品情報

【公開】
1976年(アメリカ映画)

【原作】
フォレスト・カーター

【英題】
The Outlaw Josey Wales

【監督】
クリント・イーストウッド

【脚本】
フィリップ・カウフマン、ソニア・チャーナス

【音楽】
ジェリー・フィールディング

【キャスト】
クリント・イーストウッド、ジョン・ヴァーノン、ソンドラ・ロック、ビル・マッキーニー、チーフ・ダン・ジョージ、ポーラ・トルーマン、サム・ボトムズ、ジェラルディン・キームス、ほか

【作品概要】
アメリカ合衆国建国200周年記念映画。マカロニ・ウエスタンで活躍し、「ダーティハリー」(1972)シリーズでスターの座を確立したクリント・イーストウッドが監督として取りまとめた第5作です。

アメリカ南北戦争末期。家族を北軍ゲリラに殺され、復讐の旅に出た南部の農民ジョージー・ウェールズの粘り強い戦いが描かれています。

クリント・イーストウッド自ら主演を務め、共演にソンドラ・ロック、ジョン・バーノン、チーフ・ダン・ジョージ。脚本は『ライト・スタッフ』(1983)『存在の耐えられない軽さ』(1988)のフィリップ・カウフマン。

映画『アウトロー(1976)』のあらすじとネタバレ

1860年代なかばのミズーリ州。南北戦争の混乱のさなか、北軍の名を借りたならず者集団レッド・レッグスが、各地で暴行・略奪を繰り返していました。

彼らに妻子を殺され、重傷を負った農夫ジョージー・ウェールズ(クリント・イーストウッド)。

拳銃の腕を磨き、彼らへの復讐のために集まったウィリアム・ブラッディ・ビル・アンダーソン率いるミズーリのゲリラ部隊に加わって北軍と戦い、その早撃ちを知られるようになっていきます。

やがて戦争は終わり、リーダー格のフレッチャー(ジョン・ヴァーノン)の説得により、部隊はジョージーを除いて全員北軍に投降することになりました。

ところが北軍にいってみれば、北軍のテリル大尉は、戦争中のならず者集団レッド・レッグスのボスでした。

北軍は独善的なレーン上院議員の指示の下、フレッチャーとの約束を破り、卑怯にも投降してきた部隊を犯罪者扱いで皆殺しにしようとします。

そこへジョージ―が仲間たちを助けにやって来ました。騙し打ちの場から負傷した若者ジェイミー(サム・ボトムズ)を救い出し、その場から逃げ出します。

北軍から追われる身の2人は、仲間の復讐どころではなく、インディアン居住区を目指して身を隠す旅に出ました。

ジョージーに部隊の大半を倒されてしまい、怒りに燃える上院議員の指示で、元レッド・レッグスのボスのテリル大尉(ビル・マッキニー)は、北軍に寝返ったフレッチャーを伴い、ジョージーたちの追跡を始めます。

以下、赤文字・ピンク背景のエリアには映画『アウトロー(1976)』ネタバレ・結末の記載がございます。映画『アウトロー(1976)』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。

旅の途中でジェイミーは怪我がもとで命をおとし、一人になったジョージーは先住民族チェルシー族の白髪のローン・ワティと出会って、行動を共にすることにしました。

ローン・ワティの乗る馬を買いに店に行き、そこで虐待されていたナバホ族の女・ムーンライトも救い出して、一緒に旅に出ます。

莫大な懸賞金がかけられたお尋ね者のジョージーの名は、広いアメリカ中に知れ渡り、一攫千金を狙う賞金稼ぎたちが彼の命を狙っています。

ジョージーたちがクリントネーションという街に来た時、交易所の主人には顔まで知られいませんでした。しかし酒売りに顔がばれて、ひと悶着のうえ逃げ出します。

次にジョージーたちは、サンタリオという町に到着。その道中で知り合った、コマンチェロに襲われた白人娘ローラや、カンザスから牧場を作りにやって来た老夫婦たちと協力し合いながら、現地住民の男女らと共に、町の外れの一軒家でしばらく暮らすことにします。

