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北海道遺産 引きつぎたい「宝物」 五稜郭や馬文化、石狩川… 誕生20年で67件

2021-01-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/31 05:00
北海道遺産 引きつぎたい「宝物」 五稜郭や馬文化、石狩川… 誕生20年で67件
 次世代に引きつぎたい有形、無形の道内の財産である「北海道遺産」が生まれて、今年で20年になります。五稜郭(函館)や旭橋(旭川)などの建造物、アイヌ民族の口承文芸や馬文化などさまざまで件数は67件に増えました。新型コロナウイルスのえいきょうで気軽に訪問できないのは残念ですが、地域振興に役立て、より多くの人に知ってもらう取り組みが各地で行われています。
 道内の宝物をほこりに思うと同時に、大切にし、魅力も広く伝えていきたい―。そんな思いを胸にいだいた道庁、民間企業の有志らが2001年、北海道遺産構想推進協議会を立ち上げました。道内に広く候補をつのると、約4千件も集まりました。みんながよく知る「石狩川」や札幌、函館の中心部を走る「路面電車」をはじめ、身近な食べ物である「ラーメン」など25件が選ばれました。
 04年には、豊かな森が広がる「北限のブナ林」(後志管内黒松内町)や、食生活にも密接な「サケの文化」など27件が加わり、18年には「小樽の鉄道遺産」や開拓期に建築資材に使われた「札幌軟石」など15件が加わり、計67件となりました。
 貴重な観光資源を守り、若い世代に引きつごうとさまざまな取り組みが行われています。
 例えば、日高管内新ひだか町の「静内二十間道路桜並木」。直線道路約7キロの両側には約2200本の桜が植えられ、毎年5月上旬には見事に開花し、壮観です。しかし、近隣の山々から植樹された桜は、樹齢100年をこえる老木も多く、木のせんていや枝の後片付けなどの管理が欠かせません。地元では桜の意義を伝える出前授業も行われ、地元の高校生らがボランティアで植樹などを手伝っています。
 北海道遺産は郷土の成り立ちなどを学ぶ場にもなっています。札幌市西区の陵北中学校は昨年夏、総合学習で1年生約230人が6、7人ごとに班をつくり、時計台や苗穂地区の工場などの歴史を事前に調べ、現地を訪れました。貴重な文化遺産が身近にあることを初めて知る生徒も多く、「地域を知る良いきっかけになった」「もっと深く知りたい」などの感想が生徒たちから寄せられました。同校は今後も継続して学習していくそうです。
 一方、新型コロナの感染拡大で多くの人を一度に集めるのが難しいことはなやみの種です。
 江戸末期に北方警備のため、原野が切り開かれた「増毛山道」(留萌管内増毛町―石狩市浜益区、約28キロ)は、北海道の名付け親、松浦武四郎も歩いた希少な遺構です。個人だと遭難するおそれから、歩くにはガイド付きトレッキングツアーに参加する必要がありますが、昨年は1回当たりの参加人数を例年の半分の10人にしぼりました。
 ササをかったり、倒木を取り除いたりしないと、山道がすぐに歩きづらくなるため、NPO法人増毛山道の会の会員らは、今年も整備に力を入れる考えです。
 遺産の修繕や広報に使うお金は、大手スーパーや飲料会社の寄付に多くをたよっています。一方、支える個人会員は二十数人で、道内全域で支える体制になっていません。事務局のNPO法人北海道遺産協議会は、知名度をもっと上げ、修学旅行で小中高生に来てもらったり、スタンプラリーを開いたりしたい考えです。コロナが収束し、道内を自由にめぐることができれば、先人の残した地を訪ね、当時に思いをめぐらすことも良いですね。(編集委員 升田一憲)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/506566

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森林農法のコーヒーで守るフィリピンの山の暮らし

2021-01-31 | 先住民族関連
JIJI.COM 2021年1月31日(日)
福田美智子(ライター/比在住)

コーディリエラ地方イフガオ州バナウェの棚田と街=2014年4月27日[澤田公伸撮影]【時事通信社】
 フィリピンは地理的・文化的に多様性に富む国だ。首都マニラが位置する最大の島ルソン島でも、北部の山岳地帯6州にまたがる「コーディリエラ地方」で、さまざまな少数民族がおのおのの伝統文化や言語を大切にしながら暮らしている。世界遺産にも指定されている棚田群などはそれを示す一例だ。
 同地方の中核都市バギオで、日本人女性が代表を務める環境NGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」が2001年から活動を続けている。設立者で代表の反町眞理子さんは、スタッフである先住民族の若者たちとともに、植林事業や環境教育などの事業を次々に手掛けてきた。近年の主要なプロジェクトは、山岳民族の農家と協働による森林農法(アグロフォレストリー)コーヒーの栽培と販売だ。
先住民族の山と文化が失われていく
 その山深さによって、スペインの宣教師がそれほど多く入らなかった同地方には、多様な言語、習俗、舞踊、民族衣装、手工芸や農耕儀礼の数々が今でも息づいている。反町さんが惹(ひ)かれたのは、その文化だけでなく、それを守り育んできた人々や共同体、自然だった。「山奥の村の暮らしでは、何もかもがそこにあるものを材料にして、人の手によって作られていました。村ではゴミ箱というものが存在しないのです。ちょうど世界中で環境破壊が明るみに出てきた頃だったので、日本を含む先進国の人たちが見習うべき暮らしがある思いました」と反町さんは回想する。
 一方で、同地方は1980年代から2000年代にかけて、開発の波にのまれた。森は切り払われ、山肌は段々畑に変えられ、高原野菜(キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、白菜など)が植えられていった。山々の保水力は落ち、水資源が枯渇、地滑りなどの災害も増加した。作物の栽培効率を上げるために多量の農薬が必要となり、農家の健康被害も問題となっていた。
 さらに同地方は、第2次世界大戦前から金や銅を産出する鉱山地帯でもあり、土壌侵食や水質汚染も問題となっている。先祖伝来の土地が損なわれていると思いながらも、生活のために鉱夫として働く人は多い。鉱山開発に対する意見の違いからコミュニティーが分断される悲劇も起きている。
 反町さんは「先住民族が古来受け継いできた自然と調和、共生するという叡智(えいち)が失われつつある。彼ら自身がその価値に気付き、自身の手で自然の再生を行うことが必要」と感じ、先住民族の人たちとともに、環境NGOを立ち上げるに至った。
 設立当初から手掛けてきた事業のひとつは植林だ。先住民族としてこの地域の環境・文化・言語にも精通し、かつ森林官という国家資格を持つスタッフが、苗木の栽培から植林先の村々との協力体制の構築まで中核的な役割を担った。こういった植林事業は日本企業を含む国内外の企業が支援し、CGNの主要事業のに成長した。
 先住民族への若者に対しては、奨学金プログラムのほか、演劇をツールとした環境教育のプログラムも提供している。若者ら自身がコーディリエラの文化や自然、今抱える問題を学びながら、演劇作品をつくり上げていくものだ。
農家の「顔が見える」コーヒー栽培で収入確保と環境保全を両立
 同時に、反町さんたちはさらに踏み込んだ取り組みも進めていた。自給的な暮らしを送ってきた山岳民族も貨幣経済から逃れられない現実がある。どうしたら彼らは、収入を得ながらサステナブル(持続可能)な生活を続けていけるのだろうか。
 その答えも、先住民族の暮らしの中にあった。
 それが、彼らにとって馴染み深い作物であるコーヒーだ。フィリピンでは、スペイン人がコーヒーを持ち込んで以来栽培が続いている。特にこの地域では、人々は裏庭にコーヒーの木を植え、自家焙煎(ばいせん)してやかんで煮出し、来客をもてなす習慣を大切にしてきたのである。
 この独自のコーヒー文化に可能性を感じた反町さんらは05年、農家とともにコーヒーの商品作物化に乗り出した。森を守りながら栽培を続けられるように、他の樹木や根菜などと併せて植栽する森林農法(アグロフォレストリー)を呼ばれる方法を採用した。
 筆者も16年、生産地の村々に足を運んだ。実際に農園に入ってみると、「コーヒー畑」が存在しないことに驚いた。バナナ、キャッサバ、かんきつ類、ウリやサトイモなどが茂っており、よく目を凝らさなければコーヒーの木が見つからないほどだ。しかし、この状態こそがアグロフォレストリーなのだという。生物多様性が維持されれば、病害虫による被害のリスクが軽減され、農薬を使わない栽培が可能というわけだ。「この農法なら、農家はコーヒー栽培で収入を得ながら、同じ土地に自給用の作物を植えることもできます。十分な現金収入と食料が得られれば、生活や子どもの学費のために都市や海外に出稼ぎに行かなくても済むんです」と反町さんは説明してくれた。
