AFPBB News 11/13(火) 16:34配信
【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)終結から数日後、択捉(えとろふ)島の家に押し入ってきた旧ソ連軍兵士が10代の姉を連れて行こうとしたことを、長谷川ヨイ(Yoi Hasegawa)さん(86)は今でもはっきりと覚えている。
銃を突きつけられながらも、兵士と姉妹との間に父親が立ちはだかり、「俺を殺してからだ!」と叫ぶと、兵士はそのまま何もせずに出て行ったという。
「そのとき、私もみんなも死ぬんだと思いました」と、AFPの取材に長谷川さんは語った。
当時、長谷川さんはまだ13歳だったが、故郷である択捉島の懐かしい思い出はちゃんと残っていると話す。
択捉島は第2次世界大戦後に旧ソ連が占領した4島のうちの一つ。日本では北方領土として知られているが、ロシアではクリル列島と呼ばれている。北方領土の帰属に関する問題は、日本とロシアの間で平和条約を締結する上で障害となっている。
当時、子どもだった住民も今では高齢となり、故郷に戻ることの難しさを痛感している。1万7000人いた元住民の60%以上はすでに死去しており、生きている人たちの平均年齢も83歳となった。
国後(くなしり)島に住んでいたという脇紀美夫(Kimio Waki)さんの父親は、旧ソ連による占拠を受け、重要な書類をかめに詰めて地中に埋めた。島に戻る日に備えての行動だ。
だが、脇さんの父親は生きてその日を迎えることができなかった。現在77歳の脇さんも、帰還については悲観的だ。「こと領土に関しては全く動いていない。70年間動いていない」と脇さんは述べ、「本当に悔しい。その言葉以外に出てこない」と続けた。
脇さんも、当時のことは鮮明に覚えている。「見知らぬ大きな大人が、機関銃を持って土足で家の中に上がり部屋を物色していた」「恐ろしくて、恐怖におびえていた」とその時の様子を振り返った。
4歳だった脇さんはその後、家族で島にやってきた相手国の子どもと友達になった。だがその友好関係も3年後に突然終わった。島の日本人が強制退去させられたためだ。中には、底に板を敷いた漁網に入れられ、魚のように持ち上げられて貨物船に乗せられた人もいた。
「サンマみたいに扱われ、人間扱いされなかった」
■「あまりにも時間がない」
最近、北方領土問題の解決策を模索する動きが、日ロ両政府の間で加速し始めている。
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は9月、「前提条件なしに」日ロ平和条約を締結することを示唆した。
北方領土をめぐる日本政府の主張は、北海道の先住民族であるアイヌがかつて住んでいたが、それ以外には歴史的に日本以外のどこにも属したことはなかった、というものだ。
しかし、ロシア政府は、当時のフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)米大統領と、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)との間で1945年に合意に至った、第2次世界大戦の「戦利品」というスタンスを崩さない。
北方領土周辺の海は冬でも凍らないため、ウラジオストク(Vladivostok)に拠点を置く太平洋艦隊の軍艦や潜水艦の太平洋への航路として利用でき、ロシアの戦略上重要な位置を占めている。
北方領土からからわずか数キロしか離れていない根室市の石垣雅敏(Masatoshi Ishigaki)市長は、「あまりにも時間がない」と訴える。
ロシアは1956年、色丹(しこたん)と歯舞(はぼまい)の2島「譲渡(返還)」と引き換えに平和条約を締結することを提案した。しかし、日本側との折り合いがつかず、問題は先送りされた。
だが石垣市長は、根室の人たちには2島案を受け入れる用意があるとし、「2島返ってきても、相当恩恵がある」と話した。
■「ロシアのもの」
他方で、羅臼町の湊屋稔(Minoru Minatoya)町長は、草の根レベルでの交流は信頼関係の構築に役立つと指摘する。
既にビザなし交流が行われており、元島民の中には故郷に戻り家族の墓参りをした人もいる。ロシアの人々もこのプログラムによって、日本を訪れている。
まだ詳細の決定には至っていないが、日本とロシアは、漁業、農業、風力発電、観光などの分野で北方領土での経済活動を共同で進めることを検討している。
ただ、湊屋氏は、経済協力が問題解決の最善の方法かということについて懐疑的だ。「信頼関係できていない人に『こんな大きなプレゼントがあるよ、どうぞ受け取って下さい』と言われて素直に受け取れるのか」
シンクタンク「カーネギー・モスクワセンター(Carnegie Moscow Center)」のアジア太平洋問題部門責任者アレクサンドル・ガブーエフ(Alexander Gabuev)氏は、経済プロジェクトによって、北方領土の日本への帰属を確認することは難しいと思われるとしながら、「クリル列島はロシアのものだというロシアの立場は変わらないだろう」と続けた。
海岸で馬に乗ったこと、家族で木を切り倒し家まで馬そりで運んだこと、ストーブで暖めたれんがをタオルで包み布団の中で暖を取ったこと、骨身に染みる寒さのこと──問題が解消されるまで、長谷川さんの故郷の島は、思い出の中にだけ存在する。
脇さんは現在、故郷の国後島から約25キロ離れた羅臼に住んでいる。ロシアがクナシルと呼ぶ国後島が、晴れた日には肉眼で見えるほどの距離だ。
だが、脇さんは言う。「近くて遠いんです」 【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181113-00000029-jij_afp-int