ですが、アメリカ先住民コマンチ族に襲撃されそうになり、ジョージーは酋長テン・ベアーズ(ウィル・サンプソン)に和解を申し入れ、共に生きようと誓い合いました。

一見落ち着いたかにみえるジョージ―ですが、妻子を殺されたトラウマから逃れられず、牧場コミュニティから立ち去ろうとします。

その時、北軍の追っ手一味がやって来て「一人になったか。仲間はいなくなったのか」と取り囲まれますが、ジョージーの背後の家から仲間たちが援護射撃し、ジョージーと共に応戦して追っ手を撃退しました。

その後、サンタリオにフレッチャーが訪れてジョージーを捜索しますが、宿酒場に集った町の者たちは、ジョージーが死んだと証言。

その場にジョージーが居るのですが、フレッチャーも何も見なかったように振る舞います。

「ジョージーが死んだとは思えないから、メキシコへ行って探すとしよう」というフレッチャーに、素知らぬ顔でジョージーは言います。

「会えたら?」「先に撃たせる。それだけの義理がある。そして、戦争は終わったと告げよう」と言いました。

ジョージーも「皆、戦争の犠牲者だ」と言って、独り馬に乗って広い荒野へ駆けだしました。

映画『アウトロー(1976)』の感想と評価

マカロニウエスタンで人気を博したクリント・イーストウッド。監督5作目でアメリカ建国200年の記念作品として、『アウトロー(1976)』を製作し、主演も果たしました。

南北戦争中、米南部で農民をしていたジョージー・ウェールズは北軍のゲリラに妻子を殺され、北軍から賞金を懸けられるお尋ね者となります。復讐の鬼と化したジョージーは、戦後も北軍を敵に回しながら、孤独な復讐の旅を続行。

賞金稼ぎたちから命を狙われながらも、無法者となってさすらうジョージー。権力に屈することなく、弱者のために戦うそのスタイルは、男の中の男と言えます。

ジョージーは、「一人の軍隊」と呼ばれるほどの凄腕のガンマンでした。西部中にその名を轟かせたアウトロー、ジョージー・ウェールズの激闘シーンは見応え十分! 

瞬時の早撃ちで勝負が決まる西部劇ならではの決闘シーンが次々と繰り広げられ、クリント・イーストウッドでしか表現できない銃撃戦に惚れ惚れします

また、ロケによって西部の広大な風景が画面に映し出されます。砂漠、砂の谷間、西部劇によく出て来る町並みも復活し、マカロニウエスタン時代からの西部劇ファンを喜ばせてくれます。

建国200年の記念作である『アウトロー(1976)』は、復讐を描きながらも単なる復讐活劇とは違い、200年にわたる時代の様々な歪みや、弱肉強食の世界で生きる無名の人々の苦悩とたくましさが描かれた秀逸な作品なのです。

まとめ

アメリカ建国200年を記念して、クリント・イーストウッド監督が手がけた『アウトロー(1976)』をご紹介しました。

懸賞金をかけられたアウトローの物語ですが、そこには南北戦争などの混沌としたアメリカの歴史や先住民族との小競り合いなども描かれています。

妻子を殺された復讐心から凄腕のガンマンになったジョージー・ウェールズ。

切ない思いを抱えながら、「一人の軍隊」と呼ばれ、西部中にその名を轟かせたアウトローの激闘ぶりは、西部劇ファン必見です。

https://cinemarche.net/action/outlaw1976-netabare-sigemi/


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カムイの光が照らす海と星空の聖域に足を踏み入れる「神威岬灯台プレミアムナイトツアー」を開催!

2024-08-30 | アイヌ民族関連

海と日本プロジェクト広報事務局 2024-08-29 15:16

2024年9月21日(土)・28日(土) <北海道積丹町 神威岬>

北海道積丹(しゃこたん)町の地域振興に取り組む積丹町地域活性化協議会は、2024年9月21日(土)と28日(土)に、普段は立ち入りできない夜の神威(かむい)岬を訪ね、神威岬灯台の見学や夜ならではの岬の絶景を楽しむ「神威岬灯台プレミアムナイトツアー」を開催します。 このツアーは、日本財団「海と日本プロジェクト」の一環として、灯台を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、異分野と異業種、日本と世界をつなぎ、新たな海洋体験を創造していく「海と灯台プロジェクト」の助成を受けて実施します。

