先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ舞踊体験や十勝開拓・馬文化も紹介 管内でATWS関連事業

2023-09-17 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年9月16日 22:23(9月17日 00:37更新)

ムックリの演奏に挑戦する海外のメディア関係者ら(加藤哲朗撮影)

 体験型観光の国際行事「アドベンチャートラベル・ワールドサミット(ATWS)」の関連事業「ポストサミット」が16日、十勝管内でも行われ、米国やブラジルなどのメディア関係者ら8人がアイヌ民族の古式舞踊や伝統楽器の演奏を体験した。

 ポストサミットはATWS北海道実行委が主催。海外のメディアや旅行会社の関係者を招く事業で、十勝では開拓の歴史や馬文化などを紹介する。訪日客誘致が狙いで、帯広市や大手旅行会社JTB(東京)などがツアー内容を考案した。

 一行は市内にある国指定重要文化財の旧双葉幼稚園舎を見学。帯広のアイヌ民族などでつくる「帯広カムイトウウポポ保存会」のアイヌ古式舞踊も鑑賞し、・・・・・・

(鈴木宇星)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/910373/


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アイヌ古式舞踊や伝統工芸を体験 旭川でふれあいまつり開幕

2023-09-17 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年9月16日 22:15

博物館の裏庭ステージでは、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会による古式舞踊が披露された

 アイヌ民族の古式舞踊や伝統工芸などを体験できるイベント「アイヌ文化ふれあいまつり」が16日、旭川市博物館(神楽3の7)で始まった。博物館の入る大雪クリスタルホール中庭ステージでは旭川チカップニアイヌ民族文化保存会のメンバーが、ユネスコの無形文化遺産に登録されている「アイヌ古式舞踊」を披露し、リズミカルな動きで観客を引きつけた。

 アイヌ文化をより身近に感じてもらおうと2010年から毎年開いている。新型コロナウイルスの影響で20年から集客イベントは中止していたが、今回4年ぶりに開催した。会場内ではアイヌ民族衣装の着付けや工芸品の展示、ホオノキの葉などを煎じたハーブティーが味わえるコーナーなどがあり、来場者は体験を通じてアイヌ文化への理解を深めていた。

・・・・・・  

会期は18日までで、開館時間は午前9時~午後5時。イベントは入場無料(常設展示の鑑賞は有料)。(小林健太郎)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/910369/


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アイヌ文化伝承と発展誓う 白糠でフンペ祭イチャルパ【白糠】

2023-09-17 | アイヌ民族関連

釧路新聞2023年9月17日 日曜日

 【白糠】町のアイヌ民族三大祭りの一つである「第28回フンペ(クジラ)祭イチャルパ」(白糠アイヌ協会主催)が3日、アイヌ文化拠点施設ウレシパチセ(町東3)とパシクル海岸フンペリムセ発祥地碑広場(祭壇)...

この記事は【会員限定】です。

https://kushironews.jp/2023/09/17/455267/


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ウポポイに園内循環バス 園内5カ所を10分で往復、無料【白老】

2023-09-17 | アイヌ民族関連

室蘭民報2023.09.16

ウポポイ内を循環している低速電動バス

 白老町若草町のウポポイ(民族共生象徴空間)で、12日から時速20キロ未満で園内を循環する低速電動バスが運行を開始した。無料で利用でき、園内5カ所のバス停を約10分で往復する。

 ウポポイは東京ドーム2個分の広さがある。これまでも来園者から「移動が大変」という意見が寄せられており、利便性向上のため導入した。

 バスは全長4・96メートル、幅2メートル、高さ2・43メートル。定員は立ち席を含めて22人。車体のアイヌ文様は、平取町二風谷のアイヌ工芸家・関根真紀さんがデザインしている。

 障害を持つ人にも配慮し、後部には車椅子リフターを配備。ウポポイ広報は「さまざまな方が乗車できる。多くの方にウポポイを少しでも便利に楽しんでほしい」と話している。

 運行時間はイベント日や繁忙日を除いた開園日の午前9時半~午後4時半。

https://hokkaido-nl.jp/article/30878


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源義経を慕ったアイヌの女性が後を 追い身を投げ…“女人禁制”の岬と なった神威岬灯台の知られざる絶景

2023-09-17 | アイヌ民族関連

クレア9/16(土) 9:02配信

 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

【画像】神威岩など周辺の海は奇岩も多い。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2020年に『熱源』で第162回直木三十五賞を受賞した川越宗一さんが北海道の神威岬灯台を訪れました。

灯台にある深い思い出

灯台には深い思い出がある。

 といっても、船乗りや灯台勤務をやっていたわけではない。

 時は2019年、たしか2月だった。当時のぼくは北海道やサハリン、南極が舞台になる小説を書いていた。いずれも雪深い地だが、ぼくはずっと比較的温暖な場所に住んでいたから、雪については「白くて冷たい」くらいしか分かっていなかった。そこで遅ればせながらの取材を思い立ち、わざわざ冬を選んで北海道へ取材旅行に出かけた。

 折悪しく、記録的な寒波が北海道を揉みしだいていた。歩道の左右は削られた雪の壁が背丈ほどの高さになっていたり、目的地のひとつだった墓地は除雪が追い付かず立ち入りできなかったりと、なかなか貴重な体験をした。

 旅行の二日めか三日め、道北にある海辺の駅で下車した。窓には花のように美しい結晶が這い、海は凍っていた。寒さでバッテリーがいかれたスマートフォンは電源が勝手に落ちるから、撮りたい写真が撮れずに困った。

 行きたかった先々を訪れたり断念したりしていると夕方になったので、その日の宿を目指して路線バスに乗った。ほかに乗客はおらず、外では雪が激しくなっていた。思わず、スマートフォンを両手で挟んで温めていた。

