先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

格差是正中心から転換 アイヌ交付金 振興策に力、課題も

2018-11-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 05:00
 <解説>政府がアイヌ民族の地域振興や産業振興に向けた新型交付金を創設するのは、民族の権利回復に向けた政策を推進する上で一歩前進といえる。ただ、国際的な先住民族政策と比べると大幅に遅れていることは明白で、課題はなお山積している。
 従来のアイヌ政策は、修学支援や住宅環境の改善など、一般社会の格差是正を目的とした福祉政策が中心だった。地域振興や産業振興に向けた新たな交付金は、その枠組みを超えた「総合政策」への転換を目指すものだ。道幹部も「これまでより使い勝手がよくなる」と期待を寄せる。
 一方で、2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」では、土地や資源に関する権利を認めた。ニュージーランドやカナダ、北欧など先進地では先住民族がこうした権利を行使して、先住民族の議会などを設置し、言語も公用語化されている。
 政府が来春の成立を目指すアイヌ民族に関する新法では、こうした権利について触れない見通しで、新しい交付金も自治体が進めるアイヌ関連施策の支援にとどまる。
 先住民族政策の推進度を数値化したところ、日本が最下位となった調査結果もある。アイヌ政策が進まない背景には、国民の理解不足があるとされる。20年に胆振管内白老町に開設されるアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間」と共に、新たな交付金を活用した事業を通じ、アイヌ民族の歴史や文化についてより広く発信する必要がある。(村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249537

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ施策支援に交付金 政府方針 地域・産業振興狙い 新法3月成立視野

2018-11-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 05:00
 政府は来年度、アイヌ民族の伝統や文化に基づいた地域振興、産業振興に取り組む自治体を対象にした、新たな交付金を創設する方針を固めた。アイヌ文化を生かしたオリジナル商品の開発など、文化振興や生活向上につながる施策を促進する狙い。交付金の法的根拠となるアイヌ民族に関する新法について、政府は来年の通常国会に法案を提出し、3月までの成立を目指す考えだ。来年度予算に交付金の関連経費を盛り込む。
 新法には、国や地方公共団体がアイヌ民族に関する「地域振興」や「産業振興」に取り組むことを初めて明記する方針。交付金は、新法に基づく具体的な施策を進める目的で、法制定に先んじて予算措置の準備を進めて、来秋にも制度を実施したい考え。従来のアイヌ政策は福祉関連が中心だが、新交付金は、地域振興や産業振興など総合的な支援を目指す。具体的な予算額について最終調整している。
 交付金は、全国の都道府県や市町村が実施し、アイヌ民族の参画など一定の要件を満たす事業が対象。希望する自治体は事業内容を網羅した「地域計画」を策定し、国の認定を受ける。地域に計画策定を促すことで、各地のアイヌ民族の意向が反映された幅広い事業展開を狙う。
 具体的には、アイヌ民族の工芸家と連携したオリジナル商品の開発や、アイヌ民族の関連施設や博物館などを巡る観光ルートの検討などを想定。アイヌ民族の子供に勉強を教える学習塾への支援や、伝承活動の拠点である道内各地の「生活館」の改修、エカシ(長老)やフチ(おばあさん)と地域の子供たちの交流事業なども見込む。
 新法に向け、政府がこれまでに道内外で開催したアイヌ民族との意見交換会では、大学進学などへの教育補助、年金の支給などを求める声が相次いだ。ただ政府はこうした政策について、現段階での立法化は難しいと判断。交付金による地域振興や産業振興が生活、教育支援につながるとして、アイヌ民族側の理解を得たい考えだ。(斉藤千絵、古田夏也)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249532

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トビニタイ文化に思いはせ アイヌ文化と連続性も 別海で講演会