「神威岬灯台プレミアムナイトツアー」は、普段は立ち入りできない「夜の神威岬」を訪ねる特別な企画です。岬の突端近くに立つ神威岬灯台のレンズが点灯する瞬間と灯台内部の特別見学、燃えるように沈む夕陽、暗闇に輝く灯台と漁り火、満点の星空などの絶景を堪能することができます。

<企画の背景>

積丹町は、札幌から車で約1時間半の場所に位置する、日本海に面したまち。町の北西には、アイヌ語で“神”を意味する「カムイ」の名を持つ神威岬があります。「積丹ブルー」と呼ばれるどこまでも透き通った鮮やかな青い海と、周囲300度の水平線を見渡せる眺望の良さから、年間で数十万人が訪れる観光スポットとして人気を集めています。

その一方、神威岬周辺は多くの暗礁があり、常に強風や高波が起きることから海の難所としても知られていました。明治21(1888)年には北海道開拓を進める北海道庁によって神威岬灯台が建設され、北海道から道外へ海産物などの産品を、道外から北海道に建設資材や物資を輸送する船舶を導いてきました。昭和35(1960)年に無人化されるまでは「灯台守(とうだいもり)」が常駐し、冬は雪に閉ざされる過酷な環境の中で半自給自足の生活を送りながら灯台を維持管理していました。

今回のツアーでは、神威岬駐車場から神威岬灯台がある岬の突端まで約1.2kmの道のりを、ガイドの解説を聞きながらゆっくり1時間かけて散策。ツアーの途中で日没を迎えるため、普段は見られない神威岬灯台が点灯する瞬間や、夕暮れから満天の星空へ刻々と変化していく岬の景色を堪能することができます。夕日をイメージしたハーブティーや、星空観察のための天体望遠鏡も用意します。さらに、灯台守と家族が暮らした住居の跡地や、高い使命感で職務にあたった灯台守たちの物語をガイドが紹介。灯台の光が照らす海を眺めながら、人と海とのつながりについて思いを馳せることができます。

<イベント概要>

<団体概要>

団体名称:積丹町地域活性化協議会

活動内容:積丹町内で必要とされる人材の育成などを通じた雇用拡大や豊かな資源を活用した産業の振興を目的に、積丹町と地域の企業・産業経済団体が2012年に設立。神威岬灯台と地域の歴史文化を将来へつなげていくことを目指し、体験型観光ツアーの造成をはじめとした「学びのコンテンツとしての灯台利活用」に取り組む。

協議会構成団体:積丹町商工会、(一社)積丹観光協会、東しゃこたん漁業協同組合、新おたる農業協同組合、(株)積丹観光振興公社、(株)ペニンシュラ、実のなる杜推進協議会、(一社)積丹やん集小道協議会、積丹町

海と灯台プロジェクト 新たな灯台利活用モデル事業

日本財団「海と日本プロジェクト」の一環として、灯台を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、異分野と異業種、日本と世界をつなぎ、新たな海洋体験を創造していく「海と灯台プロジェクト」。その取り組みのひとつである「新たな灯台利活用モデル事業」は、灯台の様々な利活用モデルを創出することで、灯台の存在意義を高め、灯台を起点とする海洋文化を次世代へと継承していくことを目的としています。

海と日本プロジェクト公式サイト https://uminohi.jp/

海と灯台プロジェクト公式サイト https://toudai.uminohi.jp/

https://www.oricon.co.jp/pressrelease/2006499/


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山崎賢人が中川大志と久々の共演「好きなので、走ってくるだけで面白くて」

