先住民族関連ニュース

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「マール」の原画、ウポポイに 絵本の舞台、道内観光地も紹介 白老

2024-03-17 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年3月16日 20:07

絵本の原画や絵コンテを見て「おばけのマール」の世界を楽しむ来場者

【白老】アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」内の国立アイヌ民族博物館で16日、テーマ展示「ミナミナおばけのマールとすてきなことば展」が始まった。ウポポイも登場する道内発の人気絵本「おばけのマール」シリーズ全12作の原画や絵コンテが展示されている。

 「おばけのマール」を題材にした展示は2回目。2月中旬まで開かれた前回の展示内容を一部引き継ぎ、約200点が並ぶ。今回は原画や絵コンテのほか、ウポポイや札幌市の円山動物園、時計台など、絵本の舞台となった道内の観光地を紹介するパネルを展示している。

 ・・・・

 5月12日まで。4月29日と5月6日を除く月曜と5月7日は休館。高校生以上はウポポイの入場料が必要。期間中、絵本に登場する動物とアイヌ文化との関わりを紹介する関連イベントも実施する。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/988400/


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アイヌ民族から学んだ神髄 「人間中心から自然と共生へ」 和辻哲郎文化賞の元北海道新聞記者が伝えたいこと

2024-03-17 | アイヌ民族関連

東京新聞2024年3月16日 12時00分

哲学の巨匠、和辻哲郎(1889~1960年)のようなダイナミックな発想で、分野を超えたユニークな著作をたたえる「和辻哲郎文化賞」に、長年アイヌ民族を取材してきた元北海道新聞記者、小坂洋右(ようすけ)さん(62)が選ばれた。学芸員から記者になり、海外での民族調査にも加わってきた。今、伝えたい思いとは。(木原育子)

◆カヌーなどで歴史を追体験、世界観に迫る

 「アイヌ民族への偏見やデマは減らないどころか増えている。多くの人にアイヌ民族を知ってもらう機会になればうれしい」。3月上旬、札幌市内。小坂さんが受賞の喜びをそう語った。

アイヌ民族に学び、新法見直しの議論の必要性を訴える小坂さん=札幌市内で

 賞は和辻の生誕100年を記念し、出身地の兵庫県姫路市が1988年度に創設。一般と学術の2部門がある。アイヌ民族が同化政策の下で失った伝統的生活や文化に光を当てた小坂さんの著書「アイヌの時空を旅する―奪われぬ魂」(藤原書店)が、今年の一般部門で受賞した。カヤックやカヌーなどで歴史を追体験しながら、アイヌ民族の世界観や自然観に迫る異色のルポルタージュ。和人(アイヌ民族からみた日本人)の立場から描かれた歴史とは違う生身の物語を切々と紡ぎ出した。

◆江戸後期に共存願った人たちの史実を掘り起こす

 歴史的価値も受賞の評価につながった。

 江戸後期に蝦夷地探検を行った松浦武四郎が、道都建設を担った開拓判官・島義勇をアイヌ民族の長老に引き合わせていた史実を丹念に掘り起こした。

 「アイヌ民族を排除した和人がいた一方で、共存を願った人らもいた。そういった和人は更迭されたり辞任したりして、東京側から同化政策が進められたが、抵抗した人がいたことは記録しておきたかった」

 1875年の樺太・千島交換条約に関わる樺太アイヌ、千島アイヌ政策の経緯も取材。ロシア側の資料分析はウクライナ侵攻下で十分にできなかったが、巻末の注釈にウラジオストクの国立極東歴史文書館の公文書番号を惜しげもなく記した。「戦争が終われば調べられる。万が一ぼくがいなくなっても、いつか誰かが資料を発掘してくれる」

◆学芸員から記者へ、海外調査団にも参加

 小坂さんは異色の経歴を持つ。札幌市で生まれ、北海道大卒業後、学芸員として東京・台東区立下町風俗資料館や埼玉県川越市の博物館立ち上げに関わった。その後、北海道に戻ってアイヌ民族博物館に勤めた。

 冷戦崩壊に歴史の潮目を感じ、28歳になった1989年に北海道新聞社に入社。会社の理解もあり、警察取材などの合間にアイヌ民族の取材は続けた。翌年にはロシア極東でウリチ民族の調査団に参加。2003年には英国のオックスフォード大ロイター・ジャーナリスト・プログラムに参加し、復活する優生学への懸念をテーマに学び直した。

◆差別や過去とどう向き合うか

 アイヌ民族の取材の意義をこう語る。「アイヌ民族は元来、狩猟民だが、狩りでも『俺が取った』ではなく、『相手(神様)が矢を受け取ってくれた』という発想だ。自分たちも自然の一部と捉え、現代社会と真逆の考え方だ」とし、「そんなに人は強いのか、偉いのか。人間中心主義が結局、人間を誤らせているのではないか。そう思いとどまらせてくれるのがアイヌ民族という存在だ。アイヌ民族がこの大地で養った自然との付き合い方は守り伝えていく必要がある」。

 現在は市民団体「アイヌ政策検討市民会議」のメンバーだ。新法のアイヌ施策推進法施行から5年後の今年、見直しの必要性を訴えている。「新法は1997年のアイヌ文化振興法より後退したのではないか。法律の主体がアイヌ民族ではなく、観光振興策を担う市町村になったからだ」と述べ「アイヌ民族の問題は北海道という地域限定の話ではなく、日本の国民がどう差別や過去と向き合うか、国と国民のあり方をどう考えるかとの視点で捉えることが必要だ」と見据える。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/315470


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国際先住民観光会議に参加 アイヌの文化や観光の取り組み紹介 ウポポイ職員の村木さんと荒田さん  白老

2024-03-17 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024/3/16配信

 白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)の運営本部長村木美幸さん(64)と、体験教育課主任荒田このみさん(36)が、カナダ・オンタリオ州オタワで2月に開催された「国際先住民観光会議2024」に招待され、日本では初めて同会議のパネリストとして参…

この続き:792文字

ここから先の閲覧は有料です。

https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/133384/


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『ゴールデンカムイ』に登場するアイヌの女性は、なぜ顔に入れ墨をしていたのか? かつては日本全体に「入れ墨文化」があった!