2018-11-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 05:00
 【別海】野付半島ネイチャーセンターで18日、ラムサール条約湿地登録13周年を記念する催しが開かれ、羅臼町郷土資料館前館長の涌坂(わくさか)周一さんが10~13世紀ごろ道東で栄えた「トビニタイ文化」について講演した。
 植物や自然景観だけでなく地域の歴史にも触れてもらおうと、同センターなどが主催。町民ら約30人が耳を傾けた。
 涌坂さんはトビニタイ文化について、その土器の形状は樺太から伝わったとされるオホーツク文化、紋様は本州の影響を受けた擦文文化の土器の特徴を有することなどから、二つの文化が融合して成立した文化であることを説明した。
 また、羅臼町内のオタフク岩洞窟で出土したトビニタイ文化期のヒグマの頭骨について「オスは左側、メスは右側に穴が開けられていて、この規則性は後のアイヌ文化にも見られる」とし、トビニタイ、アイヌ両文化の連続性を指摘した。
 講演の最後に涌坂さんは「今年は北海道命名150周年だが、道内には数千年にもわたり過酷な環境の中で暮らしてきた民族の歴史がある。これを機に遺跡や環境の保全の意義も改めて考えるべきだ」と強調した。(椎葉圭一朗)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249505

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19世紀のアイヌ民族絵巻の9場面公開 子供や動物生き生き 小樽

2018-11-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 05:00
 【小樽】19世紀初頭の小樽の高島・祝津周辺のアイヌ民族を描いた絵巻物の後期展示が17日、小樽市総合博物館運河館(色内2)で始まった。縦約30センチ、横約8メートル40センチの絵巻物に21場面描かれているうち、後半の9場面を展示している。
 江戸の砲術師、井上貫流左衛門(かんりゅうざえもん)(1740~1812年)が1808年、蝦夷(えぞ)地警備のため2カ月滞在した高島・祝津周辺で描いた。
 10月6日~11月16日に展示した前半の12場面はアイヌ民族の人物画が中心だったのに対し、後期は子供たちに加え、クマやヘビなどの動物やアイヌ民族の伝統家屋「チセ」、作者が食べて印象に残ったと思われるウニの絵も登場する。
 同館の菅原慶郎学芸員は「後半は作者が記した説明書きも多く、じっくり見るといろいろな発見がある」と話す。
 来年1月10日まで。午前9時半~午後5時で入館料は一般300円など。年末年始を除き無休。11月23日と12月23日には、それぞれ午後2時からギャラリートークを行い、菅原学芸員が解説する。(渡辺佐保子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/249502