 下車予定だったバス停に着いたころは日が暮れていて、停留所の標識を照らす明かりは吹きすさぶ濃密な雪にかすんでいた。これ歩けないだろ、と思った瞬間、プシュッとバスの扉が開いた。運転士さんの背は「今日も何事もない」と言わんばかりの落ち着きを見せている。地元の人にとって、これくらいの雪は日常茶飯事なのだろうか。

 おそるおそるバスを降りる。低いエンジン音が遠のいてゆく。ぼくの周囲は雪が街灯に光る白い闇、その向こうは夜の黒い闇である。目指す宿までは歩いて五分もかからぬ距離だが、文字通り手探りで行くには遠すぎる。スマートフォンはいまのところ動作しているから地図アプリを見ればよいかもしれないが、いつまた電源が落ちるか分からない。

 凍死、という言葉を我が身について覚えたのは、初めてだった。今となれば、雪に慣れぬ人間があわてていただけとも思えるが、その時はほんとうに怖かった。

 ふと見上げた。水平方向に救いはない、という諦めだったかもしれない。かといって上方向には天国しかないのだが、などと考える余裕もなく、ともかく見上げた。

 量感を伴った白い光が虚空に明滅していた。いかん走馬灯だ、と思い至るほどにまだ切羽詰まっていなかったが、不思議な現象に思わず見とれてしまった。

「道が分からなければ、灯台を目印にしてください」

 宿の予約時に言われた言葉を思い出した。ぼくは灯台の光を目指して道を埋める新雪を踏み、幸いにも元気だったスマートフォンで位置と方向を確かめながら、なんとか宿にたどり着いた。

 かくてぼくは生還し、小説も無事に書き上げることができた。うまく書けたかは心許ないが、最後まで書けたのは北海道の雪に学ばせていただいたおかげだし、書くための命は灯台の光がくれたようなものだ。

 それから数年が経った。以上の思い出は関係ないはずだが、くだんの小説のおかげか、ぼくはリレー紀行「『灯台』を読む」に北海道担当として参加させていただくこととなった。

レンズ、北の地へ還る

 6月下旬、ぼくが住んでいる京都市は晴れていれば気温30度超えの真夏日、そうでなくても蒸し暑い日が続いていた。

 久しぶりの飛行機で降り立った新千歳空港は、涼しくて気持ちよかった。札幌で一泊した翌朝は、ありがたいことに快晴。担当編集者、カメラマン氏と合流し、灯台を巡る旅は始まった。

 最初の目的地は神威岬灯台。日本海を望む積丹半島から突き出た岬の先端にある。札幌からはカメラマン氏がハンドルを握る車でだいたい西へ、二時間ちょっとである。

 ちなみに積丹半島の海岸のほとんどは、国定公園になっている。青く澄み渡った海、寄せる波が作った崖や奇岩、海岸からすぐ立ち上がる優美な山。独特の景観が楽しく、車中はちっとも退屈しなかった。

 神威岬の根元あたりでぐるりと湾曲する坂を上れば、広々とした駐車場とレストハウス「カムイ番屋」がある。ここから伸びる遊歩道を行けば神威岬灯台に至る。

 まずカムイ番屋に入った。一階のお土産屋と食堂を眺めながら階段を上がる。灯台にまつわる展示があるという二階に至ったところで、ウワッと声を上げてしまった。

 ほのかに青緑色を帯びたガラスの輪を、細い金属の骨で見上げる高さまで積み上げた巨大な構造物が、そこにあった。輪は上に行くほど小さくなり、全体は釣り鐘に似た形を成している(「釣り鐘」の言葉は説明書きから取ったが、ぼく自身はアポロ宇宙船を想起した)。レトロともSFチックとも言える不思議な佇まいだった。

 構造物は第一等不動レンズと呼ばれている。凸レンズをばらばらにして薄く組み直したフレネルレンズがあり、その上下をプリズムで挟み、左右に引き伸ばして円柱の形に作っている。ようするに全周がレンズという代物だ。等級は厳密にいえば焦点距離を、おおまかには大きさを表し、第一等は最も大きい。展示されている不動レンズは高さ3.05メートル、直径1.85メートル。灯器が入っていたというレンズの中は、椅子と小振りな机を置いて原稿が書けそうなくらいの空間がある。こんな興趣あふれる部屋では気が散って原稿どころではないだろうけど。

 この不動レンズは、生まれて百五十年近くの長い歳月を経ている。フランスで製造され、明治9年(1876)ごろに宮城県の金華山灯台で使われた。大正12年(1923)に神威岬灯台の二代目レンズとして移設され、昭和35年(1960)の灯台建て替え後は、遠く大阪のレジャー施設「みさき公園」に運ばれ、展示されていた。時の流れでみさき公園は運営会社が撤退していったん閉園の運びとなり、レンズは落ち着く場所を失う。これを知った地元の人々が運動して去年、約60年ぶりに神威岬に帰ってきた。長い時間を歩んだ不動レンズは、遺すべき貴重な産業遺産と言えよう。

 しばしレンズに見惚れたあと、(なんと)積丹町の町長から灯台についていろいろご説明をいただいた。伺った内容はとても興味ぶかかったが、「灯台は町の誇りです」という言葉がとくに印象的だった。レンズの里帰りも、誇りを取り戻すための運動だったのかもしれない。

伝承と歴史が彩る岬

 神威岬には、ひとつの伝承がある。

 昔むかし、奥州にいた源義経は蝦夷地へ逃れ、神威岬から大陸へ渡った。義経を慕っていたアイヌの女性チャレンカは後を追うが、一行はもう出発していた。チャレンカは悲嘆に暮れ、「婦女を乗せてこの岬を過ぎる船はみな沈む」と言い残して岬から身を投げた。