2024-08-30 | アイヌ民族関連

Khb 8/29 (木) 13:00

 中川大志さん(26)が、山崎賢人さん(29)の現場での反応に困惑です。

山崎さん 「(中川)大志と共演するのも、本当に…」

中川さん 「かなり久しぶり」

山崎さん 「かなり久しぶりだったので、すごくうれしかったです」

中川さん 「10代のころから知っていて、久々に現場で一緒だったので。ちょっと照れくさかったですね」

 山崎さんと中川さんが久しぶりの共演を喜んだのは、WOWOWのドラマ「ゴールデンカムイ-北海道刺青囚人争奪編-」の完成披露試写会です。

 大ヒット映画の続編となるこの作品は、明治時代末期の北海道を舞台に、アイヌの埋蔵金を巡る争奪戦を描くミステリーです。

 山崎さん演じる主人公と敵対する第七師団の少尉を演じた中川さんは、現場で困ったことがあったそうです。

中川さん 「賢人や矢本君と同じシーンだったのかな。結構離れたカットだったんですよね。僕が遠くから来るっていうのを、50メートルぐらい先で2人がずっと笑っていて。僕、一生懸命やっているんですけど。『なんでだろうな?』と思って、ちょっとやりづらかったです」

司会 「なんで笑っちゃったんですか?」

山崎さん 「大志が好きなんですよね。好きだから、走ってくるだけでなんかもう…面白くて」

(「グッド!モーニング」2024年8月28日放送分より)

https://www.khb-tv.co.jp/news/15406133


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《ブラジル》記者コラム=聖人の島で起きた無慈悲な惨劇=南国の楽園を地獄に変えた近代史

2024-08-30 | 先住民族関連

ブラジル日報 8/29(木) 7:38

楽園と地獄――コントラストに気が遠くなる現実

アンシェタ島の桟橋の様子

 その日のアンシェタ島は真っ青な晴天に恵まれ、白い砂浜が広がり、静かな波が打ち寄せていた。次々に水着姿の観光客がボートから上陸し、南国のビーチそのものだった。

 海岸沿いの散策路を歩くと、遠くを飛ぶカモメやどう猛なハゲタカが目に付く。鬱蒼と生い茂る林をよく見ると、水着姿でピクニックをする観光客のお弁当を狙ってハナグマ(quatis)が下草にまぎれ、カピバラの子供のようにも見える後ろ足が細いアグーチ(Cutia)が散策路に出てきて、ミコ・レオン・ドウラドのような子ザル(saguis)などがすぐ横の木に張り付いていた。

 そんな野生動物が次々に出てくる様子からは、この島の自然環境の豊かさを痛感する。人間という生き物は、なぜこんな楽園のような場所を地獄に変えようと思うのか?――ここで起きた数々の悲しい歴史を思うと、あまりのコントラストに気が遠くなった。

 終戦直後の大半が無実だった日本移民172人への拷問や収監だけでなく、戦前のブルガリア移民への刑罰による151人の死亡、1952年の囚人大暴動鎮圧での100人以上の殺害などがここを舞台に起きたのがウソのようだ。

 17日、清和友の会(中沢宏一会長)のツアー「第3回ブラジル日系社会遺産遺跡巡り」でアンシェタ島にやってきた際、刑務所の廃墟とその背景に鬱蒼と茂る森を見ながらしみじみと人間の無慈悲さと愚かさ、そして、今も世界各地では戦争や紛争が起きている現実に悲しい気持ちが湧いてきた。

【現地映像】アンシェタ島ツアーの様子はこちらから!

100日間で151人死亡、ブルガリア移民の悲劇

ブルガリア移民とガガウズ人151人の犠牲者名を記した横断幕

 1926年、ブルガリア移民とガガウズ人(主に東欧のモルドバ共和国に居住する民族)2千人が聖州地方部のコーヒー農園で働くために移住してきた。彼らはあまりの奴隷労働のひどさに農場主に抵抗して争う姿勢を見せた。それに怒った農場主らは警察に訴え、その結果、彼らはこの島に懲罰として強制収容されたという。

 この島は地味が薄く、マンジョッカ(キャッサバ芋)ぐらいしか収穫できず、しかも他に食べ物がない中でマンジョッカ・ブラーバ(有毒種)を知らずに食べ、入植わずか100日間に151人が亡くなるという悲劇が起きた。

 二度にわたるバルカン戦争で苦しんだ上、戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡という世界史上最悪の第1次世界大戦が起きて荒廃した欧州から、東欧移民たちははるか南米に平和を求めて移住し、もう一つの地獄を見た。

 この惨劇を忘れないように子孫が2014年9月に来て島で死亡した入植者リストが書かれた一覧表を、ビジターセンターに貼って行った。初期日本移民の移住地でも同様だったが、この一覧表の死亡時の年齢を見ると大半が5歳以下だ。

