武装ジャパン2023/09/13
「なんもなんも!」
と、おおらかにコトを受け止めてくれて、食べきれないほどの料理でもてなしてくれる――。
広大な大地のような道産子たちでも、道民以外に口を出されると、真剣な眼差しで反論する話題があります。
ヒグマです。
「かわいそうだから殺処分しないで」とは、他府県の方たちが口にしがちな言葉でしょう。
しかし、実際に出没エリアにいる当事者にとっては、現在進行形で、生きるか死ぬかを分ける、獣害。
2021年6月18日には札幌市東区に現れたヒグマが自衛隊の基地へ入り込むなどして、隊員1名のほか市民3名の計4名がケガを負う事態にもなりました。
2023年にはOSO18の名で知られた個体が撃たれて話題になるなど、兎にも角にも恐ろしい存在であり、かつてはアイヌや開拓者も直面してきた北の猛獣――。
本稿ではヒグマの歴史を振り返ってみます。
熊の夜討ちは危険過ぎる
覚悟が無いなら早く立ち去った方がいい
弱い奴は食われる
『ゴールデンカムイ』1巻より アシリパ(※文中一部アイヌ語表記が再現できていない箇所があります)
開拓者はヒグマと出会った
北海道開拓――。
ロマン溢れるようで、それは苦難の歴史の始まりでした。
明治維新という国のシステムが変わりゆく中、なかなか雑な開拓スタートであったとしか思えない状況があります。
◆戊辰戦争敗者の流刑と開拓が一石二鳥ではあった
最初期の開拓者は、仙台藩や会津藩出身者が多い。
政府側としては、憎悪を募らせていたことは否定できませんし、「武士の誉れを見せろ」というプレッシャーもありました。
根性論ありきで投げられた印象は拭えません。
※以下は「北海道開拓」の関連記事となります
◆本州の農作物が育たない!
日本人の主食である米が育たない。
そのため、江戸時代は石高が計算されない土地でした。
いきなり主食もない土地へ向かった開拓者には過酷な運命が襲いかかります。
◆人の命があまりに軽かった……
流刑者扱いの東北出身者、囚人、アイヌ、そして外国人……死んでも惜しまれぬ安い命が搾取された、そんな悲しい歴史がそこにはあるのです。
◆知識不足
明治維新当時、蝦夷地の知識がなかったわけではありません。
そんな代表者として松浦武四郎がおります。
しかし、その松浦が辞任するほど北海道のスタートは波乱万丈でした。
明治初期は、維新と戊辰戦争の論功行賞が横行。適性や知識よりもこうしたことが重視され、ろくに知識がないまま開拓が実施される、おそろしい状態が続きました。
こうした知識不足は、開拓者の命を容赦なく奪ってゆきます。
ろくに暖房も防寒具もないまま過ごさねばならない、北海道の冬。朝になれば室内まで凍りつくような中で、命を落とした者も少なくありません。
医療設備も貧弱ならば栄養も不足。餓死や病死をしてしまう開拓者もいました。
そんなおそろしい死の中でも、こと“惨劇”という点では獣害による被害もあげられるのではないでしょうか。
北海道土産のシンボルに「熊出没注意」があります。
ステッカー、Tシャツ、そしてラーメン。今ではすっかりおなじみではありますが、そこにはおそろしい惨劇の歴史もありました。
道民は絶えずヒグマ対策をしている
わかった、ヒグマが怖いのはわかった。
そんなに怖いのであれば、道民は対策すればいいじゃない! 今はもう開拓時代じゃあるまいし……と思われるでしょうか?
もちろん対策しております。
・電気柵
・有刺鉄線柵
・標識や看板の設置
最近の電気柵はソーラーパネル式もあり、進歩した技術とともにヒグマとの共生をめざしています。
そこまでいろいろしていても、都市部にやってきてしまう個体がいる。そうなれば猟友会の出動……そんな流れです。
既に十分な対策をしていても、それでも来てしまう。
そこで当事者以外の人々が「ヒグマを殺さないで! 道民は残酷!」というのは、やはり余計なお世話感は否めません。
生きるか死ぬか――という切羽詰まった状況があります。
ツキノワグマとヒグマの違いって?