 時は下って江戸時代。蝦夷地を任されていた松前藩は、神威岬から東への女性の通行を禁じた。理由は不明だが、チャレンカの伝承を利用して統治しにくい遠隔地への和人の定住を防いだのでは、という推測もある。岬そのものも神罰を恐れて女人禁制の地となっていた。

 そして幕末、ペリー提督の来航を受けた江戸幕府は国防のため蝦夷地を直轄化し、また神威岬以遠の女性渡航を解禁した。妻を連れて赴任する幕府の役人は、船上から「主君の命で通るのに、どうして神罰を受けねばならないか」という言葉と一発の銃弾を放って、岬の沖を通過したという。

 近代という時代は、それ以前の感覚を「迷信」と呼んで切り捨ててゆく過程でもあった。近代とて優生思想や人種主義などの新たな迷信を生んだが、それはさておく。伝承が生まれ、その伝承が統治に利用され、のちに打ち砕かれ、やがて近代的な灯台が建てられたという神威岬の経緯には、人類史の要点が詰め込まれているような気がした。

 さて、現在の神威岬は、灯台へ続く遊歩道「チャレンカの小道」が整備されている。その入り口には「女人禁制の地」と書かれた鳥居型の門がある。

 門の手前、遊歩道を見渡せる場所で、ぼくはつい立ちすくんでしまった。

 空も海も、澄んで青い。岬は海からこんもり盛りあがり、夏草と小さな花に覆われながら長く伸び、ところどころで削り取ったように岩肌を剥きだしにしている。眺めるだけなら、手を叩いて称賛したくなるほど良い景色である。

 ただし、行くとなると話が変わる。遊歩道は岬の尾根を通っていて、けっこう起伏が大きい。左右は急斜面か崖で、大小の岩がごろごろ転がる海岸まで急な角度で落ち込んでいる。怖い、怖くないの二つに世界を分ければ、これからの道は確実に「怖い」に入る。

 案内してくれる海上保安庁の柴山さんと並んで、こわごわ遊歩道に足を踏み入れる。強い風に揺さぶられ、足元がおぼつかない。

「神威岬も含めて、いまの灯台はほとんど無人です」

 柴山さんがにこやかに説明してくれる。

「ときおり点検で人をやるくらいですが、だいたいの灯台は道が険しいか船で行くような場所にありますから、天候が荒れたときは点検を延期します」

「きょうもけっこう風が強いですよね」

 ぼくはつい抗議めいた口調になってしまった。歩きにくい道で必死になっているぼくをからかうように、その日の風はぼくの身体を揺さぶっていた。

「これくらいの風で休んでたら、商売になりません」

 柴山さんの笑い皺には、長かったという船上勤務で鍛えられた迫力のようなものがあった。ただ、ほんとうに危険なほどの強風であれば遊歩道が閉鎖されるから、たんにぼくが関西弁でいうヘタレだっただけであろう。じっさい、前後では観光のかたがたが悠々と歩いていた。

 やっとたどり着いた神威岬灯台は、白く高い塔というイメージとは違う三階建てくらいの小振りな建物だった。一階は設備類があり、首のような短い灯塔があり、ガラス張りの灯室が載っかっている。いただいたメモによると、地面から灯台のてっぺんまでは12メートルに過ぎない。

「では、どうぞ」

 柴山さんはこともなげに一階の扉を開ける。ふつうなら入れない場所に入れるということだ。ぼくはふだん「自分が書いているものが小説かどうか、よくわかっていません」などとコマシャクレたことを言っているのだが、このときばかりは「小説家になってよかった」と図々しい感慨を覚えた。

 短い階段を使い、灯室に出る。金属製の土台があり、見上げるくらいの高さに灯器が載っかっている。

 灯器は、丸窓がついただけの簡素な四角い箱だった。大人なら両腕で抱き込める程度の大きさだ。事前に巨大な第一等不動レンズを見ていたので、つい拍子抜けしてしまった。

 だが、この素っ気ない金属の箱は17万カンデラの光を放つ。ろうそく1本のあかりがだいたい1カンデラらしいから、すさまじい。前述したとおり灯台そのものも小振りなのだが、小高い岬の上にあるから平均水面からは82メートルの高さがある。光が届く距離は21海里、約39キロメートル。もし皇居の大手門に同じ高さと光度の灯台があれば、その光は横浜、千葉、川越あたりまでカバーする。

 柴山さんの説明を聞きながらふと目を落とすと、台の陰にガラスクルーの缶が2本あった。ホームセンターなどでよく見るガラス磨き洗剤だ。灯台の能力に圧倒されていたぼくは、異国で旧友に会ったような親近感を覚えた。

 灯室の隅にある小さな扉から、這うように外に出た。風と陽光に一瞬ひるみ、こわごわ背を伸ばして手摺に手をかける。その美しさから「積丹ブルー」と呼ばれる紺碧の海が一望できた。ため息が出るほどの絶景だった。

海を守り、人に支えられ

 日本に灯台が建てられた時代、気象や明暗を検知するセンサーなどなかった。機械の信頼性もいまよりずっと低い。また灯台はたいてい、通勤できない僻地にある。

 だから昔の灯台には「灯台守」と通称される職員がいて、家族と職場に住み込んでいた。戦前はおおむね逓信省、戦後は海上保安庁に属する。戦前から戦後にかけて勤務した灯台守を主人公にした映画「喜びも悲しみも幾歳月」は、時代に合わせて変わる制服も見どころのひとつだが、そこを見ているのはぼくだけかもしれない。

 さておき、神威岬灯台には当初3名、のち5名の灯台守がいた。彼らは家族に支えられながら、交代で機械をメンテナンスし、定時で気象データを記録し、日が暮れれば光を灯し、行き交う船の目印を守っていた。