【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)終結から数日後、択捉(えとろふ)島の家に押し入ってきた旧ソ連軍兵士が10代の姉を連れて行こうとしたことを、長谷川ヨイ(Yoi Hasegawa)さん(86)は今でもはっきりと覚えている。
銃を突きつけられながらも、兵士と姉妹との間に父親が立ちはだかり、「俺を殺してからだ!」と叫ぶと、兵士はそのまま何もせずに出て行ったという。
「そのとき、私もみんなも死ぬんだと思いました」と、AFPの取材に長谷川さんは語った。
当時、長谷川さんはまだ13歳だったが、故郷である択捉島の懐かしい思い出はちゃんと残っていると話す。
択捉島は第2次世界大戦後に旧ソ連が占領した4島のうちの一つ。日本では北方領土として知られているが、ロシアではクリル列島と呼ばれている。北方領土の帰属に関する問題は、日本とロシアの間で平和条約を締結する上で障害となっている。
当時、子どもだった住民も今では高齢となり、故郷に戻ることの難しさを痛感している。1万7000人いた元住民の60%以上はすでに死去しており、生きている人たちの平均年齢も83歳となった。
国後(くなしり)島に住んでいたという脇紀美夫(Kimio Waki)さんの父親は、旧ソ連による占拠を受け、重要な書類をかめに詰めて地中に埋めた。島に戻る日に備えての行動だ。
だが、脇さんの父親は生きてその日を迎えることができなかった。現在77歳の脇さんも、帰還については悲観的だ。「こと領土に関しては全く動いていない。70年間動いていない」と脇さんは述べ、「本当に悔しい。その言葉以外に出てこない」と続けた。
脇さんも、当時のことは鮮明に覚えている。「見知らぬ大きな大人が、機関銃を持って土足で家の中に上がり部屋を物色していた」「恐ろしくて、恐怖におびえていた」とその時の様子を振り返った。
4歳だった脇さんはその後、家族で島にやってきた相手国の子どもと友達になった。だがその友好関係も3年後に突然終わった。島の日本人が強制退去させられたためだ。中には、底に板を敷いた漁網に入れられ、魚のように持ち上げられて貨物船に乗せられた人もいた。
「サンマみたいに扱われ、人間扱いされなかった」
■「あまりにも時間がない」
最近、北方領土問題の解決策を模索する動きが、日ロ両政府の間で加速し始めている。
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は9月、「前提条件なしに」日ロ平和条約を締結することを示唆した。
北方領土をめぐる日本政府の主張は、北海道の先住民族であるアイヌがかつて住んでいたが、それ以外には歴史的に日本以外のどこにも属したことはなかった、というものだ。
しかし、ロシア政府は、当時のフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)米大統領と、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)との間で1945年に合意に至った、第2次世界大戦の「戦利品」というスタンスを崩さない。
北方領土周辺の海は冬でも凍らないため、ウラジオストク(Vladivostok)に拠点を置く太平洋艦隊の軍艦や潜水艦の太平洋への航路として利用でき、ロシアの戦略上重要な位置を占めている。
北方領土からからわずか数キロしか離れていない根室市の石垣雅敏(Masatoshi Ishigaki)市長は、「あまりにも時間がない」と訴える。
ロシアは1956年、色丹(しこたん)と歯舞(はぼまい)の2島「譲渡(返還)」と引き換えに平和条約を締結することを提案した。しかし、日本側との折り合いがつかず、問題は先送りされた。
だが石垣市長は、根室の人たちには2島案を受け入れる用意があるとし、「2島返ってきても、相当恩恵がある」と話した。
■「ロシアのもの」
他方で、羅臼町の湊屋稔(Minoru Minatoya)町長は、草の根レベルでの交流は信頼関係の構築に役立つと指摘する。
既にビザなし交流が行われており、元島民の中には故郷に戻り家族の墓参りをした人もいる。ロシアの人々もこのプログラムによって、日本を訪れている。
まだ詳細の決定には至っていないが、日本とロシアは、漁業、農業、風力発電、観光などの分野で北方領土での経済活動を共同で進めることを検討している。
ただ、湊屋氏は、経済協力が問題解決の最善の方法かということについて懐疑的だ。「信頼関係できていない人に『こんな大きなプレゼントがあるよ、どうぞ受け取って下さい』と言われて素直に受け取れるのか」
シンクタンク「カーネギー・モスクワセンター(Carnegie Moscow Center)」のアジア太平洋問題部門責任者アレクサンドル・ガブーエフ(Alexander Gabuev)氏は、経済プロジェクトによって、北方領土の日本への帰属を確認することは難しいと思われるとしながら、「クリル列島はロシアのものだというロシアの立場は変わらないだろう」と続けた。
海岸で馬に乗ったこと、家族で木を切り倒し家まで馬そりで運んだこと、ストーブで暖めたれんがをタオルで包み布団の中で暖を取ったこと、骨身に染みる寒さのこと──問題が解消されるまで、長谷川さんの故郷の島は、思い出の中にだけ存在する。
脇さんは現在、故郷の国後島から約25キロ離れた羅臼に住んでいる。ロシアがクナシルと呼ぶ国後島が、晴れた日には肉眼で見えるほどの距離だ。
だが、脇さんは言う。「近くて遠いんです」 【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181113-00000029-jij_afp-int