道民は、ヒグマはじめ北海道の大自然を相手に奮闘し、これまで生きてきました。
それは知恵を身につける過程でもあります。
最初に、北海道の大地を踏みしめた開拓者は、クマを知らなかったわけではありません。
ツキノワグマの知識はありました。
しかし、このことがなまじ事態の悪化を招いた可能性は否定できません。
同じ熊だけに、共通点は多い。しかし、体格や食性は異なる部分があり、その違いが惨劇をもたらしたかもしれません。
具体的に比較してみますと……。
◆ツキノワグマ
生息地域:本州以南
体長:頭胴長(頭の先から尻)は110~130センチ
体重:オスが80キロ程度、メスは50キロ程度。ただし個体差が大きく、40キロほどのものもいれば、130キロほどのものもいる。最大の記録は220キロ
食性:草食性。甘いもの、果物、カボチャ、トウモロコシは最高のごちそうです。
注意点:餌となる木の実が豊作だったあと。あるいは食べる物が不足している。甘い農作物の味を覚えた。開発や風力発電等により、生活圏が脅かされてしまった。そうした条件が重なると、人里へやってきてしまいます。
遭遇を避けるためには、爆竹で大きな音を鳴らしたり、威嚇をすると効果的です。
畑に農作物を植えると、種類によってはクマを呼び寄せてしまいます。
人里で見かけた場合は、警察署に通報するしかありません。
人との遭遇:ツキノワグマは草食であり、人間との遭遇はあくまでアクシデントです。
「わっ! なんか怖いものに出会った! こっちに来ないで、やめて、嫌だ!」
そうびっくりして、爪や牙を振り回した結果、当たりどころが悪いと悲惨な結果をもたらしてしまうのです。
積極的に人と出会いたいとは考えておらず、ましてや遭遇を求める気持ちはありません。
◆ヒグマ
生息地域:北海道
体長:頭胴長(頭の先から尻)は200~230センチ
体重:150〜250キロ、400キロの個体記録もあり
ツキノワグマの体型は、人間とそこまで変わらないとも言えますが、一方でヒグマは、軽自動車くらいの重さの個体までいる。
「クマがかわいそうだから殺さないで!」
こう言われた時、想定する大きさが違います。まずはそこから認識すると良さそうです。
食性:草食性が主ではあるが、雑食。鮭やシカも食べる。つまり、犬、家畜、そして人間も食べるということ。
注意点:ツキノワグマと共通しておりますが、遭遇時を考えると何もかも危険性が増します。
人との遭遇:ツキノワグマと同じく、ヒグマにとっても不幸な偶然であることは確かです。
ただ、前述の通り体格さゆえに危険度が桁違いとなります。積極的に肉食を狙うこともないとは言い切れません。
ヒグマと人の不幸な誤解とは?
ツキノワグマにせよ、ヒグマにせよ、熊は猛獣であり、恐ろしいことは確か。
しかし、それは熊からすれば同じことで、熊にしても人との遭遇は危険で恐ろしいものです。
大声で叫ぶし、恐ろしい武器を持っているし、知恵が回る。クマにとって人は危険極まりない存在であり、できることならば遭遇を避けたい状況は同じです。
ヒグマは用心深く、臆病です。遠くから人の声を聞くだけで、危険を察知し、隠れてしまうのが大半。
しかし、ヒグマにも個体差や事情があります。
そしてその体格ゆえに、ひとたび人と戦う気持ちに火がつけば、極めて危険であり、不幸な結果をもたらしかねません。
◆若いオスは遊び好きで冒険を求める
人でも、まだ若い青少年男性となれば、スリルを求めて冒険しがちです。勇気を見せたい――そうして無謀なこともします。
これはヒグマも同じ。小熊がレスリングや相撲をしてじゃれあう姿は、しばしば観察されております。
もちろん熊同士であれば無害ですが、人間と出会った際に、まだヒグマとしての経験が浅く、度胸があればこうなりかねません。