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先住民迫害の過去から目をそらすアメリカは変わるのか

2018-11-19 | 先住民族関連
ニコニコニュース 2018/11/18 07:00ALL REVIEWS

『There There』(Vintage) 著者:Tommy Orange
先住民迫害の過去から目をそらすアメリカは変わるのか
先住民のアイデンティティーの問題が現代のアメリカ社会の日常で語られることは少ない
アメリカでは11月の第4木曜日に家族が集まって感謝祭(Thanks Giving)を祝う。そして小学生たちは、アメリカに入植した清教徒や先住民のインディアンの衣装を着てアメリカの感謝祭の歴史を学ぶ。
その歴史とはこういうものだ。イギリスでの宗教弾圧を逃れてマサチューセッツ州のプリマスに住み着いたピルグリム・ファーザーズが作物を栽培できずに飢えそうになっていたときに、その地の先住民であったワンパノアグ族(Wampanoag)が食物を分け与え、栽培の知識を与えた。そのために生き延びることができた入植者は、収穫が多かった翌年にワンパノアグを招いて宴会を行った。それが感謝祭の始まりだと言われている。
だが、初期の入植者とインディアンの関係は、小学生が学んだような心温まるストーリーではなかった。
免疫がないインディアンの多くが、入植者の持ち込んだ疫病で死んだが、それだけではない。白人の入植者らは、自分たちを救ってくれたワンパノアグ族の土地を奪い、女や子供を奴隷として売り飛ばした。そして、それに抗議した酋長を毒殺し、後続の酋長が抵抗の戦いを挑んたときにはワンパノアグ族を壊滅状態にした。勝利した白人入植者は酋長の頭を槍の上に刺して、見せしめとして飾った。このときに惨殺されたインディアンは他の部族も含めて約4000人と言われる。
その後も、白人たちはアメリカ全土でインディアンから土地を奪い、虐殺し、奴隷にし、作物が採れない場所に追いやったのだ。
感謝祭に七面鳥の丸焼きを食べながら家族団らんをするアメリカ人のほとんどが、この残酷な歴史を知らないか、無視している。先住民に対するアメリカの白人の態度は、おもに「過去のことにこだわっているから前に進めないのだ。さっさと忘れて、自分たちの暮らしを良くするために努力したらどうだ?」というものだ。
だが、現在のインディアンのコミュニティが貧困、アルコール依存症、家庭内暴力といった社会問題を抱えている根本的な原因は、この血みどろの歴史にあるのだ。それなのに、どうすれば忘れ去ることができるのか?
今作でデビューした作家トミー・オレンジ(Tommy Orange)の『There There 』の根底には、その血みどろの歴史と行き場のない憤り、そして未来への迷いがある。
この小説には、カリフォルニア州オークランドに住むインディアンの血筋を引く者が多く登場する。
アルコール依存症の母から生まれた胎児性アルコール症候群の男、資金提供を受けてインディアンとしての体験談をフィルムにしようとする若者、母に連れられてインディアンによるアルカトラズ島占拠に参加させられた姉妹、大学でインディアン文学を専攻したが就職口がなくて母の家で引きこもりになっている男、16歳のときにレイプされて生まれた娘を養子に出した女性、裕福な白人家庭に引き取られたためにインディアンとしてのアイデンティティーを後に得た女性、子育てを放棄した姉の孫たちを育てる女性、祖母が隠していたインディアンの衣装を取り出して身につける孫など多様だ。一見、何の関係もないような人々だが、インディアンのお祭りであるPow Wowで劇的に繋がる。
タイトルになっている『There There』は、通常はがっかりしている人や泣いている人をなだめるためにかける言葉だ。日本語なら「よし、よし」という感じだろうか。ラジオヘッドの有名な曲「There There」を連想するかもしれない。
