先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

幕別町にアイヌ文化の発信拠点を新たに整備へ

2024-08-22 | アイヌ民族関連

NHK08月21日 20時00分

幕別町は町内にあるアイヌ文化についての資料館が老朽化していることを受けて新たな建物を建設するとともにアイヌ語の教室などを行う交流施設もあわせて整備することになりました。
幕別町の「蝦夷文化考古館」は、いまの幕別町の出身でアイヌ文化の保存に取り組んだ吉田菊太郎が建設した資料館でアイヌの伝統儀式で使う道具や歴史的な書物などおよそ1700点の資料が保管されています。
しかし、建物の建設から65年がたち、老朽化が進んでいました。
このため町では建物を保存するための改修工事を行うとともに、隣接する敷地に新たに「展示館棟」と「生活館棟」を建設することになりました。
展示館棟では、蝦夷文化考古館が所蔵する資料を常設展示し、生活館棟ではいろりのある部屋で伝統儀式を行えるようにするほかアイヌ語やアイヌ料理の教室も開かれる予定です。
また敷地内にはアイヌの伝統的な住居「チセ」を復元し、来場者が見学できるようにするということです。
総工費はおよそ14億円と見込まれていて、2年後の2026年度のオープンを予定しています。
幕別町は「アイヌ文化を広める施設としての活用だけでなく、さまざまな人の交流の場を作っていきたい」と話しています。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20240821/7000069256.html


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アイヌの伝統文化を体験 舟おろしの儀式「チプサンケ」【平取】

2024-08-22 | アイヌ民族関連

2024.08.21日高報知新聞

チプ(丸木舟)で川下りを楽しむ参加者たち

【平取】アイヌ民族伝統の舟おろしの儀式「第55回チプサンケ2024」が18日、二風谷ダム近くの沙流川左岸に設けた舟おろし場で行われた。

 文化の伝承を目的に平取アイヌ協会などでつくる実行委が主催。

 「チプ」はアイヌ語で丸木舟、「サンケ」は下すを意味し、古来から伝わる技法で作られた船に魂を入れるための親水の儀式。舟材を授けて下さった山の神へ感謝の気持ちを伝え、新たな舟ができたことを川の神に報告する。船頭たちがワッカウシカムイ(水の神)へ祈りを捧げた後に乗船する。

 この日は、晴天に恵まれ、午前は「縁結び石祭り」、アイヌ民族の伝統的家屋「チセ」での「カムイノミ」(神への祈りの儀式)、古式舞踊が披露された。

 午後1時から始まったチプサンケには約200人の観光客のほか、二風谷アイヌ文化博物館で研修中の神奈川大学4年の三川眞里さんら4人の大学生も参加。ヘルメットとライフジャケットを身につけ、約800㍍の川を15分ほどかけて下るのどかな船旅を楽しんだ。

 6月19日に岡山県を出発しキャンピングカーで2カ月北海道旅行を満喫している藤原さんご夫妻は「広大な自然が広がっていて素晴らしい。山登りが好きであちらこちら登りながら南下してきて、チプサンケを体験できた。素晴らしい体験となった」と笑顔で話した。

 18日の本祭には500人の観光客が訪れた。

https://hokkaido-nl.jp/article/35092


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ATへの取り組み方と地域連携のヒントを探る 『アドベンチャートラベルセミナー』のご案内(全道6会場開催)

2024-08-22 | アイヌ民族関連

アドベンチャートラベル 2024年08月21日

ATWS2023の開催から得た知見やノウハウを全道各地域に普及・定着させるため「アドベンチャートラベルセミナー」を開催します。ATに興味はあるけれども具体的にどのように進めてよいかわからない方、どのように地域で実践するべきかを悩んでいる方、地域の連携を進めたい方のためのセミナーです。