 コーヒー農家は村ごとに生産者団体をつくり、品質や生産性の向上に努めている。筆者が訪ねた先では、「共同作業の日を設けて皆で堆肥づくりをしている」「必要に応じ、CGNの専門家や役場の農政課に相談する」「まずは自分たちの村にオーガニックコーヒーを供給し、それから都市部や海外に売る流れにしたい」など、さまざまな実践例やビジョンを語ってもらえた。大組織や先進国が“指導”や“支援”をするという、発展途上国でよく見られるあり方ではなく、その土地をもっともよく知る先住民族の農家自身が主体的に動いている様子を目の当たりにし、これがこのプロジェクトの強さなのだろうと感じた。
コーヒー豆が日本の食卓に届くまで
 さて、手塩にかけて育てられたコーヒーは、日本でどのように売られているのだろう。日本の販売業者である京都のフェアトレード会社「シサム工房」に話を聞いてみた。同社はCGNのコーヒー豆を輸入・焙煎し、店舗やオンラインショップで販売している。一般の消費者のほか、業務用・卸販売も行う。
 生産者や環境に配慮したフェアトレードコーヒーの販売には独特の難しさもあるという。「私たちの目指しているのは、作り手、売り手、買い手、世間(社会)、地球環境の“5方良し”を目指した“みんなが幸せになるコーヒー”ですが、購入につなげるには、あくまで品質が勝負。最初の頃は、専門家から厳しい指摘を受けることもありました。しかし、ここ数年で評価が高まっています。CGNのスタッフさんがコーヒーの香味評価をするための国際資格『Qグレーダー』を取得されましたし、栽培、豆の選別、保管といった各段階で必要な技術や品質についての教育、ノウハウの確立にも頑張ってくださったからです」
 生産量が限られ、物流にも難しい点があるため、入荷は毎回スムーズにいかないというが、手応えは感じられるという。オンラインでの売り上げが伸びたこともあり、簡単にカフェオレやアイスコーヒーなどを作ることができる液状の濃縮コーヒー「カフェベース」などの新商品も開発した。13年の販売開始以来、次第に購入層は広がっている。
コロナ禍でもECで新たな挑戦を
生産地ごとに農家の顔がデザインされているパッケージ(フィリピン国内向け)。すっきりとして酸味は控えめ、さわやかでとても飲みやすい。その分コーヒーらしい香ばしさが感じられる=2020年2月3日、バギオ市[カピタコ・ソーシャルエンタープライズ提供]【時事通 この流れに水を差したのが新型コロナウイルスの感染拡大である。フィリピンでは各地で都市封鎖が行われて人とモノの移動や店舗の営業が厳しく制限され、CGNも深刻な影響を受けた。封鎖が始まった20年3月半ばはコーヒー豆の集荷の真っ最中だったが半年近くも中断。日本から注文を受けていた分も倉庫や農家に留め置かれた。
 しかし反町さんたちも手をこまねいていたわけではない。
 「コロナ禍はフィリピン経済にも私たちにも大打撃でした。一方でインターネット通販(EC)市場が成長したのも事実です。フィリピンでは、国内の1次産品生産者や手工芸の職人を支援する通販サイトが急増しました。主に日本への輸出してきた私たちも、フィリピン国内用の通販サイトを立ち上げ、SNSでの発信を強化しています」
 市場は拡大したが、競争も激しい。「私たちの強みは、15年にわたる農家さんたちとの歩みです。苗木を育てるところから、収穫や収穫後の精製まで、農家さんと一緒に試行錯誤しながら関係を築いてきました。森林農法のコーヒーは、ビジネスツールではなく、暮らしと森を守ろうと現場で悩んだ末にたどり着いたもの。農家さんの顔が見えるコーヒーなのだということが消費者に伝わればと思っています」と反町さんは話す。
 実際、フィリピン国内向けの販売サイトや日本向けのブログには生産地の村や農家の詳しい情報や写真が掲載されている。
 デザインが洗練されたパッケージや関連グッズも目を引く。「コロナ禍では、アーティストや手工芸品の職人も仕事が激減しました。そうした人たちにも、コーヒーをいれる時に使う道具作りなどで協力してもらい、仕事を提供したいと思っています。この危機を皆で乗り切っていく気持ちを持ちたいですね」と、反町さんのアイデアにはフィリピンらしい助け合いの精神がにじむ。
 もちろん、日本への輸出も続けている。「シサム工房」も、フィリピン側の困難な状況を受け、コーヒー販売のキャンペーンを行うなど、農家を応援する態勢だ。コロナ禍で輸出するのに苦労したが、20年11月には7カ月ぶりに5トンの豆を出荷したという。
 コロナ禍でも、CGNは山岳民族の農家とともに、生活向上と自然との共生のポジティブなサイクルを回し続けるために奮闘している。
 福田美智子(ふくだ・みちこ) 海外書き人クラブ会員。ライター業のほか、NGO活動やフィリピンを訪れる日系メディアなどのコーディネート業等に携わる。2013年のフィリピン留学よりコスタリカへの留学を経てマニラ首都圏在住。
(2021年1月30日掲載)
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202101cpym0001

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