だが、この小説のタイトルは、作家で詩人のガートルード・スタインの『Everybody's Autobiography』からの有名な引用「there is no there there(そこには、「あそこ」がない)」から来ている。1880年代にカリフォルニア州オークランドで子供時代を過ごしたスタインは、1935年に45年ぶりに故郷を訪問した。だが、オークランド市はスタインの子供時代から10倍の大きさに成長しており、牛や馬がいた懐かしい「あそこ」の風景が消えていた。その切なさが、「there is no there there」という表現になったのだ。
作者のオレンジもオークランドに住んでいる。この地に住むインディアンは、インディアン保留地ではなく都市を選んだ者だ。だからといって、彼らのすべてが同じ理由でここに住んでいるわけではない。そして、インディアンというアイデンティティーに対する考え方も、プライドも異なる。
そもそも、「先住民」の呼称についても、一致してはいない。アメリカの白人は、ポリティカル・コレクトネスで「Native American(ネイティブ・アメリカン/アメリカ先住民)」と呼ぶが、自分たちをそう呼ぶインディアンなどいないとオレンジは書いている。彼らの間では、Nativeという呼び方が多いようだ。私の別の記事について「インディアンという呼び方はしてはならない」と忠告した日本人がいたが、Indianも彼ら自身が選んで使う呼称だし、公式文書にも使われている。尋ねる人によって、それぞれの呼称に対する考え方は異なるのだろう。
そういったことも含めて、この小説に描かれているインディアンの歴史や文化、生活を、アメリカに住む私たちはほとんど知らない。マジョリティの白人だけでなく、移民や黒人についての本は沢山あるのに、この国に最初から住んでいた生粋のアメリカ人を伝える本は少ないし、あまり読まれていない。
それを、オレンジのこの本は変えてくれそうだ。
この作品の根底には、「自分の国を奪われ、自分たちが先に住んでいたというのに、侵略者たちから異邦人のように扱われているインディアンたちが、どうやって民族の文化と歴史、そしてプライドを維持していけば良いのか?」という問いかけがある。
その問いに、私たちは答えることはできない。
けれども、内容を少し変えれば、これはどの民族や国民にとっても普遍的な問いかけになる。
民族、人種、宗教など、それぞれが持つ独自の歴史を、私たちは背負って生きている。その歴史が辛いものであっても、それが現在の自分を壊すものであっても、レガシーとして引き継ぐべきものなのか。それとも、切り捨てるべきなのか。誰もが迷いながら生きている。
私たちは誰もが、スタインが感じた切なくて苦いノスタルジアの「there there」を知っている。だからこそ、オレンジの本は、すべての読者に訴えかける力を持っている。
【書き手】渡辺 由佳里
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家。書評ブログ「洋書ファンクラブ」主宰。小説は『ノーティアーズ』(新潮社)と『神たちの誤算』(新潮社)。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。訳書に糸井重里氏監修『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーBooks)。ニューズウィーク日本語版とCakesでエッセイ連載中。
【初出メディア】Newsweek日本版 2018年9月7日
【書誌情報】There There
著者:Tommy Orange
出版社:Vintage
装丁:ペーパーバック(304ページ)
発売日:2019-06-06
ISBN:178470797X
https://news.nicovideo.jp/watch/nw4209471