2024-03-17 | アイヌ民族関連

集英社オンライン03/16 10:01 

漫画『ゴールデンカムイ』のヒロイン、アシㇼパの顔になぜ入れ墨がないのか。そもそも、アイヌだけでなく日本全体に「墨文化」があったそうで…。『ゴールデンカムイ』からアイヌ文化の徹底解説を行った究極の解説書、中川裕『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(集英社新書)より一部抜粋、再構成してお届けする。

その理由は、実は「よくわからない」

『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(68~69頁)では、2巻12話で「(アシㇼパは)もうすぐ入れ墨すべき年であるのに嫌だと言う」とフチ(註:アシㇼパの祖母)が言っている場面を紹介しながら、それより40年近く前の1871年にはすでに入れ墨の禁止令が出ていて、アシㇼパが入れ墨をしたら法律違反なのだという話をしました。

でも実際には、アシㇼパが1890年代の生まれだとして、それより後に生まれた人でも入れ墨をしている人は少なくありませんでした。私がお話を聞いてきたおばあちゃんたちはだいたい1900年前後の生まれでしたが、その中にも入れ墨をしている人が何人もいました。法律で禁止されたからと言って、長年の風習というのはそうやすやすと消え去るものではないのです。

この入れ墨は何のためにしていたのかというのはよく訊かれる質問なのですが、よくわからないというのが正確な答えでしょう。

ただ、昔、私が中学生ではじめて北海道旅行をした時に、アイヌの女性が和人にかどわかされないように入れ墨を入れてわざと醜い顔にしたのだと、バスガイドさんが説明したのを聞いた記憶がありますが、それはまったくの作り話だと思います。

入れ墨をするのはアイヌだけではない

そもそも、入れ墨はアイヌの専売特許ではありません。琉球(りゅうきゅう)の人たちもハジチと呼ばれる入れ墨を手の甲にほどこしていたのは有名な話ですし、台湾先住民の「紋面(もんめん)」、ニュージーランドのマオリ族の「モコ」など、入れ墨文化は東南アジアから南太平洋にかけて広く広がっています。

英語のタトゥーという言葉自体が、タヒチ語のタタウから来ているという説もあります。北方に目を向けても、アリューシャン列島に住むアレウトや、シベリア最東部のチュコト半島に住むチュクチにも、顔に入れ墨をする習慣があったことが知られています。

それどころか、日本列島の住民に関する最古の資料といわれる「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、次のようなことが書かれています。

(倭の地の)男子は成人・子ども(あるいは、身分の上下)の区別なく、みんな、顔面や身体に入れ墨をしている。(中略) 夏后(かこう)の少康(しょうこう)の子が会稽(かいけい)に(王として)封ぜられたとき、みずから髪を切って身体に入れ墨をし、(身をもって)それで蛟龍(みずち)の害を避け(るように教え)た。(だからそれに倣って)今の倭の海士(あま)たちは、巧みに水に潜って魚や蛤(はまぐり)を捕らえ、身体に入れ墨を施してそれによって大きな魚(鮫など)や水鳥(海鷲など)の襲撃を厭(おさ)えている。(ほんらいはそうだが)その後は、しだいに飾りとなっている。諸国の入れ墨はそれぞれ異なっていて、ある者は左に、ある者は右に、ある者は大きく、ある者は小さく施している。尊いか卑しいかで、差がつけられている。

(松尾光『現代語訳 魏志倭人伝』KADOKAWA、2014年)

ということで、彼ら(倭人)が和人の先祖だったとすると、男女の違いはありますが、和人もかつて入れ墨をしていたのであり、日本列島を含んで、太平洋の人々は北から南まで入れ墨文化を持っていたのです。だから「なぜアイヌは入れ墨をしていたのか?」より「なぜ和人の先祖は入れ墨するのをやめてしまったのか」という理由を追求した方がよさそうです。

日本人はなぜ入れ墨をやめたのか

その答えはおそらく漢文化の影響です。「魏志倭人伝」で倭人の入れ墨のことを興味深く書き残しているのは、それを書いた漢人にはその習慣がなかったからに違いありません。

彼らにとって入れ墨は刑罰のひとつであり、入れ墨を彫っているということは罪人であることの印であったのです。その文化が日本列島に流れ込み、和人は自分たちの伝統文化だったもののひとつをすっかり忘れてしまいました。そして周囲に残る入れ墨文化を、奇異なもの、野蛮なものとして見るようになっていったのです。

ところで、アイヌの入れ墨はおもに女性がするものですが、27巻269話には男性の入れ墨の話が出てきます。アイヌの埋蔵金のありかを知る唯一の生き残りの老人、キムㇱプの両手の親指のつけねにほどこされた入れ墨です。これは、「狩りがうまくなるようにと、右か左かどちらかの手に」彫ったといわれるものですが、キムㇱプはそれを両手に彫っていました。

これは、『アイヌ民族誌』(135頁)にほんの数行書かれていた記述に基づいています。この記述の著者自身、1937年ごろに屈斜路(くっしゃろ)で一例見かけただけという、非常に稀な事例です。野田先生はそれを物語に見事に組み込んでみせました。

埋蔵金のありかを探していた7人のアイヌたちは、鶴見中尉(註:大日本帝国陸軍第七師団に所属する情報将校)がウイルク(註:アシㇼパの父)の正体を明かしたことによって疑心暗鬼に陥り、仲間割れを起こして殺し合い、ウイルクひとりを残して全員死んでしまいます。

ウイルクは自分も死んだと見せかけるために、自分自身も含めた全員の顔の皮をはぎ取って入れ替え、その場にいたことにはなっていなかったキムㇱプの顔の皮をかぶって逃亡するという、想像を絶する行動に出ます。

ところが鶴見中尉は、実はそこに8人のアイヌがいたことを察知。ウイルクは舟で支笏湖(しこつこ)を渡ろうとするところを追いつかれて舟を沈められ、鶴見中尉の手から逃れるために自ら監獄部屋に出頭して、典獄・犬童四郎助(いぬどうしろすけ)の囚人となります。「のっぺら坊」誕生の瞬間です。

一方、キロランケは、7人のアイヌの遺体の中に両手に入れ墨をしたものがあったということから、キムㇱプがその遺体のひとりだったという噂を聞いて、ウイルクがのっぺら坊ではないかという結論に達し、変わってしまったかつての同志を殺そうと決意することになったと、ソフィアに手紙で書き送っていました。

はてさて大変恐ろしい顚末(てんまつ)なのですが、囚人たちの背中に入れ墨を彫った顔のない「のっぺら坊」のことは、すでに第1巻から出てきたはずです。野田先生はその時点でこんな展開を考えていたのでしょうか。考えてみると、そっちの方が恐ろしい話ですね。

文/中川裕

https://article.auone.jp/detail/1/2/4/339_4_r_20240316_1710550981432943


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「金カム実写化は無理じゃない?」から一転…映画『ゴールデンカムイ』を成功させた“2人の男”の正体

2024-03-17 | アイヌ民族関連

CREA2024/3/16

映画『ゴールデンカムイ』が大ヒットしている。

 1月19日に公開されると、わずか17日間で観客動員数111万人、興行収入16.3億円を突破。おそらく今後もロングランとなり、マンガの実写映画史にその名を刻む作品となるのではないだろうか。(記念すべき作品を「映画館で観た!」と言うために、ぜひ今のうちに映画館に行ってほしい!)

1月19日に全国公開された映画『ゴールデンカムイ』(映画『ゴールデンカムイ』公式Xより)

 なぜ映画『ゴールデンカムイ』は、「人気マンガの映像化」というプレッシャーをはねのけ、まごうことなき傑作になったのか。その背景には、本作を「ダイジェスト映画」にしなかったという英断が潜んでいる。成功を収めた最大の理由は、原作の完成度をそのまま丁寧に映画に移し替えたことにあった。

◆ ◆ ◆

全31巻の大長編ストーリーを2時間の映画に

『週刊ヤングジャンプ』で2014年から2022年にかけて連載されたマンガ『ゴールデンカムイ』(野田サトル/集英社)は、日露戦争後の北海道を舞台にした、元陸軍兵の杉元佐一とアイヌの少女・アシリパ(リは小文字)の「金塊探し」の物語。全31巻にわたる長編ストーリーである。

 その長さをかけるに値するほど、『ゴールデンカムイ』の展開の密度は濃い。とくに後半訪れるクライマックスには「そこでこう来るか!」と息をのんだ読者も多いはずだ。

実写化は「無理じゃない?」と…

 そんな『ゴールデンカムイ』を実写映画にするという。第一報を耳にした時、正直、筆者は不安に思った。「あの長い物語を、2時間の実写映画にする……? 無理じゃない?」と苦笑したのだ。

 長編マンガの『ゴールデンカムイ』をもし2時間の映画にするならば、どう考えても「ダイジェスト版」にならざるを得ないからだ。

「ダイジェスト版」とはどういうことか。メディアミックス作品を見てきた方ならば、一度は「ああ、あれね」と苦笑してもらえるのではないか。

 つまり作品の主要な展開は変えていないし、キャラクターや重要な台詞は登場しているものの、どうしても素早く次の展開に向かってしまうので、物語のカタルシスが薄く「ただあらすじを解説しているだけ」に見えてしまう――そんな失敗例のことだ。

メディアミックスに対して原作ファンが望むもの

 中には、映像化の際に原作のエッセンスをまるっきり変更してしまう作品もある。だから原作の要素を変えないだけ、「ダイジェスト版」でもいいのかもしれない。しかし、だ。観客が映像化に求めているのはそんなことではない。

 原作が映像化されたときに、読者や観客が望むもの。それは、「メディアミックスによって、よりたくさんの人に届き、『こんなに面白い物語があったんだ。知らなかった!』と言ってもらえる作品になること」だ。

『名探偵コナン』『テニスの王子様』『あさきゆめみし』…メディアミックスの成功例

 たとえば『名探偵コナン』(青山剛昌/小学館)はアニメになったことで、たくさんの人に「名探偵コナン」というキャラクターの魅力が伝わった。『テニスの王子様』(許斐剛/集英社)はミュージカル作品として舞台化されたことで、「テニミュ」としても親しまれるようになった。『源氏物語』は『あさきゆめみし』(大和和紀/講談社)としてマンガ化されたことで、より多様に古典の魅力が知られるようになったのだ。原作ファンがメディアミックスに求めているのは、このような現象だろう。

 もちろんメディアミックスされた結果、原作の要素を削ぎ落としたり、あるいは逆に原作にない要素を足したりすることは多々ある。たとえば『あさきゆめみし』を読んだ後に『源氏物語』を読むと「えっ、この場面って大和和紀さんの創作だったの!?」と驚く(筆者もそうだ)。舞台版『テニスの王子様』は当初、原作に登場する女性キャラクターを登場させなかったことで知られている。

 このような改変ゆえに、原作ファンからしたら「やっぱり原作が一番だ」と思うこともあって当然だろう。しかし、たとえそうであっても、メディアミックスによって、たくさんのファンを掴み、それゆえに原作の価値も、楽しめる期間も増える――それこそがメディアミックスの理想であるはずなのだ。

 だからこそ、映像化にあたり「長いストーリーの要素だけを紹介する、ただのダイジェスト版」になってしまうのは残念だ。それではなかなか新しいファンを掴めないから。

 さて、そのような意味で映画『ゴールデンカムイ』はひとつの映像化の成功例になった。なぜか。

※次のページから、映画『ゴールデンカムイ』の内容の一部に触れています。

2時間の映画で描かれたものは…

 映画『ゴールデンカムイ』の映像化が成功した理由。それは2時間の映画の構成が、マンガの序盤のみを描くことに限ったからである。

 全31巻ある原作の、たった3巻のエピソードを、2時間かけて描く。

 この挑戦は、見事に成功した。アクションシーンやアイヌ文化の豊饒さを丹念に映し出し、映画という新たな形で『ゴールデンカムイ』という作品の魅力を提示した。

 たとえば映画冒頭、日露戦争でもっとも過酷だったといわれる203高地の戦いのシーンが挿入される。山﨑賢人演じる主人公・杉元に「不死身の杉元」の異名がつけられる契機となった舞台だ。

 原作では何度も回想で反芻されるこの203高地の場面を、本作は迫力たっぷりに撮ってみせた。杉元がどのような戦いぶりだったのか、私たちは映画館のスクリーンで間近に見られるのだ。

原作でおなじみの「食べる」場面も

 さらに山田杏奈演じるアシリパが、アイヌの村に帰る場面では、アイヌ文化をじっくりと美しく撮ってみせる。原作ではおなじみの「食べる」場面もしっかり存在する。

 このように、埋蔵金争奪バトルという本筋だけを追いかけていると、零れ落ちてしまう原作の魅力――日露戦争の描写や北海道の熊の登場、そしてアイヌ文化の豊饒さ――を映画はしっかり時間をとって、スクリーンで見せてくれる。だからこそ私たちはこの物語の面白さに気づくことができるのだ。

 日露戦争やアイヌ文化を映すシーンに「尺を使うことができた」のは、映像化する部分を原作序盤のみにとどめたからだろう。なぜ映画『ゴールデンカムイ』は、「まずは原作の序盤だけを映像化する」という選択を取ることができたのだろう? そこには、本作の脚本家と監督が関わってきた、日本の映像エンタメの歴史が背景としてある。

映画『キングダム』シリーズ成功させた脚本家の手腕

 たとえば本作の脚本を担当する黒岩勉は、『ONE PIECE FILM RED』、『キングダム』(佐藤信介・原泰久と共同執筆)、『キングダム2 遥かなる大地へ』『キングダム 運命の炎』(ともに原泰久と共同執筆)といった、マンガ原作の映画化を成功させてきた脚本家である。

 とくに『キングダム』シリーズは、まさに「長編マンガを、数作かけて映画化する」という手法を取っていた。この前例があったからこそ、『ゴールデンカムイ』も「まずは原作マンガの3巻までを描く」という選択を取ることができたのではないだろうか。

「同じ世界観のなかで何作も生み出す」ことに長けた久保監督

 また監督の久保茂昭は、『HiGH&LOW』シリーズの監督として知られている。「ハイロー」として熱狂的なファンを生んだこの作品の特徴は、「ひとつの世界観で、テレビドラマや映画が何作も続いている」ことにある。

 これは日本のテレビドラマ業界においては異例のことだ。海外の長編ドラマでは、数シリーズをまたぎ展開する例はしばしばある(たとえば『ゲーム・オブ・スローンズ』はシーズン8まで辿り着いている)。しかし昨今の日本のドラマでは、たとえシリーズをまたいだとしても、続編は1~2作で終わることが多い。

 

 そんな状況にあって、『HiGH&LOW』シリーズだけが異質なのだ。『HiGH&LOW』シリーズだけで映画を7本も作っている久保は、現在日本でもっとも「同じ世界観のなかで、さまざまな登場人物に焦点を当てながら、何作も映画やドラマを生み出す」手法を操るのに長けた監督なのである。

 長編マンガ実写化のノウハウが詰まった脚本と、シリーズものとして構成するノウハウが詰まった映像。その2つが交差したところに、映画『ゴールデンカムイ』は存在する。本作が高い評価を受けているのには、こうした2人のプロフェッショナルが携わっているという背景があるのだろう。

 とはいえ、ノウハウだけではもちろん映画は成功しない。真冬の北海道で撮影されたというスタッフや俳優たちの本作に賭ける熱量が、スクリーン越しに伝わってくる。おそらくこの先、続編も制作され、『ゴールデンカムイ』はマンガの実写映画化の歴史に残る作品になるはずだ。

 このような作品が生まれたという奇跡を、ぜひ映画館で目撃してほしい。

(文春オンライン2/9 オリジナルサイトで読む)

https://crea.bunshun.jp/articles/-/47043#goog_rewarded


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ドラマ『ゴールデンカムイ』は魔性の美女に期待、『るろ剣』でも魅せた高橋メアリージュンの妖しい演技

2024-03-17 | アイヌ民族関連

エンタメネット2024/03/16

『連続ドラマW ゴールデンカムイ ―北海道刺青囚人争奪編―』でインカラマッ役を演じる高橋メアリージュン(高橋メアリージュンの公式インスタグラムより)

興行収入25億円を突破している大ヒット映画『ゴールデンカムイ』の続編が、WOWOWのドラマシリーズとして制作されることに決定。『連続ドラマW ゴールデンカムイ ―北海道刺青囚人争奪編―』と題し、今秋から放送・配信される。

新登場するキャラクターたちの情報も解禁され始めているが、そのなかでも注目に値するのが、インカラマッ(※ラは小文字が正式表記)の役を演じる高橋メアリージュンだ。実写化作品で度々発揮してきたその演技力によって、ハマリ役になる気配がすでに漂っている。

高橋はモデル出身ながら、映画やドラマに多数出演しており、『隣の家族は青く見える』や『私の家政夫ナギサさん』、『あなたには帰る家がある』など、さまざまな作品で存在感を発揮してきた。とくに印象深いものを挙げるとすれば、2017年に放送された『コウノドリ』(TBS系)の第2シリーズが思い浮かぶ。

そこで高橋が演じたのは、産後うつに苦しむキャリアウーマンの女性・佐野彩加。早々に仕事に復帰したいという焦りから追い詰められていく様子を表現し、多くの視聴者の感情移入を誘っていた。

さらに強烈な演技としては、実写版『闇金ウシジマくん』シリーズにおける“サイハラさん”こと犀原茜を忘れることはできないだろう。犀原はコワモテの男性を引き連れ、血も涙もない取り立てを行うアウトローの金貸しで、裏社会に君臨する“女傑”のようなキャラクターだった。本編のドラマや劇場版に登場しているほか、2022年には彼女を主役に据えたスピンオフ『闇金ウシジマくん外伝 闇金サイハラさん』(TBS系)も放送されている。

普段はダウナーで物静かだが、スイッチが入ると怒鳴り散らしながら暴力性を発揮することもある……。そんな狂気に満ちた危険人物を、高橋は見事に演じきっていた。なお犀原は実写版のオリジナルキャラクターで、元ネタとなった原作キャラとは性別が変わっている。原作ファンからの反感を買ってもおかしくない設定だが、高橋の演技にはその改変を受け入れさせるほどの迫力がみなぎっていた。

さらにインカラマッ役に関係する実写化作品として、2014年に公開された映画『るろうに剣心 京都大火編』と『るろうに剣心 伝説の最期編』にも言及しておきたい。そこで高橋が演じたのは、明治政府転覆を目論む志々雄真に心酔する女性・駒形由美の役柄だった。

駒形は吉原の元花魁という設定で、胸元まで和服をはだけさせた見た目をしており、佇まいから所作に至るまで色気たっぷり。しかし実は明治政府に人権を蹂躙された暗い過去をもち、志々雄を一途に愛するというギャップも併せ持っているキャラクターだ。駒形役を演じた当時の高橋は20代だったが、その大人っぽい魅力を見事に再現していた。

そもそも同映画は登場人物が多いため、脇役である駒形のセリフ量はかなり少なかった。それにもかかわらず、観る者に強烈な印象を残しているのは、ひとえに高橋が醸し出す独特な存在感があってこそではないだろうか。しかもこの時の高橋は難病の治療中だったというので、その役者魂にも驚かざるをえない。

ドラマシリーズ『ゴールデンカムイ』で高橋が演じるインカラマッは、美しい見た目で、キツネの頭蓋骨を使った占いを得意とするミステリアスな女性。いわば“魔性の美女”なので、『るろうに剣心』の時を髣髴とさせるような活躍を見せてくれるかもしれない。

映画『ゴールデンカムイ』では舘ひろし演じる土方歳三や玉木宏演じる鶴見中尉など、多数のハマリ役が生まれているが、ドラマシリーズではそれを凌駕するほどの化学反応に期待したい。

https://entamenext.com/articles/detail/30872


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和人はアイヌをどう差別してきた? 古代から1,000年以上の歴史を振り返る

2024-03-17 | アイヌ民族関連

武将ジャパン2024/03/16

2021年3月、日本テレビの番組『スッキリ』において、ある発言が問題になりました。

お笑い芸人・脳みそ夫氏が「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」という謎かけをしたのです。

脳みそ夫氏当人の中に、それほどの意識はなかったかもしれません。

しかし、その言葉の意味するところは明確なアイヌ差別であり、すでに大人気漫画『ゴールデンカムイ』でも指摘しているところで、「1巻 第6話」(→amazon)においてはこんな会話がありました。

白石「そのアイヌはお前さんの飼いイヌか?」

杉元「アゴを砕いて本当にしゃべられんようにしてやろうか」

アシリパ「よせ杉元 私は気にしない 慣れてる」

『ゴールデンカムイ1巻 第6話』(→amazon)より

※アシリパの「リ」は小文字です

『ゴールデンカムイ』は明治時代のアイヌを描いた漫画・アニメで、作中では彼らの暮らしだけでなく、長く続いた辛い歴史も反映されています。

上記第6話でのシーンをもう少し補足しますと……。

脱獄囚人の白石がアシリパのことを、和人である杉元の飼いイヌであるのか?とからかったことから始まりました。

即座に杉元は激怒しますが「私は気にしない。慣れてる」と返答するアシリパ。

その時「慣れる必要がどこにある」と杉元は怒りを感じます。

このからかいは単に「アイヌ」と「犬」を掛けた駄洒落ではありません。

アイヌの人々を「アッ、犬」と侮辱し、人より劣る犬扱いという差別的な言動が存在します。杉元が激怒したのは、その差別性に気づいたからです。

白石という人物は、このあと杉元一行に加わりました。

囚人ながら気のいい男で、アシリパを差別するようなこともない。

そんな白石ですら、最初は口に出してしまうほど、当時の北海道にはアイヌ差別が蔓延していたという表現でしょう。

本作では、アシリパだけではなく、キロランケやインカラマッといったアイヌの人々も、和人の蔑視や差別にしばしばさらされます。

アイヌになりすまし、そのコタン(村落)を乗っ取っていた和人も登場します。

こうした和人がいるからこそ、杉元らの見せるアイヌへの誠意が際だって見えるのでしょう。

本稿では、長らく続いた和人のアイヌ差別の歴史を古代から振り返ってみます。

※記事の中には差別的な語彙や表現が出てきますが、実態を描写するために敢えて記載しております。ご理解ください

大和朝廷討伐対象者としての「蝦夷」

和人がアイヌをどう見ていたのか?

この問題を語り始めるには、まず大和朝廷の討伐対象者としての視点にふれなければなりません。

彼らに対する中央の理解は「なんとなく北方に野蛮な人がいることはわかる」という程度。

和歌に詠まれた「像」等を見ても曖昧で、実態からかけ離れています。

聖徳太子や源義経が、蝦夷の人々を制圧する絵物語も広がりました。

現代人にとっての宇宙空間のような、そんな想像の世界にあるものであったのです。

このころは「愛瀰詩」や「毛人」といった字を当て「エミシ」という名称で呼ばれました。

12世紀頃からは「エビス」と呼ばれるようになりました。

京の貴族たちが、野蛮に思える東国武士を「エビス」呼ばわりすることもあったほどです。

こうした東国武士は、元寇の際に敵陣営である蒙古や朝鮮の人々を「エビス」と呼んでおります。

自分と違う外国人を呼ぶ言葉が、中世までの「蝦夷」でした。

このころはアイヌと東北地方の人々の区別がついておりません。

両方とも「蝦夷」です。

朝廷に叛旗を翻した東北のアテルイやモレらも「蝦夷」とされておりました。

では、アイヌの人々と東北地方の住民が同一であるか?

その点については、様々な見方があります。

東北地方には、アイヌ語由来とみられる地名もあります。

北海道のアイヌにせよ、東北地方の蝦夷にせよ。

西日本の朝廷からすれば野蛮で劣っており、討伐支配する対象とみられていたこと。

ここが見逃してはならない意識です。

この感覚は、中世で終わったわけではありません。

関白・豊臣秀吉の命で上洛した奥羽の大名は、蔑視にさらされました。

伊達政宗はそうした蔑視に対して、自分や伯父の最上義光は、和歌はじめ文化に通じているのだ、と反論したほどです。

戊辰戦争で進軍する西軍側にも、野蛮な東北の連中を倒しに行くという感覚がある者がいました。

1988年(昭和63年)、当時のサントリー社長であった佐治敬三が、テレビ番組でこんな発言をしております。

仙台遷都など阿呆なことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い。

熊襲とは、九州南部地方に住んでいた朝廷からの討伐対象であり、これは発言者のミスです。

20世紀になっても大和朝廷時代の差別発言をしたことに対して、東北地方で反発が起きます。

東北地方での、サントリー不買運動につながりました。

未開で文化もない連中を、中央こそが制圧して導くべきだ――この差別的な考え方は、アイヌの人々や北海道の歴史を蝕むものとなります。

交易相手として

京都の貴族たちにとって、東北にいるのは異民族。

夢の向こうにいるようなもので、ファンタジックなものに過ぎませんでした。

この像が具体性を帯びてくるのは、しばし時代がくだったころ。

戦国時代ともなると、戦国大名の蠣崎氏が、蝦夷地(現在の北海道)を支配しようとしました。

実際、蠣崎義広の代までは、アイヌと激しい抗争を繰り広げております。

しかし、5代目当主・蠣崎季広の代になって、アイヌと和議が成立。

蝦夷地南部の支配権を確立するとともに、交易によってもたらされる利益に目をつけました。

季広の子・松前慶広が松前藩初代藩主となります。

松前藩は、対馬藩の宗氏と並ぶ「無高(一万石高)」の大名です。

幕府からの「黒印状」により異国との交易を認められ、アイヌとの「商場・知行(=交易)」を基にして藩経済を成立させます。

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この構図は、17世紀頃から崩れてゆきます。

蝦夷で金が取れる――そう和人側が認識しつつあったのが原因でした。

1669年(寛文9年)。

シャクシャインの蜂起に手を焼いた幕府は、アイヌ側の要求を認めるようになります。

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しかし、長くはありませんでした。

ロシアも蝦夷に目を向けるようになり、日本とロシアの狭間で、アイヌの人々は苦しむことになったのです。

彼らは異民族か? 同じ民族か?

ロシアが蝦夷地に接近し始めた江戸後期。

このころになると日本も外国船の接近を感じるようになります。

そんな中、国学者は『蝦夷地に住むアイヌの人々は何者なのか?』と考えるようになります。

賀茂真淵は、蝦夷地を訪れた商人を自宅に招き、「蝦夷之噺し」の会合を開きました。

彼はアイヌを中国北部の民族とも交流のある、どこかドラマチックでエキゾチックな、和人とは別の民族であるととらえました。

延享3年(1746年)にエミシとエゾを同一視した歌を『翁家集』に掲載しています。

この歌はロマンチックなもので、アイヌへの憧れすら感じます。

ルールに縛られる和人より、自然と気ままに生きている彼らに憧れる言動も、見られるようになったのでした。

しかし、アイヌをロマンチックに見ているから差別的ではないとは言えません。

こうした別の民族や人種に、過剰な美化やロマンチシズムを感じることは「エキゾチシズム」と呼ばれ、時に差別的な扱いにつながりかねません。

本居宣長は、1767年(明和4年)から三十年にかけて書き綴った『古事記伝』にて、エミシとエゾを同一視した論を展開しました。

この論は現在否定されておりますが、それが確定するまで長い時間がかかっています。

本州に住み続け、学究に尽くした国学者の間で、実体を伴うアイヌ像は展開されませんでした。

彼らの中で、アイヌとはエミシ。

つまり異民族であり続けたのです。

この国学は、幕末にかけて明治維新を成し遂げた者たちにも、強い影響を与えています。

一方、最上徳内ら幕命を受けて蝦夷地に渡った和人は、全く異なる結論に至ります。

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1786年(天命6年)、彼らが幕府に提出した報告書は以下のようなものでした。

女性はお歯黒をせず、口の周りに刺青を入れている。

男性は毛深い。

髪の毛を結うことはなく、長髪のまま。

服飾や習慣は異なることが多いものの、カムイと呼ぶ神に信仰を捧げる人々で非敬、仁愛、礼儀も厚い――。

【異形に相見え候らえども、何にても、日本人に相替わり候儀ござなく候。】

そんな風に分析していたのです。

そこには大和朝廷以来の、異民族を討つべしという思想は見られません。

フィールドワークを通じ、習慣は違うけれども同じ人間なのだから、仲良くできるはずだという、そんな考えすら感じさせるものなのです。

こうしたアイヌと和人を同じ民族であるという論は、「和夷同祖論」と呼ばれます。

最上は、アイヌの人々を「土人」と呼びました。

蔑称を込めたものではなく、むしろその土地に暮らす土着の人という、親しみをこめたものとして使っていたようです。

そうはいえども、朝廷や都で暮らす人は「土人」とは呼ばれません。

中央から遠い地方に住むという、蔑称的なニュアンスが含まれる名称であることは、留意すべきでしょう。

蝦夷人から土人へ

アイヌのことが和人側の公文書で「土人」と呼ばれるようになったのは、1855年(安政2年)からです。

それまでは蝦夷人・夷人・蝦人と記載されていました。

黒船来航から2年後。

ロシアの脅威が北から迫る中のことです。

蝦夷地に住む人々は異民族ではなく、日本に土着する人として扱うようになったわけです。

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日本とはどんな国なのか。

海外に対してどう立ち向かうのか。

そう意識したうえでの変更といえます。

明治維新後、アイヌの人々は他の和人と同じく、天皇の民であるとされました。

皆等しく「土人」と区別することはないとされたのです。

しかし1878年(明治11年)、開拓使は調査等の際にアイヌを旧土人と呼ぶよう、通達を出したのです。

当時は、世界的に見て先住民受難の時代でした。

岩倉使節団で渡米した日本人は、ネイティブ・アメリカンの受けている扱いに驚きました。

先に住んでいた日本人と同じアジア系民族が差別されることに、理不尽さと呆れるほどの感情すら抱いたものです。

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だからといって、自分たちはそうすべきではないとは、思わなかったのでしょう。

むしろ、西洋列強ですら平然と差別をするのだから、日本もそうすべきであると習ったのでは?とすら思われます。

当時は、偽科学的な人種差別論の時代でした。

優等人種と劣等人種は脳すら異なるから、優等人種が劣等人種を同化すべき――そんな現代からすればとんでもない思想がはびこっていたのです。

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結果、幕吏たちのフィールドワークに基づく探険記が忘れ去られ、西洋由来の差別的科学が、アイヌへの政策で用いられるようになりました。

その一方で、幕臣出身で北海道の官吏となった人の多くは、アイヌ政策の過酷さに抗議するように退職してしまいます。

北海道の名付け親とされている松浦武四郎(まつうらたけしろう)は、1870年(明治3年)、北海道の明治政府の開拓の方針が受け入れられず、従五位の官位を返上して退官しています。

アイヌ政策において、彼らは折り合いがつかなかったのです。

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アイヌは同じ人だという理念は、明治政府にはありません。

和人と異なり、劣る旧土人なのだと見なします。

劣った旧土人なのだから、文明化のためにも同一化し、固有の文化や慣習を捨てさせよう――そうした考え方が、広がっていったのでした。

当時の世界には、こうした劣等人種は優等人種の観察の対象だとみなす考え方が蔓延していました。

その悪しき一例が「人間動物園」です。

異なる人種の人々を見世物と見なすこの会場に、アイヌの人々も立たされました。

アイヌの人骨が、動物のような観察対象とされたこともあります。

1995年(平成7年)には、北海道大学からこうした扱いを受けた人骨が発見(北大人骨事件)。

そうした一方、日本人とされたアイヌの人々は、時に戦場に立つこともありました。

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しかし、いくら戦場で活躍しようと、正当な評価を受けたとは言いがたいもの。

1899年(明治32年)には「旧土人保護法」が成立しました。

この法は、保護というよりも同化を求めるものです。

アイヌの文化や伝統を、同化という名の下に消し去ろうとします。

そして1997年(平成9年)に「アイヌ文化振興法」が成立するまで、百年にわたり、アイヌの人々を苦しめ続けたのでした。

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「私は気にしない 慣れてる」

というアシリパの言葉の背後には、当時の人種差別的な偏見に苦しめられてきた、彼女なりの体験がきっとあるのでしょう。

古代から、中央の朝廷に従うかどうかを求めて来た、和人のアイヌ像。

遠い島に住んでいるから野蛮で、中央に従うべきだと、アイヌの人々の自主性や気持ちを無視して考えてきた――そんな和人の認識がそこにはあります。

こうした認識の歴史をふまえると、杉元をならってこう言いたくはなりませんか。

慣れる必要がどこにある――。

https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2024/03/16/115894


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台湾先住民族が歌舞披露 文化交流楽しむ ウポポイで 特別公演 白老

2024-03-17 | 先住民族関連

苫小牧民報2024/3/16配信

台湾最大の国立野外博物館「台湾原住民族文化園区」の専属歌舞団「ナルワン音楽舞踏団」が白老町若草町の民族共生象徴空間(ウポポイ)を訪れ、伝統舞踊を披露する特別公演を17日まで行っている。昨年、民族文化の振興を目的に連携協定を締結しており、15日には同施設でウポポイ職員が歓迎式を行い、互いに歌舞を披露して交流した。

歓迎の返礼として歌舞を披露したナルワン音楽舞踏団の演者

 同園区は、政府から公式認定された16の先住民族の文化保存、維持継承のための施設。台湾南部の屏東(ピンドン)県に立地し、民族の文化や芸術を紹介している。

 ナルワン音楽舞踏団は複数の先住民族で構成され、歌舞を披露している。ウポポイには14人が訪れ、特別公演を16、17両日実施。17日は午前11時半と午後3時半から体験交流ホールで行い、8人がアミ族、パイワン族、サアロア族ゆかりの伝統歌舞を披露する。トンボ玉作りなどの文化体験も午前10時半と午後2時半から体験学習館別館3で行う。

 ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)と、同園区を運営する原住民族委員会原住民族文化発展中心は昨年12月13日、互いの民族の文化振興と普及を目的に連携協定を締結している。ウポポイにとっては初の海外機関との協定締結だったが、書面の受け渡しにとどまり、相互訪問などは行えずにいた。

 歓迎式では、ウポポイ職員15人が、迎賓のあいさつやムックリ(口琴)演奏、ク・リムセ(弓の舞)で迎えた。園区職員14人は、プユマ族が祭りの最後に踊る歌舞曲「楽しく揺れる」を披露して応じた。

 同財団の常本照樹理事長と同中心の代表者に当たる曽智勇主任が協定書を公開し、飲み口が二つある連杯につがれた酒を2人で飲み干し、親睦を深めた。常本理事長は「コロナ禍の行動制限緩和を機に、海外の先住民族と積極的に交流を進めたい」と話し、曽主任も「早ければ5月、遅くても9月にはウポポイの皆さんを招待したい。私たちには共通点が多く家族のような関係にある」と語った。

https://hokkaido-nl.jp/article/33232


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廃墟ビルが百貨店に変身 村の活気を取り戻す拠点に/台湾・花蓮

2024-03-17 | 先住民族関連

中央フォーカス台湾2024/03/16 17:29

台湾原住民(先住民)族アミ族の料理の数々=14日、張祈撮影

へき地教育や地方創生に関心を持つ若者たちによって、古い町並みが残る東部・花蓮県の新城郷に10年間放置の廃墟ビルが百貨店として生まれ変わった。1階には地元の歴史を紹介する空間の他、台湾原住民(先住民)族アミ族のグルメが楽しめる店も併設され、町おこしに一役買っている。

新城郷はかつて砂金を採る場所として栄えた。後に現地につながる幹線道路の路線変更やゴールドラッシュ熱が冷めるにつれ廃れてしまった。そんな新城郷に新風を吹き込もうと、クリエイティブに強い若者たちでつくった会社「練習曲文創」のメンバーたちが地元で約8棟の古い家や廃墟ビルを発見し、その改造に取り組んだ。

百貨店として再利用されたのは町の中心部に位置するものの、10年間放置されたままの台湾電力の古いビル。将来の発展性を見込んで同社を創設した胡文偉さんは一気に同ビルを16年間借りることにし、アート施設として整備。その後、政府からの補助金で大規模なリフォームが進められたことから、アート施設が百貨店に変身を遂げた。

百貨店の名前は「山海」。2階では花蓮各地で作られた環境に優しい商品を販売、3階はレンタルスペースとなっている。「われわれは子どもの教育のみならず、子どもたちが故郷に残って仕事できるよう、町おこしもしたいのだ」と百貨店の支配人は意気込みを語った。

(張祈/編集:荘麗玲)

https://japan.focustaiwan.tw/photos/202403165002


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森山直太朗、「なぜ人間は歌を奏でるのか。人間の根源的なものに迫る旅になった」 ニュージーランドの先住民マオリとの出会いで得た“新たな気付き”【インタビュー】

2024-03-17 | 先住民族関連

エンタメOVO 2024年3月16日 / 10:00

「ドラマ 地球の歩き方」がテレビ大阪・BSテレ東で放送中だ。創刊45周年を迎えた“海外旅行のバイブル”「地球の歩き方」をドラマ化し、旅好き芸能人が世界各国へ記者として旅に出る姿を描く本作。三吉彩花の韓国編、森山未來のタイ編、松本まりかのサイパン編に続き、ニュージーランド編「キャンピングカーで巡るマオリの聖地特集 オークランド~レインガ岬」に出演するシンガーソングライターの森山直太朗が、旅の思い出や見どころ、旅を通じて得た新たな気付きについて語ってくれた。

-本作では森山さんがニュージーランドの先住民・マオリに会い、彼らの文化やアイデンティティーに触れる姿が描かれますが、今回の旅先を決めた経緯を教えてください。

 僕が音楽を作るときは自分のルーツやアイデンティティーをどこかで探すような作業をしているのですが、いろいろな文化や教育がはびこっている現代では、日々の生活の中で、そういった根源的な部分にたどり着きにくい現状があるなと感じていて。そういう中でニュージーランドの先住民・マオリの皆さんのお話を聞いたときに、人間の根源的な部分、つまりなぜ生きているのか、なぜ歌を奏でるのか、なぜ音楽にたどり着くのかということに少しでも触れられる旅になるのではないかなと思いました。あとは、僕はキャンピングカーがすごく好きなので、「キャンピングカーでニュージーランドを縦断する旅を一緒にしませんか?」という誘い文句に乗せられて、うまく話に便乗しちゃいましたね (笑)。 

-実際に旅に出て、撮影された感想を教えてください。

 夢みたいな時間でした。今思い返しても、「本当に僕はあの場所にいたのだろうか?」と思うくらい突然に舞い込んできた話でしたし、それくらい弾丸でした。でも、だからこそ、限られた時間の中で非日常的なことがたくさん起こったのだなと感じています。

-旅先では、マオリの文化の鼻と鼻をこすり合わせるあいさつ「ホンギ」や、歓迎の儀式「ポフィリ」、伝統的な舞踊「ハカ」なども体験されましたが、いかがでしたか。

 全てにおいてカルチャーショックでした。ハカは間近で見ると本当に迫力があって、心が震えました。人間の五感では感じられない第六感に直接コンタクトしてくるような、自分の中にある知らない感覚を呼び覚まされるような刺激を受けましたし、喜怒哀楽では表現できないような、この旅では幾度となく、そんな記号化できない涙を流しました。

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(C)ドラマ「地球の歩き方」製作委員会

-今回の旅の中で1番印象に残っている出来事を教えてください。

 ノマド生活をしているニュージーランドの若い世代の皆さんとお会いしたことです。成人して社会に出ると何か職に就いたり、社会にコミットして生きていかなければいけないという常識や教育がありますが、彼らは自分の中に社会や世界があって、その中で自分が心地いいと思える人生を選んでいるんです。

 例えば、キャンピングカーでパートナーと一緒に生活しながら、手作りのアクセサリーを売って暮らしている女性に出会いました。彼女のような生き方は、社会的には老後や将来のことを考えたりすると不安もあると思いますが、人生をより自分らしく生きていくためのただならぬ覚悟と、瞳の奥にそれ以上の対価や本質的な豊かさを得ているんだなと思える輝きを感じました。