 必要な物資は船から補給されるが、それだけでは足りない。生鮮食品は釣りや自家栽培で補い、日用品は4キロ離れた余別まで買い出しに行く。今と違って遊歩道はなく、険しい尾根や波に洗われる海岸を行き来していたという。雪に閉ざされる冬は苦労も並大抵ではなかったし、誰かが病気をしたところで、医者を呼ぶにも連れていくにも一仕事だった。

 大正元年、買い出しのため海岸を歩いていた灯台守の妻子3人が、大波にさらわれて亡くなる事故があった。現代の感覚なら仕事に家族を巻き込むなど論外とも思えるが、国家や職務に対する意識が全く違う時代だったことは留意しておきたい。変わらぬのは人情だから、家族を失う辛さは痛みを覚えるほど想像できる。神威岬灯台では、無人化される昭和35年までに87名の灯台守が勤務し、その家族が住んでいた。

「私にはとても灯台守などできませんな」

 海上保安庁の柴山さんは、そう言った。命懸けで職務に当たった先輩諸氏への敬意と、その後輩であるという自負がひっくり返ったのか、照れたような笑顔を浮かべておられた。

 ところで、灯台守の家族が波にさらわれた先述の事故のあと、事故を悼んだ地元の人々は、足掛け五年もの歳月をかけて波から身を守るトンネルを掘った。また時は無人化以降にくだるが、灯台守の暮らしを支えた漁師と元郵便局員が名誉灯台長に任命された。

 灯台守と家族は海を守り、守られた海に生きる地元の人々は灯台守と家族を支える。そんな関係と、それゆえに生まれたエピソードの数々が、町長のおっしゃった「町の誇り」という感覚になっているのだろう。

神威岬灯台

所在地 北海道積丹郡積丹町

アクセス JR余市駅前から北海道中央バス神威岬行きで1時間33分、終点下車

灯台の高さ 12

灯りの高さ※ 82

初点灯 明治21年

※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。

海と灯台プロジェクト

「灯台」を中心に地域の海と記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。

11月1日から「海と灯台ウィーク」を開催! 

「海と灯台プロジェクト」では、灯台記念日の11月1日(水)から8日(水)までを「海と灯台ウィーク」と設定。期間中、海上保安庁や全国57市町村の「海と灯台のまち」、さらに灯台利活用に取組む企業・団体と連携し、灯台参観イベントやオリジナル缶バッジプレゼント、コラボ商品の販売など、様々なキャンペーンを実施します。連載に登場した灯台の中にもイベントを開催するところがあるので、この機会にぜひ訪ねてみてください。

川越宗一

https://news.yahoo.co.jp/articles/457551e02dc1c246c9c535387848e6188f0e3696


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アイヌ文化と サケのイベント ウポポイで 23日まで  白老

2023-09-17 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2023/9/16配信

 アイヌ民族文化財団は16~23日、アイヌ文化とサケに関するイベント「カムイチェプ 受け継がれたサケ漁」を白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)で開催する。サケ漁具の製作実演やサケ皮を使った工作体験、屋外ステージでの歌や踊り、講演などを行う。…

この続き:509文字

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https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/117964/


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「アイヌ神謡集これからの100年⑤」 景色のいいあの学校

2023-09-17 | アイヌ民族関連

室蘭民報2023/09/16 20:00登別

登別小、憧れ抱いた幸恵  登別川の向かいにある登別小学校...

ここから先の閲覧は有料です。

https://www.muromin.jp/news.php?id=93716


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韓国語で観光PR動画 釧路短大生が制作

2023-09-17 | アイヌ民族関連

釧路新聞9/16(土) 9:00配信

動画を制作した中島さん、岩田さん、桶屋さん、菊池さん(左から)

 北海道の釧路短期大学の学生がこのほど、韓国人観光客の誘致を図る釧路の観光PR動画を制作した。学生が企画から取材、編集まですべてこなした作品。今後、さらに磨き上げてユーチューブへの投稿を目指すとともに、続編の制作も進める考え。

 制作したのは中島彩也香さん、岩田菜々実さん、桶屋ひなたさん、菊池梨華さんの2年生4人。メディア学を専門とする庄司清彦教授の授業の一環で取り組んだ。韓国人観光客向けにしたのは、中島さんが韓国語が堪能で、旧友も韓国に興味があることから設定した。

 観光PR動画は、学生が釧路市の歓楽街末広の炉端ののれんをくぐり、地元の旬の魚介類を堪能するという内容。時間は2分間で、字幕は韓国語で表記している。今回の動画を卒業までにユーチューブを通じて発表したいという中島さんは「動画制作を始めて、釧路について興味を持つようになった。釧路ラーメンも紹介したい」と協力を求めている。

 庄司教授によると、授業では別のグループが、阿寒湖温泉のアイヌ文化をテーマにした動画を制作している。「釧路のことを地元の学生が考えるきっかけに

 なっている。みずみずしい感性で、新たなものを作り出してほしい」と話している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a015cf133ee228699f5f1b529fd8c996e448765


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【北海道 2023年版】 秋の絶景・風物詩10選 国内最速の紅葉地、道内最高峰の名山

2023-09-17 | アイヌ民族関連

クレア9/16(土) 9:02

暑い夏が過ぎ、心地いい季節。旅をしたい気持ちが高まってきました。

 紅葉や秋祭り、収穫のよろこびなど、日本にはたくさんの美しい秋の絶景・風物詩があります。自粛中に、そんな日本の魅力に気付いた人も多いかもしれません。

【画像】【北海道】秋の絶景・風物詩10選の画像を一気見!

 「いつか」ではなく、今度の旅行の参考に。私たちを待っている秋ならではの豊かな景色をお楽しみください! 

◆旭岳

 大雪山連峰の主峰「旭岳」は標高2,291メートルの山に自生し、北海道の最高峰かつ日本百名山のひとつ。山中には高山植物が豊富で、「天女ヶ原湿原」や「姿見の池」周辺が高山植物の群生が見られる人気観賞スポットだ。

 日本で最も早く紅葉が訪れる場所のひとつで、9月中旬ごろになると壮大な山が鮮やかな色に染まり、大スケールの絶景に。この時期には、一足早く紅葉を楽しもうと多くの観光客が訪れる。

 また、この景色を堪能するならロープウェイもおすすめ。空中散歩を楽しみながら、錦に染まる名山を見下ろすことができる。

見ごろの時期:9月中旬~下旬ごろ

旭岳(あさひだけ)

所在地 北海道上川郡東川町旭岳温泉

◆定山渓温泉

 「定山渓温泉」は、札幌市街から車で1時間弱で行けるアクセス良好な温泉街。150年以上の歴史を誇る街で、近年はおしゃれなカフェが続々と誕生し、観光客だけでなく地元の人々からも注目を集めている。

 温泉街周辺には豊かな自然が広がっており、四季折々の景色が楽しめる景勝地としても有名。10月中旬ごろには、赤や黄色に染まる渓谷美を堪能できる。

 紅葉は、温泉街や散策路、露天風呂などさまざまな場所から望めるが、特に豊平川に架かる真っ赤な「二見吊橋」が絶好のフォトスポットだ。

見ごろの時期:10月ごろ。特に10月中旬ごろがピーク。

定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)

所在地 北海道札幌市南区定山渓温泉東3丁目

◆オンネトー

 「オンネトー」は、「阿寒摩周国立公園」の最西端に位置する湖。アイヌの言葉で「年老いた沼」「大きな沼」を意味し、季節や天候、見る角度によって、ダークブルーやエメラルドグリーン、澄んだ青色に見えることから、神秘の湖とも呼ばれている。

 9月下旬ごろになると、アカエゾマツやナナカマドなどの湖畔の木々が色づき始め、湖面が水鏡となり紅葉を映す美しい光景に。

 湖周辺に整備された遊歩道ではどの場所からでも紅葉を眺められ、散策しながら神秘の世界を存分に味わえそうだ。

見ごろの時期:10月上旬~中旬ごろ

オンネトー(おんねとー)

所在地 北海道足寄郡足寄町茂足寄

◆黄金岬海浜公園

 「黄金岬海浜公園」は、夕陽の名所「黄金岬」一帯に整備された公園。黄金岬から眺める夕陽は「日本一の落陽」と評されており、「日本の夕陽百選」にも選ばれている。

 かつて、ここではニシン漁が盛んに行われており、産卵期に大群で押し寄せるニシンが夕陽を浴びて黄金色に輝いて見えたことから、黄金岬と呼ばれるようになったそう。

 イソガニ釣りや黄金岬キャンプ場が開設される夏の人気シーズンは、ファミリーやグループ客などで賑わうが、閑散期の秋は夕陽の観賞におすすめだ。

黄金岬海浜公園(おうごんみさきかいひんこうえん)

所在地 北海道留萌市大町2丁目

◆大沼国定公園

 大沼国定公園は、北海道南西部の渡島(おしま)半島に位置する総面積約908ヘクタールの国定公園。園内には活火山である駒ケ岳や、噴火によってできた大沼・小沼・じゅんさい沼の3つの湖沼、沼に浮かぶ126の島があり、この島々を結ぶ橋を散策しながら大自然を満喫できる。

 駒ケ岳と湖沼の織りなす光景が美しく、例年10月中旬から下旬頃に紅葉が見ごろを迎えると、一層鮮やかな景色に。

 散策路をゆっくりと歩きながら、紅葉を楽しむのがおすすめだ。

見ごろの時期:例年10月中旬から下旬

大沼国定公園(おおぬまこくていこうえん)

所在地 北海道亀田郡七飯町大沼町

◆有珠山ロープウェイ「Mt.USUテラス」

 「Mt.USUテラス」は、2021年、有珠山ロープウェイの山頂展望台にグランドオープンした、開放感たっぷりの展望テラス。

 太古からの大地の変動が刻まれた壮大なジオパーク洞爺湖・有珠山周辺の眺望は、絶景だらけ。「Mt.USUテラス」では眼下に洞爺湖が一望でき、ソファやカフェでのんびりと絶景を眺められる。

 秋には一面が紅葉に染まり、より美しさを増した絶景を訪ねよう。

見ごろの時期:10月中旬から下旬

有珠山ロープウェイ「Mt.USUテラス」(うすざんロープウェイ「マウントウステラス」)

所在地 北海道有珠郡壮瞥町字昭和新山184-5

◆白金青い池

 美瑛町の白金温泉近くにある「白金青い池」は、水面が青く見える不思議な池。

 立ち枯れたカラマツとブルーの水面が幻想的な、人気の観光スポットだ。

 実は、例年9月下旬から10月上旬の紅葉シーズンは青い池を訪れるのにおすすめの季節。水辺の木々の葉が赤や黄色の秋色に染まり、鮮やかな紅葉と池の青のコントラストはこの季節だけの景色だ。

白金青い池(しろがねあおいいけ)

所在地 北海道上川郡美瑛町白金

◆三国峠の紅葉

 三国峠は、上川町と上士幌町の境にある国道273号線の峠。紅葉の見ごろを迎える9月下旬から10月上旬には、眼下に広がるカラフルな大樹海と山岳美を楽しむことができる。

 橋の下には吸い込まれそうなほど深い谷が広がり、目の前には一本道だけ。そんな幻想的な風景が広がる、北海道の国道のなかで最も標高の高い峠が三国峠だ。

 どこまでも空が広がる幻想的な風景のなかをドライブすると、樹海とともに松見大橋が織り成す眺めが美しく、大自然の中に引かれた一本の赤い道は、まるで絵画のよう。ドライブ好きなら、一度は走ってみたい絶景ルート。

三国峠の紅葉(みくにとうげのこうよう)

所在地 北海道河東郡上士幌町字三股番外地

◆能取湖

 湖畔を赤く染めるサンゴ草は、能取湖の秋の風物詩。能取湖はオホーツク海に通じる汽水湖で、湖畔の南岸・卯原内にはサンゴ草の群生が広がる。

 深紅のじゅうたんのような秋の絶景で、見ごろは9月の中旬頃。

 能取湖は日本一の広さを誇るサンゴ草の群生地で、木製の遊歩道が設置され、一面に広がるサンゴ草の中ほどまで歩くことが可能だ。

能取湖(のとろこ)

所在地 北海道網走市卯原内60-3

◆福原山荘

 福原山荘は十勝地方でも人気の紅葉スポット。8万5000平方メートルの敷地内には300本のモミジが植えられ、秋になると一斉に色づき、すばらしい紅葉の風景が見られる。

 実は、ここは十勝地方に店舗を展開しているスーパー「フクハラ」の創業者である福原治平氏の別荘の敷地。

 9月中旬から10月中旬の約1カ月の間、紅葉シーズン限定で一般に特別公開をしている秋の絶景を見に出かけよう。

公開時期:2023年9月16日(土)~10月22日(日)

福原山荘(ふくはらさんそう)

所在地 北海道河東郡鹿追町北瓜幕 鹿追自然ランド向かい

※記載されている「見ごろ」は例年のものです。気候等により変動する場合がございます。

※施設の休業、イベントの中止・延期の可能性がございます。事前にご確認ください。

佐藤由樹

https://news.yahoo.co.jp/articles/ce80bd7233b7d17fcc78ef38eb2ff7337fc6eb5b


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アボリジニのロックアートに「インドネシアの戦闘艇」が描かれていたという研究結果

2023-09-17 | 先住民族関連

ギガザイン2023年09月16日 09時00分

オーストラリア大陸は地理的に他の大陸から遠く離れており、先住民族であるアボリジニの人々はヨーロッパ人が17世紀にオーストラリア大陸を発見し、18世紀後半に入植するまで他の文化圏と隔絶されていたと考えられがちです。ところが、近年ではインドネシアの一部地域は独自にアボリジニと接触していたことがわかっており、アボリジニのロックアートに「インドネシアの戦闘艇」が描かれていたという研究結果も報告されています。
Moluccan Fighting Craft on Australian Shores: Contact Rock Art from Awunbarna, Arnhem Land | Historical Archaeology
https://link.springer.com/article/10.1007/s41636-023-00390-7

Archaeologists identify Moluccan boats on NT rock art drawings – News
https://news.flinders.edu.au/blog/2023/05/30/archaeologists-identify-moluccan-boats-on-nt-rock-art-drawings/
Archaeologists say Moluccan boats depicted in Arnhem Land rock art, solving mystery - ABC News
https://www.abc.net.au/news/2023-05-28/nt-moluccan-boat-arnhem-land-rock-art/102400042
Mysterious rock art painted by Aboriginal people depicts Indonesian warships, study suggests | Live Science
https://www.livescience.com/archaeology/mysterious-rock-art-painted-by-aboriginal-people-depicts-indonesian-warships-study-suggests
オーストラリア北部のアーネムランドにあるアボリジニの聖地・アウンブルナは、アボリジニのロックアートや樹皮画が多数発見されていることで知られています。アボリジニが描いたロックアートには魚やカンガルーといった動物のほか、19世紀~20世紀頃のヨーロッパの船や銃、アルファベットなども描かれており、ヨーロッパ人が入植したことの影響がみられます。
1970年代、そんなアーネムランドのロックアートの中に、「西洋のものではないとみられる船舶」があることが発見されました。1998年に描き写された2つの絵のスケッチが以下。

そのうちの1つは写真にも収められています。

以前から、オーストラリア北部に住んでいたアボリジニが、インドネシア・スラウェシ島の南部に位置するマカッサルの人々と接触していたことは知られていました。しかし、今回調査された船の絵にみられる独特の形状は、これまでにアボリジニのロックアートで確認されているマカッサルの漁船や貿易船とは異なるものだったとのこと。
また、今回の絵には「三角形の旗・ペナント・船首の装飾品」といった、戦闘用の船にみられる特徴があると研究チームは指摘。船舶の形状などから、これらの船はスラウェシ島の東、オーストラリアの北に位置する「モルッカ諸島の戦闘艇」であると結論付けました。
以下の写真は、1924年に撮影されたモルッカの戦闘艇の写真です。アーネムランドのロックアートに見られる船舶と、船首にある装飾品がよく似ているのがわかります。

オーストラリアのフリンダース大学で考古学の上級講師を務めるダリル・ウェズリー氏は、「これら2つの船は、オーストラリア北部の交流圏に新たな次元を加えるものです。オーストラリアは人里離れた場所にあり、6万5000年もの間どこからも切り離されていた土地というわけではないのです」と述べています。
ウェズリー氏は「これらの船はペナントや旗などの装飾が施された戦闘艇であり、通常の貿易船や漁船とは一線を画しています。これは、アーネムランドのロックアートに見られる他のマカッサンの船に対する私たちの理解とは、まったく異なるものです」とコメント。こうした戦闘艇がオーストラリア北部を訪れていたということは、モルッカ諸島の人々からアボリジニに対して何らかの襲撃や身体的暴力、あるいは権力の行使があった可能性を示唆しているとのこと。

また、アボリジニが描いたロックアートはかなり詳細に特徴を捉えていることから、描いた人物はモルッカの戦闘艇を遠目に見ただけでなく、間近でじっくり見て細部まで正しく理解していたと考えられています。研究チームは、実際に戦闘艇がアーネムランドの海岸線を訪れたか、あるいはアーネムランドのアボリジニがモルッカ諸島に行き、そこから戻ってきて絵を描いた可能性があると主張しました。
研究チームによると、17世紀半ばにモルッカ諸島を訪れたオランダ人探検家は、モルッカ諸島の人々がナマコなどの海産物を捕獲するため、オーストラリア北部まで定期的に航海していると報告したとのこと。論文の筆頭著者であり、フリンダース大学の海洋考古学者であるミック・デ・ロイター准教授は、「これらのモチーフは、インドネシアからオーストラリアの海岸線への散発的あるいは偶発的な航海が、定期的なナマコ漁の前あるいはそれと並行して行われたという考えを裏付けています」と述べました。

https://gigazine.net/news/20230916-moluccan-fighting-craft-aboriginal-rock-art/


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台湾フェス、グルメや雑貨80ブランド集結 東京・上野で17日まで

2023-09-17 | 先住民族関連

毎日新聞9/16(土) 19:22配信

台湾文化フェスティバル「TAIWAN PLUS 2023 台日一緒に」の開幕式で、パフォーマンスを披露する先住民アミ族のバンド「アミス カケン楽団」=東京都台東区の上野公園で2023年9月16日、鈴木玲子撮影

 躍動する台湾文化の今を伝える日本最大級の台湾文化フェスティバル「TAIWAN PLUS 2023 台日一緒に」が16日、東京都台東区の上野公園で開幕した。会場には台湾のグルメや雑貨など約80のブランドが集結。ステージでは人気アーティストたちが個性的なパフォーマンスを披露して会場を盛り上げた。近年の台湾ブームを背景に最新の台湾文化に触れる機会を求めて、初日から多くの人が訪れた。開催は17日まで。

【写真特集】グルメや雑貨80ブランドが集結した台湾フェス

 このイベントは台湾の非政府組織「中華文化総会」の主催で、日台交流の促進を目指して2018年に始まった。当初は東京オリンピック開催予定の20年まで3年連続で実施される予定だったが、新型コロナウイルスの影響で20年以降は中止になった。22年に3年ぶりに開催され、2日間で延べ約20万人が来場した。今回で4回目となる。

 開幕式では、3人組の人気ロックバンド「宇宙人(Cosmos People)」が登場し、軽快な音楽で開幕を華やかに彩った。また、先住民アミ族のバンド「アミス カケン楽団」も出演。民族衣装を身にまとい、伸びやかな歌声と打楽器による美しい演奏を会場に響かせた。同総会の鄭麗君副会長は「このイベントが台日友好の重要なシンボルとなることを願っている」とあいさつした。

 会場には、おしゃれな文具や先住民のバッグなどの商品が並んだほか、夜市などで見られる輪投げなど昔ながらの遊びを楽しめるコーナーもあった。

 漁業が盛んな台東県成功鎮のブースでは、漁網の糸で作ったブレスレットやバッグなどを販売していた。地元団体「迦南楽活全人発展協会」の郭亜民理事長は「使えなくなった漁網などを再利用することで、地元ではリサイクルや環境保護に対する意識が高まっている」と話す。

 別のブースで、腕に美しい文様を描いてもらった冨岡亜紀子さん=埼玉県川口市=は「きれいなので、ずっと残しておきたいぐらい。また台湾に旅行に行きたい」と喜んでいた。【鈴木玲子】

https://news.yahoo.co.jp/articles/9999d2acc9832acd4cf3a6c33d0a64e3adb82868


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マーティン・スコセッシ監督、「お気に入り映画ベストテン」に反対

2023-09-17 | 先住民族関連

映画.com2023年9月16日 18:30

マーティン・スコセッシ

Photo by Rocco Spaziani/Archivio Spaziani/Mondadori Portfolio via Getty Images

巨匠マーティン・スコセッシ監督が、「お気に入り映画ベストテン」に反対の考えを表明した。

新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(原題)」の公開を控えるスコセッシ監督は、米タイム誌の動画インタビューに登場。お気に入り映画ベストテンを尋ねられると、「私は常に『ベストテン』のリスト作成に反対なんだ」と返答。「長年、個人的にお気に入り映画のリストを作ろうとしてきた。そのうちに『お気に入り』という言葉にはさまざまなレベルがあることがわかった。最も感銘を受けた映画、見続けるのが好きな映画、見るたびに学ぶことができる映画、新たな経験ができる映画……。つまり、さまざまな『お気に入り』があるんだ」

そう前置きした上で、影響を受けた作品としてオーソン・ウェルズスタンリー・キューブリックロベルト・ロッセリーニの監督作品をそれぞれ複数挙げたあとで、「河」(ジャン・ルノワール監督)、「雨月物語」(溝口健二監督)、「天国と地獄」(黒澤明監督)、「赤い靴」(マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガー監督)、「山猫」(ルキノ・ビスコンティ監督)、「灰とダイヤモンド」(アンジェイ・ワイダ監督)を挙げており、結果的には個人的なベストテンを発表した格好。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(原題)」は、1920年代の米オクラホマ州を舞台に、裕福な先住民オセージ族とその関係者が次々と不審死する石油利権と人種差別が絡みあうストーリー。原作はデビッド・グランの2017年に刊行された犯罪ノンフィクション「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」(早川書房・刊)で、「フォレスト・ガンプ 一期一会」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」で知られるエリック・ロスが脚色。スコセッシ監督と6度目のタッグとなるレオナルド・ディカプリオが主演を務めている。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(原題)」は10月20日に全米公開されたのち、Apple TV+で配信される予定だ。

(映画.com速報)

https://eiga.com/news/20230916/13/


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玉城デニー沖縄県知事、18日から国連人権理事会出席へ 日本政府批判に懸念の声も

2023-09-17 | ウチナー・沖縄

産経新聞2023年9月16日 16時37分

沖縄県の玉城デニー知事がスイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会に18日から出席し、米軍基地問題などを巡り政府方針と異なる声明を発表する。

 玉城氏は「基地問題は人権や民主主義の普遍的な問題」とし、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画への反対も訴える方針だ。だが、国内で解決すべき問題に外国勢力の介入を招くような言動には疑問の声も上がっている。

「基地集中は不条理」

「沖縄に基地が集中する状況がいかに不条理で不平等であるか、幅広く訴えることは重要だ」

8日に開かれた記者会見。玉城氏はこう述べ、国連出席の意義を強調した。

基地問題は国の安全保障にかかわる問題だ。会見では「なぜ国連で訴えるのか」との質問も出たが、玉城氏は「県の認識を国際社会に伝えるうえで重要な機会になる」と述べた。

県によると、玉城氏は国連人権理の本会議場で開催される「国際秩序」(18日)と「有害物質及び廃棄物」(19日)の各会議と、21日の一般討論に出席し、それぞれ1分半のスピーチを行う。

内容は異なるが、いずれも普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する主張を盛り込む方針という。

前知事も反基地演説

沖縄県知事が国連人権理に出席し、発言するのは2回目。2015年には翁長雄志前知事が辺野古移設反対を訴え、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている。自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるだろうか」とスピーチした。

国連の理事会や委員会には各国のNGOが意見表明する会議があり、日本の一部NGOの主張に基づいて過去に複数回、沖縄県民を抑圧された「先住民族」と認めて保護するよう日本政府に勧告が出され、政府がその都度反論している。

関係者によれば玉城氏は今回、そうしたNGOの協力を受け、発言枠を譲り受ける形でスピーチするという。

「国内で議論を」

辺野古移設を巡っては4日に県の主張を退ける最高裁判決が出されたばかりだ。こうした中、玉城氏が国連人権理で政府方針と異なる発言をすることに、県内では賛否の声が聞かれた。

移設反対の「オール沖縄」や共産党などの県議らは17日に出発する玉城氏の壮行会を開くことにしており、関係者は「知事選や県民投票で示された辺野古反対の『民意』を踏みにじる国側に問題がある。司法も国にべったりである以上、広く国際社会に訴えるのは当然だ」と話す。

一方、自民党県連は6日、玉城氏に対し「国内法秩序をないがしろにしかねない言動は厳に慎むように」と申し入れた。県連幹部は「移設計画をめぐる県民の意見はさまざまで、国内で議論すべき問題だ。国際社会に無用な誤解を与えてはならない」と話した。(川瀬弘至)

https://news.livedoor.com/article/detail/25000830/


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万博で「いのちの輝き」を体感 現代人が失った五感をハイテクで増幅

2023-09-17 | 先住民族関連

産経新聞9/16(土) 21:00

私は子供の頃、宇宙開発や飛行機の開発に憧れていました。1970年の大阪万博は、そんな少年時代の自分にとって夢と衝撃に満ちあふれた体験でした。当時11歳。もしあの時、万博に連れて行ってもらわなかったら。私は今の創作活動に就いてはいなかったとさえ思います。その後もSFやロボット、最新のテクノロジーなどにのめり込み、新たな発見や創作の手がかりを求めて世界中を旅したり、創作活動を続けたりしていきました。

そして86年のある日、中国の奥地の村で衝撃的な出会いをしました。テレビも電気もない村の子供たちの瞳はいまだかつて見たことのない輝きを放っていたのです。それは人類の子供たちが〝いきもの〟だったのだとはじめて実感した瞬間でもありました。

今まで自分は最先端のテクノロジーを追いかけるばかりで、世界の半分を見落としていたのではないのか? そんな感情に突き動かされ、その後は進んだテクノロジーに頼らずに、何万年も何億年も、いのちをつないでいる先住民族や、野生動物たちの元へと赴きました。彼らが持つ野生の輝きと、最先端テクノロジーが共存できる未来のビジョンを夢見て。

それから三十数年後。2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーのお話をいただいた時に真っ先に思い浮かんだのは、テレビや電気のないところの子供たちの瞳の輝きや、激しくも美しい野生動物たちのいのちの輝きでした。万博のメインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ですが、実はいのちはいつでも、今も輝いていて、ただそれを感じるチカラが現代人の多くは衰えてしまっているのではないのか?

それが世界各地の少数民族や先住民、野生動物や多種多様な生態系の元を訪ねて得た私の実感です。進んだテクノロジーに頼ることのできなかった彼らは、その代わりに五感やさまざまな微細な感覚を発達させ、その豊かな感受性によって危険を察知したり、安全な食べ物を見つけたり、生態系の流れや営みとひとつながりになったりして、いのちの輝きを実感していたのではないかと思うのです。

そこで、もし先住民族や野生動物たちが持っている豊かな感受性を、最先端テクノロジーのチカラを借りてさらに増幅し、体感的に伝えることができたら、いのちの輝きを感じる全く新しいエンターテインメントが生み出せるのではないのか?

それが、今回の私やスタッフたちの挑戦です。拡張された感覚で、今、この宇宙•海洋・大地に広がるいのちを見たら、いったい何を感じるのか? 大阪・関西万博で、ご体感いただけると幸いです。(大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー 河森正治

かわもり・しょうじ アニメーション監督、企画、原作、脚本、映像・舞台演出、メカニックデザインなどを手がけるビジョンクリエーター。慶応大在学中、テレビアニメ『超時空要塞マクロス』に原作者の一人として携わり、そこに登場する三段変形メカ『バルキリー』のデザインも担当。23歳の若さで『マクロス』の劇場作品監督に抜擢される。代表作に『マクロス』シリーズ、『アクエリオン』シリーズなど。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b205494019dcd9c5a95a0a0d9c3fefb18616815d


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