北海道新聞 11/07 09:37
「かつてアイヌ民族は、ここから見える国後島や歯舞群島との間を行き来し、ロシア人らとも交易を行っていました」
日本100名城に選定されている「根室半島チャシ跡群」の一つ、ノツカマフチャシ跡では10月中旬、市民ガイド団体「ねむろトコロジストの会」の会員が、チャシにまつわる歴史を観光客に紹介した。
■自律的な社会
根室半島には北側の海岸沿いに多くのチャシ跡が残る。16~18世紀に築かれ、海を望む崖上の台地に半円形や四角形の壕(ごう)を掘ってとりでとした。道内に残るチャシ跡約500カ所のうち、根室市内に32カ所が集中する。当時としては大がかりな土木工事が必要で、交易によって経済的に余裕があった根室の当時のアイヌ民族の姿が浮かび上がる。
根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(いのくましげと)学芸員は「北海道の中で根室はアイヌ、ロシア人、和人が交わる場所としての特徴がある。チャシを造るには多くの人数も必要で、この時代に自律的な社会を持っていたことが伝わってくる」と説明する。
ノツカマフチャシ跡の近くでは9月上旬、根室アイヌ協会の会員ら約20人がクナシリ・メナシの戦いの犠牲者を供養する伝統儀式「ノッカマップ・イチャルパ」を行った。この地でのイチャルパは44年続く。同協会の能登由美会長(66)は「つらい思いをした祖先のためにも、イチャルパはこれからも続けたい」。
■犠牲者の供養
クナシリ・メナシの戦いは1789年、国後島やメナシ地方(現在の根室管内羅臼町と標津町)のアイヌ民族が、一帯の漁場を運営していた和人による非道な搾取や横暴な行為に耐えかねて決起し、71人を殺害。松前藩が武力を示して鎮圧に乗り出し、関与したアイヌ民族37人がノッカマップで処刑された。
イチャルパでは、処刑された37人とともに和人71人の供養も行う。イチャルパの場所を提供し、協力している根室市内の漁業、高橋則行さん(64)は「戦いで亡くなったのはアイヌだけではない。和人もアイヌも関係なく供養することが大事だ」と語る。かつてのメナシ地方に当たる標津アイヌ協会の小川悠治会長(71)は「チャシを訪れる観光客には、クナシリ・メナシの戦いなど、この地方のアイヌ民族の歴史についても知ってほしい」と語った。
この戦い以降、クナシリ・メナシ地方や周囲一帯に和人の支配が及ぶようになり、新たなチャシは造られなくなったという。猪熊学芸員は「戦いを境にアイヌ民族の勢力が弱まり、独自の暮らしを維持できなくなった」とみている。
※「イチャルパ」の「ル」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/245742
「かつてアイヌ民族は、ここから見える国後島や歯舞群島との間を行き来し、ロシア人らとも交易を行っていました」
日本100名城に選定されている「根室半島チャシ跡群」の一つ、ノツカマフチャシ跡では10月中旬、市民ガイド団体「ねむろトコロジストの会」の会員が、チャシにまつわる歴史を観光客に紹介した。
■自律的な社会
根室半島には北側の海岸沿いに多くのチャシ跡が残る。16~18世紀に築かれ、海を望む崖上の台地に半円形や四角形の壕(ごう)を掘ってとりでとした。道内に残るチャシ跡約500カ所のうち、根室市内に32カ所が集中する。当時としては大がかりな土木工事が必要で、交易によって経済的に余裕があった根室の当時のアイヌ民族の姿が浮かび上がる。
根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(いのくましげと)学芸員は「北海道の中で根室はアイヌ、ロシア人、和人が交わる場所としての特徴がある。チャシを造るには多くの人数も必要で、この時代に自律的な社会を持っていたことが伝わってくる」と説明する。
ノツカマフチャシ跡の近くでは9月上旬、根室アイヌ協会の会員ら約20人がクナシリ・メナシの戦いの犠牲者を供養する伝統儀式「ノッカマップ・イチャルパ」を行った。この地でのイチャルパは44年続く。同協会の能登由美会長(66)は「つらい思いをした祖先のためにも、イチャルパはこれからも続けたい」。
■犠牲者の供養
クナシリ・メナシの戦いは1789年、国後島やメナシ地方(現在の根室管内羅臼町と標津町)のアイヌ民族が、一帯の漁場を運営していた和人による非道な搾取や横暴な行為に耐えかねて決起し、71人を殺害。松前藩が武力を示して鎮圧に乗り出し、関与したアイヌ民族37人がノッカマップで処刑された。
イチャルパでは、処刑された37人とともに和人71人の供養も行う。イチャルパの場所を提供し、協力している根室市内の漁業、高橋則行さん(64)は「戦いで亡くなったのはアイヌだけではない。和人もアイヌも関係なく供養することが大事だ」と語る。かつてのメナシ地方に当たる標津アイヌ協会の小川悠治会長(71)は「チャシを訪れる観光客には、クナシリ・メナシの戦いなど、この地方のアイヌ民族の歴史についても知ってほしい」と語った。
この戦い以降、クナシリ・メナシ地方や周囲一帯に和人の支配が及ぶようになり、新たなチャシは造られなくなったという。猪熊学芸員は「戦いを境にアイヌ民族の勢力が弱まり、独自の暮らしを維持できなくなった」とみている。
※「イチャルパ」の「ル」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/245742