「オッス! なんかおめえ面白そうだな、俺と遊ぶか?」
「なんで走んだ? おいかけっこだな! かくれんぼか? そうか!」
好奇心が旺盛であるため、ヒグマと人の遊びというおそろしい状況に突入しかねないのです。
相手にとっては遊ぶつもりでも、人相手では恐ろしい結果が待ち受けています。
◆母は子を守る
生物としての闘争心と義務感が発揮される局面。それは我が子を守る親としての気持ちがそうでしょう。
おそろしい人間と遭遇してしまった際、子連れのメスは警戒心を強めます。
「危険が迫っている! よし、私が赤ん坊を守らなくちゃ!」
我が子を守るために勇気を振り絞る。感動的ではあります。
ただ、それがヒグマであり、こちらが人間となると、危険なのは言うまでもないでしょう。
大正4年(1915年)の「三毛別羆事件」は、成人女性の被害者が多いため、ヒグマが成人女性の味を好んだとする解釈もあります。
ただ、それが果たして事実であるかどうかは考える必要があります。当時、事件現場には成人男性が少なく、女性が我が子を守るためにヒグマと立ち向かわねばならなかったのです。
人もヒグマも、我が子のために母が死闘に突入する点は一致するのです。
◆グルメのためには手間暇を惜しまない
この点、人がヒグマのことをどうこう言えるわけでもない。
おいしいラーメンのために隣町までわざわざ行くとか。グルメを求めて北海道旅行をするとか。生きるということは、そういう探究がありますよね。
ヒグマにとって最高の珍味とは、甘く、カロリーが豊富で、香りがよい人間の食べ物です。
人が自分たちの食べ物やゴミを放棄すると、ヒグマはそれを食べ、グルメに目覚めます。
「なんかあいつら、この前、うまいもん残してったんだよな」
「なんだかんだであいつら、足遅いし、びびるし。脅したらあれを落としていくんじゃないか?」
そしてここから先が問題です。
ツキノワグマであれば、狙いは人間の残してゆく残飯や、育てている農作物で止まります。
しかし、ヒグマは肉食性です。
「あいつらの住んでいる所にでかくて、逃げない肉の塊(つまりは家畜)がいるんだよな!」
「それに、あいつらそのものも食べられるからな……」
閉じ込められている家畜。鎖に繋がれているペット。
そしてヒトそのものを食べてしまったヒグマは、積極的に肉を食べることを覚えてしまいかねません。
◆パニックに陥ると危険です
繰り返しますが、ヒグマは臆病です。
「ギャッ! やめて、近寄らないで!」
こうなると、相手が近づいて来ないように威嚇したくなるのはヒグマも同じ。結果、腕を振り回されて、人に当たったら?
万が一、北海道でヒグマに出会ってしまい、威嚇して追い払おうにも距離が短い場合は、木や岩に登り、ゆっくりと腕を振って、穏やかに話しかけて人間であるとアピールする。
「なんだ、怖くないんだ。じゃあね」
結果、そう立ち去ってもらえば、お互い幸せなのです。
ヒグマ相手にしてはいけないこと
ヒグマの気持ちや習性を考慮して行動しないと、不幸にもおそろしい結果が待ち受けています。
北海道開拓史には、苦い失敗と教訓があふれています。
和人にとっては開拓でも、ヒグマにとっては居住地に見知らぬ生き物がやって来る危機。ゆえに、不幸極まりない事件が発生してきたのです。
「そりゃ当時は知識が足りないから事件もあったよね」
今なら大丈夫……とは言い切れないでしょう。
ヒグマに対する歴史がある道民ですら犠牲になった事件はあります。
通学路でランドセルやカバンを残し、消えてしまった女の子。兄を待つわずかな間に、ヒグマに襲われてしまった――。
こうした惨劇については道民以外の方も頭に入れておくべきではないでしょうか。実際、その習性を知らないだけに、惨劇に繋がった例もあります。
では、具体的な対策とは?