■申込方法
オンラインの応募フォームまたはメールからお申込みください。
会場ごとの申込締切はチラシをご覧ください。

■問合せ先
(株)北海道宝島旅行社 雨池・常井・鈴木
TEL 011-252-2115
E-mail:at-info@hokkaido-takarajima.com

■事業担当
公益社団法人北海道観光機構
観光戦略部・総務部 佐藤、 観光戦略部 伊原
TEL 011-231-0941

https://visit-hokkaido.jp/adventure-travel/traveltrade-press/news/2024atseminar/


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台湾の先住民はいかにして史上最多甲子園9度出場のヒーローになったのか 京都・平安中を昭和8年夏準V「岡村俊昭」を巡るミステリー

2024-08-22 | 先住民族関連

 

夕刊フジ8/21(水) 17:00

鶴岡一人監督(右)とともに南海の黄金期を支えた岡村俊昭(家族提供写真)

開場100周年を迎えた今夏も熱戦が続く高校野球の聖地、甲子園。長い歴史の中では日本統治下の韓国や台湾、友好国の満洲からも代表校が送られた。1931(昭和6)年準優勝の台湾・嘉義農林が映画化もされるなど名高いが、春夏合わせて9度と甲子園に最も多く出場し、33(昭和8)年に京都・平安中(現龍谷大平安)を準優勝に導いた名選手もまた、台湾から野球留学した先住民だった。「岡村俊昭」を名乗り、後にプロ野球南海でも活躍。96年に83歳で亡くなるまで自ら語ろうとしなかった、謎多き〝ファミリーヒストリー〟が掘り起こされ、故郷で脚光を浴びている。

【写真】岡村のルーツに迫った自著を長女の柿木八重さんに手渡す鄭仲嵐さん

ルーツに迫るルポが先月故郷で出版

今月9日の京都市下京区。龍谷大平安高からほど近い住宅街を東京在住の台湾人ジャーナリストの鄭仲嵐さん(39)が訪れたのは、先月台湾で出版された自著を手渡すためだった。

「父も喜んでますわ、涙出てくる」と仏前に本を供えたのは、岡村の長女の柿木八重さん(77)。京都の旧家育ちの母が嫌がるため、家族の前で自身のルーツに関する話題をタブーとした父は、こっそり八重さんにだけは「海がきれいだった」などと故郷の思い出を語ったという。

鄭さんは2016年からコロナ禍も挟みつつ八重さんに取材を続け、そうした数少ない手がかりをもとに台湾東部を歩き回り、花蓮の先住民地域で岡村の生家や親族を探し当てた。アミ族としての出生名「オラム・ファラハン」など、家族も知らなかった新事実の数々はルポ『追尋岡村俊昭』としてまとめられ、台北と台中で出版記念イベントが開かれるほどの反響を得た。

今夏の甲子園でも、出場校の多くが他県からの野球留学生を擁しているが、100年近い戦前の時代に平安中はなぜ、遠い台湾のしかも先住民地域から、選手を引っ張ってきたのだろうか。

鄭さんの調査に協力した関西大・永井良和教授(大衆文化史)は「1930年に抗日暴動が起きているように、先住民との融和策が求められるなか、花蓮で結成された先住民の少年野球チームが本土を転戦して大健闘。日台で大きく報じられたことがきっかけになったとみられる」と説明。

布教活動のため野球留学?

「花蓮に進出していた西本願寺が有望な選手たちに声をかけ、系列の平安中への留学を働きかけたようだ。留学生たちがいずれ台湾での布教に役立つと考えていたようだが、日本に残ってプロ野球選手になるなど当てが外れ、台湾でも背信と批判を浴びた」。草創期のプロ野球は社会的地位も低く、送り出した側の栄誉にならなかったのだ。

花蓮から4人の先輩に続いて当時5年制の平安中に進んだ岡村は、1年春を皮切りに4年夏を除く全ての甲子園大会に出場。同期2人とともに不滅の最多記録保持者となった。2年春夏に4強、最後の夏には準優勝も、「当時の新聞記事を見ると、台湾から選手を連れてきて勝つことへの反発もうかがえる」(鄭さん)というから、今の日本の空気と大差ないように感じる。