-今回の旅で、さまざまな出会いを経験された森山さんですが、何か気付きを得たり、新たな発見はありましたか。 

 僕が音楽をやっているように、人間というものは何かを作ったり、書いたり、何か表現をしてしまう生き物で、それは自己実現や自分のアイデンティティーを証明するためとか、いろいろな理由があるけれど、もっとその表現や創造の根源にあるものは「祈り」とか「感謝」であって。ただ自然の関係の中で何か生き物に感謝するという、とても根源的なエネルギーが人間の中にはあって、そういう野性的で普遍的な感覚は実は当たり前のように僕らの中にあったのに、いつからか手放してしまったものだと思うんです。そういう五感を超えた感覚というのは、それぞれに宿っているものなんだなと感じました。

 それからクオリティー・オブ・ライフというのは、人間が生きていく中で本当に大切な感覚なんだなと感じました。教育の一環として月曜日の1時間目にそういう授業があってもいいんじゃないかなと思うくらい、人生にとって本当に豊かなものは、それぞれの中にあるものだから、それを見つけていくことが大事だなと思いました。

-今後の音楽制作にも、すてきな影響がありそうですね。

 そうですね。影響がなきゃおかしいですし、この旅で得られた感覚を忘れたくないなと思います。

-劇中では歌唱シーンやスペシャルな演出もあるとのことですが、放送を楽しみにしている方にメッセージをお願いします。

 この旅でマオリの皆さんとの出会いや若者たちとの交流など、本当にさまざま出会いと別れがありました。僕という1人のおじさんが知らない異国の地に旅に出ると、こんなにもこびへつらい、あたふたするんだという(笑)、その姿も1つの見どころだと思います。あとは、道中で自分なりの気付きがあって、旅の最後には、この出会いを通じて感じた景色を音楽で表現しているので楽しみにしていただきたいです。

 真夜中ドラマ 「地球の歩き方」は、テレビ大阪 : 毎週土曜深夜 24:55~25:25、BSテレ東(BS7ch)/BSテレ東4K(4K7ch) : 毎週土曜深夜 24:00~24:30放送中。

 (取材・文/小宮山あきの)

https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1426709


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アイヌ文化~編集余録

2024-03-17 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/03/16 14:00

 「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったで...

●この記事は会員限定です。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=605253


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山﨑賢人さんインタビュー「『ゴールデンカムイ』は、大好きな人たちと一緒に作る楽しさを改めて実感した作品」

2024-03-17 | アイヌ民族関連

MAQUIA3/16(土) 20:40

逆境もプレッシャーも力に変えて 山﨑賢人 ピュアな向上心

一歩一歩着実に成長を遂げ、日本映画界を牽引する存在となった山﨑賢人。大作の主演が続く今も纏う空気は軽やかで、どこか飄々としたムードが漂う。想像不可能な重責を担いながらも走ることを止めず今年30歳を迎える彼の、純粋かつ強靭な瞳に映る未来とは。

大好きな人たちと一緒に作る楽しさを改めて実感した作品

「『ゴールデンカムイ』は、『キングダム』でご一緒したプロデューサーの松橋真三さんをはじめ、これまで共に作品を作り上げてきた方々と一緒に取り組んだ映画。すごく安心感があるチームで、現場で余計なことを考えずに杉元として生きることだけに専念できたことが本当にありがたかったですね。例えば、アクション監督の下村勇二さん。下村さんとは長い付き合いで、どんなハードなシーンでも下村さんが『行ける』と言ったら『やります!』と即座に挑むくらい信頼しているんです。今回、大作のプレッシャーよりも“面白いものを作りたい”という思いが自分の中で大きかったのは、このチームだからこそ。大好きな人たちと新しい作品を作る楽しさを改めて実感しましたし、ご一緒したみなさんに成長を見せたいという気持ちで撮影に臨みました。

原作を読んで魅力を感じたのは、一人一人に信念を感じる点。それぞれに正義があり、生き様がカッコいいなと感じます。僕が演じる杉元は生への執念が強く、戦争中は“やられる前にやる”を貫いた人間。元々は平和主義でしたが、大勢の人を殺したことで大切な何かを失っていて……。そんな中でアイヌの少女に出会うのですが、僕は杉元が彼女を“アシリパさん”と呼ぶところに彼の人柄を感じるんです。子供にも敬意を持ち、彼女の目標に寄り添いながら一緒に旅をする。強さの中にある優しさがすごくいいなって。ちなみに原作者の野田サトル先生にお会いした時に伺ったのですが、先生のひいおじい様は“杉本佐一”というお名前で実際に日露戦争に従軍されたのだそう。撮影中の僕を見て、『曽祖父に会ったような気持ちです』と言って頂けたことがすごく嬉しかったですね。

今回、杉元を演じるにあたって殺気のようなものが出せたらいいなと思っていました。というのも、杉元は日露戦争で“鬼神”と呼ばれるほどの殺しっぷりを見せた男。戦う場面だけでなく、振り向く動作ひとつを取っても“コイツをキレさせたらヤバい”という雰囲気を漂わせたかったんです。アクションシーンでは長物の銃剣を扱うのが初めてだったので、クランクインの前にモデルガンを買って弾の装填などの動作を練習したりも。身体的に大変だったシーンはたくさんありますが、特に印象的だったのは凍った雪道の上を馬に引きずられるシーンかな。普段引きずられることなんてないので、実はワクワクしてました(笑)。どのアクションもかなりハードではあるけれど、そこを乗り越えて自らやるからこそ伝わるものがきっとある。そういう状況の時ほど“死んでたまるか、やってやるぜ!”とやる気がみなぎるマインドは、ある意味杉元に通じる部分なのかもしれません」

●俳優  山﨑賢人

1994年9月7日生まれ、東京都出身。2010年に俳優デビューし、ドラマや映画など数々の話題作に出演。現在公開中の『ゴールデンカムイ』のほか、映画『陰陽師0』(4月19日(金)より全国公開予定)などの作品も控えている。

MAQUIA 3月号

撮影/酒井貴生〈aosora〉 ヘア&メイク/髙橋幸一〈Nestation〉 スタイリスト/伊藤省吾 〈sitor〉 取材・文/真島絵麻里 企画/萩原有紀(MAQUIA)

ジャケット¥418000、シャツ¥126500、パンツ¥220000、ブーツ¥159500、リング¥33000、ブレスレット(黒)¥33000、ブレスレット(シルバー)¥77000/サンローラン クライアントサービス(サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ) 

※本記事掲載商品の価格は、税込み価格で表示しております。

https://news.yahoo.co.jp/articles/05561da1e0e4d9b5a019817d1e638c51ac98257c


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