いくつか見ていきましょう。
◆死んだフリをしても意味がなく危険
『ゴールデンカムイ』1巻では、ヒグマが食い残しを土饅頭に埋めた死体が発見されます。
人間の死体は、ヒグマにとって食料です。
死んだフリをしても全く意味がないどころか、危険なだけ。
もしも相手が襲ってきたら、首の後ろと頭部を守り、うつぶせになるのがよいとされます。
バックパックが防御に役立ちます。
仰向けにしようとされても、なるべくうつぶせになって、腹部を露出しないように。
◆走って逃げない
走って逃げても、ヒグマは人間よりもずっと素早く走行できるため意味がありません。
むしろヒグマの好奇心をかき立て、刺激し、反射的に追わせてしまうので危険です。
『ゴールデンカムイ』でも、“時速60キロのトラックと並走し続けた”目撃談について言及されています。
マウンテンバイク等で遭遇しても、逃げ切れるかどうかは保証できない速度です。
◆ヒグマが狙っている食料は即座に置き去りに
リュックや荷物を置き去りにして逃げる――登山等では抵抗感があるとは思います。
しかし、食べ物を持ち歩いているとヒグマを刺激することになりかねません。
『ゴールデンカムイ』でも、杉元が刺青人皮をのついた死体を運ぼうとし、アシリパが止めています。
ヒグマは一度目をつけた獲物に執着します。
彼らにとっての食料は、なるべく早く手放し、与えてしまうほうが安全です。
リュックの食物を狙ったヒグマの習性を知らなかったために起こった惨劇として、昭和45年(1970年)「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」があります。
wikiにも詳細な記録がありますね。
◆福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(wikipedia)
ただし、三毛別羆事件と同様に凄まじく恐ろしい内容ですので、調べる際は覚悟を決めて自己責任でお願いします。
◆ゴミは持ち帰りましょう
食べ物を放棄するのはあくまで逃走状態になった場合のことです。
そうでもない時は、食べ物の味を覚えさせないためにも、ゴミは捨てないようにしましょう。
◆餌付けは絶対に禁止
ヒグマの餌付けをする人はいないと思います。
けれども、他の野生動物にも絶対にしてはなりません。
・自力で餌を取れなくなる
・調味料や刺激物が有害
・感染症を広げる一因になる
・生態系を乱す
観光客による一時の楽しみの結果、道民の生活や野生動物の生態系を乱すことにつながりかねないのです。
絶対にやめましょう。
北海道を訪れる機会があれば、現地のヒグマ注意喚起にぜひともアクセスしておきましょう。
地域によっては、ヒグマ除け、対策グッズのレンタルもあります。
ヒグマのアルビノ個体
『ゴールデンカムイ』22巻では、ヒグマのアルビノ個体が出現します。
そういう記録は実際にあったのか?
ちょっと探ってみますと……。
・虹彩は赤い
・皮膚は赤色を帯びている
・毛が白い
延宝3年(1675年)、幕府に白いヒグマの毛皮が献上されたと『松前志』に記録があります。
2010年代になってからも、白いヒグマが道内で目撃されています。
アイヌがヒグマと生きる知恵
明治政府は、アイヌを「旧土人」と定義。
刺青や耳輪、そして毒矢による狩猟といった伝統を野蛮だとして禁止してゆきました。
その地に生きる開拓民や屯田兵は、アイヌの知恵によって生き延びることもあったにも関わらず、和人やお雇い外国人が一方的に生きる知恵を与えるものだとして定義したのです。
結果、明治時代以降、北海道の野生動物は絶滅する種が増え、ニシンが枯渇するような自然破壊も起こりました。
ヒグマの場合にも、知識の共有が今にまで通じる問題としてあります。
ヒグマをやたらと怖がるのではなく、正しい知識で、人との遭遇を避けていくこと――動物愛護はとは、正しい知識あってのことでしょう。
『ゴールデンカムイ』でも、ヒグマはキムンカムイ(山の神)であると語られています。
ただ、それも人を殺さない限りのこと。
人を殺したヒグマは、ウェンカムイ(悪しき神)となってしまう――だから、狩るのは悪いことではない。むしろ、そうしなければならない。
このアイヌの知恵こそ、現代の人々にも求められているころではないでしょうか。
真の動物愛護と人との共生とは、人のもたらす味を知ったヒグマを殺さないよう電話をかけることではなく、人との接触を防ぐことではありませんか。
【三毛別羆事件】のような悲劇も、突き詰めると開拓時の知識不足と環境の悪さが原因となっています。
ヒグマの生息域に開拓民が入り込み、人も、ヒグマも、不幸な結末を迎えました。
『ゴールデンカムイ』は、アイヌの少女アシリパがヒグマと戦う場面から始まります。
落ち着き払って、自らの知識と腕でヒグマと互角以上の戦いを見せるアシリパに、読者は引き込まれる。
この描写はアイヌの経験に基づくものです。
北海道に元からいたアイヌは、ヒグマとの暮らしに長けていました。
かつ、これは道民クリエイターの主張と経験も感じます。
道民の作品では、ヒグマの恐怖がともかく描かれる。そういう問題提起も強く感じます。道民とヒグマとの共生は、現在も模索中なのですから。
◆弓と仕掛け弓
アシリパが持つアイヌの弓は、和弓ほど腕力を必要とせず、小柄なアシリパでも扱いやすい武器です。
長さはだいたい1メートルほど。
樹木とその繊維を用いて作られています。
最大の特徴は毒です。
トリカブトはじめとする植物を調合した毒が威力を発揮します。
仕掛け弓のアマッポは、大きな威力を発揮しました。
雨で矢毒が流れぬように工夫されており、大型の獲物を捕らえる際に役立つものです。
人間に刺さると悲惨なことは、作中で谷垣や尾形で証明済みですね。
◆杖、手槍、小刀
第3話の扉絵で説明されておりますので、手元の1巻をご覧ください。
こんな短い原始的なものでどうにかなるのか?
そう思いたくもなりますが、前述の通りヒグマは基本的に臆病なのです。こうした武器で撃退した実例も記録されております。
成功例は勇者の記録として残されているのです。
現代でも、リーチの短い得物での撃退例があります。
スコップ、鎌、包丁、手斧、石、鉈……手元にある道具を必死で振り回した結果、ヒグマが逃げていった例はあるのです。
「あのメノコ(女性)はすごいんだ。マキリ(小刀)でヒグマを追い払った!」
こんな記録を読んで、そんなことがあったのかどうか? そう疑いたくなる気持ちは理解できます。
しかし、もう一度ヒグマの気持ちを考えてみましょう。
ヒグマだって怖い。人間との出会いに驚いているのです。そんなヒグマにトドメを刺さなくともよい。追い払えばそれで済む話ですから、現在は熊除けペッパースプレーもあります。
むろん、こうした道具はあくまで非常時用かつ、最終兵器であることはご留意ください。
遭遇した際に使うものです。これさえあればヒグマに勝利できると過信することなく、まずは絶対に遭遇しないことを心がけねばなりません。
遠目で見かけたら、接近してはいけない。
遠くから矢を放つ。仕掛け弓で弱らせる。もし接近して遭遇したら、短い武器で追い払う。そこにはヒグマと生きてきた知恵が凝縮されています。
かつて、アイヌとヒグマはじめ野生動物といえば、イオマンテのような行事がクローズアップされてきました。
自然と生きる心優しいイメージが、そこにはあったものです。
和人の抱いてきたイメージのわかりやすい代表例が、『サムライスピリッツ』シリーズにおけるナコルルでしょう。
ドット絵の限界があるためとはいえ、簡素化された衣装の模様。
マタンプシ(鉢巻)をアレンジしてリボンのようにしたもの。
そしてナコルルステージの背景にはヒグマの生体がおり、妹リムルルが抱かれておりました。
ナコルルは、自然破壊を阻止するために戦う、エコロジストのような動機付けがされていたものです。
発表当時の限界もあり、ナコルルそのものやナコルルファンに何か言いたいわけではありません。
ただ、こうした従来にアイヌ観を『ゴールデンカムイ』は修正していることについては考えたいところなのです。
・アシリパは、ウェンカムイとなったヒグマを容赦なく倒す。それでも、かつて自分が可愛がっていた小熊がイオマンテで送られたことがトラウマになってはいる。
・イオマンテとは、さらなる毛皮と肉をもたらすための儀式であり、和人が考える素朴なイメージのものではくくれないものである。
・アイヌは、ナコルルのような動物愛護を掲げているわけではない。ヒグマ狩りの名人が、それを誇りに思っている記録がちゃんとある。ヒグマはじめ動物との関係性や考え方が、和人とはそもそも異なる。
・個体としての動物殺傷は拒まないものの、種そのものを取り尽くすような発想は禁忌である。このことが『ゴールデンカムイ』の重要な要素となりそうではある。
・ヒグマについての知識と経験は和人より豊富で、アシリパが杉元に戦い方を教えるのは、極めてまっとうで理にかなっている。その場面が冒頭にあり、アニメ版でもカットされないことは大きな意義がある。あの場面には、アイヌと北海道開拓民の歴史が象徴されている!
このように、北海道とヒグマには深い歴史、知識、考え方があります。
★
冒頭に戻りますが、道外の人が気軽にヒグマと人の関係性に口出しすべき問題ではないでしょう。
ヒグマを保護することは、もちろんできます。
それは人と生活圏が重ならないようにすること。そして道民は、既にそのことを心がけています。
北海道を観光するのもよい。
舞台にした作品を満喫するのもよい。
ただし、動物と道民の関係、自然破壊につながるようなことはしないよう、心がけたいものです。
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
門崎允昭『羆の実像』(→amazon)
宇多川洋『クマとフクロウのイオマンテ―アイヌの民族考古学 (ものが語る歴史シリーズ)』(→amazon)
中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 』(→amazon)
別冊太陽編集部『アイヌをもっと知る図鑑 (別冊太陽 日本のこころ)』(→amazon) 他
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2023/09/13/148683