 森林財団職員によれば、この子孫たちは、清和友の会のツアーの2週間前にこの島を再び訪れ、7月25日に日本移民が政府謝罪を得たことを話題にしていた。「日本移民に続け」とばかりに謝罪請求が起きる可能性もありそうだ。

特別扱いされた日本移民

今も残る日本移民が拓いた散策路の鳥居

 対岸の町ウバツーバとの間には早い海流が流れており、生きてたどり着けない脱出不可能な監獄島として、ヴァルガス大統領が独裁政権を執った1930年以降は、ブラジル全体から選りすぐりの凶悪犯や政治犯が送致された。

 そこに1946年から2年間余り、172人の日本移民も収容されていた。終戦直後、日系社会は日本戦勝を信じる「勝ち組」が大半を占め、敗戦を認識した「負け組」との間でいさかいが起き、お互いに殺しあう「勝ち負け抗争」に発展した。その勝ち組の中でも最大勢力だった臣道聯盟の幹部が、この島に送られた。

 実際に殺害事件を起こした強硬派(過激派)の当事者約10人余りも島送りにされたが、それ以外の大半は臣道聯盟幹部で、DOPS(政治社会警察)の取り調べで行われた「踏絵」(御真影や日の丸を踏ませるもの)を拒絶したものなどだったという。兄弟に強硬派がいたというだけで収監され、DOPSやアンシェタ島で拷問を受け、それが元で死んだ池田福男さんもその一人だ。

 森林財団職員のルーカス・トマゼウ職員(31歳)の解説によれば、1946年から3年間、島の学校で教員を務めた女性の自伝には、日本移民のことだけで1章を割き、他の収監者とはまったく違う人々であったことが記述されている。「この島は主に政治犯や重犯罪者が収監された。日常的な拷問や人権侵害の中で、日本移民は看守らと信頼関係を築き、別扱いされるようになった。技師や農業者が多くいて、壊れていた発電機や舟を修理して、痩せた土地で米まで生産して暮らしを向上させたと記録に残っている」などと説明した。

 例えば収監者の山内房利さんは、数年前に発電機が壊れて以来、島に電気がない状態だったのを修理し、電気が使える状態にして皆に喜ばれた。それ以外にも船の修理もした。地味が薄い土地にも関わらず、いろいろな野菜を生産し始め、米まで収穫し、刑務所官吏を驚かせたという。

無残な日常が書かれた『アンシェタ島追想記』

佐藤正雄著『アンシェタ島追想記』の表紙

 だが、そこに至るまでが大変だった。

 臣道聯盟の発起人の一人で島送りにされた佐藤正雄さんが書いた『アンシェタ島追想記』(1977年、自家出版)によれば、1946年12月26日、日本人の仲間12人が石牢(狭い懲罰房)に突然入れられた理由を聞きに、看守長の軍大尉と交渉しようとしたら、「お前たちの話など聞く必要ない。生かそうと、殺そうと、ただ思うようにやるだけだ」とふてくされ、兵士を獄舎の前に集めた。

 《大尉を先頭に十六・七人位棒を持った(紐を付けて腕に巻き付けてある)獄卒兵が来て入り口前二列に両側に並んだ。扉を開くと同時に少尉が飛び込み、「サイサイサイサイ」(出ろ出ろ)と連呼しながら棒でところ構わず殴りつける。その内先に殴られた者が室外に逃げ出すと二列に並んで待ち構えていた獄卒兵が又、めった打ちに殴りかかり、一米三〇糎の高さのベランダより突き落とされ、転ぶところを更に殴る。卒倒する者が出てくる。この有様を見つめながら大尉は「ポーデマタポーデマタポーデマタ(殺しても良い、殺しても良い)」と声高に命令している》(52~53頁)

 《一番先に殴られた池田君の如きは、四カ月も腹膜にて当病院に入院手当中、サンパウロ病院に移送するために室に連れ帰っていたところを滅多打ちにされてその場に卒倒した。一月二日、サンパウロより迎えが来て連れ帰ったが、病気は悪化して昭和二十三年七月二十三日サンジョゼにて療養中死亡せり、行年二十四歳》(53頁)などとある。

 そのような非人道的な扱いに耐える中で、日本移民は官吏から一定の信頼を受けるようになり、天長節(天皇誕生日)を祝ったり、運動会を開催することも許されるようになった。奥原マリオ純監督のドキュメンタリー映画『闇の一日』(https://www.youtube.com/watch?v=kbaehRBjQ98)はユーチューブで無料公開中であり、アンシェタ島での生活が日高徳一さんによって語られている。

ブラジル史上最悪の暴動

世界平和を願ってつるされた七夕の短冊

 1948年頃に日本移民が釈放された後、同刑務所は再びブラジル人凶悪犯、政治犯で一杯となった。しかし上記のような扱いの悪さに、1952年6月に大暴動が起きて118人(囚人110人と看守8人)が死ぬ大惨劇に発展し、ブラジル近代史上最悪の刑務所暴動として当時、国際的に問題視され、1955年に完全閉鎖された。

 これは1992年10月に聖市にあった南米最大の刑務所カランジルーで起きた大暴動を鎮圧する過程で起きた大虐殺(囚人111人死亡)が起きるまでは、伯国史上最悪の刑務所虐殺と言われた大事件だった。

 この惨劇と日本移民が収監されていた時期は4年程度のズレしかないことから、反乱時の看守の大半は日本移民抑留時に居た者だったと思われる。同じ待遇の中でも日本移民は大半が模範囚として過ごしたが、凶悪犯らにとっては反乱を起こすほど耐え難いものだった。

血塗られた歴史に剣舞書道吟を奉納

刑務所跡地で献納された白虎隊の剣舞の様子

 そんな場所で17日、小池庸夫さんが唸る歌謡吟、小林眞登さん(45歳、2世)の見事な剣舞、河村淳さんの書道吟が同時に披露され、先人を忍んだ剣舞書道吟「白虎隊」として奉納された。

 小林さんに追悼法要の剣舞を舞った気持ちを尋ねると、「幕末、会津藩は朝敵という濡れ衣を被せられ、戦争を仕掛けられ、白虎隊などの悲劇が生まれた。大戦中の日本移民も敵性国人との汚名を着せられ、酷い目に遭った。この歴史を重ねて思い浮かべながら先人の魂を鎮め、今ようやく皆さんのことがきちんと認められましたよと奉納する気持ちで踊りました」と述べた。

 小池さんは「戊辰戦争の時に19人もの会津藩少年らが自害した悲しい歴史は日本史に残るもので、その剣舞は戦前移民もきっと舞われたに違いない。それを奉納することで少しでも先人の魂の慰めになればと思った」と説明する。書道吟を始めて2年という河村さん(80歳、島根県出身)=パラー州ベレン在住=は、「吟剣詩舞と書道吟を一緒にやるという組み合わせは、たぶん日本にはないのではないかと思う。剣舞書道吟というブラジル独自の日本文化スタイルで、先人に奉納できたことはとても嬉しい。ベレンでは琴の演奏も入れていますよ」と笑顔を浮かべた。

 恩赦委員会の後、毎週のようにウバツーバに通っている奥原純さんは「悲しい歴史を繰り返さないためには、日本移民の歴史を風化させないことが重要。島でこうした顕彰行事を行っていくことは意味がある。そのためにはもっと地元ウバツーバ市とのつながりを強め、日系団体活性化を図ることは今後の課題」と述べた。

 ガイドによればこの島は、最初の住人である先住民族タモイオス族とトゥピナンバス族にとって「太陽が最初に射す場所」であり、病気などを直しに来る神聖な地だったという。

 以前は「イーリャ・ドス・ポルコス(豚の島)」という名称だったが、1934年がアンシェタ神父の生誕400年であることにちなんで現在の名前になった。1553年にイエズス会本部からブラジルに派遣された最初の布教師の一人で、2014年にはバチカンから聖人認定されたカトリック界の最重要人物の名前だけに、その血塗られた島の歴史は実に皮肉に聞こえる。(深)

https://news.yahoo.co.jp/articles/6b5f38dd06dc4a8df0dcd46bd65e1c8358816f6b


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