南海で首位打者

甲子園のヒーローは日大を経て南海に進み、44年に首位打者。「親分」と呼ばれた鶴岡一人監督に一目置かれ、引退後もコーチや2軍監督として黄金時代を支えた。中学時代に見初めた母校近くの下宿先の娘と結婚。「日本人・岡村俊昭」の生涯を全うし、戦後は台湾に一度も戻らなかったが、日本で名を成した英雄を探し当てた同郷人らと晩年のある日、自宅で会食したことを八重さんは覚えている。いつものように両親は多くを語らなかったが、「キョウカイの人」と話していた記憶と、一同が会した写真が残った。

手がかりを託された鄭さんは、花蓮に100以上もある教会をしらみつぶしにする覚悟で現地に入ったが、その2カ所目で急展開を迎える。駐車場で話しかけた老婦人が写真を指さし、「この人は家が燃えて亡くなった」と証言。住所を調べて急行すると、その隣人が岡村の姉の孫と判明したのだった。鄭さんは「野球の神様の祝福を感じた。おかげで本として形になり、岡村さんのご家族にも届けられてよかった。まだ日本語版を出す話はないが、100年以上にわたる野球を通じた日台の交流や先住民族との関わりを、日台で広く知ってもらえたらうれしい」と話している。 (笹森倫)

■岡村俊昭(おかむら・としあき 1912年5月4日―96年1月16日) 日本統治下の台湾・花蓮でアミ族集落に生まれ育ち、29年に平安中に進学。主に捕手として春夏通算9度、甲子園大会に出場。日大を経て39年に南海入団後は外野手に転向。44年に打率・369で首位打者。49年限りで引退し60年までコーチ、72年までスカウトを務めた。身長170センチ、体重60キロ。右投右打。プロ10年間で通算651試合出場、467安打、3本塁打、189打点、77盗塁。

https://news.yahoo.co.jp/articles/28417beb2a4a89c19dae3a79960c3a814932277c?page=1


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カナダ留学、大きな啓発を受けた先住民族問題。自分事として捉えることができ、現地で得た新たな視点を帰国後の授業でも活かしています。

2024-08-22 | 先住民族関連

立命館大学 8/21(水)  佐伯 璃莉 さん 国際関係学専攻 3回生

2回生の夏から約8ヵ月間、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学での立命館・UBCアカデミック・イマージョン・プログラムに参加していた佐伯 璃莉さん。留学中には、自らメンバーを集めてサッカークラブを結成するなど課外活動にも力を入れていたと話します。留学先として同大学を選んだ理由や現地で学んだことを伺いました。

立命館大学 国際関係学部を志望した理由や入学前に学ぼうと思っていたことを教えてください。

佐伯立命館大学 国際関係学部を志望した理由は主に2点あります。1つ目は、高校の時にもっと国際社会について学びたいと感じたからです。当時、新型コロナウイルスのパンデミック、ロシア・ウクライナ戦争が起きました。その衝撃から、今後こうしたことが突如起こる社会で生きていくためには国際関係やグローバルな問題について理解を深めておかなければならない、という思いが強くなりました。2つ目は、高校時代の卒業研究と海外ボランティア経験です。卒業研究では日本に在住する技能実習生との交流を通じて、移民問題の複雑さを目の当たりにしました。海外ボランティアでは、カンボジアの小学生と交流し、また過去の独裁政権について学習し、人権問題を意識するようになりました。

これらの影響から、国際関係学について幅広い知識と専門性を身につけられ、グローバル・シミュレーション・ゲーミングのような実践的な授業がある立命館大学 国際関係学部に魅力を感じました。

長期留学という目標を考え始めたのは、いつ頃でしょうか。留学に行くまでにどのような準備をされましたか。

佐伯長期留学を意識し始めたのは、高校卒業前あたりからです。高校では新型コロナウイルスの影響で海外研修が中止になってしまったので、大学ではぜひ留学に行きたいと思っていました。

留学前の準備は、英語力を向上させることに注力しました。英語学習以外で挙げると、留学先大学について調べることです。私は同じ留学先に行った知り合いがいたので、どのような授業や課外活動が行われているのか、事前に現地の情報を得ておきました。おかげで到着後、自分のやりたいことや、やるべきことなどをすぐに行動に移すことができました。また、ルームメイトと寮に入居する前からやり取りができる制度があったので、SNSを使ってみんなで頻繁に会話をしていました。この時点で既に仲も深まっていたため、“ルームメイトとの距離感”という不安は解消することができていました。

留学先としてカナダのブリティッシュ・コロンビア大学を希望した理由を教えてください。

佐伯まず、カナダに興味を持ったきっかけは、国際関係学部で受けていた授業「国際関係学」と、昔から読んでいた『赤毛のアン』です。この本はカナダを舞台にしており、作中のインディアン寄宿学校や先住民族同化政策の描写と、大学での授業がリンクしたこともあり、カナダに興味を持ちました。

また、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)は海外正規学生が多いと聞いていたので、多様な文化背景をもつ人々と多く出会えるのではないかと考えました。実際、留学先で出会った友達の国籍は、10ヵ国以上になります。さらに、寮での6人での共同生活という点も魅力の一つでした。異なる国籍の学生との寮生活は小さな国際社会の体現であり、身をもって多文化共生を経験できると感じました。

留学先の大学ではどのようなことを学びましたか。

佐伯留学先の大学では、アジア研究やカナダ研究、先住民族とセトラー・コロニアリズムについて学習しました。内容は国際関係学部での学習と一致するところも多かったので、基礎知識を持った状態で授業に挑めました。授業前は、カナダについて学習するという意識が強かったですが、実際学習してみると日本の問題や自身の生活と関係していることも多かったです。

一つ例を挙げると、UBCの初回の授業で、「カナダに来たということは、あなたは先住民族の土地への侵入者です」と言われました。その後も毎授業・毎イベントで、今私たちがいる場所は先住民族の土地であることを声に出して承認する、「Land acknowledgement」というアクティビティがありました。加えて、現代カナダの先住民族格差問題について学んだとき、日本のアイヌ民族についても触れていました。「先住民族から見れば、私は侵入者」という視点は、私にとって啓発されるような気づきとなりました。留学帰国後の現在、多文化社会論や国際人口移動論といった授業を受講していますが、UBCでの学習内容とつながる部分も多く、立命館での授業をいっそう面白く感じられるようになりました。

留学先で、学業以外に頑張って取り組んだことや苦労したことを教えてください。

佐伯留学先では課外活動に積極的に参加しました。クッキングやピラティス、日本語学習会など多くのクラブに属しました。その中でも、サッカーは特に力を入れて取り組みました。部活には留学生であるため入部できなかったので、なんとか人数を集めてチームを作り、学内リーグに参加しました。毎週日曜日に試合があったのですが、ある程度レベルの高いプレーができて、とても楽しかったです。試合を重ねるうちに、帰国後に日本で再会するほどチームメイトとの仲が深まったこともうれしかったです。

他にも、キャンパス内には人類学博物館、生物多様性博物館、先住民族寄宿学校の歴史に関するセンターなど多種多様なミュージアムがあり、UBC学生は無料で利用できるため頻繁に足を運びました。特にお気に入りだったのは、日本庭園「新渡戸稲造庭園」です。ここに来ることで日本を感じていました。

苦労したことは、やはり6人での共同生活です。ゴミ捨てや掃除の役割のルーティンを作成し、ルールが記載された誓約書もありました。しかし、時が進むにつれ、それらも形骸化してしまい、共同部分が全く掃除されていない時期もありました。ルームメイトが帰省したタイミングで、一人で大掃除をするなど苦労もしましたが、今では家事スキルが身についたよい経験だったと思います。

留学の経験や学びを、今後の学生生活や卒業後の進路にどのように活かしたいですか。

佐伯留学先では、積極的にコミュニティに属して活動することの意義を体感しました。元々、私はソーシャルイベントには消極的な方だったのですが、留学中のクラブ活動などを通して新たな人々と出会い、意見を交換することの楽しさを実感しました。帰国後は、UBCで実施されていたフードバンクの取り組みに感銘を受けたことから、立命館でフードバンクの自主ゼミに属しています。この活動を通じて、地域社会に貢献することの大切さを学びましたし、将来的には卒業後もこのような社会貢献活動に携わることでより良い社会を築く一助になりたいと考えています。

交換留学を考えている在学生、国際関係学部を志望する受験生に対してメッセージをお願いします。

佐伯留学は、日本で生活をするよりも多くの苦労やストレスを感じます。しかし、それを凌駕する楽しい出来事がありましたし、苦労も人生の経験値として最終的には自己成長につながると思いますので、留学の選択肢があれば、ぜひ飛び込んでみてください。また、国際関係学部ではモチベーションや目標を高く保ち続ける友人に出会うことができました。学習内容はもちろんですが、属する「人」も国際関係学部の魅力の一つだと思います。

https://www.ritsumei.ac.jp/ir/students/interview/vol83.html/


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ビジキ(Bizhiki)『Unbound』北米先住民の交歓会パウワウの伝統音楽がテーマ ユニークで絶品なアメリカーナ作

2024-08-22 | 先住民族関連

Mikiki 2024年08月21日

ボン・イヴェールでの活動も知られるショーン・キャリーを含む3人組の初作は、北米先住民族の交歓会である〈パウワウ〉で奏でられる伝統的な音楽をテーマにしたもの。彼らのエスニックな歌唱法は非常にユニークで、ブルースやカントリーとはまた一味違う米国ルーツ音楽の奥深さを感じさせる。音自体はモダンにアレンジされており、絶品のアメリカーナ作に仕上がっている。

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/38772


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エアーズ・ロック・リゾート誕生40周年を記念した没入型体験ツアー「サンライズ・ジャーニー」

2024-08-22 | 先住民族関連

リスヴェル 2024年08月22日公開

ノーザンテリトリーを代表する世界複合遺産として知られるウルルの滞在拠点である「エアーズ・ロック・リゾート」は、今年で40周年を迎えたことを記念し、2024年8月1日より、先住民族アナングの文化を伝える没入型体験ツアー「サンライズ・ジャーニー」を開始した。

このサンライズ・ジャーニーでは、砂漠をキャンバスに見立て、最新のテクノロジー技術を駆使し、アナングの3名の女性アーティストたちによるアートの世界を光と音を用いたアニメーションで鑑賞できる。ツアー参加者はウルルとカタ・ジュタのシルエットが姿を現す夜明け前にリゾートを出発し、朝日が昇り大地が赤く染まる頃、ウルルとカタ・ジュタを見下ろす、持続可能な方法で建設されたフローティング・プラットフォームに座り、眼下に広がる広大な砂漠に再現されるアートワークを鑑賞する。

約2時間半のこのツアーは、セリーナ・クリジャ、デニース・ブレイデ、ヴァレリー・ブランビーという3名の著名なアナング・アーティストと、アナング出身のミュージシャン兼作曲家のジェレミー・ウィスキー、そして、ハーバーブリッジやビビッド・シドニーなどの照明などを手がけるビジュアル体験の専門家であるクリエイターのマンディライツとのコラボレーションにより誕生した。この多才なアーティストたちが共同制作した「Ngura Nganampa Wiṟu Mulapa」(アナングの言語であるピジャンジャジャラ語で「私たちの国は本当に美しい」を意味)というタイトルの原画は、現在、エアーズ・ロック・リゾート内に位置するギャラリー・オブ・セントラル・オーストラリア(GoCA)に展示されている。

点描画によく見られるような先住民のアートが大地にゆるやかに姿を現し、アーティストたちの文化や国との深いつながりを表現した特別なアート作品をスピリチュアルな空気につつまれながら体験することができる。また、アート体験後にはオーストラリアのチャイティーと共に、ローカルな食材をふんだんに使用したボリュームたっぷりの朝食を用意している。

<サンライズ・ジャーニー>

料 金: 大人$125、子供$75(※4歳以下の子ども連れの場合は別途問合せ)

実 施: 毎日

所要時間:2時間30分

ツアーに含まれるもの:

- ウルルとカタジュタを臨むサンライズ体験

- 光と音楽による砂漠に描かれる没入型アートワーク体験

- アナングの伝統に触発されたフレーバーとオーストラリアン・チャイティーの朝食

- ホテルからの往復送迎

公式サイト:https://www.ayersrockresort.com.au/experiences/sunrise-journeys

【お問い合わせ】

https://www.risvel.com/news/7222


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浦幌で24、25日に「生命万歳フェス」 オープンマイク開放

2024-08-22 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/08/21 11:30

 【浦幌】帯広市内でアイヌ料理店「ポンチセ」を営む豊川純子さんが24、25の両日、浦幌町十勝太の「集楽」で「生命万歳フェスティバル」を開く。会場では誰でも自由に表現ができる「オープンマイク」を設置...

●この記事は会員限定です。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=615221


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日ソ合作・黒沢明監督作品の主役2人の像を設置 露極東ウラジオストク空港

2024-08-22 | 先住民族関連

産経新聞2024/8/21 15:35

ロシア極東ウラジオストクの空港前に設置された先住民猟師デルス・ウザーラ(左)と探検隊長ウラジーミル・アルセニエフの銅像=20日(共同)

黒沢明監督がロシア極東の少数民族猟師と探検隊長の交流を描いた日ソ合作映画「デルス・ウザーラ」(1975年)で主役となった2人の銅像がロシア極東ウラジオストクの空港前に設置された。

18日に設置されたのは、ロシア極東各地を探検し、少数民族の生活習慣などを調査した民俗学者、ウラジーミル・アルセニエフ(1872~1930年)と、案内役を務めた先住民猟師、デルス・ウザーラ(1849ごろ~1908年)の銅像。

アルセニエフは20世紀初頭にウラジオストクがある沿海地方周辺を探査。黒沢監督はアルセニエフが執筆した探検記を原作に映画化した。黒沢作品はロシアではソ連時代から知名度も人気も高く、「七人の侍」や「羅生門」はテレビで繰り返し放映されている。

ロシアでは2019年から全国各地の空港がその土地にゆかりがある歴史的人物の名前を冠するようになった。ウラジオストク国際空港には「アルセニエフ記念」が冠された。(共同)

https://www.sankei.com/article/20240821-74FVJHVPABKHNNTO43PHS2Y7HI/


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キジムナーみたいな妖怪に「最近会ってないね」というおばあちゃんがいて…日本と海外の“裏”取材を語る【丸山ゴンザレス×八木澤高明対談】

2024-08-22 | ウチナー・沖縄

ブックバン8/21(水) 6:00

色街、娼婦、殺人事件などをテーマとしたノンフィクション作品をこれまで書いてきた作家・八木澤高明さん。オールカラーの最新刊『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版)では、陸の孤島に住む呪術師、本州にあったアイヌ集落などを訪ね歩き、ルポしています。

本書の発売を記念し、ジュンク堂書店池袋本店で対談が行われました。対談相手は、テレビ番組『クレイジージャーニー』でお馴染みのジャーナリスト・丸山ゴンザレスさんです。以下では、この対談の模様をお伝えします。

(構成:松本祐貴)

ほかの取材をしていることが次のネタのキッカケになる

国家に背を向けた人々の“聖域”/無戸籍者たちの谷

丸山:初対面は、10年ほど前に八木澤さんの取材を雑誌でしたときですね。場所は、足立区の竹の塚にあるレトロな喫茶店でした。駅前で大量のシケモクをビニール袋に入れていたおじいちゃんがいたのを覚えてます(笑)。八木澤さんは、朗らかで柔らかいけど、芯がしっかりしている印象を受けました。そこからお付き合いがはじまり、1年後には単行本『青線』の編集も担当しました。

八木澤:僕の丸山さんの第一印象は、スゴく真面目な人、でした。『クレイジージャーニー』などでのご活躍も、丸山さんの真剣さ、真面目さがあってのものだと思います。

丸山:こんなところでお褒めいただくとは(笑)。あのときは取材と直接関係ない話をたくさんしましたね。

八木澤:一世代前ならベトナム戦争など大きな“現場”があり、社会にも取材者に対する理解があった。でも今は取材者も自己責任などと叩かれる時代になっている――。そんな話をしましたね。僕は海外に行ってもたたずんでいるだけですが、丸山さんは自ら、世界の犯罪の現場に飛び込んでいきました。ルーマニアのマンホールとかね(笑)。

丸山:僕は過去のいろいろな作品を参考にしています。マンホールでは、早坂隆さんの『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(中央公論新社)です。それと、椎名誠の娘さんである渡辺葉さんが翻訳した『モグラびと ニューヨーク地下生活者たち』(集英社/著者:ジェニファー・トス)を読んで、ニューヨークの地下にも行きましたね。僕自身がまだ読んでいなければ、どんな本でも新刊だと思っています。

八木澤さんが言う“現場がない世代”とも言えますが、どこに行ってもいいという世代とも思えます。でも、ネタにならない場所やテーマに手を出すと貧乏暮らし一直線です(笑)。だから、僕は日本人が興味の持ちそうなネタを狙ってきました。根底には先人たちの記録があります。この八木澤さんの新刊『忘れられた日本史の現場を歩く』はどのようにネタを探したんでしょうか? 

八木澤:例えば、埼玉県秩父の無戸籍者の話だったら、神戸大学のデータベースに大正時代の新聞が保管されているのを見つけて、そこから調べたんです。山口県岩国市にいたインドから帰ってきた“からゆきさん”に関しては、たまたま別取材で訪ねた北九州市門司の古本屋で、そのことについて書かれている本を手に入れました。ほかの取材をしていることが次のネタのキッカケになることが多いですね。

丸山:古本屋は重要ですよね。80年代ぐらいまでの古本だと現場の住所が書いてあります。事件や怪談などの現場にたどり着いたけど、「本当にここだろうか?」と悩んだとき、確実にわかる住所は偉大ですよ。

人の心の襞に触れる物語 八木澤ルポはある意味「文学」

インドから帰ってきた女性/からゆきさんがいた村

丸山:僕はこの『忘れられた日本史の現場を歩く』の推薦文で「これぞ八木澤ルポである」と書きましたが、本当は“八木澤文学”にしたかったんです。『青線』を担当していたときから、僕は八木澤さんの現場の描写、情緒、人との会話が好きなんです。読んでいる側の心の襞(ひだ)に触れるので、ルポというより、文学という言葉がぴったりとくるんですよ。

八木澤:話を聞いた人の話が事実かどうか判然としないところがあって、裏を取りきれない場合でも私が必要と感じればあえて書くようにしています。私も含めて人間の記憶や眺めている日常なんていい加減なもんだと思っていて、私が描いた世界が、嘘か真かは、本を手にとって下さった方々が判断してくれればいいんじゃないでしょうか。

丸山:選び取って書くところが、八木澤さんの文章にハマるんですよ。横浜・黄金町の外国人娼婦たちを描いた『黄金町マリア』(ミリオン出版/増補新版は亜紀書房)もそうです。人の思念を言葉にするのがうまいんです。今回は推薦文として具体例は野暮なので「八木澤ルポ、八木澤文体、八木澤文学」のようなキーワードを入れたいと思いました。そう考えると、もっと分厚く、もっと読みたいと思わせる本書の形はいいですね。からゆきさんの話なんかは、もっと深掘りしてほしいです。

八木澤:ありがとうございます。

丸山:「残すか、忘れるのか」とも推薦文に書きましたが、場所や人によっては残したくない、忘れたいものがあります。八木澤さんが今回巡った土地でも、その中でつむがれていくもの、今取材しなければ忘れられていたものがあるはずです。時間が経って手にとった人にも届く、断片のための旅だったのかもしれないと思いました。僕の好みの世界なので、この本で紹介した19カ所より、もっとめぐってほしいですね。

人々と不思議をつなぐ空気感は日本なら四国や九州に残っている

潜伏キリシタンが建てた教会/中通島

丸山:この本の冒頭は高知の呪術師から始まります。僕は四国と山陰には、日本の中でも古い事象、空気感が残っている気がするんですね。八木澤さんは日本を歩いていてどうですか? 

八木澤:僕は九州の天草にそれを感じましたね。この本には入ってないですが、からゆきさんの話である村を取材しました。あの辺りは、カメラを持って村の中を歩いているだけなのに、接待をよくされたんです。都心では単なる不審者扱いになると思うんですけどね。

ちょっと話を聞いていると、「よく来たねぇ。そうめんでも食っていきなさいよ」と、食事が出てきました。昼時でなければお茶の場合もあります。それが1回だけでなく、どこに行ってもたいがい家で休んでいけと言われるんです。この本では、隠れキリシタンが住んでいた長崎県五島列島の「中通島」を紹介しましたが、そこも似た感じでした。「暑いからオロナミンC飲みなさい」「悪いこと起こるといけんから、塩もっていけ」とかね。よそものをほっておかない文化を九州では感じましたね。

丸山:九州だったら、僕は鹿児島最南端の与論島ですね。ここで、キジムナーの源流の妖怪の話を島のおばあちゃんに聞いてみたんです。すると「最近会ってないね」と答えるんですよ。おばあちゃんだけでなく、何人か同じような話をしてくれました。僕はこの島にはキジムナーが存在するんだなと思いました。島に流れる時間や空気感は壊したくないですよね。

八木澤:キジムナーじゃないけど、2009年に僕は中国に野人を探しに行きました。中国・湖北省、3000メートル級の山がある神農架というところです。現地の人に話を聞くと、キジムナーと同じ反応で「野人ね。最近見てないけど、道路を横切ったり、家の近くまで来るのよ」と言ってましたね。彼らの中には野人はいるんですね。僕たちの価値観や日常からは見えない世界はたくさんあります。この本でもそんな世界に触れてほしいですね。

【プロフィール】

◎八木澤高明(やぎさわ・たかあき)

1972年、神奈川県横浜市生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランスとして執筆活動に入る。世間が目を向けない人間を対象に国内はもとより世界各地を取材し、『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『黄金町マリア』(亜紀書房)『花電車芸人』『娼婦たちは見た』(角川新書)『日本殺人巡礼』『青線』(集英社文庫)『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』(ちくま新書)などがある。

◎丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)

1977年、宮城県生まれ。ジャーナリストであり編集者。國學院大學学術資料センター共同研究員。無職、日雇い労働、出版社勤務を経て独立。危険地帯や裏社会を主に取材しており、現在はテレビ、YouTubeでも活躍中。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中』(光文社)『世界ヤバすぎ! 危険地帯の歩き方』『タバコの煙、旅の記憶』(産業編集センター)などがある。

[文]辰巳出版

協力:辰巳出版 辰巳出版

 Book Bang編集部

 新潮社

https://news.yahoo.co.jp/articles/7b7d2a3f46361a46abeba5537b4103223780092f


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