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国の少年が憧れたマスクマン、ミル・マスカラスの華麗なる業績。

2018-11-19 | 先住民族関連
gooニュース 11月18日 09:00 Number Web

全国の少年が憧れたマスクマン、ミル・マスカラスの華麗なる業績。 photograph by Moritsuna Kimura/AFLO
(Number Web)
 来年2月19日に両国国技館で行われる『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』に、ミル・マスカラスとドス・カラスのマスカラス・ブラザーズが参戦。カズ・ハヤシ&NOSAWA論外組と対戦することが発表された。
 新日本、全日本をはじめとした主要各団体から選手が派遣され、“オールスター戦”として開催される今大会。マスカラスは、'79年8月26日に行われた、『プロレス夢のオールスター戦』にも、ジャンボ鶴田、藤波辰巳(現・辰爾)との夢のトリオで出場しており、また馬場さんの全日本で、夏休みのシリーズには毎年必ず来日する常連外国人だっただけに、今大会へ出場するにふさわしい選手と言えるだろう。
 また、今大会は幅広い年齢層のファンが集まることが予想されているが、その点でもマスカラスはうってつけの存在だ。なぜなら、日本のプロレス界には、“マスカラスから始まった”ことがいくつもあるからだ。
人気外国人レスラーの元祖。
 現在、新日本で活躍中のケニー・オメガをはじめ、日本のファンから人気を集める外国人レスラーは多数存在するが、その元祖とも言えるのがミル・マスカラスだ。
 日本のプロレスは黎明期から、凶悪な外国人レスラーを日本のエースがどう迎え撃つかが基本構造であり、それはウルトラマンや、戦隊ヒーローものにも通じる、少年たちが熱狂する黄金パターンだった。
 しかし、そんな力道山時代から続いた「正義の日本人レスラーvs.悪の外国人レスラー」という基本構造を初めて覆したのが、'60年代末に華麗なテクニックで外国人でありながら国際プロレスでエース格だったビル・ロビンソン。そして少年ファンを中心に爆発的な人気を誇ったミル・マスカラスだろう。
毎試合違うマスクでアイドルに。
“マスカラス以前”の外国人レスラーといえば、ほとんどが悪どい反則やラフ殺法を使って、ジャイアント馬場やアントニオ猪木を痛めつけようとするヒールだった。
 もちろん、外国人レスラーの中でも“鉄人”ルー・テーズのような正統派のテクニシャンも存在したが、彼らにしても日本のヒーローが倒すべき存在ではあった。
 しかし、マスカラスは紳士然とした振る舞いのベビーフェイスであり、メキシコ先住民族の神話を元にしたきらびやかなコスチュームに、ボディビルで“ミスター・メキシコ”にも輝いた逆三角形の鍛え抜かれた上半身。
 そして何より「千の顔を持つ男」という異名の由来でもある(「ミル・マスカラス」はスペイン語で「千の仮面」)、毎試合違う色とデザインを施したマスクは、プロレス少年たちの心を鷲づかみにして、日本のプロレス界で初めてのアイドル的な人気を誇るレスラーとなったのだ。
入場曲は『スカイ・ハイ』。
 また、マスカラスはマスクマン(覆面レスラー)のイメージも根本から変えた。それまでのマスクマンは、“覆面”という言葉の響きからもわかるとおり、“カッコいい”というよりも、正体を隠すミステリアスで不気味な存在。そんなマスクマンに対する固定観念を、マスカラスは飛び抜けたビジュアルによって、完全に覆したのだ。
 その後、日本のプロレス界には、タイガーマスクや獣神サンダー・ライガー、ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケなど、マスクマンのヒーローがたくさん生まれたが、そのルーツはすべてマスカラスにあったのである。
 そして、ある意味でマスカラスの最大の功績は、プロレスの入場シーンにテーマ曲を定着させたことだろう。
 日本における入場テーマ曲の元祖は、'74年に国際プロレスに来日したスーパースター・ビリー・グラハムだが、それを完全に定着させたのは、'77年からイギリスのポップバンド、ジグソーの『スカイ・ハイ』で入場し、人気が再び爆発したミル・マスカラスだ。
興行の演出面に大きな革命。
 今では考えられないことだが、'70年代中ごろまでは入場時に音楽を流すという演出がなかった時代で、各レスラーは音楽なしで控室から出てきてリングに上がっていた。そんな中『スカイ・ハイ』のドラマチックなメロディに乗って入場するマスカラスが、プロレス興行における演出面でも革命を起こしたのだ。
 これは当時、日本テレビ『全日本プロレス中継』のディレクターだった梅垣進が、たまたまプライベートでディスコに行ったときに聴いた『スカイ・ハイ』を気に入り、マスカラスの来日を煽る次期シリーズ予告VTRのBGMとして流したのがきっかけ。
 すると放送終了後、日本テレビに「あれはなんという曲か?」という問い合わせが殺到するほどの反響があり、それを受けて'77年2月の全日本プロレス『エキサイトシリーズ』からマスカラスの入場時にも流し始めると、人気は一気に爆発した。
レコジャケがマスカラスに!
 このスカイ・ハイブームの影響はすさまじく、マスカラスは新たなファンを大量に獲得。『スカイ・ハイ』のシングル盤レコードのジャケットは、マスカラスの写真に差し替えられて57万枚を売り、オリコン最高位2位を獲得する大ヒットとなる。
 また、マスカラス自身も“夏男”として、毎年8月のシリーズに来日するようになると、夏休みシーズンということもあって、会場はどこも少年ファンで溢れかえるようになった。
 こうして入場テーマ曲『スカイ・ハイ』がきっかけで爆発したマスカラス人気は、'77年8月25日に田園コロシアムで行なわれたジャンボ鶴田戦で、その年の『プロレス大賞』年間最高試合賞を獲得し、頂点を迎える。
 そして、少年ファンたちが華麗なるマスクマンに憧れるという土壌は、その後、タイガーマスクブームを経て、現在まで繋がっているのだ。
文=堀江ガンツ
photograph by Moritsuna Kimura/AFLO
https://news.goo.ne.jp/article/numberweb/sports/numberweb-832554.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする